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作家と軍人  作者: 藤戸 嘉太郎
始まり
2/27

出会い

 首筋を撫でる冷気に体が震える。ようやく暖かい空気に慣れてきたというのに急に寒い日が来るなんて冗談じゃない。

 出張でいつも用意している外套を厚めのものにして正解だったようだ。腕に掛け直してスケジュールを確認する。

 午前十時半に視察開始。この汽車に乗れば間違いなく九時四十分には最寄り駅に到着する。視察先は駅から三十分ほどで着く。遅刻の心配はないだろう。

 九時を指したばかりの時計を見て一つ息を吐く。初めて一人で任された視察だ。緊張してしまうのも仕方ない。

 買った切符をポケットからもう一度取り出す。買ったものがきちんとあるのを確認するともう一度ポケットにしまう。

 切符を切る駅員の時間を考えると、そろそろ乗車準備を整えた方がいいだろう。

 立ち上がって鞄を持つ。


「はぁ!? 予定取り消し!?」


 持ち上げようとしたそのタイミングで女の怒りが駅構内の空気を支配した。

 女は自分が出した大声に気付いたのかすぐに声を潜めたため、支配は一瞬で終わってすぐに雑踏が静かな空気を踏み荒らした。

 自分もその雑踏の一つになるはずだった。

 しかし足は動かず、視線は大声を出した女に釘付けになっていた。

 声を抑えても感情は難しいのか、肩に触れる長さのオリーブ色の髪が女の動きに合わせて揺れる。細やかに揺れるそれによく手入れされているな、とお洒落について話しているから先輩と同期を連想する。しょっちゅう自分に好みを聞いてくるのだ。


「向こうが急に……え、それ明日の朝刊、いや情報速度によっては夕刊に——だからキャンセル……」


 納得したように黒い丸眼鏡をかけた顔が伏せられる。

 女の顔立ちは特別整っているわけではない。造形で言うなら平々凡々。しかし化粧や活動的かつ洗練された服装で女を美しい女性へと引き立てている。

 一目惚れとかでは決してない。落ち着いた髪色の女性の方が好みだ。だけど女に目が引き付けられてしまう。

 女は白い手を腰に当て、上体を反らして携帯型通信魔術道具、略して携帯に声を再び当てる。


「あのねぇ。そんなことは予想済みなの。だからこうしてわざわざ丈夫な傘を用意してここにいるの。こんな体験滅多にないのだから絶対に行くわよ。……え、困る? 死骸処理に手間取っている? はぁ!? 先週やっていた今週の天気予報見て想像つかなかった訳!? 私あなたが気を利かせてこの日にしているのだと思ったわ。……ええ、あそこは年中温暖な気候でしょ。数十年に一度の寒波だって新聞で言っていたから、もしかして、て」


 何だか死骸とか怖い単語が聞こえてしまった。

 聞かなかったふりをして立ち去りたいが耳は女の声を拾ってしまう。


「どうしてもぉ? ……ちぃっ。分かったわよ。その代わり、あの件絶対に通してよね。私からの条件はこれだけ。——無理ぃ!? 絶対通して! 私の貴重な体験を潰すんだから、それぐらいの覚悟はしてくれないと困るわ。後、先方には後日この件について取材するから日程押さえといて。日付は早い方がいいわ。鮮度が落ちるから。じゃ」


 女は舌打ちをして渋々電話先の話に了承したらしい。本当に渋々といった感じで。

 赤いジャケットの上に着るだろう紺色のトレンチコートを持っている辺り、女も寒いところに行くのだろう。今日は温暖な気候が続いたときに来た急な寒波だ。全地域にその寒さは襲っているが、コートを用意するほどの寒さとなると行先は絞られる。

 ——もしかしたら自分と同じところに行くかもしれないな。

 彼女は行く予定が無くなったので会うことはないだろう。そもそも行先は絞られると言っても、コートが必要な気温の地域はあと数ヵ所ある上に全部この路線上にある。行先が被るのは無理というものだろう。

