たおやかな水の女王
あなたは最高傑作よ。そう言われて生きてきた。
『こうあるべき』という定義をなぞり、『こうあるべき』という基準を満たし。そのまま今日まで生きてきた。
意志のない人形がレールに載せられたかのようと自らを憐れむことはしない。そうしてしまったら、わたしがここに至るまでに踏みつけたものの立場がなくなってしまう。『可哀想』の下に踏みつけられたものはいったい『何』なのかを議論しなければなくなるから。
振り返らない。下を向かない。『エレナ』はカンパネラ家の最高傑作であり、首領の良き妻でなくてはならないのだから。
重責だと思ったことはない。わたしにとって当然のことなのだから。朝起きた時に伸びをするように、トーストにバターを塗るように、熱い紅茶の湯気を吹き払うように。そこに何も介在しない。
「苦労するね、君も」
「いいえ。ユーグ」
首領の妻と離反した妹の板挟み。状況としてはそうなるでしょう。でも、立場は変わらない。わたしは水のクラン"コーラカル"首領の妻。その視点は一切揺らがない。
わたしはあなたの妻です。ユーグ・コーラカル・リンデロートの妻です。それは変わりません。
「あの子はあの子でやるでしょう。そこに"コーラカル"首領の妻が差し挟む口はありません」
あの子がまだ水のクランの一員であるのなら、自陣に内包する一人の人間として見たでしょう。
けれどあの子はもう手を離れていってしまった。水のクランから離脱したのなら、水のクラン首領の妻であるわたしの範疇ではない。
板挟み、など。そんなことは一切ない。板挟みと思う方が見誤っている。
「あなたこそ。あの子が苦労をかけましたでしょう」
「いやいや。僕は別に。義妹のことだしね」
義兄妹の情だなんて。面白いことを言うのですね。
何が義兄妹か。その計略で絡めようとしているくせに。
あぁ、あなただって立派に水のクラン首領じゃない。水のクランが勝つために、すべてを権謀術数の濁流に飲み込もうとする。その牙の中には、わたしだって。
けれど、飲み込まれることをわたしも望んでいるのです。
***
姉さんからの書状。姉妹としての親しい内容ではないだろう。姉さんは水のクラン首領の妻という立場を徹底的に貫く。それが揺らぐことはない。
だからこの書状の内容は、水のクラン首領の妻として、"ニウィス・ルイナ"の首領である私に送ってきたものだ。公私でいえば、『公』であり『私』ではない。
それを見誤って踏み違えればならない。そんなことくらいわからなければ読む価値もない。
そんな書状をヘクスから受け取って開く。
樹のクラン、火のクランと地理的に近い場所から関係を持っていっているというのに、海を隔てて対岸である水のクランを飛び越えて土のクランに行くなんて、と軽口めいた揶揄から文面は始まっていた。
表向きは『私』。姉として妹をたしなめるような柔らかな文調だが、離反した身でありながら無視かという『公』の非難でもある。
続く文面は水のクランの現状報告。両親はまだ私のことを裏切り者とか何だとか罵っているだとか、義兄さんは袂を分かつことを惜しみつつ活躍を内心嬉しく思っているようだとか。
こちらも姉が妹に送る家族の近況報告のような『私』の文章。それでいて『公』としての内容も入れてくる。
さすがは計略でのし上がった首領の妻。穏やかな表の中に裏を混ぜてくる。
これも私がわかるように、わかりやすく出してくれているのだろう。他のクラン宛てならもっと陰湿のはず。
「それで…………えぇぇえええ!?」
表と裏の使い分けに感心しつつも読み進めていたら、とんでもない内容が目に入ってきた。
思わず大音量で叫んでしまった。うるさいのぅ、と大老が耳を塞ぎ、リグラヴェーダが無言で肩を竦める。ヘクスは驚いて肩を跳ねさせていた。
「いやだってあの、ちょっと、えぇ!?」
「落ち着かんかい」
「落ち着いていられませんよ!」
いやだってあの、とんでもないことが書かれているのだから。
――あなたのところにいる竜族の子。その父親と名乗る男性がこちらにいるのですが。
本人確認のために彼の子を招待します。受諾してくれますよね、ライカ?
ソルカの父親、が、いる。
いや待って。父親、うん、死んだとは聞いてない。行方不明だ。それが今になって登場だって?
待て待て待て待て待て。ほら、書状を読んだ大老だって驚きで固まっている。ヘクスだってひっくり返りそうだ。リグラヴェーダはどこ吹く風。
「………………また、ソルカを呼んできてください」
なんてこった。




