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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

憧れの貴女へ

作者: 砂山 海

 私の隣を歩く親友はいつだって私に寄り添ってくれる。文化祭の出し物で遅くまで準備にかかってしまった時、体育祭で練習したのに結果が出ずに軽く落ち込んでいた時、期末試験で思いがけず良い点が取れて喜んだ時、部活で初めてレギュラーを取れた時、数え上げるときりがないけれど、その都度いつも一緒に感情を共有していた。時に怒り、時に笑い、時に泣き、喜びは倍で悲しみは半分に。

 私の隣を歩く親友は私に無いものばかりを持っている。話す時は右斜め上を必ず見上げないとならないし、天気の良い日には太陽の光のおかげでその長く綺麗な黒髪がキラキラと輝いて見える。眩しさに目を細めながら見詰めれば、きりっとした目で柔らかく見詰め返してくる。口を開けば落ち着いたややハスキーな声が実に大人びていて、羨ましい。おまけにその高身長ゆえに手足もすらっと長く、まるでモデルのようだ。

 私は私の隣を歩く親友の笠松郁美にいつも憧れを抱いていた。

 憧れと友情が一緒というのはなかなかに複雑な感情で、私も郁美以外にそんな感情を抱いた事はない。友情ってどこか対等な関係というか、良い所や駄目な所を含めて自分の中で平均点以上でないと継続できないと思っている。駄目な所というのはつまり、可愛らしく思えるような欠点だ。容姿であったり性格であったり癖や言動であるのだが、私から見て郁美はあまりそう言うのが無い。強いて言えば絵が下手なくらいだけど、こんなものは別に欠点のうちにも入らないだろう。

 憧れの部分に関しては一緒に並んで歩けば、自他共にハッキリとする。百七十五センチある郁美に対し、私は自称百五十センチだからだ。身体測定の時に靴下六枚も重ね履きをして一生懸命背筋を伸ばし、何とか百五十センチに届かせてもらっている。だから私と郁美が並んで歩けば周囲はその身長差にまず驚く。郁美は大きく、私はチビ過ぎるのだ。

 また目を引くのが彼女の腰まである長い髪の毛だ。羨ましいくらい長いのに艶があり、いつもサラサラとしているし、いい匂いがする。私も長い髪に憧れているのだが、どちらかと言えばたれ目のタヌキ顔だし、背も低いので長い髪が似合わないのだ。実際に小学生くらいまでは背中まで伸ばしていたし、高校生になってからも諦めきれず色んなウイッグをつけてみたけれども、どうも似合わない。色々試した結果、今は無難にボブにしている。

 おまけに郁美はどちらかと言えば口数も少ない方で、たまに口を開けばその落ち着いたハスキーな声のせいもあって周りから神秘的というか、近付きがたいようなオーラを発しているように思われている。けれどこれは郁美を知らない人達が勝手に感じている事で、話せば普通に冗談も好きだし下世話な話もする。口数は少なくても暗いわけでは無く、よく私と昨日見たネタ番組について話し合ったりもしている。

 対して私の方がよく喋るし、声も他人から言わせればキンキン高いらしく、彼女と二人でいれば一方的に喋る私と静かに聞いているか無視している郁美のように見えるらしい。それこそ高校三年生になった今ではさすがにクラスで勘違いしている人はいなくなったけど、それでも他のクラスや他の学年からは私が郁美の付き人のように見えるらしいし、実際にそう思われている。それに対し昔は腹も立っていたけれど、慣れてしまったのか今では笑顔で聞き流せる。もっとも、過去に冗談でそうなんだよねと言ったところ、郁美の機嫌が数日すごく悪くなったので流石にそれはもう言わないようにしている。

 そんな私達だから、街を歩いていても注目度は高い。特に背の低い私と歩いているから、郁美は物凄く際立って見えるので芸能事務所みたいなところにスカウトされる現場に度々出くわした事もあった。けれど郁美自身、そういうのに興味が無いどころか嫌っているため全てその場で断っている。たまにしつこいのもいるけれど、そう言う時は私が前に出てむしろ私を雇って下さいと逆にしつこく頼み返すと、ほぼ間違いなく去っていく。助けると言う意味合いもあるのだが、どちらかと言えば折角の時間を無駄にしたくないという思いが強いからやっているだけだ。

