幕間小話 森の囁きが響く里
樹のクラン"トレントの若木"の本拠地はミリアム諸島にあり、その中心には巨大な木がある。
見上げても頂点が見えないほどのそれはミリアム諸島最大の巨木だ。ツリー・クィホロと呼ばれるその巨木は森の精霊トレントの本体でもある。
そのトレントの本体でもある巨木の幹に絡むように足場を組み、住居を構えたのがリシタの里だ。トレントの本体に寄り添うことを許されたリシタの里はミリアム諸島の中心地である。
そんな情報を反芻しながらナフティスは浜辺に降り立った。
転移武具でリシタの里に直接転移してもよかったのだが、一応礼儀ということで水のクランの土地から旅客船に乗ってミリアム諸島、そしてリシタの里へと向かっていく。
商船や旅客船が接岸する外縁部の里はそうでもないが、中心部ともなると樹のクラン特有の排他的な気質が色濃い。
「待て」
「何者か」
リシタの里の入り口、蛇腹に組まれた階段の前には木製の槍を構えた防人が立っていた。
褐色肌銀髪の女が2人、そして休憩所か待機所らしい階段脇の小さな小屋にもまた褐色肌銀髪の女が2人。
彼女らは樹のクランの大勢を占めるアレイヴ族だ。褐色の肌と銀髪、そして尖った耳が特徴だ。防人と薬師の2人ペアで活動する彼女らは再信審判でもその猛威を振るう。樹の属性が示す『侵食』のように、じわじわと迫ってくる。先の再信審判において、水のクランが敗北した原因でもある。
「俺の名前はナフティス。身分については水のクランに問い合わせても構わない」
再信審判の前だ。外部の人間はことさら警戒するだろう。だから正直に身分を明かす。離反したというくだりは置いておいて、水のクランに所属する人間であると名乗る。その身分に訝しむところがあれば水のクランに問い合わせろとまで言う。
普段の軽薄な口調を削り落とした真剣な声音で用件を語る。
「目的は内偵じゃない。むしろそちらの首領に知らせたいことがある」
「……ほう」
防人のひとりがナフティスを見、頭飾りを兼ねた繊細な細工の兜の下の緑の目を眇める。
小屋の薬師2人もナフティスを検め、何やら手話で幹の集落の人々と連絡を取り合っている。
それからややあって、防人が口を開いた。
「知らせたいこと、と言ったな。その内容を聞こう」
ただし、この場で。里に入ることは許さない。
そう言って防人が道を譲る。幹に板を渡した階段から、護衛を何人か連れたアレイヴ族の女が降りてくる。肩で切りそろえた銀髪から覗く耳はアレイヴ族特有のもので、新緑の色の石をはめこんだ耳飾りを提げている。耳飾りと同じ色の瞳は厳格という言葉をそのまま映したように鋭い。他の者よりいくらか立派な身なりをした彼女が樹のクランの首領なのだろう。
そう判断し、ナフティスがその場に膝をつく。首領に対する最大限の礼でもって恭しく跪いた。
「俺、いえ私はナフティス・ニウィスルイナ・ウィドと申します。此度は樹のクラン首領、リネ・トレント・ラトロレーウ様にお伝えしたいことがあり参上しました」
名乗りの際には、名と姓の間に所属クランの名を挟む。自分がどこの誰か、身分を示すために必要なこの慣習は原初の時代からあったという。
信仰により、親子でも所属クランが違うことがある。そのため家名よりもクランが重要視される。姓の部分はもはや同名がいた場合の補足に近い。
水のクラン"コーラカル"ではなく別のクランの名を挟んだ。しかも聞き覚えのない名だ。『伝えたいこと』に関連するのだろうと判じ、樹のクラン"トレントの若木"首領リネは続きを促した。
「は。イルス海よりこの地を悩ませる海賊ですが、つい先日、我ら"ニウィス・ルイナ"が平定いたしました」
事態は現在進行系だし、海賊の一部を自陣に加えただけ。平定とは言い難いのだが、あえて誇張して伝える。
その誇張がリネの心を動かしたようだ。詳しく聞かせろ、と老木のような声で話を追求してくる。
「まずは我らの自己紹介から。我らは"コーラカル"より派生したクラン"ニウィス・ルイナ"と申します」
信仰する神こそ同じだが、再信審判へ臨む方針の違いで離反し、北の大地に新たに築いた新規クランである。
まだまだ無名の弱小なれど、こうして海域の安全を確保するだけの技量と力を持っている。
それを認め、どうか"ニウィス・ルイナ"が再信審判に参加することを承認してほしい。
恭しく、そう伝える。ここで自分がミスを犯したら樹のクランからの承認は得られない。事態を自分の手で摘み取ってしまう。ナフティスは緊張しながら懇願を重ねる。
「どうかあなたがたの末席に加えていただきたい」
「用件は承った。だがそれを今ここで決めるわけにはいかぬ。トレントの託宣を待たねばならぬ」
「存じております」
どうか検討のほどを。地面に這いつくばるほどに低く頭を下げた。
***
面白い。リネの正直な感想はそうだった。
鮮やかな髪色から察するようにこの男はベルベニ族だ。自由と奔放を愛する風の民は礼節や規則というものを軽んじがちだ。時には無礼な振る舞いさえある。
そのベルベニ族が使者となり、こうしてほぼ完璧な作法で頭を下げている。極寒の雪の中に咲く花を見つけたような気分だ。
ベルベニ族がその奔放さを捨ててまで仕える相手というものには興味がある。
それに、新しいクランと言っていた。これまでクランを立ち上げたので再信審判に加えてくれと言った集団はいくらでもいたが、今回のそれは今までのものとは違う気がすると直感が告げている。
同じものを大樹の精霊も感じ取ったのか、外部からの干渉に対して拒絶の態度を取りがちなトレントも今回はその方針を曲げた結論を出した。実際に新クランの指導者と対面し、気に入れば樹のクランとして承認を出してもよい、と言ったのだ。
「これは、とんでもないことになるやもなぁ……」
ぼやいた声は森の葉擦れの音に消えた。




