幕間小話 "リグラヴェーダ"とは何者か
ファムファタール。それこそがナフティスの疑問への答えの核だ。
「私たち氷の民は、一生に一度……『運命の人』を見つけます」
どういう原理かはリグラヴェーダも知らない。まさに運命というしかない引き合わせが起きる。
感覚としては一目惚れに近い。異性も同性もありえる。年齢の区別もなく、子供相手に運命を感じることもあれば、老い先数年の老人に運命を見出すこともある。
「魂が惹かれ合う、というと少しロマンチックではありますが……」
「そんなきれいなもんじゃない、と」
「えぇ。……ファムファタールが持つのは絶対的な服従権なのです」
運命の人を見出す。その瞬間、課せられるのは拒否権のない絶対的な服従だ。何を犠牲にしてもファムファタールに尽くさねばならない。そのように自らが定義されてしまう。制限されてしまう。
種としての本能に近い。誰に言われ、促されるまでもなく自ら膝を折って頭を垂れてしまう。
「だからライカ様に従ってる、と」
「はい」
リグラヴェーダにとってのファムファタールはライカだ。だからライカの要求することに無条件で従う。ライカが望んだことを叶えることに全霊を尽くす。
本能に近い部分で『そうしなければならない』と思っているがゆえに。
「ライカ様に逢うために、私はこの数千年をこの都市で過ごしたのです」
結果論だが、そういうことになる。
ずいぶん詩的じゃないか、とナフティスが口笛を吹いた。
成程。それならこの町を譲渡した理由も、ライカに付き従う理由も説明がつく。
絶対的な服従を誓わなければならない運命の人だから、そうしなければならない。
氷の民はそういうものなのだろう。
ナフティスにだって理解できる部分はある。ナフティスとてベルベニ族。自由と奔放を愛するベルベニ族にとって、旅は心底愛するべきもの。ひとところに留まることは本能的な部分がどうしても拒否してしまう。
放浪するということが本能に刻まれている。それは文化というよりもはやベルベニ族という生物の生態といってもいい。
氷の民のファムファタールという存在は、ベルベニ族にとっての流浪と同じくらい重要なものなのだ。そう置き換えれば話はわかる。
そして、そこに勘定は要らないのだろう。ベルベニ族が旅をして『何を得るか』を重要視しないように。氷の民がファムファタールに従うことでどんなメリットを享受できるのか。ただ、運命の人に従い、仕えることこそが肝要。従者となる見返りは一切求めていない。
なぜって、それは、『そういうもの』なのだろう。本能に説明はいらない。
「ごめんなさい。つまびらかにすることができずに、中途半端な説明だけで」
「あぁいいさ。しょうがねぇさ」
疑問には答えてもらったのでそれでよしとする。ライカが運命の人だから付き従う。回答としてはそれでいい。
「ライカ様を傷つける目的じゃねぇってんなら、いいさ」
突き詰めると、それだけが知りたかったのだ。リグラヴェーダの素性などどうでもいいし、付き従う理由も二の次でいい。重要なのは、ライカを害するかどうかが知りたかった。害がないどころか、庇護するということがわかった以上、それ以上の追求は不必要だ。
「同盟にも触れたくねぇし」
はるか昔に遠き地で会った『リグラヴェーダ』のことを思い出す。
彼女もまた自分の正体をはぐらかしていた。その理由はおそらく、不干渉と非接触の同盟と同じものだろう。
そんな彼女はある日、ふつりと姿を消した。彼女がいたという痕跡すらどこにも残さず、誰の記憶にも残さず。知っているものは皆死んだか、彼女の存在だけを忘却していた。
たぶん、それは、同盟に触れたのと同じ事態が起きたのだろう。追及の手を逃れるため、彼女は自分自身ごと『消した』。
この推測が確かであるなら、同盟に触れた時、起きるのはこの消失だ。
踏み込んだ当人であるナフティスは死ぬ。リグラヴェーダを知っている人間も死ぬ。この町は跡形もなく消え去り、廃墟すら残らない。このクランと交流のあった他クランの人間には存在の忘却処理が行われるだろう。
そうして、完全に『消える』。"ニウィス・ルイナ"など『なかった』。
それは困る。我々は再信審判に勝ち、神の国へと至らねばならないのだから。
消えてしまえば転生もかなわず、永遠に神の国へたどり着けないだろう。そうして神々に置き去りにされてしまう。それだけは避けねばならない。
「そうですね。鐘の音が聞こえたらご注意を。それは、我ら氷の民が発する警告です」
その鐘の音が間近で聞こえる時、すべては『消去』されてしまう。
だからどうか、とリグラヴェーダは目を伏せた。
「……さて、疑問の回答は以上です。それでは、あなたの『答え合わせ』をさせていただいても?」
リグラヴェーダの正体については語った。なら、次はナフティスの正体についてだ。




