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作家と軍人  作者: 藤戸 嘉太郎
歌姫落花死事件
12/26

歌姫落花死事件 4

「そういえば、きみ」


 殺した刺客の死体の処理を軍に連絡し、次の目撃者の事情聴取をしようと向かっている途中で、ユイが話しかけてきた。


「——きみ、女性に対して何かトラウマでもあるのか?」


 ——やはり、聞かれたか。

 知恵の魔女。先程の刺客。特に刺客への殺害は唐突なもの。悲鳴を上げたり驚かれなかったのが奇跡に近い。

 レナートのあの行動を見れば、女性に対して良い印象を持っていないのは容易に察せられるだろう。


「答えなくて結構。君の答えはもう分かった」


 後ろに目でもついているのだろうか。ちょっと頭を触りたくなってきた。


「私の後頭部には口はもちろん、目もありませんよ」


 心でも読んだのか。

 ——というか、口ってなんですか。口って。

 ユイが斜め後ろにいるレナートの顔を見上げる。黒眼鏡からは相変わらず目が見えない。ただ、彼女に見られるのはあまりいいものではなかった。

 全てを見透かすような目力の強さが、黒眼鏡越しでも感じ取れるから。

 ——誤魔化しても、知識欲の化身みたいなこの人には意味ないな。


「……確かに、私は女性に裏切られたことがあります」

「裏切られた、ねぇ……随分はっきり言うじゃないか」

「事実ですので」

「お、おぅ……容赦ないな」


 ユイが身を引かせながらレナートを見上げる。レナートも冷たく言ってしまった自覚がある。言われたユイはもっと冷淡に感じただろう。

 レナートが女性に良い感情を持っていないことを知ったユイは、護衛対象たる自分も女性だということに気付いたのだろう。こめかみに立てた人差し指と中指を当て、思案の格好(ポーズ)をする。


「……私も女ですよ」

「存じ上げております」

「分かっているんですか? 私にちんこついてませんよ」

「見てはいませんが、骨格で分かります」


 というか、女性が口にするな。その単語を。


「なるほど。私には穴しかないということは分かっているみたいですね」


 下ネタを言うな。


「女性に対して良い感情を持っていないなら、どうして私の護衛なんて引き受けたんですか」


 その質問にはすぐに答えられる。


「戦友が、先生のファンなんです。あの戦争で両足を失い、自由に動くことができなくなったあいつにとって、先生の本は数少ない娯楽の一つと言っていいほどのものなんです。

 その戦友に見舞いがてら、貴女の話ができればと思いまして立候補しました」


 ——それだけが理由ではないが、それは言わなくてもこの人は察していそうだ。

 二年前の列車事故の生き残り。

 翼の英雄——イエデン少尉が行方不明になったあの事故で、何が起きたのか。

 それを知る手がかりを放っておくなんてことはできない。だから軍曹達が護衛の人選で悩んでいたときに立候補したのだ。戦友のフランチスカはイエデン少尉を慕っていた。彼女のためになるなら、どんな情報だって集める覚悟だ。


「そっか。じゃあ面白いネタを提供しないとね」


 手始めに変顔十連発しますか、と聞いてきた。

 丁重にお断りした。




「ヨランタちゃんは、本当に歌が上手で、皆が振り向くほどの魅力の持ち主です」


 とある喫茶店のテラス席。赤縁眼鏡を押し上げて語るのは第一発見者の一人であるスーツ姿の男、リーリヤ。彼は悲しそうに目を伏せて当時の状況を思い出していた。

 こめかみの上には鋭そうな角が生えている。ユイもこの角に目が行ったみたいで、出会った瞬間「ご立派」なんて言葉が聞こえた。変な意味で取られそうな言い方だった。言われた本人がその意味に気付いていなさそうなのが不幸中の幸いだろう。

