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10:30 トールの母

 次は。サシャの右袖を小さく掴んで階段の方へと連れて行く。エレベーターは二基しかないので、近くの階へ上り下りする際は階段を使うことが推奨されている。


「螺旋、階段?」


 トールの次の目的地である、教育学部で数学を指導している先生方の部屋は、この建物の八階にある。


 丸く回っているわけではないが、それでもぐるぐると下りていく階段を慎重に踏みしめながらのサシャの言葉に、トールは天井を見上げて小さく唸った。おそらく、この階段は『螺旋階段』ではない。ではどのような種類の階段なのだろう? 建築工学科に所属する伊藤いとうなら、すぐに答えてくれると思うのだが。


 唸っている間に、八階へと辿り着く。


 教育学部数学専攻のレポートは、各先生が研究室の入り口に設けている『箱』の中に提出する仕組みになっている。研究室の灯りが付いていることを確かめてから、まとめるのが大変だった数学教育の厚めのレポートを、トールはそっと箱の中に滑り込ませた。


とおる


 低い声に、全身が固まる。


 振り向かずとも、トールのすぐ横に、研究室から顔を出した母がいることは気配だけで分かった。


 トールの母は、教育学部数学専攻で教鞭を執っている。だから、ここで会ってもおかしいことは何も無い。だが。小さな戸惑いが、トールを動けなくしていた。


「あら」


 耳に響く、いつにない母の単語に、どうにかして母の方を向く。


「あ、一緒の授業取ってる、留学生の、と、友達」


 サシャを見ている母の、普段通りの小さな微笑みに、トールはどうにかして言葉を絞り出した。


「そう」


 その説明で理解したのか、母の姿が研究室へと消える。


「透」


 何故か安堵してしまったトールの視界に再び現れた母は、自分の研究室に置きっぱなしの傘を二本持っていた。


「夕方から雨が降るって」


 そう言いながら傘を手渡す母の、変わることがない表情に、小さく頷く。小さく微笑む以外の母の表情を、トールは見た覚えがない。その母を、今日、……泣かせてしまう。


「透?」


 無意識に母の服を掴んでいたらしい。判別できないレベルで少しだけ高くなった母の声に、思わず一歩、後ずさる。


「と、図、書館で勉強、するけど、夕、御飯までには帰るから」


 それだけ口にするのが、やっと。


「分かった」


 トールの言葉に頷いた母に、俯いてしまう。


 それ以上何も言うことなく、再び自分の研究室に戻ってしまった母に、トールは伸ばしかけた左腕をどうにか下ろした。


「……」


 その腕が、不意に温かくなる。


「サシャ」


 灯りが付かない廊下でトールの左腕を抱き締めるサシャの細い腕に、トールは小さく頭を下げた。

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