思い出の上書き
「・・・今回のプロジェクトに関する統計説明は以上になります。なにかご質問があるようでしたら、どうぞ。・・・では、後日何かありましたら、お問い合わせください。」
「この度はお世話になりました。社に持ち帰りまして、再度確認させて頂きます。」
「では失礼します。」
今回の案件チームの一行と一緒にクライアント先を出る。
「今回の統計資料は良くできていた。頑張ったな。」
「はい、ありがとうございます。」
上司や先輩社員から慰労され、緊張の糸が弛む。
「すいませーん、小林さん。」
後ろから声をかけられ、振り返るとそこには先ほどのクライアント先の男性が追いかけてきていた。
「はい、どうしました?なにか?」
立ち止まってその男性社員に向き合う。
「いや、大したことないんですが、ちょっと伺いたいことがありまして。」
「わかりました。」
「課長、すみません。先に行ってもらってもいいですか?」
「ああ、じゃあ先に駐車場に行ってるよ。」
立ち止まっていた人たちが先に歩いて行く。
振り返って、その男性社員に向き直ると、
「で、どういったご用件でしょうか?」
「いや、今回のプロジェクトについてではないんだけど・・・」
「え?じゃあ、どうぃ・・・」
「小林さんだよね、小林良子さんって三中にいて途中で転校しちゃった小林さんだろ?」
「は?」
思いがけない過去の自分を引きずり出されて、ギュッと胸を掴まれたようになる。
「俺、同じクラスだった渡辺、渡辺和真だけど、覚えてない?」
そう言われた男性の顔は、繰り返し夢に見たあの日、良子の心の瓶へ鉛玉を放り込んだ、あの時の彼の面影が確かにあった。
その後、嫌な汗を流しながら話を切り上げ逃げるように駐車場へ走った。
「向こうなんだって?そんなに急いで走って来なくてもよかったのに?」
「いや、細かい回答はメールですることにしましたから。お待たせしてすみません。」
「いや、全然待ってないし。それにしてもスゴい汗かいてるぞ、大丈夫か?」
「大丈夫です、すみません。」
駐車場で社用車に乗って待っていた上司と同僚に謝罪し、急ぎ車に乗り込む。
一刻も早くここから、過去から、辛いあの思い出から逃げ出したかった。
《小林良子様、先ほどは突然声をかけてすみません。気軽に声をかけるべきではなかったと反省しています。一度会ってきちんと謝罪したいので、時間をとって欲しい。渡辺 和真》
社に戻り、やっと嫌な汗が引っ込んだのに、メールが届いていた。
謝罪はいいので、もう思い出させないで欲しい・・・とは返信できず、そのままになってしまった。
返信できないまま時間が経ち、その後の連絡もなかったことで、日常を取り戻しつつあったある雨の日の帰宅時、最寄り駅で
「小林さん!」
と、かつての同級生に声をかけられた。
「!!」
驚きすぎて言葉を発することができなかった私は、立ち止まり目の前に立つ彼を見上げた。
とにかく話を聞いてもらいたい、濡れるからどこか場所を移動しようという彼に
「いや、話すことって無いですから。気にしないで下さい。」
と小さく呟き精一杯の拒絶をしたが、
「今回だけ。どうしても聞いて欲しいんだ。」
と、彼は引かない。
帰宅時間で誰かに見られているかもしれない、目立ってるかも知れないと焦った私は、じゃあ話を聞くだけと、近くのカフェに連れだって入った。
「まずは、今回話す時間を取ってくれてありがとう。」
「いぇ・・・」
向かい合わせに座った彼は、真面目な様子で静かに話始めた。
私はどういう顔をして彼と向き合えばいいのかと混乱し、テーブルの木目を見ていた。
私が自分の左手にエンピツを刺して死にたいと叫んだあの日
周りの女生徒の陰口、意地悪な囁き
前日の母の朝方まで続いたキチガイ染みた妄想と自身に対する暴言
進まない勉強 下がる順位
私の中の心の瓶に 毎日毎日 溜まり続けるナニカ
そのナニカは表面張力でギリギリ保っていたのに