 逆にナンパに会うのはほとんど無かった。それはきっと郁美が美人過ぎて手を出すのをためらってしまうからだろう。たまに来る事は来るのだが、大体郁美がそういうの大嫌いなので不機嫌そうにしていると相手は逃げる。私は慣れ過ぎていてよくわからなくなっているのだが、不機嫌な郁美は美人を通り越してその眼つきから物凄く怖いらしい。

 ただ、内面はごくごく普通の女の子で、年相応にお洒落も好きだし別に気も強いわけでもない。これもよく勘違いされるのだが、郁美は別に名家のお嬢様でもなんでもない、ごく普通の家庭の女の子である。また武術に実は秀でているとか楽器を弾けばクラシックが上手とかそんな噂もあるけれど、それも全てデマだ。一般的な視点で言えばちょっと強面に見える美人なのだが案外力は無いし痛い事は嫌いだし、クラシックどころか彼女の趣味はメタルだ。ついでに言えば彼女は家ではいつもジャージだし、趣味はネットゲーム。たまに遊びに行けば大体そんな格好でごろごろしている。私も彼女の趣味に多少感化され、遊びに行けば彼女のパソコンでネット対戦に興じている。まぁ、下手だけど。

 他人がうらやむ郁美と、いつも傍にいるチビでずんぐりしている私。でこぼこな私達だけど、私達にしかわからない絆みたいなものがあった。泣き虫で落ち込みやすく、また面白い事があって気分が昂れば暴走しがちになる私が郁美のプラスにどれだけなれているかわからないけど、中学一年の時からいつも隣を歩いてくれている彼女からすればまぁ何かしら理由もあるのだろう。

 同じような毎日だけど、多少の起伏はある。それでも平凡な人生というかダラダラした波風の少ない日常を好んでいたし、二人で下らない事を言ってぼんやり笑っていられるこの日々が幸せだと思っていた。ただ、そんな穏やかな海のように荒れる要素の無い私の人生においても、たまにどかんとビッグウェーブが来ることだってある。

「……嘘でしょ。えっ、これ……マジかぁー……」

 私は明日の宿題もそろそろ終えようかという頃、スマホを見て固まってしまっていた。実は少し前からクラスでまぁまぁ仲が良い小林卓也という男子とラインをしていたのだが、いきなり告白されたのだった。まぁまぁ仲が良いと言っても二人で帰る事なんて無かったし、部活も別だったし、話せば笑い合う事もあっても正直あまり接点がない人物からの告白に喜びよりも戸惑いの方が強かった。

 小林はまぁ、いわゆる普通の男子だ。数人で男子同士固まっていればバカな事をやっているし、顔も成績も平均的。強いて言えば清潔感があるので、特に嫌いになる要素は無い。だから告白されて即決でアウトなんて考えも浮かばず、ちょっと迷っている。断る理由も見付からないからだ。

 郁美と違って、私にはそうしたロマンスは今まであまり無かった。ほのかに恋をした事は何度かあっても、された事は無かったからだ。いや、一応あるにはあったが、それは噂話程度のもので直にこうして告白される事は初めてだった。悪く思っていない相手だからか、何だかとても男らしく見えてきて、気付けば小林のいいところを見つけようとしている。付き合ってもいいのだろうか。

 とりあえず小林には急過ぎて考えがまとまらないから、時間をちょうだいと言って了承してもらった。時間稼ぎはこれでできた、後は付き合うべきかどうかを考えるだけ。ただ、これがさっきからまとまらない。二人の私がしきりに争っている。片方はとりあえずお試しで付き合ってみればいいじゃない、こんな風に告白された事なんて無いんだから波に乗っかればいいじゃないと叫んでいる。もう片方は特に好きでも無い相手と付き合っても逆にしんどいだけなんじゃないか、その恋に何の意味があるのと諭してくる。