 聞けば隣国の獣人の国、クティノス国の出身らしい。

 ——獣人……角の種類から考えて牛だろうか。

 畜生との混ざりものがこんな辺鄙な場所にいることに純粋に驚く。いったいどんな理由があっているのだろうか。

 ——王国との同盟を破った獣人を歓迎する人間なんて、多く見積もっても半分くらいでしょうに……。

 八年も経てばそういった感情が風化されるのだろうか。

 同盟が破棄されて痛い目を見た自分だからここまで憎く思うのかもしれない。

 あのとき、援軍として来てくれれば。

 自分は、悪魔になんかならなかった。


「死んでしまったヨランタさんは、皆が振り向くほどの歌声……盛り上げ上手でもあったと聞きます。かなり酒場は盛況だったのでは?」


 親しい人になんてことを聞くんだ。


「……そうですね。週末の夜はいつも騒がしかったですよ。嫌なことも、辛いことも、彼女の歌を聞けばすぐに飛んでいきましたよ」

「そういう特異魔術持ちなんですかね?」


 リーリヤは肯定も否定もしなかった。知らないのだろう。


「僕は……ほら、こんななりですので最初は居辛かったんです。ですが、彼女が僕を歓迎したことで、居心地の悪さが無くなりました。仕事の都合で、ここに住むことになった時はどうしようかと思いましたが……ヨランタちゃんが僕の不安を消してくれたんです」

「恩人でもあるというわけですか。つかぬことをお聞きしますが、どのようなお仕事を?」

「画商ですよ。獣人や人間が作った美術品を売ったりしています」

「獣人と人間を繋ぐ橋渡しみたいな仕事ですか。素敵ですね。私も自身の創作意欲を高めるために美術鑑賞をしているので、もしかしたら取り扱った絵を見ているかもしれませんね。獣人のお方の名前がいくつかありましたので」

「本当ですか? 嬉しいな。お恥ずかしながら、種族間を繋げる役割になれればいいと思って活動しているんです。

 生態や考えが違くても、美は誰の心にもあるでしょう?」


 ——クッソ笑える。

 自分の常の表情が無であったことに今は心から感謝した。そうでなければ笑って相手を侮辱していたかもしれない。

 十のうちたまたま一つが一致したからと言って、残り九つが違えば意味はないのだ。種族間のハーフが生まれたとという話を聞くが、それは万に一つの奇跡によるものだ。

 ——芸術程度でどうにかなるなら、この戦争は起きなかった。

 全てたらればの話。考えたところで意味はない。


「話がそれましたね。お辛いことを思い出させるようで申し訳ないのですが、死体発見当時のことを詳しくお話し願います」


 背もたれに背を預けて、茶色の瞳を閉じる。先程と同じように、当時の状況を思い出しているのは、明白だった。


「破裂したような音と、ぶつかったような硬い音が聞こえました。何の音か分からず、私達は惑いました。すぐに誰かが誰かが落ちたということを言ったので、私達は落ちたものを探し始めました。臭いのおかげですぐに見つかりました。

 見つけたとき、臭いの酷さに吐くかと思いました。私は獣人だから、鼻が利くんです」


 ——でしょうね。


「その場に看護師さんがいたから死因を調べられたと聞きました。死因はともかく、どうやって身元の確認を?」

「……右足の甲に、三角形につなげられる黒子があるんです。靴に隠れない部分ですし、本人もそれを売りにしていたので、気付いたときは皆悲鳴を上げましたよ」

「トレードマークは大事ですからね。私も何か作ろうかな」

「黒い丸二つでいいのでは?」

「私のどこを見て言っているんだレナートさん」


 ユイがこちらを睨み上げる。じと、とした目付きをしているのが黒眼鏡越しでも分かってしまう。目が隠されているため分かりにくいが、意外とこの人は感情豊かだ。


「落ちたと言ったのはどの方か覚えていますか?」


 リーリヤは顎に手を当て思い出そうとしているようだが、思い出せなかったらしい。

 首を振って謝罪した。


「そろそろよろしいですか。この後約束がありまして……」

「構いませんよ。お時間をとらせてすみません」


 席を立って一礼するリーリヤ。その姿は画商として色々な人と交流したんだろうな、と分かるような洗練された礼だった。


「あ、そうそう。たった今思ったことなんですけど」


 背を向けたリーリヤに思い出したかのように声をかけるユイ。


「歌って、芸術に入りますかね?」


 透明なレンズ越しに見える茶色の目が瞠目した。予想外の質問が来たというような反応。すぐに視線を上にあげて思い出す顔になったので、一瞬のことになってしまった。


「んー……大まかなくくりには入るんじゃないんですか」

「そうですか。お時間をとらせてしまいすみません。もう行って大丈夫ですよ」

「……では」


 リーリヤは一礼して足早に去って行った。

 テラス席に残ったのはレナートとユイの二人だけ。


「……先生。あの質問には何か意味があるのでしょうか?」


 ユイは黙って数枚の紙をレナートに渡す。失礼、と断りを入れて目を通す。

 内容に目が入って行けばいくほど、レナートの目は見開かれ、紙を持つ手が震えていく。紙に書かれていた内容は否定したいほどのもので、レナートはユイに情報の真偽を聞いた。


