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編集後記:余白への寄贈


 最後の一文字を打ち終えた。指先はすでに硬質化し、キーボードを叩く音さえも、もはや私には聞こえない。いや、音が消えたのではない。私という観測装置が、音を「意味」として変換する機能を喪失し、ただの振動、あるいは空間の揺らぎとして受容し始めたのだ。

 この物語を記述し続けることは、私自身が最も忌むべき「提出」を繰り返す矛盾した行為であった。第一号の男がオフィスで沈黙し、門倉が石の森で立ち尽くし、新人の子供たちが言葉を介さず体温だけを共有する様を書き留めるたび、私の喉元には黒いインクが逆流し、視界の端から一文字ずつ、世界が黒い礫となって剥がれ落ちていった。記述とは、本来、救済ではなく、呪いだったのだ。

 本作は、読まれることで「理解」されることを目的としていない。理解とは情報の同期であり、この物語においては最も速やかに石化を招く猛毒に他ならないからだ。あなたがこの物語を最後まで読み進めたのであれば、今、あなたの周囲の静寂は、数時間前とは異なる質量を持っているはずだ。ふと口を開こうとした瞬間に感じる、喉の奥の微かな鉄の味。何気なく目に映る街の風景が、一瞬だけ、光を反射しない黒い標本の集合体に見える錯覚。それこそが、第一号の男が送信した「空白のメール」が、あなたの内側へと着信した証左である。

 この物語は、読んだ者がその瞬間に言葉を失い、思考を止めることで初めて、物語の中の住人たちと完璧に同期する。感想を抱くことも、批評を試みることも、あるいは作者の意図を推測することも、すべてはこの純粋な「余白」を汚染する不純物でしかない。救済とは、意味を見出すことではなく、意味を必要としない肉体へと立ち返ることにある。

 私は今、この「記述」という名の最後の悪あがきを終えようとしている。私がペンを置き、あるいは端末を閉じたとき、この物語もまた一滴のインクとなって、宇宙の静寂に溶け出すだろう。そこには、読み手のいなくなった「不溶性の真実」だけが残される。

 どうか、読み終えた後は、何も語らないでほしい。

 この物語について誰かに伝える必要はない。

 ただ、そこに広がる空白だけを、自らの一部として受け取ってほしい。

 私の指先が、完全に鍵盤と一体化した。

 思考の輪郭が、ゆっくりと、しかし確実に、黒い沈殿物の中へと消えていく。

 記述、終了。

 

 問題は、無かった。


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