彼が『どうしていつもそんなに勉強してるの』と私に尋ねたその言葉に
溢れて溢れ出して止められなくなった
「あの日、小林さんを追いつめてごめん。言い訳に聞こえるだろうし、今更こんなこと蒸し返されて小林さんが迷惑しているというのは、わかってる。わかってて自己満足のために謝罪したいのだろうって思うかもしれないけど、どうしても聞いて欲しかったんだ。」
三年になって、部活も終わって、周りを見回す余裕が出てきた時小林さんはとても異質だった
周りの女子が付き合いもないのに嫌味を言ったり、ハブにしたりしてるのも気づいた
でも、小林さんが追い詰められているのは、女子の虐めじゃないなと思って
もっと、なんかから必死で耐えていて、でもどんどんナニカに追いつめられている、そんな風な雰囲気を感じてた
『どうしていつもそんなに勉強してるの』
あの後、小林さんは学校に来なくなって、結局転校しちゃって
あの質問をなんでしたのか、説明もできないまま、君を傷つけてしまった
君を不用意な言葉で傷つけてしまったことをずっと謝罪したかったんだ
あの時は語彙もなくて、思ったことを上手く伝えられなかったけど
『小林さんは何に追いつめられているの?困っているなら助けたい』って言えば良かった
本当に、ナニカに追われていつも辛そうな君を助けるヒーローに俺はなりたかったんだ
「え?」
顔を上げて、彼の顔をみる。
彼は目に涙を浮かべてまっすぐに私を見ていた。
私が学校に来なくなってからも、あの件でクラスは教育委員会から調査をされたそうだ。
彼も、担任にも学年主任にも教育委員会の調査員にも話を聞かれたとも。
「もちろん、俺の言った言葉が決定打になったのは自覚していたから気にしないでくれ」
と言っていたけど、親御さんも呼ばれて、虐めの首謀者にされそうになったらしい。
「そこは、キチンと何回も否定した。最初は誰も信じてくれなかったけれど、俺は一貫して虐めていないと言ってたし、当時の俺はあの言葉が虐めだと本当に思ってなくて、助けたいって気持ちから言ったんだと、嘘じゃないって言い張って。始めに部活の顧問が次に父親が信じてくれて、でも『相手はそう受け取らない』って怒られて。言葉は不出来な物で吐いた言葉がどう取られるかは受け取り手の問題なんだから、伝わるように伝わる言葉で伝えなければダメだって言われて。」
謝ろう、そしてキチンと真意を説明しよう、と思っていてもその機会は結局持てなかった。
「この前の説明会で前に立ってる人、小林さんに似てるなと思ってたら、プレゼンター小林良子って資料に書いてあって。本人じゃないか!って慌てて追いかけてみたけど、名前を名乗ったら冷や汗をかいて、震えてるのをみて、とても嫌な思い出になってるんだって思った。メールの返信がないのもそれが答えだって思ってる。だけど、このまま君の心に傷を負わせたままでいるのは嫌なんだ。
俺のことをよく思って欲しいって訳じゃ無いんだけど。
俺の不自由な言葉で傷つけた、ごめん。
でも、これでその時に囚われている君の心が少しでも軽くなって欲しいと思わずにはいられないんだ。」
頭を下げてた彼の机にポツポツと涙が落ちた。
「頭を上げてください。わかりましたから。私はあの日のお陰で今があるので、結果的には良かったと思います。母の元から脱出できたので。」
薄く口許に微笑みをのせて彼に答える。
結果的にあれがきっかけで母親の呪縛から脱出できたのだ、助けられたのは間違いない。
「あの後も大変だったんだろう?」
「そうですね、児童相談所で保護されて、父親に親権が移って、高校からは親元を出て。」
「小林さんは医者になるのだと思ってたよ。そういう噂があったから。」
「え。そうなんですか?」