 色々一人で考えてみた結果、どうもまとまらない。こうなれば郁美に相談しようと思ったのだが、時計を見れば日付がもう変わっている。さすがにこの時間に起こして相談に乗ってもらうのもちょっとどうかと思い、私は悶々としたままベッドに入った。


「てことがあったんだけどさ、郁美はどう思う? どうしたらいいかな?」

 やっと郁美に相談できたのは下校途中だった。教室では話せないし、休み時間も落ち着いて話せないだろうと思いながらも悶々としており、貯めに貯め込んでいた不安と期待がごちゃまぜになって今ようやく口を開いた途端に爆発した。私は周囲にクラスのみんなや友達がいないかをこっそり確認してから、郁美に昨日の顛末を全て話した。郁美は少しだけ目を大きくしながら、私の顔を覗き込む。

「どうしたらって……へぇ、佳苗告白されたんだ。そっかぁ……」

「そうなのよ。郁美と違って全然モテないからそういう経験も無いし、でも断るにはなんか勿体無い気もしてねぇ。ほら、小林って可もなく不可も無くって感じでしょ、いい意味で。だからもし付き合ったとしても、そこそこいけるのかもって思うんだけど」

「そう、かもね」

「でもさぁ、正直あんま知らないわけで。そりゃあクラスのほとんどが郁美みたいに深いとこまで知らないんだけどさ、特に男子ってそうじゃない。だから実は知らないヤバい面があったらどうしようって考えたりもするんだよね、結構マジで。いや、小林に限って無いとは思うんだけど、でも人って意外にって事があるでしょ。だからさぁ」

「まぁ、私も佳苗以外はよく知らないから何とも」

 すっと郁美は私から視線を外し、前を見る。風に僅かにたなびくその長い髪が綺麗で、ちょっと見惚れてしまう。あぁ、こういうトキメキがあれば告白されても即決するのに、そういうのが無いから迷ってしまっている。

「郁美的にはさぁ、どうしたらいいと思う? とりあえず付き合った方がいい感じ? それともやめといた方がいいって思う?」

「どっちでも……佳苗の好きにすればいいと思うとしか」

「それはそうなんだけどさ」

 私はふと足を止めた。まぁ確かに郁美の言う通り、最後は私の好みの問題なのだ。でも、その悩みが現在絶妙な均衡を保って決まらないのだから、せめて親友にどちらでもいいから背中を押して欲しかった。そうして定まった答えでも、決して後悔なんてしないのに。そしてそれは郁美以外にありえない。

「でもね、郁美」

 顔を上げれば郁美はもう隣にいなかった。一瞬わけがわからず、周囲をきょろきょろと見回すとやや離れた先で一人歩いているのが目に入った。こちらを振り向きもせず、私の相談に立ち止まりもしないで早足で帰る郁美に私は次第に腹が立ってきて、勢いよく駆け出す。人が一生懸命相談しているのに、どうして帰れるんだろう。確かにいつも相談したり弱みを見せるのは私の方が多いけど、それでもこういう相談は初めてなんだからもう少し真剣に向き合ってくれてもいいじゃない。なんなの、一体。

「ちょっと、郁美。待ってよ」

 少しして郁美に追いつくと、私はその手をぐっと引っ張った。郁美は手を引かれた事に驚いたみたいだったが、私を見るなりまた前を見て歩き出す。その態度に段々と怒りが沸いてきた。

「ねぇ、何で逃げるのよ。待ってってば。郁美からすればつまんない相談かもしれないけど、私なりに結構悩んでるんだよ。なのに何でそんな風に無視して帰ろうとするの。あれなの、私が告白とかされたのがそんなに面白くないわけ? 自分はいつもモテるくせに、私がそうなったらそんなに面白くないわけ?」

「……別にそういうわけじゃない」

「じゃあ、どういうわけなのさ」

「佳苗、声大きい」

 面倒くさそうに注意するその様子がまた腹立たしい。私はもう頭が痛くなるくらいイライラし、涙さえ浮かんできた。周囲からどう思われているのかなんて今はどうでもいい、ただ郁美の言葉が聞きたかった。何故そんな態度なのか、どうしてそんな風に言えるのかそれが一番知りたかった。