 ——いや何を期待しているんだ僕は。ただ声が大きい女性の会話が耳に入っただけだろう。大体僕の好みは黒髪で落ち着いた感じの……。


「そこのあなた」

「『ヤマトナデシコ』っていう——」

「銀髪のあなたに言っているんだけど聞いてる?」

「ぅわっ」


 横から急に声を掛けられて思わず跳びはねる。兎みたいに跳ねるのね、と笑われ、体がカッと熱くなる。


「……私に何か?」


 目尻を下げて笑う女性に何の用か訊ねる。

 その声が少しばかりぶっきらぼうになってしまったことに心の中で謝罪する。

 彼女も自身の行動が相手を不快にさせているということを分かっているのか、右手を左右に振って謝罪する。


「ごめんなさい。笑ったのは謝るわ。——で、あなた。チシナシチェ駅に向かうのでしょう?」


 吸った息が止まる。自分の目は女の一挙一動を見逃すものかと凝視している。女に対する警戒が急速に上がっていく。

 だって自分はこの女に行先を告げていない。しかも女とは初対面。会って数分も経っていないのにどうして自分の行先を当てられるのか。持ち物にそれらしきものはない、はずだ。

 ——いや、この外套で気温が低いところに行くのは予想できたとして、それがどうしてチシナシチェ駅だと分かる。他にもこれが必要な地域はこの路線内にあるはずだ。

 自分だって同じような推測をしたが、それでもチシナシチェ駅だとは断定できなかった。

 自身が纏う空気が鋭いことを理解した女が「そんなに警戒しないでよ」と片手を左右に振る。手を振るのは女の癖なのだろうか。


「今日はここ数週間にしては急な大寒波。だから皆いつもより着込んでいる。それでもコートが必要なほどの寒さは限られている。この路線を利用すると考えると——オシェム、ジェヴィエントナシチェ、ドヴァジェシチャ・ドヴァ、チシナシチェの四つ。

 このうちの二つはあと二時間すれば気温が一気に五度以上上がる予報。ならば距離的にオシェムとジェヴィエントナシチェは除外できるわね。

 ドヴァジェシチャ・ドヴァ、チシナシチェが残るわね。気温的にはどちらを選んでもおかしくない。そこで私はあなたの持ち物を見たの。コート、鞄、『ジャス』の腕時計。ブランドものとしては手が出しやすいものね」


 一つ一つ指差しながら女は自分を見る。黒眼鏡越しでもはっきり分かる目線が自身を守る鎧を一枚一枚剥がされているようで落ち着かない。

 ——それもあるけど、この人の視線。なんか違和感がある。何かって言われると困るけど。


「それだけ。それだけがあなたの荷物。ドヴァジェシチャ・ドヴァに必要な傘がない。今あそこ、午前中は不定期だけど雹が降るもの。防御魔術が施された傘は絶対必要よ。それがないことからあなたの行先はチシナシチェ駅だって見抜いたわけ。

 ——どう? 合っているかしら?」


 こて、と首を傾げてこちらの様子を窺う女。

 自分の推理に間違いはない、と胸を張って言っているような自信、いや確信を持った顔。

 ——途中までは僕と同じ意見だ。だけど、他の地域の天気までは知らなかった。そこから彼女は特定した。……待て。


「……折り畳みの傘という選択肢は?」

「それも考えたけど、雹と雨のコラボを考えればその可能性は低いでしょう。昨日からはっきりと分かっているし、おりたの傘じゃ強度的な不安もあるし」


 ——そこまで考えているなんて……参ったな。これは情報収集不足である僕の負けだ。……いや勝負してないけど。というかおりたの傘って何? 折り畳み傘の略称? 独特だなオイ。

 自分は目を瞑って両手を上げる。降参の意を示すポーズだ。


「ご明察ですよ。私は確かにチシナシチェ駅に向かう予定です。

 しかし……それが私に声を掛ける理由になるのですか」

「なるなる超なる」


 この女性少しフランク過ぎないか。

 思わず半目になってしまうが女性は気にした様子を見せず話を続ける。

 はい、と軽い声で目の前に傘が差し出される。紺色の長傘で、男女関係なく使えそうな傘だ。電話で言っていた通り、骨が多い丈夫そうな傘。

 しかし、彼女はチシナシチェ駅の天気は安定している。この傘は自分に渡すという意図が含まれているのは想像に容易いが、それでは彼女の推理に矛盾が生じてしまう。

 これを渡すのはよほどの理由があるのだろう。

 傘を受け取らず、視線を動かす。向けられた女性は受け取らないのかいと言わんばかりの表情。天気予報が外れるとでも言いたいのだろうか。


「チシナシチェ駅には面白いものが落ちてくる。そのときにこの傘があった方が便利だと思うわ。

 ……ま、受け取るか否かはあなたの自由だけどね」


 チシナシチェ駅で、面白いもの。彼女の態度を見る限り、雹や雪ではなさそうだ。

 ——この傘には見た限り防御用の魔術以外は仕込まれていなさそうだし……せっかくの善意だ。受け取って置こう。


「ありがとうございます。お返しするときは——」

「不要よ」

「えっ」


 ぴしゃりと言い切られた言葉に素の反応をしてしまう。受け取った傘を持つ手が支えを失ったように揺れる。彼女に返した方が良いかと思っての発言だったのだが、気に障ったのだろうか。

