氷下のせせらぎ
――こうして、3日間の監査が過ぎていった。
監査役の2人はそれぞれイルス海経由で来た迎えの船に乗って帰っていった。
それぞれのクランで内容を報告、協議して結果をよこすということだった。とはいえ、ソルカとその父親の身柄についてはうちで預かることがほぼ確定していて、協議のメインは"ニウィス・ルイナ"の再信審判への参加の承認になる。
その答えを持ってくるまでに内政を整えるとしよう。
大小細かな問題はあるが、まず手を付けたいものが交易の問題だ。現在、クランとして交易をしているのは樹のクランと火のクラン。
樹のクランとの取引は、主にこの永久凍土の大陸に自生する植物と、穀物や野菜の苗種。あちらにとっては何もかもが珍しいようで、取引は非常に円滑だ。
火のクランとの取引は、例の『犯人探し』の定期報告と引き換えに、ほとんどただ同然の鯨油。交易という双方向の取引というより、あちらの余剰品の処分場所のあてに使われているようなものだ。再信審判が近いせいか骨鯨も活動が活発らしく、普段以上に鯨油の流出が激しく処分に困っているそうだ。
で、その交易の何が問題かというと。こちらから出せるものがない。
承認が得られるかどうかは置いておいて、これから水のクランや土のクランとの交易も拓かれるだろう。その時、こちらから差し出せるものがないのだ。樹のクランへは凍土に自生する植物が交換のタネになるが、水や土のクランにとってそれらは価値あるものとは言えない。
「うちの特産です、といえるものがないんですよねぇ……」
「そうじゃの。そもそも、外部に出すほどうちには物資がないじゃろ」
「なんですよね」
食料も物資も、何もかもうちで賄うだけで精一杯。交易に回せるほどの余剰がないのだ。
強いて言うなら、森から切り出してきた木材が建材によい質だと評判を得ているくらい。しかし特産と名付けて加工、出荷するほどの生産力はなく。切り出していくための人手も不足するし、そんなに伐採を進めてしまえば森はあっという間に禿山だ。
「ほんっと、ここには氷と雪しか……うん?」
「どうかなさいましたか、ファムファタール?」
そういえば。現在、この町の飲料水と生活用水は外の雪を溶かして作ったものだ。北方の山脈からの雪解け水が雪の下を流れ、川になって町に注がれている。
その水を汲み出し、飲料水や生活用水として使っている。雪が濾すのか、煮沸して消毒する必要もなく川から汲み出してそのまま飲めるほどにきれいだ。
そのせいかどうか知らないが、ここの水は他の場所の水とは違う。
場所が変われば水の味も変わるというが、その変化ではない別の部分で何かが『違う』。
この変化の正体がわかれば、交易品として出荷しないまでも、町の特産として売り出すことはできないだろうか。
「……と、思うのですが。何か知っていませんか、リグラヴェーダ?」
「味の変化……ですか」
ふぅむ、とリグラヴェーダは思案したふうをみせる。
しばらく考えた後、これは推測ですが、と話を始めた。
「この氷雪は自然のものではありません。……いえ、寒冷地ですから自然のものもありますが」
環境ゆえに自然に雪が降ることもあるが、そこは置いておいて。
話はこの大陸の形成、いやむしろ世界の構築まで遡る。
神々が海と大地を創った時、神々はそれぞれの土地を自らの領域とした。世界を7つの区域に分割し、それぞれの土地をそれぞれの神が自分の領域としたのだ。
「南東大陸の北半分は水神、南半分は土神。南東の端の諸島は樹神……えぇ、今現在、クランの領土と同じです」
神々は自らの領域を創り、その地に住まう人間はその神を信仰し、そしてスルタン族や竜族といった亜人が生まれ、クランが生まれた。その間に原初の時代があったり"大崩壊"があったり不信の時代があったり。
そして、氷神はこの北方大陸を自らの領域とした。氷神の影響を受け、この地は永久凍土と化した。大地に氷雪が覆い尽くし、極寒の環境へと姿を変えた。
つまりこの永久凍土のはじまりは、自然ではなく神の力に由来する。
「それゆえに……他と『違う』のではないか、と……思うのですが……」
実際のところはリグラヴェーダでもわからないそうだ。まぁそうだろう。
確かに言えることは、だからといってこの雪解け水に特別な力があるわけではないことだ。何か特殊な力が授かるとか、病気や怪我が治るとか。
「成程。氷神の氷雪による雪解け水……名産になりそうですね」
「神々の産物で商売なぞ罰当たりじゃぞ」
「交易には使いませんよ。でも、うちの売り文句には使えそうじゃないですか」
なにせうちは人がいない。他のクランと渡り合うには人数が圧倒的に足りない。
はじまりはたった30。火のクランから追放された海賊たちを加入させて3桁に到達し、そこから、評判を聞いて移住しようとしてきた人たちを受け入れて多少数は増えたものの、まだまだ圧倒的に規模が小さい。
規模を拡大するために人数がいる。そのためには呼び水が必要なのだ。この土地を気に入り、住んでもらうための。
「この氷雪が氷神の仕業であるなら、ある意味ここは神に最も近い場所になるじゃないですか」
一度、この世界から神々は去った。遠くなってしまった神々と近付くため、この世界に生きる私たちは再信審判を戦うのだ。
それは迷子になった子供が親を探して彷徨うようかもしれない。残り香を求めて縋るような。束の間の慰め、ごまかしだと言われてしまうかもしれない。だけど。
神に近しいということは、この世界において価値あることなのだ。
「……どうかしましたか? リグラヴェーダ?」
「いえ……」
一体どうしたのだろう?




