『君のことが嫌いだ』って、そう思えればいいのに
最近ふと思うことがある。
それは『君のことが嫌いだ』って、そう思えればいいのに、ということだ。
事の発端は君と出会ってしまったことだ。
朝会った時に挨拶をした時のあの笑顔。移動教室があるときのちょっとした触れ合い。体育の授業で僕が疲れていないか心配そうに覗き込んでくるあの姿、瞳、仕草。
例を挙げれば切りがない。
彼女に惚れてしまうのは時間の問題だった。
それでも、それでも僕は我慢に我慢を重ね、どうにかして惚れるまでの時間を引き延ばした。
何故かって? そんなの決まっている。一人の男として彼女の隣に立つ自信がなかったからだ。
楽しいことがあれば朗らかに笑う君が好き。
真面目に部活に取り込む君が好き。
先生に指定され、黒板に問題の解答を板書する凛とした姿の君も好き。
『好き』があふれて仕方なかった。
気づいた時にはもう、君に『嫌い』だなんて言える感情は持ち合わせていなかった。
だから後悔した。
何をやってもそつなくこなす君に対して、『嫌いだ』って思えるうちに言っておけばよかったんだ。
そうすれば僕は傷付かずに済んだ。
異性なんて好きになるものじゃない。感情のコントロールができなくなる。君の事ばかり考えてしまう。
僕の頭の中は君のことで一杯だった。
だけど、僕は君のことを諦めきれなかった。
もしかしたら何かの拍子に僕のことを意識してくれるのではないのか? とか考えるようになった。
だとするとその拍子とやらは一体何なのか。
考えに考え抜いた末、僕はその『拍子』というものを持っていないことに気がついた。
その夜、一人でそっと枕を濡らした。
自分がこんなに何も持っていない男だとは思っていなかった。
くやしかった。
いらついた。
見返してやりたかった。
そしてなにより、君に振り向いてもらえる人間になりたかった。
だから僕は努力した。
苦手な体育の授業も一生懸命頑張るようになったし、勉強だって真面目に取り組んだ。
ある日、先生によくやっているなと褒められたけど、僕の努力はとても打算的なもので、見方によっては意地汚いものだった。
「あら、そうかしら?」
君ならそういうと思ったよ。僕は苦笑しながらそう思った。
君は人の意見を好意的に解釈する。性善説を信じている節もある。
一体どんな人生を歩めば君のような一人の女性ができあがるのだろうか。
「それで、最近よく私のことを聞いてくるってわけだったんだ?」
そうだよ。
僕が知っている君のことなんてほんの少ししかない。
好きな食べ物すら知らないし、趣味だって知らなかった。……この間までは。
君は教えてくれた。
自身の生い立ちや趣味趣向、好みの芸能人やタイプの男性のことまで。
――そして気づいた。僕は彼女がタイプとする男性ではないことに。
正直絶望した。でも諦めなかった。
僕は君のタイプの男性とは違うかもしれないけど、だからといって自分磨きをやめる理由にはならなかった。
生まれて初めて美容師に髪を切ってもらった。
何度も失敗したが、ワックスの使い方も覚えた。
髪型を変えただけだけど、自分でも見違えるような人になったと、そう思う。
「そうね、私もそう思うわ」
そうなんだ。
――今だからこそ言える。もっと君のことが知りたい。
もう『君のことが嫌いだ』なんて言って逃げる真似はしたくない。
もっと君と仲良くなりたい。
「私も同意見よ。最近のあなた、とても魅力的よ? 友達になってよかったって思っているし――」
彼女は含み笑いをしながら言葉を続けようとした。
「タイプじゃないけど男性としては好みよ? ――さあ、もう逃げ場はないわよ。あんな告白まがいのことをしたあなたが悪い」
彼女は笑いながら『本当、悪い男に引っかかっちゃったわね』と冗談交じりに僕に語り掛ける。
「僕の気持ちは伝えたとおりだよ。『君のことが嫌いだ』って、そう思えればよかったのに、そうはならなかった。だから――」
僕の『君が好き』を受け取ってほしい。
彼女は返事をしなかった。だけど僕の目の前まで歩いてきて、軽く抱擁してくれた。
「――後悔させないでよ?」
僕の灰色の青春に色が差した瞬間だった。