フィニスの地
中央大陸。そこが再信審判の地である。
再信審判の時期だけ、中央大陸はフィニスの地と呼ばれる。人間が自らの信仰を神々に示す終結地。
そこはかつて、神々の一撃が落ちたという。原初の時代、何万人も住んでいたという巨大な大陸は今や誰一人住んではいない。住める環境ではない。暮らすどころか生きることすら困難な地に成り果てた。
「具体的には?」
「わしとて親の世代じゃぞ」
前の再信審判はおよそ76年前。大老はちょうどその時、まだ幼い子供だった。年齢ゆえに戦いに加わることは許されず、そのまま淡々と時間が進んで今に至る。
そんなふうなので大老とて親からの伝聞だ。親の世代が武勇伝と敗北の言い訳とともに語った情景曰く、すべてが狂っていたという。
「すべてが……?」
「私が答えるべきでしょう。あれがどういう状況か私は知っていますので」
どういう原理で、どうなっているのか。それを知っているとリグラヴェーダは言う。
原初の時代から生きている氷の民ゆえに、あの地が往古にどうなって、今どうなったのかを理解している。
今はその知識にあずかろう。親世代から聞いた誇張された伝聞よりはずっと正確だ。
解説をお願いできますか、と頼めば、えぇ、と頷かれた。
「魔法や武具を扱えぬ者には自覚が薄いでしょうが……空気中には魔力が漂っています」
たとえるなら空気中の水蒸気だ。薄く薄く魔力が漂っている。
例に湿度を用いたのでそのまま湿度で置き換えて説明していくが、この世界に漂う魔力は冬の乾燥した空気のような湿度くらい薄いのだそう。しかしフィニスの地ではじっとりと湿った空気の湿度のように魔力が濃い。
濃いなんてものではない。あそこには濃厚な魔力が滞留している。空気中の水蒸気が霧となって雨となるかのように。雨といっても土砂降りの大雨、いやむしろ滝のように。
そこまで極端な地なのだという。
「そのような地では魔法が狂います」
魔法を水車にたとえよう。水車に水を流せば回転して動力になるように、魔術式に魔力を流せば起動して魔法が発現する。魔法を簡単に起動するための道具である武具も同様に、術者の魔力によって魔法が発現する。
しかし、それは適当な量の水が流し込まれているから。もし水車に滝のような濁流を流したらどうなるだろうか。多少多い程度なら普段より強く回転するくらいだが、その許容量を超えるほどに流したら。
答えは水車の瓦解だ。流し込まれる水の重みに耐えかねて水車はばらばらになってしまう。
それと同じようなことだ。許容量を超えた魔力によって魔法の発動が狂う。
ほんの少し、蝋燭のようなか細い炎を起こすだけの魔法のはずが、発動の瞬間大爆発を起こして周囲一帯を焼き尽くしてしまう。空気を冷やしたり温めたりして快適な温度を作るための魔法のはずが、極寒あるいは灼熱の世界を作り上げてしまう。
何もかもが狂ってしまうほどの濃密な魔力。それがフィニスの地に渦巻いている。
「……なら、魔法を使わなければいいのでは?」
魔法が狂うというのなら。魔法を使わなければいい。
ナフティスが持っているもののように、武具やひいては魔法は便利なものだが、その利便性を諦めればいい。
普通に、武器を作って戦えばいいのだ。
「と、思うでしょう?」
フィニスの地に漂う濃い魔力は、非常に不安定だ。たとえるなら火薬庫のようなもの。ちょっとした火花を起こせばたちまちに大爆発する。
ただそこにあるだけで危険なのだ。不安定な魔力は少しの刺激で本来の機能を果たそうとする。すなわち、魔法の発露だ。
そうして術者もなく魔法が発現する。火の元素を得た魔力は炎の魔法を起動して業火を起こす。氷の元素を得た魔力は氷の魔法を起動して絶対零度の世界を作り上げる。隣接する炎と氷の世界を縫うように電雷が駆け抜け、水は毒となり地面は隆起と陥没を繰り返す。
「まさに地獄……それが、あの地です」
わかりやすく言おう、とリグラヴェーダは言った。
「"大崩壊"をご存知ですね?」
「もちろん。人間が神を裏切った不信の時代の始まりの災害です」
"大崩壊"という未曾有の災害により、世界は変容してしまった。
大陸の形が変わったとか国というものが崩壊したとか人心が荒れたとか魔法が失われたとか、物理的にも精神的にも神秘学的にも、まさにすべてが崩壊したという。
「その"大崩壊"の直後の世界が、あそこです」
「は?」
「"大崩壊"の原因は圧倒的な魔力の濁流なのですよ」
今から向こう100年の間に降る雨を集めて、一瞬で叩き落としたような。
豪雨とかそんなレベルじゃない量の魔力が世界を駆け抜けたという。濃密な魔力は衝撃波となって世界を駆け抜け、地形を変えた。そして拡散した魔力が魔法を狂わせ、神々の眷属を殺した。
そう語るリグラヴェーダの目は真剣で、嘘などひとつも混じっていないことがうかがえる。誇張でもなんでもなく、事実だ。信じられないことに。
「そうして世界を引き裂いた"大崩壊"。あの地ではあれを体験できるでしょうね」
だから氷の民はあの地を終焉の地と呼んでいます。