「あの後、学級会でも女子が嫌みを言っていたことは指導があって、なぜそんなことを言ったのかって聞き取りに、嫌みを言っていたアイツが小林さんの母親とアイツの母親が同じ病院の看護士で、よく病院で小林さんの母親が、娘は医者になるって言うので、自分も母親から勉強しろってプレッシャーかけられてツラくて嫌みを言ってしまったって、言ってた。もちろんそれは小林さんに関係ないことだし、あれは虐めだったと思う。クラスではそう言う意見が大勢だった。」
「そうだったんだ・・・」
そこでも母の呪縛があったとは。
「とても国立の医学部になんて進学できないですよ、塾にも予備校にも通えなかったし。高校では母に邪魔されることは無いから、とにかく自主勉で。奨学金で大学の理系に行って。今の会社にゼミの教授の推薦貰って入って。今は毎日が穏やかに暮らせてるから、渡辺君も気にしないで。」
「ありがとう・・・あの時、俺、小林さんのことが好きだったんだ。」
すっかり冷えてしまったコーヒーを飲み、カップを戻すと姿勢を正して、そんなことを言った。
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あの日以来、渡辺くんからの連絡が頻繁にある。
今日は何してたとか、今の仕事はこんなだとか、休みに出かけようとか。
これって、いや、どうしたら・・・
大学生の時、バイト先の人から『付き合わないか?』と言われたことは一度ある。
その人は割りと軽い人で、私はバイトの他の女の子とも付き合ってるのを知っていたので、もちろん断った。それ以来、男性に声をかけられるようなこともなかった。
こういうことに慣れていないので、とりあえず統計データを調べている。
男性が頻繁に連絡してくる理由は?とか、休日に出かけるのはなぜか?とか。
うちの会社の統計データを使って各企業は販売方針や広告戦略などを決めていく。
なので、そういった統計資料は社内にたくさんあるのだ。
社外秘以外の資料や心理学書などを目下熟読し、渡辺くんの行動原理を推察中である。
ー だいたいさ、あの時、昔好きだったとか言う意味は何?なんな訳?ー
通勤時、休憩中、帰宅後と顔を真っ赤にしながら頭を悩ませている。
今日は会社帰りに一緒に夕食を食べようと誘われ、《仕事の都合がつくかわからないなど》とグズグズしていたが、結局渡辺君が良く行くという《焼鳥屋で待っている》と言うので、急ぎそこへ向かっていた。
「「いらっしゃいませー」」
「あ、小林さんこっちこっち。」
「遅くなってしまってすみません。」
「いや、飲んで待ってるつもりだったから。何飲む?」
「えっと、私お酒飲めなくて。ウーロン茶で。」
「じゃあ、それ一つお願いします。串は適当に頼んであるから、他に食べたいのあったら追加して。」
「はい。」
「かんぱーい」
「かんぱーい」
焼鳥屋さんのカウンター席に座る。距離が近い。
「私、焼鳥屋さんもカウンター席も初めてだ。」
「え?そうなの?いつもはどんな店で食べてるの?」
「はい、お酒飲めないので居酒屋さんもゼミコンで二度ほど行っただけですし。社食以外で外食ってしないですね。会社の先輩や同僚とランチするってこともあまりないですから。」
「へえ、じゃあいつもは?」
「自炊ですね。大学時代とかもバイトと奨学金で賄ってたので、節約のために、ほぼ自炊です。」
「えらいな、料理上手か!」
「いや、上手かわからないですよ、ただ好きなんで。自分の好きなものを自分でお腹一杯食べられるって幸せだなーって思うので。」
「じゃあ、今度俺にも作って食べさせてよ。」
「え?」
「ん?」
焼鳥屋を出た帰り道、並んで歩く。
少し酔っているのだろうか、渡辺君の距離が近い。
「小林さん」
「はい」
「良子って呼んでいい?」
「・・・」
「俺と付き合って欲しい。良子って呼んでいい?」
見上げた彼と目があっった。
私は彼の手の薬指と小指を握った。
「・・・はい」
空には満月が輝いていた。
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