歴史の授業『不信の時代』
やりなさい、と言ってすぐにできたら苦労はしない。模型を作るのとはわけが違う。
木を支柱に布を張っただけの簡素なテントのような建物でも時間がかかる。まず森から木を切り出して、枝を落として、それからの手順を考えると今日明日でできるものじゃない。
周囲の探索だってそう。幸いにも晴れていて見通しはいいけど、だからといってすべてがつまびらかになるわけでもなく。
要するに、待機時間だ。出した指示の成果を待つ時間。何もせずぼうっと過ごすのは時間の無駄なので、ここはひとつ、皆の様子を窺ってみよう。特に子どもたちの様子が心配だ。
***
年齢はばらばらだが、船に乗っている子供は男女合わせて7人。彼らの面倒を一手に引き受けるのがレーラル女史だ。
小人種族のスルタン族である彼女は膂力や体格で劣り、力作業の続く開拓には不向きだ。だがスルタン族らしく知恵には優れている。その豊富な知識を子どもたちの教育にあててもらっている。
船内の一室、擬似的な教室として使用している部屋を覗き込む。
子どもらしく走り回りたいだろうに、子どもたちは大人しく教本を手に机に座っていた。学校の授業と同じ形態で、5人がけの机が2つ並ぶ対面に座っているのがレーラル女史だ。成人でもヒトの子どもの身丈ほどしかないスルタン族なので、彼女の授業はもっぱら椅子に座ってのものとなる。
「あ、ライカさま!」
「ライカさまだ!!」
私の姿を目ざとく見つけた子どもたちへ微笑む。どうやら皆特に不調なく元気でいるようだ。ひとまずは安心した。
「レーラル女史、子どもたちの様子は?」
「これはこれはライカ様。今ちょうど歴史の授業をするところでして、よかったら見学していきますか?」
「皆がよければ」
椅子の数は空いている。後ろの方の空いている席にお邪魔させてもらうとしよう。
よいしょと椅子を引いて、それから授業に耳を傾けた。
「今日は歴史の続きからだったわね……えぇと、どこまでだったかしら?」
「ずぅっと昔の話だよ! カミサマがいたときの!!」
「あぁ、そうでしたそうでした。やだやだ、思い出せないなんて歳かねぇ……」
苦笑したレーラル女史は教本を開く。歴史の項目の2ページ目でしたっけ、3ページ目だよ、と生徒である子どもたちに訂正を受けている様子を見ながら、私もまた隣の席の子に教本を見せてもらう。
教本にしては珍しく、色とりどりのインクで描かれた緻密な絵が見開きいっぱいに描かれている。
左のページには右側に向けて手をかざす人間の姿が描いてあり、右のページには集中線で示された光と、左側へ向けて流れるような細やかな模様が記されている。
「この絵のタイトルは……」
「しってる! このまえ聞いたもん!!」
「ゲンショのケーヤクってやつ!!」
「えぇ、ソルカくん。正解よ。これは『原初の契約』。神々と人間が本来あるべき姿です」
原初の契約とは、古に神々と人間が結んだ契約のことだ。
人間は神々を信仰し、その信仰に応じて神々は人間へ恩恵を与える。これでは神々の方が上位であるように解釈されるがそうではない。神々は人間にその存在を認知されなければ存在することはできない。
荒れ狂うナルドの大海に水神の存在を見出すように、人間の信仰なくして神々は存在できないのだ。だからこそ、神々は恩恵をもってして『信仰されるべきもの』として人間に自身の存在を認識されようとする。
お互いに与え合う関係。それが原初の契約だ。
「信仰は神々にとっての食事のようなものなんです。そして、その信仰を与えられるのは人間だけ。そして、与えられた信仰に応じて恩恵を返す」
それが神々と人間の関係だった。お互いに支え合い、共存する対等な関係。
しかし、それはあることを契機に断ち切られる。"大崩壊"と呼ばれる災厄である。
「次のページに……えぇ、この見開きがそうです。この絵は"大崩壊"をモチーフに描かれたものとされています」
先程の図版と構図は同じだが、少し様相が違う。左のページに描かれた人間は膝をついて四つん這いになり、右のページにあった集中線で示された光は消え、空虚な空白がある。規則的に流れるような模様は、風が強い日に開け放たれた窓で踊るカーテンの影のように乱れ狂っている。
その絵を破るようにして、四隅から入る黒いひび割れ。世界の災厄、"大崩壊"だ。
「何があったのか……まではわかりません。ただ、この時世界に未曾有の災厄が起きたと言われています」
具体的に何があったのかまではわからない。だけども未曾有の大災害と言われている。神秘学者が言うには、大陸が半分消し飛ぶほどの大破壊が起きたという。
そしてそれは、人間の側が引き起こした大災厄であった。人間は神々との対等な関係を断ち切り、神を殺害せしめた。……というのは吟遊詩人が歌う誇張された昔話だが。
「そして、不信の時代が訪れます。神々は世界から去り、人間は孤独となった」
何の因果があったのかまでは判明していないが、伝えられる歴史曰く、神々に対して人間は信仰を捨てたという。
信仰がなければ存在できない神々にとっては死活問題だ。存在が弱まり、権能が失せた神々は恩恵を与えることができない。それでもって、人間は神々を『殺した』。
たくさんの土着神が信仰の破棄によって存在を殺された。しかし、世界の基礎を築いた元素の神々はかろうじて殺害を免れた。さすがに世界を形作ったものとなると信仰を捨てたくらいでは消滅しきれなかった。
しかし大きく力を削がれたことには変わりなく、最後の力を振り絞って神々は神の世界を築いてそこへと逃げ込んだ。
そうして、世界は人間のものとなり、神々とは隔絶された。それが不信の時代だ。
「ここまでは前にやりましたよね?」
「フシンのジダイからは初めて聞いた!!」
「……あら」
それでは話はそこからか。では話を少し巻き戻して、とレーラル女史が不信の時代について再度語る。
子どもたちは神妙な顔でうんうんと聞いている。つられて私も神妙に聞き入ってしまう。
「それで、1000年後、再信の契約が結ばれることとなります」