蒼に見守られて海を行く
海を行く。波は穏やかで、ここがナルド海だということを忘れそうになるほど静かだ。
航行の安全の加護を受けたとはいえここまで凪ぐとは。ナルドの番の海竜へ捧げた供物がよほど気に入ったのだろうか。
「イルス海かと思うくらい静かだな」
過酷な荒海で知られるナルド海とは思えない。だが、望遠鏡で地平線あたりの海面を観察してみれば、確かにナルド海の荒海らしく激しくうねり、荒れ狂っている。自分たちの船の周りだけが凪いでいるのだ。
これが加護の力。凪の海の体現であるナルド・レヴィアの守護のたまものだ。そのナルド・レヴィアはというと、船の進行を邪魔しない距離を保って番と一緒に並んで泳いでいる。海底にいるはずの雌海竜が珍しく海上へと姿を見せ、そして船を見送るような動きを見せている。歴史の教科書に載りそうなくらい珍しいことだ。
『私たちは水神の信徒。信徒を見送るのは眷属として当然……ということでしょうね』
通信用の武具からライカの声が聞こえ、カヴェリエレはだらけていた背筋を慌てて伸ばした。
「み、見てたんですかい」
『見てたし聞いてましたよ。あちらとの打ち合わせが終わったので、内容を伝えにきました』
同盟相手である水のクランとの合流の手はずについてだ。海上で落ち合うことになっているが、その待ち合わせ地点となる座標が決まったのでそれを伝えに。
『そのまま西へ。船の左手側に水のクランの旗を掲げた船団が見えるはずです』
「了解」
『それと、少し早いですが第二陣も出港しました』
自分たちからおおよそ5時間遅れ。フィニスの地に降り立って仮拠点を作り、一息ついた頃に到着することになるだろうと告げる。
それに了解を示すと通信が切れた。
「おいお前らぁ、ライカ様から通信だ」
船に備え付けてある拡声器でライカからの伝言を皆に伝達する。
進路よし、予定に狂いなし。それとライカからの伝言を加えて拡声器を元の場所に置く。
波はいつまでも穏やかだった。
***
本当にここはナルド海かと疑わしくなるほどの凪いだ海上で無事、水のクランの船団と合流を果たした。数十隻の船に取り囲まれて護衛されるかのように、さらに西へ。
退屈になるくらい凪いだ海を進んで数日。ついに地平線にそれが見えた。
「……来たぞ!」
見えた。フィニスの地だ。命と信仰を賭けて戦う審判の地。
その地は圧倒的な畏怖をもってそこに君臨している。海上を行く通りすがりのついでに遠目に見ていた時とは違う。怖いもの知らずを自負する自分が、思わず背筋が震えるほどの威容。
合格、不合格をはかる試験に臨むような気持ちだ。あぁそうだろう。この再信審判はいわば試験だ。再信審判とは、神の国に移り住んでよい魂かどうかの選定なのだから。試験は学力でもって成績をはかるものだが、再信審判は信仰でもって聖別される。
するすると波に乗って、そして船が止まる。これ以上は座礁してしまう。小舟に物資と人を載せて浅瀬を進み、足がつく深さになったら小舟を手で引いて運んで上陸しなければならないだろう。
「よし降りろ! 設営急げ!」
「はいよぉ!」
拠点の構築が早ければそれだけ周囲の探索に時間が割ける。行動は早いほうがいい。
小舟で降りることを"コーラカル"の船団と示し合わせて順番に小舟を下ろして岸に着く。
見たところ、特に変わったものはないただの砂浜だ。きめ細かく白っぽい砂はガラス質が多いのか光を反射してきらきらと輝いている。
気温、湿度ともに過ごしやすい。寒さで震えることも暑さでだらけることもない。砂浜を少し進むと防砂林らしき森が見える。鬱蒼とした暗い雰囲気はなく、明るく爽やかな印象を受ける。
「魔力が荒れ狂ったと聞いてるんだがなぁ……」
「知らないのォ? ここは『神の地』ダヨ」
カヴェリエレのぼやきに横槍を入れてきたのは、"コーラカル"の船団を任された団長の補佐であるスルタン族の女性だった。
妙な片言の言葉を操る彼女曰く。
起動に伴い、この地では魔力が氾濫して暴れ狂った。荒れ狂う衝撃波が地表のすべてを砕いた。それはさながらミキサーにかけたように。
だが、破壊の後には再生がくるもの。起動から今日までの短い時間で荒れた地表は再生されたのだ。
ここは神にもっとも近い場所。神の力ならば大陸ひとつの環境を再生することも容易。一瞬で砕いた地表を元に戻すなどたやすい。
これこそが神の恩寵であり、神がもたらす奇跡だ。
「穏やかに見えるのは外周ダケ。終結点に近いほど、神の力は荒くなるデショウネ」
人間を試すかのように。本当に信頼に足るのか疑念を投げつけるように環境は過酷となっていくだろう。それこそ、中央の終結点は"大崩壊"と変わらない状態かもしれない。
その中で信仰をもって争えというのだ。そして、勝った者たちを神の国へ。
「成程なぁ」
成程。神からの試練だということか。それでいい。人間は一度神々を裏切った。神々を裏切ったのだからそうやすやす信じてはもらえないのは当然。だからこそ、信じるに足るのだと信仰をもって示さねばならない。
そうして、神の国へ。近いようで遠い場所を思い、カヴェリエレは防砂林の向こうを見た。