 この日のために用意したって言い方、電話でしていたこともあってこの返答は予想外だった。

 戸惑う自分を置いて彼女は背を向けて歩く。革製のトランクを提げて孔雀青のヒールを鳴らしながら駅を出ていく。

 こちららを一切振り向かないその潔さに溜息を吐きかけるが、気を取り直して荷物を持って駅員のところへ向かう。

 自己紹介をできなかったことにどこか後悔の念があったことは確かだ。自分は彼女に好意的な感情を持っていたことに驚きながら乗降場に立つ。

 汽車が来て乗るころには自分は彼女のことは頭の隅に追いやってこの後の視察について考えを巡らせ始めていた。




 チシナシチェ駅が窓の向こうから見えてきた。荷物を持って席を立つ。彼女から貰った傘を忘れずに。

 停車して扉が開く。降りると寒い日ならではの澄み切った空気と青空が自分を出迎える

——ジャケットを突き刺すほどの冷気も一緒に。

 ぶるりと犬のように大きく身を震わせ、急いでコートを着る。必要だろうと予想していたがここまで寒いとは思わなかった。


 寒すぎー

 温度差で体調不良者百人出るだろ

 言えてる


 近くにいた乗客達がそんな会話しながら駅を出ていく。名前も知らない友人同士だろう会話に同意しながらその後に続く。

 ——あ、出る前に傘を差した方がいいのか? でもこんなに快晴なのに傘を差すのは少し気が引けるな。日傘って感じの傘でもないし。

 さて、どうしたものか。


「お客様。傘をご用意してくださったのですか?」


 駅員が自分に声を掛けてきた。正直声を掛けられるとは全く思っていなかったので上擦った返事をしてしまった。


「え、ええ。傘が何か?」

「いえいえ。持っていた方が便利なので。正直、駅の方にある貸し出しの傘はもう残り少ないので助かったのですよ」


 制帽の鍔に隠されたせいで表情は読めないが、安堵していることは伝わった。


「こんなに晴れているのに傘が必要なのですか? もしかして……紫外線が多いとか?」

「ご存じないのですか?」


 自分の言葉が意外だったのか、駅員と初めて目が合った。この国では珍しくない茶色い瞳が真ん丸と見開かれていた。


「比較的温暖なこの町にはとある生物がいます。ご存知ですか?」

「ナモリでしょう。住処としている木に化けるからナモリ。安直ですが、分かり易くていいとは思います。爬虫類で変温動物……」


 本で得た知識が途中で止まる。脳裏に浮かんだのはある一つの仮説。想像がつかないが、それならば彼女がこの傘を用意した理由の説明がつく。

 後押しするかのように駅員が途切れた自分の代わりに続ける。


「体長は十五から四十セメタ。体重は重くて十ロゥ。それなりの重量があります。

 先程貴方が仰いましたように変温動物なので寒さに弱い。冬眠状態に入ります。なので——」


 ぼと


 柔らかく、重いものが落ちる音。

 視線を石畳の地面に動かせば、ナモリが落ちていた。

 色素の薄い腹が日の光を反射して網膜を刺激する。タイミングを読んだみたいなその登場に小さい拍手を送る。ピクリとも動いていないが冬眠しているだけなので大丈夫だろう。堅い背中から落ちているから怪我の心配もないと思う。

 ナモリは、の話だが。


「人間の頭部とぶつかったら洒落になりませんので。ここに三十年ほど暮らしてますが、この事態は初めてです」


 ——あの女性は、ナモリが降ってくることを予想していたのだろうか。

 いや、絶対に予想していた。

『こんな体験滅多にないのだから絶対に行くわよ』

 予想していなかったらあの言葉は出ない。


 ——参ったな。


「連絡先交換しておけばよかったな」

「え?」

「失礼。こちらの話です」


 荷物を一旦置いて傘を広げる。自分の存在を包むような大きな円が頭上に広がる。同時に白い光が一瞬円の中に広がる。防御魔術が問題なく展開されていることを確認して荷物を持つ。


「お気を付けて、行ってらっしゃいませ」


 駅員が敬礼をする。何で、なんて質問はしない。する意味がない。だって彼は自分の右隣にいる。ならば右胸のバッジを見ている。

 駅員に体を向けて礼を言う。


「ありがとう」


 自分は国家行政機関に所属する人間なのだから。


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