「ユイ先生……これが本当なら、ヨランタは、この国で生きていけませんよ……」

「でしょうね。だからレカルㇲトゥフォって名乗ってるんでしょう。本当の名前ならここにはいられない」

「今回の事件、確実にこれが絡んでいますよね」


 首肯するユイ。


「ただ、これが殺人なのか自殺なのか、私の中で判別がつきません。他殺ならもっと他に方法があったはずです」


 復讐、という動機が浮かぶ。確かに他殺なら可能性は高い。でも彼女は当事者ではない。ただ、同じあの名を持っているだけの人だ。

 いや、当人達からしたら誰とか関係ないのだろう。あの名を持つ。それだけで十分なのだから。


 ヨランタ・レカルㇲトゥフォは偽名。本名はビオランテ・ウルバノヴィチ。

 ウルバノヴィチという名字で浮かぶのは一人しかいない。

 ウルバノヴィチ一等医生。レフセブㇲ王国陸軍第二師団所属の一等医生であり、軍医総監の地位昇級もおかしくないほどの名医。


「ウルバノヴィチ……戦争に疎い私でも知っている名字です。なんかすごい薬作ったんでしょう?」

「その通りです。

 戦時中における彼の功績は大きいです。鎮痛剤の開発、長期化する戦争によるストレスを抱えた軍人の疲労回復薬の開発、細胞再生の魔術式の開発、魔術専用の軍人でもない限り修得は難しいとされた魔力消費の多い止血、縫合などの治癒魔術の改良。他にも色々ありますが、主に取り上げられるのはこの四つです。特に最初の二つは魔術を使わないので、第二師団の中ではその鎮痛剤がかなり流通していたようです」

「鎮痛剤に疲労回復薬、か……良い印象を持たないなぁ」

「鋭いですね。開発された二つの薬は現在、違法薬物として取り締まりの対象となっています」

「あぁ〜ッ! ヒネとポンの臭いがするぅ!!」


 どんな臭いだ。

 椅子を傾けて大きく天を仰ぐユイ。予想以上に面倒くさい気配を感じ取っているのだろう。

 ウルバノヴィチ一等医生は危険薬物を作ったとはいえ、偉大な医者だ。だが、自身が開発した薬で苦しむ兵士達に耐えられなかったのだろう。それが本当の理由なのか分からない。その可能性が一番高いだろうと皆が勝手に噂しているだけだ。

 ウルバノヴィチ一等医生は、薬物による中毒症状で苦しむ兵士達を治療する病院で、薬物による殺人を行った。その数は合計百三十八人。

 事態に気付いたときはすでに遅く、逃走していた。

 ウルバノヴィチが一夜にして大犯罪者になった瞬間だった。

 その事件を知って正義感を煽られた若者達が、ウルバノヴィチの親戚や同じ苗字を持つだけで親戚でも何でもない赤の他人に対して強盗・暴行・火事を行うなどの罪を犯すようになった。

 事態を重く受け止めた国は急遽、証人保護法という法律を作り、彼らの名前・戸籍・人生経歴を用意して別人として生かすようにした。

 これだけで周りがいかに恐ろしいことをしたのか想像に難くない。


「これ以上は無理と判断して自殺したのか、正体に気付いた誰かが復讐したのか……。

 でもそしたら遺体はもっとひどいことになっていると思うんですよね」

「十分ひどいことになっているじゃないですか」


 あれ以上にひどいことなんてあるのか。


「復讐とは『自身との心の決着』です。故に、どんな形であれ相手を侮辱する必要があります。そのときに一番大事なのは『相手が誰なのかはっきりと分かること』。そうでないと復讐の意味がない」

「……詳しい説明をお願いします」


 リーリヤとの聞き取り時に頼んだ珈琲を一口飲んで口を潤したユイは、あくまで自論だと前置きする。


「『誰が』、『どうして』、『こんな目に』遭っているのか、ということを考えると相手がはっきりと判別ついた方がいいんです。今回の事件がもし復讐だった場合、ヨランタさんだって自信を持って言えますか?」

