一つの懸念
「雷のクランって……統率が取れていないのでは?」
アグリネ曰く、首領の代替わりに混乱はなく、クラン内はまとまっていると言っていたが。
首領に黙って独断で人身御供を差し出したり、ついていけない人間を船に押し込めて放逐したり。
首領の方針についていける者だけを残して切り捨てているのなら、それは、統率が取れているとは言い難い。
首領は厳しい人物だとアグリネは言っていた。その厳しさに下がついていけていないのでは。
それを臆病者と罵り、軟弱者とそしり、叩き出す。厳しい鍛錬から逃げ出した根性なしだと言って。
その構図は歪すぎる。
雷のクランとはそういうもので、口を出すなと言われてしまえばそれまでなのだが。
「まぁ……放っておいても瓦解しそうじゃの」
どんどん切り捨てて、最後には誰も残らない。そうなる未来を思い浮かべて大老が呟く。
そうならないにしても現状に不満ある者が結託して現首領に反旗を翻さないとも限らない。
どちらになるかはともかく、雷のクランは近いうちに混乱、瓦解するだろう。そうなれば再信審判どころじゃない。再信審判どころじゃなくなれば、"ニウィス・ルイナ"への承認云々も話が流れてしまう。そうなれば我々は再信審判に加われなくなり、神の国へ至る手段が断たれてしまう。
次の再信審判は3世代くらい後。私などとっくに死んでいる。悠長に転生を待って来世へ? 冗談じゃない。
「早めに承認の件をまとめさせないとまずいことになりそうですね」
「そうじゃの」
雷のクランの使節は自領に帰ってしまった。今度はこちらから使節を送らねば。いや、事態は早いほうがいい。いっそ私が直接乗り込んで会談を行うべきか。それは焦り過ぎだろうか。
考えていたら、呆れ顔のリグラヴェーダが戻ってきた。
「手順と要領が悪い娘です。まったく」
「どうかしましたか?」
「こちらを。……連絡用の武具です」
もし、"ニウィス・ルイナ"の首領が会談を希望する時はこれを使えと渡せ。そう雷の使節から託されたそう。
アグリネはこんなものをこっそりと隠し持っていたらしい。私が会談を希望してその手段を考案している時、こんな便利なものがあるんですと出し、さすがアグリネですねと褒められる展開を想定して。
「なんという……」
「バカか?」
「ナフティス、直球で言うのはやめなさい」
こんなものを隠し持っていたらスパイと疑われるだろうに。まったく。甘いというか愚かというか馬鹿というか。とんでもなくかき乱してくれるものだ。頭が痛くなってきた。
「……まぁとにかく。会談を望むならこれを使えばいいということですね?」
「はい。まず電話番の高官につながり、それから首領に取り次いでくれるそうで」
連絡自体はいつでもよい、と。
この通信は会談のセッティングのために必要な手間を省くためのものだ。
「成程。ところでアグリネは?」
「郷に入っては郷に従え、それと、李下に冠を正さずという言葉について説教をしたら拗ねてふて寝しましたよ」
叱られて拗ねるなんて。あれはアグリネが悪いというのに、まったく。
やれやれと肩を竦めてから、早速これを使ってみよう。会談は早いうちに成立させておいたほうがいい。雷のクランが瓦解する前に。
武具は小さな手鏡に似た銀板だった。二つ折りで、使う時はこれを開く。
この手のものは板に映像が映る場合と、板を媒介にして壁なり幕なりに映像を投影する場合の2つがあるのだが、これはどうやら後者のようだ。
映像を映すのにちょうどいい壁。あぁ成程、この執務室の一面の壁だけが装飾も家具もない平たい白い壁な理由がわかった。そういうことかと理解して、その建築意図に沿って白い壁を映像の投影先にする。
映像がきれいに投影されるように角度と向きを調整してから、武具を起動する。若干の映像の乱れの後、誰もいない机が映り、それから慌てて誰かが着席してきた。
『失礼いたしました』
「予告なく失礼いたします。ライカ・ニウィスルイナ・カンパネラと申します」
取り次いだのは、雷のクランの文官だった。
漂流者のことは伏せ、アグリネのことと使節から聞いたこと、それらを踏まえて首領との会談を希望する。えぇ、えぇ、と頷いた彼は恐縮しきった様子でアグリネの件の非礼を詫びた。
『あのような独断を……すっかり迷惑をかけてしまったようで申し訳ありません。こちらとしては到着前に取り押さえるつもりだったのですが、波が思ったより高く航行が困難でして……』
「そちらについてはここでは問いません。首領との会談についてですが、開くことは可能でしょうか?」
『もちろん! アマド様もお待ちです。用意がよろしければ、通信を転送いたしますが』
「……では、お願いします」
『わかりました。では、映像と音声の転送を…………あぁ、はい、今すぐに!』
一瞬映像が途切れ、それから。
『アマド・シャフダスルヴ・ノーレだ。何用か問おう、氷の女よ』




