幕間小話 再演・氷蛇と影風は踊る
「皆さん、どうか口裏を合わせてくださいね」
そうして。その日は何事もなく終わっていった。
部屋にひとり戻り、リグラヴェーダはぽつりと影へ呟いた。
「よくもあのようなことが言えますね」
ずるりと影が揺れる。影から這い出てきた男を振り返らず言葉を続けた。
「忠誠は嘘ではない、ですか。えぇ、『嘘』ではないでしょうね」
嘘ではない。だが『真』とは言っていなかった。まったく軽薄な風の民らしい。
言葉を控えて核心を言わない。そういうところが好ましくないのだ。
「そういうアンタだって。俺をライカ様から引き離そうと必死じゃないか」
「ファムファタールのそばに危険人物を置いてはおけませんので」
命を助けられた恩義で忠誠を尽くす。そういう役割演じだ。
本当に忠義はない。ただ神の国へ行きたいだけに利用しているだけ。ライカに、ひいては"ニウィス・ルイナ"に利用価値がないと判ずればあっさり彼は別のクランに行くだろう。
まるで旅のように転々と、勝ち馬に乗ろうと旗色を変えるだろう。その際の主義主張もきっと都合よく変わる。受け入れる側が気に入るように適当に調節するに違いない。
「そこまでして神の国へ行きたいのですか?」
「あぁもちろん」
リグラヴェーダは知っている。人々が神の国と呼んでいるものの真実を。
ナフティスは知っている。規格外という頂点ゆえの孤独が神の国で癒やされることを。
しばしの沈黙。静寂を破ったのはリグラヴェーダだった。
くるりと振り返り、ナフティスを見る。
「あなたが思うほど良い世界ではないかもしれませんよ?」
「アンタが思うほど悪い世界じゃないかもしれないだろ?」
だめなのだ。『この世界』では。規格外という頂点ゆえの孤独はこの世界では癒やされない。
魔法が失われ、武具すら希少となった世界では自分の存在は規格外なのだ。どこに行ってもそのタグはつきまとう。武具を捨てても、潤沢な魔力が精霊を引きつけてしまう。精霊たちは好き勝手気ままに行動し、騒動を起こすだろう。精霊を知覚できるのは自分だけ。自分のまわりには精霊による騒動が発生し、それは周囲から不可思議な現象として映る。それはまた一層孤独を深めるだろう。
だから、この世界ではだめなのだ。ナフティスの孤独はどこまでいっても癒やされない。
神の国は神に愛された土地。原初の時代同様、魔法はありふれたものであるという。
空間転移など当たり前にできる人間であふれているだろう。それならばこの規格外はただの汎用に成り下がる。それでやっと孤独は癒やされるのだ。
そこが地獄だろうと天国だろうと、孤独でなければいいのだ。
「…………そこまで言うなら止めはしませんが」
ふぅ、とリグラヴェーダが溜息を吐く。そうまでして行きたいのか、あの無限輪廻の箱庭へ。
何という狂信か。その歪みは不信の時代に神々がかけた呪いであると人間たちはいつ知るだろう。嘆きを溜息にすり替えて息を吐く。
「あなたは神の国へ行ければいい。……私は、ファムファタールに危険がなければいいのです」
「ライカ様は"ニウィス・ルイナ"の要だろう。失ったらクランは瓦解する。そんな真似はしねぇさ」
"ニウィス・ルイナ"の旗色が悪くてどうしようもない時。勝ち馬に乗るためにクランを移るため、ライカの首を土産にするでもない限りは。
その時はリグラヴェーダとの対決になってしまうだろう。できれば穏便に済ませたいのでその時はリグラヴェーダから先に暗殺する。
「それとも真実のカミサマはライカ様の勝利を保証してくれんのかい?」
「勝負の結末など真実の範疇ではありませんよ」
未定の物事など真実に含まれない。真実に含まれないのなら氷の神の範疇ではない。再信審判の勝負の行方など氷の神は知りはしない。
もし知っているなら、この男はどうにかしてそれを聞き出し、それに乗ったのだろうなと思う。
「ユーグ様も言ってたろ? 腹を探るんじゃなくて背中を預けあおうってさ」
「…………背中を預けたつもりで首を狩られては困るのですよ」
「ははっ。違いない」
どこまでも食えぬ男だ。リグラヴェーダは溜息を吐いた。