「それは足の特徴で……あ」

「気付いたみたいですね。自分はこの人間に復讐したんだということを考えると顔は残す可能性が高いんです。その方が自分の記憶に残るから。でも今回の事件はそれの真逆。確実に殺すためという理由でそうしたのかもしれませんが。

 それなら箒の上から落とした、ということを考えたんですが、安全飛行の仕組み上難しいことが分かりました。……まあきみみたいに抜け道はありそうですが、特殊例です。可能性として考えますが……キリがないな。候補その四くらいに考えようか」

「三つはあるのですか?」

「あるよ。転移と箒と……内緒」


 内容を隠されたことに眉を寄せて眉間にしわを作れば、すぐに分かると言われた。

 今から一時間後、リーリヤとは別の発見者の一人がここに来るらしい。時間が被らないように時間を空けたのだろうか、時間が空きすぎだ。何でこんなに空けたんだ。


「せっかくなんで何か食べますか? 護衛の経費ということで奢りますよ」

「ではこのペペロンチーノを一つとオニオンスープ、それにこれとこれも……」

「遠慮がなさすぎんか?」


 そうは言っても腹が減ってしまったのだ。相手が来る前に食べ終えるつもりだ。


「注文の都合もありますから、パスタだけにしてください。——すみません。ペペロンチーノとパンケーキと珈琲をお願いします。……あぁ、禁煙でなければ灰皿を一つお願いします」


 ユイは近くにいたウェイターに注文し、差し出された灰皿に感謝を述べて受け取る。

 慣れた様子で煙草をくわえ、マッチに火をつける。煙草に火を移し、吸い込んで煙を吐き出す。

 注文待ちの間、特にすることがなかったので差し出された材料から自分なりに考えてみた。

 ——箒はただ乗って飛行するわけじゃない。空気抵抗や重力、重心や天候などによって生じる問題などありとあらゆる危険性を防ぐために製作段階から安全対策の魔術が組み込まれている。それを解除するのは箒を解体するに等しい。

 しかし、あの変換のようにただの箒に飛行と浮遊の魔術の二重展開という抜け道でいける。

 緊急時のときは飛行用箒以外の使用を認められているからだ。実際、伝達で槍の上に足を乗せ、今なら魔道警察待ったなしの高速飛行をした者もいるのだ。

 ——後は、単身での飛行が可能な人物。可能性はかなり低いが、高度制限が緩い。

 ただそれには安全飛行協会が課す高難易度の試験を通らないといけない。第一師団一の魔術師である軍人がその試験を四回目でようやく合格できたほどだ。魔力調整がかなり難しいらしい。それなら召喚魔術で箒呼んだ方がウン百倍楽だと言っていたのを思い出した。

 そこまでして欲しい資格なのかよく分からない。自分は欲しくない。

 その軍人でも難しいのだ。他の魔術師が簡単に資格を手に入れられるとは思えない。

 そこまで考えてウェイターが料理を届けてきた。レナートはそこで考えるのを一旦停止しした。


「お先にどうぞ。できたてなのは見れば分かりますので。お嫌でなければ、後で一口くださいね」

「ありがとうございます」


 湯気を立てているペペロンチーノにフォークを刺した。ピリッと来る唐辛子と口の中に広がるガーリックがとても美味しい。

 ペペロンチーノを食べ始めてから少し経った頃、ユイが頼んだパンケーキも運ばれてきた。二度見した。


「は……?」

「おお。これは予想外」


 そこには、レナートの知らないパンケーキがそこにあった。

 人差し指の第二関節までありそうな分厚いパンケーキ。上には四角いバター、側にはバニラアイスクリーム。見ただけで美味しいものだと分かる。


「うわ〰〰ッ! レナートさん見てくださいこれぷるっぷるですよ!? ほらぁ!!」


 ユイの感動も分かる。皿を持って左右に揺らしただけで震えているその姿は食べ物なのにかわいいという感想を持ってしまう。

 生焼けなのでは、という疑問が一瞬よぎるが、飲食店ではありえない。信じて何も言わないことにした。

 ユイは両手を合わせていただきます、と言う。初めて会ったときから言っているため、食事の挨拶なのだろう。

 ナイフとフォークで丁寧に切って、一口分のパンケーキをこちらに差し出す。


「パンケーキどこに置きます?」

「今場所空けます」


 急いでペペロンチーノを口に突っ込んでパンケーキが置ける場所を作る。こんなにはやく来るとは思わなかったのだ。

 場所を開けるついでに一口分ペペロンチーノをフォークに巻いてユイの皿に置く用意をする。


「どうぞ」

「どーぞ!」


 ユイがフォークに刺したパンケーキをナイフを使って置く。穴だらけではない断面を見て、ますますどうやって作ったのか気になってしまう。ここまで分厚いと焼くのは難しそうだ。絶対に表面が焦げる。


