砂と樹の混じり合う血
「お姉さま!! 聞いてください!」
朝一番。駆け込んできたのはアグリネだ。
雷のクラン内での話し合いの結果、アグリネをこちらで受け持つことになったそう。今のところは移籍ではなく主賓としてだが、本人の希望や私たちの希望があればクランを移ってもよい、と。
承認についてはまた別件として扱いたく、近いうちに首領同士の会談がしたいとのことだった。それを伝えた使節の船は、一度自領に帰ったそう。今度は円満に、アグリネがこの地に残された。
「水のクランではいろいろな人を他のクランに留学させているでしょう? それを真似しようっていうんですって!」
成程。留学みたいなものだと。
とはいえ再信審判の前に他クランの人間を置くのは皆からの反感を買いそうな気がする。スパイだとかそういう方面の。
特に大老はいい顔をしないだろう。再信審判に勝つことが絶対の世代だ。大老の父の世代がちょうど前回の再信審判の時期で、つまり敗北した父の悔し言を聞いて育った世代にあたる。次こそは次こそはと言い聞かされて育ってから老いた現在まで。その執着は色濃いはずだ。
「ふん、逗留するのか」
「大老」
噂をすれば、だ。執務室に入ってきた大老は渋い顔をしている。
私の横に控えていたリグラヴェーダと軽い挨拶を交わしてから、じっとアグリネを見た。何とも言えない表情で見た後、ふぅと息を吐く。
「まぁ見られ聞かれて困る話をこやつの前でしなければいいじゃろ」
妥協に妥協を重ねたような声で言い放つ。まぁそれもそうだ。再信審判をどう戦っていくかという戦術の話の時にはアグリネに席を外してもらおう。
念のためリグラヴェーダの防音結界も用いる。アグリネが伝達用の武具をこっそり議場に忍ばせて、会話を盗み聞きしないとも限らない。
信頼とノーガードは違う。悪いがそこは分別させてもらう。
「スパイだなんてそんなことしません! むしろお姉さまに雷のクランのあれこれを教えたいくらいなのに!」
……お姉さまという呼称については突っ込むべきだろうか。
いやいや。ラテジャ呼ばわりに頷くことは結婚の同意というほどだし、下手に突っ込んで変な方になったら困る。特にリグラヴェーダが対抗しかねないという意味で。
しかしこのまま放っておくとなし崩しに既成事実ができそうで怖い。どうしよう、どちらに進んでも地獄だ。
「……ごほん。そうですね、私は雷のクランのことをあまり知らないので……教えていただけますか?」
「もちろん!」
雷のクラン"シャフダスルヴ"。大まかなものの考え方や文化はコウクスに教えられたが、基礎的すぎる。
私は、首領の名前さえ曖昧なのだ。私が"コーラカル"を出奔するちょっと前に首領が変わったせいもある。
「えぇ、えぇ! 何でも聞いてください!」
「んじゃ俺から質問」
「ひゃぁあああ!?」
ぬるっと椅子の影から出てきたナフティスにアグリネが悲鳴を上げる。驚くのはよくわかる。
叫んでしまったアグリネはごほんと咳払いをしてから、居住まいを直す。椅子の影から右足を引っこ抜いて完全に出てきたナフティスも適当な場所に座る。執務机の端に腰を下ろすのはやめてほしい。邪魔だし行儀が悪い。
「"シャフダスルヴ"は砂語が公用語だろ、なんでそう流暢に共通語が喋れる?」
首領にほど近く、政治に携わることがあるなら外交のために習得するだろう。
だが、アグリネは将家の出。将家は再信審判での戦いが本分であり、外交など受け持たない。それなのにどうしてこうも会話に苦労しないほど流暢に喋ることができるのか。
コウクスのように訛ったり、適切な語が思い浮かばなくて砂語が交じるということもない。ほぼ完璧だ。
それはどうしてか。理由を考えると、スパイのためという結論が導ける。
将家なら女性でもある程度の戦に通じるよう鍛えられる。スパイが判明して追い詰められてもある程度身を守ることができる。だとするなら。
「下手な答えをするなよ? 殺すぞ」
ごまかすな、と。ナフティスが凄む。ナフティスなら本気でやりかねない。だらしなく机の上に座っているその姿勢から、腕の一振りでアグリネの首をはねるだろう。
「……信じてもらえぬかもしれませんが、母はアレイヴ族なのです」
「ほう?」
「ですから、母から共通語を教えてもらって……」
ふぅん、とナフティスが呟き、興が削がれたというように殺意を引っ込めた。
樹のクラン"トレントの若木"の主要構成種族であるアレイヴ族と、雷のクラン"シャフダスルヴ"の主要構成種族であるシャフ族は共通の祖先を持つという。原初の時代よりも遠い遠い時代の話だ。
その縁で異種間婚約をして、生まれてきたのがアグリネ。だから共通語を喋ることができるのだ、と。成程それには納得だ。とりあえずこの場を殺意を引っ込めるには十分。本当かどうか疑わしければ調べればいい。
アグリネは混血。シャフ族として純血でないからこうして簡単に他クランによこすこともできるということか。
背景を考えて、何ともやるせない気持ちになった。