「郁美がちゃんと言わないからでしょ」

「だからそれは」

「私だってこんな事でこんなに怒りたくないよ。自分じゃ解決できないから、相談したのに何でそんな態度取るのよ。郁美だから相談したのに、一番信頼してるから相談したのに。そういう人からこんな風にされると、傷付くんだよ」

「佳苗、待って」

「待つって何をよ、何をどれだけ待てばいいのさ。ねぇ、結局私の相談に答えたくないわけ。じゃあそのわけを教えてよ。ねぇ」

「佳苗……」

 困らせている事は十分今の私でもわかっている、でも止められなかった。私の言葉に郁美は立ち止り、僅かに天を仰いだかと思えばうつむいた。でも、泣いてはいない。険しい目つきで何かを絞り出すように考えている顔だ。私はイライラで身体が熱く、顔はもちろん全身が赤くなっている気がしていたけれど、じっと黙って考え込む郁美を見ていると徐々にそれが他人事のように感じつつあった

「……わかった。ちゃんと話すけど、ここじゃ話せないからついてきて」

「どこによ」

「私の家だけど」

 道すがら、私達は無言だった。私も苛立ちはしているが、先程までの勢いはない。郁美も何か考えているのか、それとも私同様その時が来るまで気まずいのか口を開こうとせずにただ真っ直ぐ前を向いて歩いている。時折吹く風が郁美の髪を揺らす。その度にあらわになる彼女の横顔は素敵で、非の打ちどころが一つも無い。そんな郁美が昨日まではどんなにつまらない相談でも聞いてくれていたのに、どうして今日はこんなにも素っ気無いのだろう。私もこんなに苛立って怒って、私こそ何をしたいんだろうか。

 歩を進める程に、悲しくなっていった。何か喋ろうかと思っても、言葉を飲み込むばかりで何一つ言葉が出て来なかった。

 郁美の家は何度も行った事がある。馴染みある玄関をくぐり、二階にある彼女の部屋に入るなり、彼女は気だるそうに鞄を机の横に置くと私達はいつも通り決まった位置に座った。そしてどちらからともなく、長い息を吐く。貯め込んでいたイライラや悲しみはほんの僅かしか出て行ってくれない。私はほとんど怒りが収まっていたけれども、それでも怒りの矛先を収めるキッカケが欲しくて身を乗り出す。

「それで郁美、何をちゃんと話すってわけ?」

「いい加減、落ち着いてよ佳苗」

「落ち着くも何も、郁美次第だよ」

 郁美は私の顔をじっと見るなり、やがてついっと視線を外した。そして何か話そうとするのだが、口ごもってしまう。急かそうとも思ったけれど、その真剣な眼差しに何も言えなくなる。やがて恐れていた沈黙が場を支配し始めた。私もすっかり何か言う機会を無くし、黙って彼女の言葉を待つ。彼女は何かを話そうとするのだが、決心がつかないのか口ごもったまま。僅かに顔を上げてはまた下げるの繰り返し。

 そうしてどのくらいの時が流れたのだろうか、ようやく郁美が顔を上げた。

「あのね、好きにして良いって言ったけど、本当は付き合って欲しくない」

「えっ、なんで?」

「それは……」

 すっと郁美は視線を外し、顔をそむけた。

「だって私、佳苗が好きだから。誰かの彼女になるとか、嫌だから。他の人と一緒に隣を歩かれるのは嫌なの」

「はい?」

 聞き間違いかと思ったが、郁美は更にうつむきその表情が髪に隠れて見えない。となれば、私が聞いた言葉通りという事だろうか。私の事が、好き? 郁美が、私の事を? 突然の事というか、思ってもいなかった言葉に怒りはすっかり消し飛び、驚きだけがぐるぐると頭の中を支配していた。

「え、ちょっと、好きって郁美……ちょっと待って、それって、そういうことなの……好きって事なの? 誰かの彼女になるのが嫌って、まさか本当にそういう意味での好きって事なの?」