「ん~! 胃の中で更にでっかくなりそうな触感してる〰〰〰〰! おいし〰〰〰〰!」


 本当に美味しいのか。半信半疑の状態でパンケーキを口に入れる。

 見た目通り、ふわふわした触感だが、生焼けしている様子はない。恐らく材料に何か秘密があるのだろう。焼いたことによる表面の硬さも感じられない。南の方面でまだ食べたことないものだ。甘味好きの上等兵が趣味の甘味巡りでそういったことを言っていないから確かだろう。

 なら、ここでしか作られていないのは確実だ。


「これ、上手く広告すれば人がいっぱい来そうですよね~」


 同じことを思ったようで、ユイもレナートが思っていたことを言ってきた。


「ま、提案はしないけど。責任取れないし」


 列車事故の影響で過疎化が進んでいる北地方の復興に手を貸すつもりはないらしい。まあ目論見が外れたら、それ相応の責任を背負う必要があるのを考えると、国民的人気推理小説家でも荷が重いのだろう。

 こちらに向かってくる足音が聞こえる。敵意はない。もしかして次の聞き取り相手だろうか。まだ食べ終わっていないからちょっと待って欲しい。


「貴女ほどの先生でも、難しいことはあるんですね」


 少し離れた所から自分達に話しかける気配。見れば肩辺りで外にはねた橙色の髪の女性がいた。翠色の瞳がこちらを見ている。

 もうすぐ夏になるというのに、ツヴァイみたいに長袖の上着を着ている。

 その顔には、見覚えがあった。

 この前ユイにシミエル家ご令嬢毒殺未遂事件についてしつこく聞いてきた醜聞記者(ダブロイド)だ。


「中途半端に希望を持たせるものほど、残酷なものはないだろう?」


 フォークを皿の端に置いてそう答えるユイの声は冷たい。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。


「……そうですね。私も、中途半端という言葉が嫌いなんです」

「この前の事件振りだな。醜聞記者のメリッサ」


 女性、メリッサは側にあった椅子を引き寄せて座る。

 引き寄せた手の動きが、僅かであったがぎこちなかった。


「こうして、先生から取材を受けるなんて思いませんでした」

「メリッサ、発見当時のことを教えてもらってもよろしいだろうか? あ、食事でもどうだ?

 奢るぞ」


 メリッサの世間話を一蹴してユイは本題に入る。


「いえ、自分の分は払います。すみません、サンドイッチを一つお願いします。

 ……お待たせしました。お話ししますね。私の家はここの近くなんです。だから毎朝、パンを買って駅前の広場で食べるのが日課なんです。食べているとばん、だかぼん、だか何かがはじける音がして、咄嗟に顔を上げたんです。誰かが落ちたぞ、と声がしたのはそのときだったと思います。

 私は咄嗟に看護師免許を財布から出して色々な人から話を聞きながら落ちた場所に向かいました。正直ここはあまりちゃんと覚えていないです」

「看護師? 遮るようで悪いが、きみは醜聞記者じゃないのか」


 メリッサは目線を下に向ける。その目には覚えがある。できなかった自分を責める顔だ。


「従軍看護師だったんです。そのときに右腕と右脚を失いました」


 義肢の理由はこれで説明がついた。

 戦場で活躍した看護師——『従軍看護師』なら、そういう危険にあってもおかしくはない。

 前線で活躍し、傷ついた軍人を治療する。

 そんな役割を持った軍事医療施設を、魔族が見逃すわけがない。


「植え込みに着いたときに感じたのは、戦場で嫌というほど嗅いだ血の臭いでした。死んでいたのは、誰が見ても明らかで……。

 それでも私は遺体を見ました。落ちたという発言から、誰かが頭から落ちたのだということは想像がつきましたから。案の定上半身は酷い状態で、とても言葉にできたものではありません。

