フローズン・メイデンへ、生き延びたい雷の民より
ライカウンタ、マノルジャ。コウクスに意味を問うと、まぁわかりやすく『I like you』だった。
ライカはそのまま私の名前、そこに『上』を指し示す語をつけることで尊称として、訳すと『ライカ様』。この尊称はきちんとした公式の場で用いるようなかしこまったものではなく親しみをもって、くだけた意味合いが強いのだそう。
マノルジャは『好意』に最大級の等級や規模を表現するための接尾語をつけたもの。以上を足して直訳すれば『最大級の好意』、訳せば『大好き』だ。
友人の間で、うわぁ大好きと感激のあまり口走ってしまうような、あんな感じの用法なのだそう。
「ラテ、あるいはラテルって言われた時は気をつけてクダサイネ。特にラテの方は頷かナイように」
「どういう意味なんですか?」
「どっちも『愛』ッテ意味なンですが、ほら、愛にもイロイロあるでショ?」
性愛、親愛、敬愛、博愛、慈愛、その他諸々。一口に愛と言ってもいろいろある。
そのうち、伴侶や恋人というような関係の人間に向ける『愛』がラテ、その他愛情全般をラテルというのだそう。
その『愛』に最大級を示す接尾語がついた場合、もうそれは求婚も同義なのだそう。それに軽率に頷いてしまえばどうなるか。
成程よくわかった。ラテジャは危険。
「シャフ族は約束とか契約ってコトを重視するンで、一度頷いたらもうひっくり返せナイデスカラネ!」
落雷が地面に亀裂を刻むように、雷神の信徒たちは約束や契約ごとにうるさい。一度決めたら後からの変更は基本的にきかない。
その気質で結婚なんて決められたら。想像するだけで途方もない気持ちになる。うん、絶対に頷かない。
「言葉がわからナイ時はとりあえず曖昧に笑って頷くっていう心理をついて結婚をキメる行き遅れが世の中にはいるンですヨネェ、困ったコトニ!」
「詐欺じゃないですかそれ」
「詐欺と思われようとも、一度交わした契約は覆させナイって精神デスヨ、コワイコワイ……」
とんでもない連中がいるものだ。
「ところで、ハナシがそっちにいったついでに聞きますケド、ライカ様は結婚とかハ?」
「へぁっ!?」
なんでいきなりそっちのほうに話が飛ぶんだ。
うぅん、結婚。結婚かぁ。そもそも恋愛らしい恋愛をしたことがない。仕方ないじゃないか。子供の頃の私は恋などしている暇があるなら両親に認められるよう研鑽を積んでいたのだから。そのまま大人になってしまったので、そういった浮いた話はさっぱり。
今もそう。首領として後継者を作るために結婚などするより先に内政や外交をして再信審判に備えるほうが先。
「ない……ですね……あはは……」
「そういうのがイチバン危ないンですヨ。恋愛に疎くて、しかも高い地位の女声なンて、格好の標的なンデスカラネ!」
「肝に銘じておきます。……うん?」
何気なく見た窓の外にヘクスが見えた。また何やら私宛ての手紙を持ってきたようだ。いや違う、彼女は素手だ。その手に何か持っている様子はない。それでいてやたら焦っている。
……なんだかとんでもない気がする。そう思っていたら全速力で駆けてきた勢いのままドアをぶち開ける音がした。ヘクスだ。
「失礼します!! ライカ様、一大事です!」
「ど、どうしたんですか……?」
「"シャフダスルヴ"からの使節です! 書状と、それから少女を一人置いて帰りやがったんですあの人たち!!」
「はぁ!?」
***
"ニウィス・ルイナ"率いる『氷の女』に宛てる。
共通語に不慣れゆえ、言葉が覚束ないのはどうか許していただきたい。
貴殿らが再信審判の参加のために活動していると聞き、友誼を結びたく思う。
色よい返事を期待している。
そんな内容の書状を読んで、思わず頭が痛くなった。
書状の主旨はいい。こちらとしても承認のために雷のクランとつながりを持ちたかったので。
問題はというと、書状と一緒に置いていかれた少女だ。ヘクス曰く、入港の許可を得て港に着くなり、彼女だけを放り捨てるように下ろしてそのまま出港したという。錨も降ろさず、即帰だ。入港の許可のための手続きのほうが時間がかかったんじゃないかというくらいに。
そしてひとり取り残された少女は雷のクランの刻印が刻まれた書状を持っていて、慌ててヘクスが領館まで飛び込んできたというわけだ。
「あンれまぁ、なんてこったい」
コウクスが肩を竦める。置いていかれた少女はぎゅっと唇を横一文字に引き結んでまっすぐ前を見ている。壮絶な覚悟を秘めた顔だった。
無理もない。書状には、この少女を好きにしてもいいと人身御供まがいのことが書いてあったのだ。いや。『まがい』ではない。人身御供そのものだ。
「要するに、『ウチの娘をやるから再信審判で狙うな』ってコトデショ」
「直の物言いはどうかと思いますよ」
コウクスをたしなめる。でも確かに書状の意味はそのとおりなのだ。
本当になんてことだ。いや、今はそのことは置いておこう。彼女のをどうするかのほうが大事だ。
「コウクス。訳を頼めますか?」
「イハ、ライカモーラ。ボアドリセルスル」
「ぁ…………えぇと……ごめんなさい、砂語は不要です。共通語は喋れますので」
「えぇー!! そこは空気を読ンでくださいヨォ……」
意気込んだ出鼻をくじかれてコウクスが机に突っ伏した。ひーんと泣き真似をするコウクスの慰めはヘクスに任せるとして。
共通語が喋れるなら意思疎通は円滑だろう。よかった。コウクスには悪いが、これでいちいち通訳を挟まなくてすむ。
「まず名前からお伺いしてもいいでしょうか?」
「……アグリネ。アグリネ・シャフダスルヴ・スラウラと申します」
「ライカ・ニウィスルイナ・カンパネラです。どうぞ気楽に」
褐色肌。黒髪黒目。典型的なシャフ族の特徴だ。
肩先くらいの長さの髪は毛先だけゆるく波打っており、砂漠に落ちる影のよう。歳は私よりも何回りも小さい。大人びた顔立ちであることを差し引いたら、思春期を迎えた頃じゃないだろうか。
そんな少女が単身、人身御供扱いで見知らぬ土地。頼れるものは何もなく、不安と恐怖で押し潰されそうな思いだろう。なのに気丈にもしっかり前を向いて歯を食いしばっている。
「あなたの身は私たちが預からせていただきます」
勝手に置いていって何が友誼だと突っ返すわけにもいかない。
もう日は暮れ始めているし、彼女をどうするかについての話し合いは明日にするとして、とりあえず今日は領館で寝泊まりしてもらうとしよう。問題を明日に丸投げするともいう。
「慣れぬ土地では不安でしょう。コウクスをつけますね」
「いえ……結構です。お心遣いありがとうございます」
「では、客間のほうに案内します。私の自宅も兼ねているので、何かあれば私の部屋にどうぞ」
はい、と頷くアグリネには張り詰めたような緊張感があった。




