氷の民は踏み込めぬ場所からあなたのそばに
「リグラヴェーダ。念のため聞いても?」
「はい、何でしょうか。ファムファタール?」
リグラヴェーダが運命の人と呼んでくることはちょっと慣れてきた。たまにどきっとする時もあるが。
あくまで運命的な巡り合わせの比喩であって恋愛的なニュアンスはないと言っていたし。うん。
話が逸れた。そう。で、聞きたいことというのは、見落としがないかだ。
再信審判は水火土風樹雷の6つのクランで行われる。そこに氷の民は関わらない。だから承認も6つだけでいい、と思ってここまできた。
でも、こうして新興クランがそれぞれの承認を得て再信審判に参加するだなんてことは、私が知る歴史の限りでは初めてだ。クランから離反した連中が集団を作って新興クランを名乗ったことくらいは歴史の中で何回かあるだろうが、そんな存在など教科書にはなかった。だから今までないと思っている。たぶんないだろう。
初めてだからこそしっかり手順を確認しておきたい。実際に再信審判を争う6つのクランの承認だけでなく、傍観を決めている氷の民の承認が必要だったりしたら。6つの承認を得てさぁいざ、という直前で実は氷の民が承認していないからだめだなんてことになったら一大事だ。
「再信審判に加わるにあたり、氷の民の承認は必要ですか?」
「いえ、必要ないですね」
断言した。話を持ち帰って氷の民に確認しますと言うかと思ったら。
「私たち氷の民は再信審判には関わらないので。……あまり明かすのも危ないのですが、ルールの側にいるのです、私たちは」
「ルールの側に?」
「えぇ。陪審員とかではないですよ。ただ……ほら、氷は真実に通ずるでしょう?」
真実に通ずるがゆえに、何がだめで、何がいいのかの線引きを知っている。再信審判におけるルールの厳密な境界線を知っている。言い換えるならば、再信審判のルールの側にいる。
だからこそ手順を知っている。実際に再信審判を争う6つのクランの承認だけでいいということを。
「氷の民のことは考えずにいてください。不干渉と非接触ですからね」
「……そうですね」
そうだ。うん。氷の民とは不干渉と非接触。氷の民は表舞台に立つことを望まない。否、望まないという意志の問題ではない。表舞台に立ってはいけない。
真実に通ずるのだから、何でも知っている。それは、未知を暴こうとする連中の格好の標的だ。見つかればただではすまない。真実を追求したい人々によって徹底的に陵辱される。
たとえるなら、ベールをかぶった淑女のベールを引き剥がし床に引き倒し服を剥ぎ犯すがごとく。犯すだけならまだましかもしれない。それだけでは済まず、腹を切って内臓の中の消化物まで引きずり出すがごとく。猟奇的なほどに無遠慮に真実は暴かれる。
そうしてしまわないよう、氷の民は自らを秘匿し続けてきたのだ。不干渉と非接触の同盟もそのため。
だから『再信審判の参加に氷の民の承認が必要』なんてことはあってはならない。
氷の民という存在さえ隠さなければいけないのだから、存在を示唆するルールがあってはならない。
よって、承認は6つだけでいい。リグラヴェーダの言いたいことは要するにそうだろう。
「……そこまで徹底的なのに、どうして私たちの前に姿を見せたんです?」
わざわざ雪崩は警告だと知らせてきた。町の中にひとりだけいた。
徹底的に秘匿したいなら警告の知らせもせず、町からこっそり退去すればよかった。
知らなければ最初から存在しないのと同じ。不干渉と非接触の同盟などわざわざ申し入れなくていい。
それなのにどうしてリグラヴェーダは私たちの前に姿を現したのだろう。
「……そうですね。ファムファタールには明かしましょうか」
そう言って、リグラヴェーダはその場にしゃがんで指で床を叩く。それから上へ引き上げるように何かを掴んで立ち上がり、その勢いのまま頭上へ腕を振り上げた。
「何を?」
「防音結界です。ついでに迷彩魔法も。これで、外部からは見えないし聞こえません」
そんなとんでもないものをさらっと行使するんじゃない。
思わず指摘したくなったが話の腰を折りそうなのでやめておく。
「さて……私のことですが……」
***
そうして語られた内容はとんでもないものだった。
ファムファタール。運命の人。だから。よって。疑問はすべて解決してしまった。
「偽名だったんですね……」
「すみません。明かすタイミングが掴めなくて……」
「いえ。そこは非難するつもりはないので」
偽名というなら、その真名を教えてもらうだけにとどめよう。
あまり踏み込むと氷の民の不干渉と非接触の懲罰が怖い。うっかり踏み込んで同盟に触れて懲罰、再信審判どころじゃなくなりましたなんて結末は絶対に避けたい。
「ファムファタールだけに教えるんですからね。内緒にしてくださいよ」
悪戯盛りの子供のように微笑み、それからリグラヴェーダはそっと耳打ちしてきた。
「ライカルーナ。……実は、ほとんど同名なんですよ」
こんな偶然があるんだからまさに運命の人ですよね。彼女はそう微笑んだ。




