幕間小話 氷蛇と影風は踊る
なぁ、とナフティスはリグラヴェーダへ問うた。
「いい加減に教えてくれないか?」
「はい? 何をです?」
「あんたの正体。いや目的か?」
氷の民とは不干渉と非接触の同盟がある。下手に踏み込むのは危険だ。
だが、それを押してでも聞きたい。リグラヴェーダは何者なのか。目的を。言動の真意を。
まったく掴めぬ人物を命の恩人のそばに置いておくことを許すほど、ナフティスは甘くない。
「どうしてライカ様に従うんだ? 運命の人なんて呼んでさ」
ぶっちゃけ、怪しい。
自分たちがこの地に漂着し、この町を見つけた時。リグラヴェーダはあっさりこの地を引き渡した。
彼女からすれば、数千年守ってきた大事な土地だ。それを見も知らぬ他人に譲渡する理由がない。誰もおらず寂れていくよりは人が住んだほうがいいなんてそんな理由で渡せるほど、その数千年は軽いものだったと思えない。
なぜ、こうもあっさりと引き渡したのか。これが第一の疑問。
第二の疑問。それはライカへの徹底的な服従だ。渋っていたことでも、ライカが提案したものは手のひらを返して賛成する。その意志を全肯定する。どんなことでも最大限応えようとする。
初対面からそうだ。この町を譲渡したのも、ライカがこの地に根付くことを望んだからだ。
見知らぬまったくの他人に、だ。ナフティスのように命を助けられた恩があるならまだわかる。だがその恩義もない。
果たして、リグラヴェーダは何者なのか。
「……それは……」
「おおっぴらにしないってことは氷の民との同盟に触れることなんだろうさ。でも、知っておきたい」
これ以上はぐらかすようなら、ライカの護衛として背中を預けることはできない。
ライカに不信を告げ、リグラヴェーダを護衛から外すよう提案し説得することも考えている。
「それに、リグラヴェーダってのは偽名だろ?」
「…………どうしてそんなことを言うのですか?」
「俺はベルベニ族だからな。いろんな土地を巡ってた。……その中に、同じ名前のやつがいた」
たまたま同名だったということも考えられるが、その可能性は低いだろう。
だってはるか昔に遠き地で出会った『リグラヴェーダ』もまた、リグラヴェーダと似た雰囲気を持っていた。そしてその名について、これは偽名で本名は誰にも明かせないのだと言っていた。
「言えないことはあなたもあるのでは?」
「お。反撃かい」
確かに、追求されると困ることはナフティスにもある。命の恩人のライカにだってそうそう明かせない秘密だ。
だが、リグラヴェーダがそれを知っているならちょうどいい。逆にそれを利用させてもらおう。
「交換条件だ。俺の秘密の答え合わせをするから、さっき言った疑問に答えちゃくれねぇか?」
もちろん、この場の会話は誰にも喋らない。真実は氷の下にだ。
それならばどうだろうか。同盟に触れないよう内容を絞ってもいい。
これ以上得体の知れぬ者をそばに置いておきたくはない。ナフティスの要求はただそれだけなのだ。
「…………わかりました」
これは答えるまで離してはくれないだろう。諦めたように溜息を吐いたリグラヴェーダはその場にしゃがんで指で床を叩く。それから上へ引き上げるように何かを掴んで立ち上がり、その勢いのまま頭上へ腕を振り上げた。
「何した?」
「防音結界です。ついでに迷彩魔法も。これで、外部からは見えないし聞こえません」
秘密の話にはちょうどいいでしょう、と言い、結界の範囲を固定したリグラヴェーダは手を下ろす。
「一から十までとはいきませんが……同盟に触れない範囲でお答えしましょう」
ライカのそばにいること。それがリグラヴェーダにとっての絶対条件だ。その絶対条件を守るためならば仕方ない対価だ。そう自分を納得させて、リグラヴェーダは言葉を選びながらナフティスの疑問に答えることにした。
「そうですね。まず、リグラヴェーダというのは偽名です。……このあたりは、火のクランの字と同じようなものだと思っていただければ」
「真名は伏せる、ってか?」
「えぇ。ファムファタール……ライカ様にしか明かせないものです。この文化の成り立ちについては、平にご容赦を」
氷の民が何らかの事情で集落を出る時、名乗る偽名が『リグラヴェーダ』なのだ。姓の部分は適当に捏造したり、無いものだと言ったりその時々による。
そして、その真名はファムファタールにのみ明かすべきもの。氷の民同士ですら知ることはなく、もし知ってしまったとしても口にしない。
では、ファムファタールとは何か。それを明かすことはナフティスの疑問の大半に答えることになるだろう。
「『そういうものなのだ』という認識のみにとどめ……理由を追求しないでくださいね。でなければ、同盟に抵触します」
「あぁ。わかってるさ」
「えぇ。私も破滅の鐘の音は聞きたくありませんので」