 だから私は落下による上半身の内臓破壊と頭蓋骨の破壊による死亡だと判断しました。

 ただ……」


 メリッサは言葉を一旦止めて周囲を見回す。周りを気にする様子に、何かに気付いたのか、と勝手に推測する。

 お待たせしました、とサンドイッチが運ばれた。メリッサがお礼を言って食べ始める。なるほど、ウェイターに聞かれたくなかったのか。

 一口食べたサンドイッチを呑み込んで、ユイに顔を近付ける。ユイとレナートも一緒にメリッサに顔を寄せる。


「あの死体、壊れすぎているんです。死体はよほどのことがない限り、ある程度の原型はあるんです。

 でも、あの死体は分かりにくかった。戦場で多くの死体を見たから、そこに気付けたんだと思います」


 戦場経験の悲しいところですね、とメリッサは苦笑した。その顔には覚えがある。できなかった自分を嘲笑うものだ。

 ——下手な慰めは、相手を傷つけるだけだ。

 嫌というほど、自分は経験している。気を紛らわせようと、ユイのパンケーキを一口分切ってメリッサに差し出した。


「美味しいですよ。どうぞ」

「私の許可取れよお前ぇ……」

「ペペロンチーノの味がしますね」

「こっちもこっちで遠慮がないなぁおい」


 ユイがレナートとメリッサを交互に見ながら口を尖らせた。


「ま、文句は置いといて! きみのお話は大変面白かった。きっときみなりに推理を立てているのだろうが……思いっきり外れているから、考えるのはよした方がいい。

 私が立てている推理の方が、現実的だ」


 結構失礼なことを言っているぞこの女。


「どうやら、そうみたいですね」


 メリッサには面白いものだったようで、返事したときの表情は笑顔だった。笑うと右頬に一つえくぼができるらしい。


「サンドイッチも食べ終えたので私はこれで失礼します。先生の推理、期待していますね。帰るときにもう一度連絡ください」

「気が向いたらね」

「絶対、ですからね」


 二人の間に何があったんだ。妙に圧が強い二人に押されそうになりながらレナートは会釈して立ち去るメリッサの後ろ姿を見る。義手と義足の話を聞いた今は、納得できる動きをしていた。

 神経を繋げた医者はあまり腕がよくなかったようだ。


「そこに金かけるくらいなら、魔道具にそれっぽいものを被せた方がいいでしょうに……」

「私は貴族じゃないので、その見栄とやらは分かりませんけどね。あれじゃあ少し気の毒です。

 ま、何とかする義理もないんですけどね」

「薄情に聞こえますよ」

「む。そういうつもりはないんだけどね」


 人差し指と中指をこめかみに当てながら思案するユイ。このときに邪魔をしてはいけないのは聞かなくても分かるため、大人しく残ったペペロンチーノを食べる。

 ペペロンチーノを食べてもまだ思考中だったため、レナートは追加でデザートのアイスを食べて推理が片付くのを待つ。滑らかなバニラ味のアイスが口の中で溶けていく。


「——推敲が完了しました」


 ユイがそう言ったのは、アイスのおかわりを検討しているときだった。謎が解けたのだろうか。

 推敲は校正とは違い、文字の表記に注目するのではなく、他に良い表現・言葉回しはないのかを考えることを言うらしい。

 ——ということは、事件の推理が完了したということ。まずいぞ。


「事件に対する推敲が完了しました。これからロバートさんに会いに行きます」

「え、おかわり……」

「我慢しなさい!」


 姉みたいな言い方だった。



 現場近くで聞き込みをしていたロバートを捕まえ、近くのベンチに腰を掛ける。


「へぇ。今回の事件、解けたのですか。お聞かせくださるんでしょうね?」

「ええ。と言っても、犯人が分かったわけではなく、トリックが分かった程度なんですが。

 それだけでも十分でしょう?」

「十分です。むしろそれ以上頼ったら警察としての立場が無くなります」


 ロバートは木製の水筒を口につけて中身を喉に流し込む。半袖でもおかしくないほどの気温だから、喉が渇いて仕方ないようだ。


「では、お話しする前に——ウルバノヴィチという名字に聞き覚えは?」

「……それを知らない国民なんていない。皆その名に憎悪と嫌悪を抱いていますから」


 ロバートの顔が苦虫を嚙み潰したようになる。それなりに年を取っていることから、かなり苦労させられたのかもしれない。


「私、それなりの伝手がありまして、彼女がその縁者だということは分かっています。

 だからウルバノヴィチに対する怨恨の可能性が高いと私は考えています。現に、この町は彼女の正体に気付いている者が多い。雇い主のベラさんも、気付いていると思います」

「ウルバノヴィチに気付いていながら……いや、英雄の死の一件から、この地域に訪れる人は減ったという記録がある。歌姫という点を考えたら、この町の過疎化を思えば見逃す可能性は高いか」

