水のように染み込む計略
『そうだろう、ナフティス?』
この場にいないナフティスを呼んだ。それが意味することは。まさか。
驚きに目を見開く私たちへ、ふっと悪役らしい悪役の顔のまま義兄さんが笑う。
『ライカ。僕の大事な義妹の周囲の人間の身元を洗わないと思ったかい?』
自分は水のクランを率いる首領なのだから。もし、僕のことを疎ましいと思う人間がいるとするなら、僕自身よりも僕の周囲の人間を狙うだろう。人質にするなり、甘言を流して取り込むなり。
だからそうならないよう、自身と妻、そして義妹の周囲の人間の身元については念入りに調べあげた。
ライカの主治医であるヘクサも、ハルツバリの大老も。当然、ナフティスもだ。
『ベルベニ族だからね、身元を掴むのはなかなか難しかったが……』
そうだという確証はない。だが、世界情勢や出会いの状況などからそう推理した。物証はなくても理詰めで答えに行きつける。
そうして理詰めで推測に肉付けして、ほぼ間違いないと特定した。
『これを火のクランに告げれば君は詰みだ、ライカ』
火のクランは激怒するだろう。怒りのままに承認は取り消される。
火のクランの承認がなくても再信審判の参加はできる。そもそもルール上、各クランの承認はなくてもよいのだ。
だが、道理と筋を通すために"ニウィス・ルイナ"は各クランの承認を集めていた。
さて、このことを告げたらどうなるだろうか。
先代首領暗殺犯をかくまっていたなんて、火のクランからしたら裏切りだ。承認は取り消される。
欠けた承認でもって再信審判に参加する。それもいいだろう。しかしそれは、これまで道理と筋を通すことを重んじてきた自分たちの行為に泥を塗ることになる。承認が揃わないのに再信審判に参加するだなんて、今までやってきたことは何だったのかと反発を受けるだろう。
『信頼』を掲げるクランが裏切り行為を行い、道理と筋を通すことを軽んじる。
義兄さんが火のクランに通報すれば、"ニウィス・ルイナ"はたちまちそんなモノに落ちぶれてしまうのだ。
『信を問う再信審判で、信を裏切って参加して勝利を掴むつもりかな?』
それは、私が水のクランを出奔する時に投げかけた言葉だ。
神から人への信を問う審判だというのに、信頼を裏切って得る勝利でどうして神の国へと至れるでしょうか、と。同じことを義兄さんは返してきた。
思わずぐっと押し黙ってしまう私たちに、義兄さんはさらに追い打ちをかける。
『君たちには次もない。今回きりだ』
交易船の乗組員や、視察として訪れたエレナから聞いた話から考察するに、"ニウィス・ルイナ"に『次』はない。
あまりにも今回の再信審判に注ぎ込みすぎて、未来がない。"ニウィス・ルイナ"の本拠地であるあの町はもって10年ほどだろう。ライカが完璧に善政を敷いても行き詰まる。どう頑張っても長くはない。
『ライカが未熟だとかではないよ。どちらかというと、用途の問題だ』
破れたとしても次があるクランと、今回にすべてを注ぎ込むしかないクランと。その差だ。
自分たちの信念を示すために全力で。それは一瞬のまばゆい閃光のようなもの。あっという間に燃え尽きてしまうものに家々の明かりは任せられないように。
『だからこそ今回、台無しになってはいけない……完璧に渡りきらなくてはならない。そうだろう?』
「……そのとおりです」
そう。義兄さんの言うことは正しい。私たちに『次』はない。敗退はそれすなわち、私たちの信念が間違っていたということだ。間違った信念を長々と続けるわけにはいかない。間違いがわかった方針は切り捨てなければ。
私たちが正しいのか、間違っているのか。それを訊ねるために再信審判に加わるのだ。神の国へ行くことも大事だが、それよりも信念の正誤の答え合わせこそ重要。
答え合わせをする前に解答用紙が破り捨てられるなんてあってはいけない。再信審判に加わる前に承認が取り消されてはならない。
だから、義兄さんが握るその情報は、私たちにとって最悪の凶器になる。
愕然とする私へ、義兄さんは表情を緩める。いつもの、私的な時間に見せる鷹揚とした微笑みだ。
『言ったろう。この間に交わされる話は駆け引きには使わない』
だから火のクランへ通報はしない。そもそも確証もないことだ。理詰めで9割の確信は得ているが残りの1割で裏切られるかもしれないのだから。1割で瓦解するかもしれない話でいたずらに状況を引っかき回すのは得策ではない。
『もちろん、ライカが僕らを後ろから刺すようなことをするなら前言は撤回するけど』
ではお互い仲良くしようか。腹の探り合いではなく背中を預けあってね。
そう言って、通信が切れた。