 郁美はそのままこくりと一つ頷いた。

「えっ、なんで、どうして? 何で私なの?」

 そんな風に見られているなんて露ほどにも思っていなかった。確かに郁美とは長い付き合いだけど、その容姿と人気の違いから、きっと私も郁美からすれば下に見ているものだと思っていた。友達同士、親友同士と思っていても序列はある。私は彼女からすれば言葉にはしないだろうけど、周囲の人たちが言っているように付き人に毛が生えた程度の関係だろうと思っていた。だから、私のことが好きだなんて予想外過ぎて受け入れられなくて、軽くパニックになっている。何故なら、彼女が私を好きになる理由が全然思い当たらないからだ。

「だって佳苗、私の理想そのものだから」

 理想という言葉が彼女の口から出ると、その意味を処理するキャパシティを完全に超えてしまい、私は目を丸くする事も忘れて郁美をじっと見つめていた。

「その、本当に私の理想の全部を佳苗が持っているから。全てが愛おしくて、憧れで、だから誰にも渡したくない。初めて会った時から、そしてその性格を知った時からずっと好きだったの」

「そう、なんだ……」

 ぐいっと郁美が身体を乗り出してきた。いつもは冷めたような眼差しが大きく見開かれている事により、感じた事の無いくらい強い意志をはっきりと感じる。

「そうだよ。だから私は佳苗以外に恋愛感情を持った事が無い。……持てないと思う」

 思い返せば、私の知る限り郁美には彼氏がいた覚えが無い。どうして彼氏を作らないのと何度か聞いた事もあったが、いつも面倒くさいとか興味が無いと素っ気なく答えていた。でも年頃なのにそんな事あるわけない、きっと私に言いたくないだけなんだ、だから私には知らない所で上手くやっているのかとも思っていたけど、そうじゃなかった。本当に言葉通りの意味だったんだ。照れ隠し、だったのかな。

「それで佳苗はどうするの? 結局、小林と付き合うの?」

 郁美は顔を赤くしながらも、その言葉には勢いがあった。私はあれこれと考えてみるが、断るにしても付き合うにしても上手い言葉が見付からない。というか、付き合うってなんだろうか。私は郁美の事が好きだけど、それって相手から好意があったからと言って女の子同士付き合ってもいいものなのだろうか。

 どうしよう、どう答えるのが一番いいのだろうか。郁美と付き合うにしても、それは普通じゃないし、でも普通って一体何なのかよくわからなくなってきたし。小林は男だけどそんなに興味無くて、でも郁美は確かに美人で可愛いけど……。

「あー、もー……」

 私はテーブルに突っ伏すると、頭を抱えた。色んな事が頭に浮かび、形にならないまま消えていく。しばらくそうしていたからか、やがて郁美が私の肩を掴んで揺さぶってきたけれども、起き上がって何かを答えられる状態では無かった。けれど、このままこうしていても問題は一向に解決しないのはわかっている。だから私は真っ暗な中、ほんの僅かに見え始めた光をじっと見つめ、それが何なのか見極めていく。ゆっくりと、確実に、そして大切に。

「うん、そうだね……付き合おうと思う」

 やがて静かに顔を上げて郁美を見れば、じんわりと彼女の瞳が潤んでいるのに気付いた。おそらく初めて見るはずの郁美の涙に私は慌てて彼女の肩を掴み、少し顔を近づける。

「郁美とね。小林じゃなく、郁美と。郁美とだから。……まぁ、もし郁美が良ければ、だけど」

 するとみるみる彼女の顔が赤らみ、ついと視線を伏せた。滅多にどころか、こうしてコロコロと表情を変えるのは長い付き合いの中でも見た事が無い。いつもクールな感じで表情の変化に乏しい彼女が私の事でこんなにも感情を表に出すのを見ていると、何だか私も胸が高鳴り苦しくなってくる。彼女を見ていると全身から痺れるように力が抜け、けれど内側から恥ずかしさにも似た激しい高揚感を感じていた。