「箒による落下の可能性は低くても、緊急時の例外があるのでしょう? 戦争時による例外のためらしいですが……そう考えれば、そこらの棒きれに飛行や浮遊の魔術をかけて彼女を浮かすことは可能です。もしかしたら彼女自身にかけたのかもしれません。そうして高いところから落とした——その可能性が高いと私は考えています」

「確かに、対象にかけた浮遊や飛行は術者の制御下にあるから警報が鳴りません。それに見えないよう不可視の幻影魔術をかけたとしても、上空への擬態だから魔力消費も少なくて済む。

 確かに、可能性としては最も高いですね」


 協力ありがとうございます、とユイに頭を下げるロバート。納得できるだけのものがあった、ということなのだろう。実際、魔量消費や安全飛行と、彼女の推理に矛盾はない。

 ——なのに、この胸に残る違和感はなんだ……矛盾はないのに、納得できない。

 ロバートは懐から煙草を取り出し、吸い始める。

 口から吐き出される紫煙が、空に吸い込まれるように昇っていく。


「……ウルバノヴィチの件は、信じていいんだな?」

「私の犬が調べました」

「信憑性がグーンと上がっちまったなぁ……」

「ぐーんと?」

「グーンと」


 ロバートは彼女の『犬』と面識あるらしい。自分はまだ見ていないが、かなり優秀なのだろう。

 ——恐らく、彼は先生が話したことは嘘だと気付いている。その上で呑むか吞まないかの判断をしている。

 ロバートの青磁色の目が空を映す。


「……分かったよ。上にはそう通しておく。お前の推理に矛盾はないし、その名字もある。というより、その可能性があったから、上は俺らをここに寄こしたんだろうな」


 ロバートは煙草の火を消し、携帯している灰皿に捨てる。


「誰かを憎む者はそいつの飼った犬まで憎む。しかしその犬に罪はない。

 俺から言えることは一つだ。——必ず守れよ」

「言われずとも。契約は守りますよ」


 思った通り、これは取引だったようだ。

 ベンチから立ち上がってロバートはこちらに背を向けた。彼の言葉を信じるなら、これで事件は決着つくのだろう。表向きは。


「レナートさん。私達も行きましょう」

「どちらに?」


 決まっているだろう、と女は笑う。


「今回の事件の首謀者にですよ」




 空にあった日は沈み、代わりに銀色に輝く月が夜の街を照らしていた。仕事を終えた一人の人物が、自宅の扉を開けて中に入る。思ったより仕事が大変だったらしく、その姿はくたびれていた。

 その人物は鍵を開け自宅へと入って行く。後ろを見ず、手だけで扉を閉める。

 突然、ダン、と掌を叩く衝撃。引っ張っていた手が衝撃で止められてしまったせいで、取っ手から滑り抜けてしまった。

 状況を知るために振り向けば、黒い何かがいた。

 宵闇に紛れるようなそれは、こちらを射抜くようなまっすぐな眼差しで腕を掴む。

 ——腕をもぐことになってもつかまれた手から離れろ。

 本能に従って風の魔術でつかまれた腕ごと切り離す。尋常じゃない痛みが左腕を襲うが、歯を食いしばって堪え、相手を見据える。

 全ての色を混ぜたような黒い目がこちらを見つめている。

 黒い長靴が閉じられないように扉に挟まれていた。先程の衝撃は、この足によるものだったのだ。

 足は少しずつこちらに侵入してくる。止めたいが、右手で出血を防いでいるから止めることができない。

 黒い人影は家の中に入り、扉を大きく開ける。まだ何か入れるつもりか。

 ぽつぽつと広い間隔で置かれた街灯の夜道が、視界に入る。

 一人の女性も、そこにいた。


「こんばんは。ウルバノヴィチさんに会いに来ました」


 ウルバノヴィチ

 その名字が出た時点で全てを察した。

 黒眼鏡越しに感じた、一挙一動を見逃さないような視線は、気のせいではなかったようだ。


「教えてくれますよね? リーリヤさん」


 人物——リーリヤは出血する右手を抑えながら目を閉じた。どうあれ、自分達の負けだ。

 治癒魔術で止血しながら、二人をリビングに案内した。

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