幕間小話 真実を知る氷の民
『それ』は良い場所でないことを知っている。
人々が謳うように素晴らしい場所でないと知っている。
ただ使い潰される場所だということを知っている。
さらなる選定のための無限輪廻の箱庭だということを知っている。
たったひとつの『最善』のために永遠に試行回数を重ねるということを知っている。
我らは真実に通ずるゆえに知っているから。
我らはその場所に送ることを使命としているから。
我らは神々の望みのために組み込まれた歯車でしかないから。
我らは駒を送り出す楔でしかないから。
よって、ファムファタールなどただの印であり。
よって、運命などという装飾など意味はなく。
よって、選民意識のための符号であり。
よって、ファムファタールに選ばれた者は特別でも何でもなく。
よって、ただの仕組みのひとつである。
そうしてその場所に送られた者は永劫を繰り返す。
そうして神の望むままに使い潰される。
そうしていつか到達する。
しかし、それで解放されるわけはない。
それはただの次の段階に進むだけ。
それはただの選定なだけ。
それはただ神の都合がいいだけ。
それはただ神が気に入るかどうかで決まるだけ。
それでも人間はそこを目指す。
何も知らず漠然と理解して。
何もわからず定義だけを聞いて。
何も聞かず教えられたものだけを見て。
何も見ず幸福であると信じて。
いつかそこに到達するのだと進み続ける。
いつか自分は報われるのだと信じ続ける。
いつかどうにかなると思い続ける。
――ヒトはそれを神の国と言うのだけど。
***
我らの存在定義は神々の選定にふさわしい駒を次のステージに進めること。
役目を終えれば世界からその痕跡を消して退場すること。
原初の時代より我らはそれを繰り返してきた。
「凍妹、そろそろ決めないと。ヒトの生など一瞬なのよ」
運命の選択はしないのかと同胞が聞いてくる。
ファムファタールをどうするのか。共に生き充足した短い生を送るか、この手で殺して乾いた永遠の生を生きるか。
それは言い換えれば、次のステージに進めるまでに少しの猶予を与えるかどうかだ。先延ばしにするか、さっさと終わらせるか。
「えぇ。そうですね。至姉」
同胞の問いに頷きを返す。
こんな選択、したところで何の意味があるのだろう。
どうせ『そこ』に送られる。今死のうが後で死のうが、結局はそこに送られる。
人間が神の国と呼ぶ無限輪廻の箱庭へ。
そこはゴールではない。ただステージが進んだだけ。
第一検査終了。第二検査へ移行。そんな言葉で形容できる虚しいもの。
この世界は第一検査場であり、人間が神の国と呼ぶものは第二検査場でしかないのだ。
人間は第一検査を経て安堵するだろう。
終わったと思うだろう。変わると思うだろう。報われたと思うだろう。意味はあったと思うだろう。価値があると思うだろう。
人間は第二検査を見て絶望するだろう。
何も終わらないのだと。何も変わらないのだと。何も報われないのだと。何も意味はないのだと。何も価値はないのだと。
だけど、そうであるなら。そうであるからこそ。
せめて哀れな駒を悼むために、その望みに沿うことくらいはしてやりたいのだ。
そうしたいという望みを叶えてやりたいのだ。たとえどうであっても。
でなければ一体誰が憐憫を垂らすというのだろう。
運命という修飾で選民意識をくすぐる記号がもたらす選択を結論を先延ばしにしてでも。
神の国に至るというその望みが滑稽で虚しいものであるということを知っていても。
憐憫を垂らしたところで結局何も報われないのだとわかっていても。
せめて我らだけは駒を悼まなくては誰が憐れむというのだ。
「この物語がハッピーエンドであるわけがないのに」
誰も彼も、幸せで終わりにはならない。
***
だって始まりは神々の絶望によるものだから。
人間が裏切ったのです。人間が忘れたのです。人間が壊したのです。人間が嫌ったのです。
これは、それに対する正当な行為なのです。
だから虚偽の希望をかざして何度も使い潰すことは当然なのです。
だから遊び半分で何度も繰り返してすり潰すことは正当なのです。
だから雑に取り扱って何度も壊すことは妥当なのです。
だから何も悪くないのです。
永遠に永遠に。気が済むまで腹いせを続けましょう。
神々の絶望は深く、それを埋めるには永遠の時間が必要でしょう。
大丈夫。何度でもやり直しますから。正気でいられないなら狂信を与えますから。
神様は助けてはあげません。
神様は救ってはくれません。
理由は簡単です。
――人間が裏切ったので復讐します。