「良ければって……私の方から好きって言ったのに、断るわけないでしょ。ほんと、ずるいんだから」

 やがてすねた感じで私を見る目はいつもと違いはっきりと柔らかく、またとても可愛らしかった。

「郁美ってそんな風に顔変わるの、初めて見た」

「そう、かな。佳苗の前だと好き過ぎてずっと緊張していたからかもしれない」

 はにかみながら、何をこれ以上可愛い事を言うのだろうかと憎らしく愛らしく思う。私は郁美の髪をわしゃわしゃと撫で回したい気持ちを抑え、にんまりと一つ笑った。

「……じゃあ、付き合ったらもっと色んな顔見られるのかな」

「それはわからないけど」

 郁美はたまった涙を指先で拭う。そして頬に張り付いていたその長く美しい黒髪をさらりと流し、静かに苦笑した。彼女からすれば何気ない動作なのだろうが、やはり私には決してできない美しさがそこにあるのを改めて感じる。私は肩から手を放すと、今度は郁美の両手を包み込んだ。

「私ね、郁美の事ずっと憧れていたんだ。そうなりたいとばかり思っていた。だから、そんな私の理想が色んな顔を見せてくれるのが楽しいかも」

「私が理想? 佳苗ったら、本当に冗談ばっかり」

 一瞬ポカンとした後、すぐに噴き出しそうになる郁美に私は再び肩を掴む。

「いやちょっと、冗談なんかじゃないよ。ずっと今まで言ってたでしょ」

「それがいつも冗談だとばかり」

「あーもー、何でこれっぽっちも伝わって無いのよ」

 思わず私は大きくのけぞり、うなだれ、そして郁美をしっかりと見詰めた。

「その羨ましいくらい高い身長、きりっとした顔立ち、流れる綺麗な黒髪、落ち着いた声、すらっとした見事なスタイル、どれもこれも素敵だっていつも言ってたでしょ」

「確かに言ってたけど、でもね」

 今度は郁美がじっと私の目を見詰め、そしてそっと私の髪を一つ撫でた。

「背は大きすぎて可愛くないし、変に目立つから嫌い。佳苗みたいに低い背の方が絶対可愛いし、女の子らしい。顔もキツイ感じがするキツネ顔だから好きじゃない、タヌキ顔の佳苗の方がすごく可愛いのは間違いない。髪も短くしたかったけど似合わないからやめたの。ボブが似合う佳苗が羨まし過ぎる、だって長いと手入れも大変だし。声は低いしすごく嫌、佳苗みたいに可愛らしく高い声の方がいいに決まってる。すらっとって言うけど、佳苗みたいに胸大きくないからコンプレックスなんだよね。それにアバラとか浮いて見えるのが本当に嫌なの。私は私の全部が嫌い。でも」

 うつむきかけた視線を再び郁美は戻してくる。

「佳苗が好きって言ってくれるなら、少しずつ認めようかなって思う」

「遅いよ、本当に郁美ったら」

 私が笑うと、郁美も笑ってくれた。

「……何度も言うけどね、私はその真逆だよ。郁美が言った理由の正反対でずっと郁美に憧れていたんだから。それにね」

 すっと視線が下がったが、もう気持ちは決まっている。意を決し、私は再び視線を彼女の瞳の中へ戻した。

「いつも隣でそれを感じられて、ずっと幸せだったんだ。だから、これからもそうしていたいな」

「それは私も同じだよ」

「そこは同じだったんだ」

 いつもの日々のように郁美につっこむと、堪え切れず私は大笑いした。郁美は最初抑えて笑っていたけれど、次第に私にも聞こえるくらい笑っていた。こうして声を上げて笑うのも今まではあまり無かった、けれどこれからはよく聞く事になるのかもしれない。

「おかしいよね。こんなにお互いの事を羨ましがっていたのに、二人とも全然それを信じられないでいたなんてさ」

「だから好きになったんじゃないかな。少なくとも、私はそうだよ」

「……そうだね」

 私達ははにかみ、そっと手を重ねた。郁美の手は私より少し大きいけど、柔らかく温かい。私がそっと握れば、同じ力で握り返してくれる。とくん、とくんと脈打つのもわかる。それを感じながら見詰め合っていると、やがて自然に顔を近付け、どちらからともなく目を閉じた。

 そしてそっと目を開けると、その笑顔は濡れていた。


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