幕間小話 神の国とは
「ひとつ、お聞きしたいのですが」
「はい?」
ふと、リグラヴェーダに問われた。
彼女の言うことを要約するに、再信審判というものについての質問だった。
真実を司る氷神を信奉する信徒はそれゆえに世界の真実や物事の本質に近いところにいる。平たく言えば、『すべて』の答えを知っている。そのため再信審判には参加しなかったのだが、そのせいでリグラヴェーダには私たちが何をどうして何がしたいのかがわからないのだ。再信審判に関する基礎的な知識が欠けている。
「再信審判の意義について、『神の国へと至る』とお聞きしました。……では、神の国へと至ってどうするのです?」
「えーと……」
おっと基礎の基礎から来た。再信審判に勝ち、神の国へと至る。その意味についてだ。
氷神の信徒は真実に近しいところにいるからこんなこと知っていると思っていたのに。いや、あえて問うことで答え合わせをしたいのかもしれない。氷神が抱く真実と、私たちが真実だと思っているものに差異がないかを。
「この世界は壊れているんです」
"大崩壊"により、この世界は壊れてしまった。それまで当たり前にあった原理は正常にはたらかなくなり、社会の秩序は壊れ人心は乱れた。
火は水をかければ消える。温度がゼロを下回ると水は凍っていく。そんな常識さえまともにはたらかない世界。事象は反転し、崩壊していた。
そんな混乱は一瞬だったが、その混乱の記憶は人々の心を歪めた。争いは絶えなくなり、世界を荒廃させた。ついには大陸ひとつ丸ごとを土台にした巨大な国家が更地となってしまうほどに。
「再信の契約により、神々の加護を得てどうにか世界は持ち直しました。でも、危うい状態ではあります」
この世界は危ういバランスの上で成り立っている。少しでも均衡が崩れれば起きるのは2度目の"大崩壊"だ。
だから神々は新しく世界を作った。しかし小さな箱庭はこの世界の人間すべてを擁するには狭かった。"大崩壊"という裏切りを受けたこともあり、新世界に招く人間の選定の必要があった。
そこで作り出したのが再信審判というシステムだ。それぞれが信奉する神々への信仰でもって争い、勝った者にのみ新世界に招く。
「負けた者はどうなるのです?」
「再信審判で死んだ者、あるいは再信審判に参加せずにこの世を終えた者は魂の循環により転生するとされていますね」
死んだらそれっきりなんてことはない。わけあって再信審判に参加できない身の上であるかもしれない。そういった人のために『次』があるというわけだ。
そうして、努力を怠らない限りいつかは神の国へと至ることができる。タブーを犯さない限り、何度でも転生することができる。無限に『次』がある。何度繰り返すはめになるかはわからないが、諦めなければいつかは必ず報われる。
「タブー?」
「たとえば休審期に前回の再信審判のことをあぁだこうだ言ったりとか」
個々人が愚痴るくらいならいいが、そのことを引き合いにして外交問題を起こすとか。
先んじて競争相手を滅ぼしておこうと考え、他のクランの領土に派兵して戦争を起こしたり。
要するに、『クラン同士争うのは再信審判の時のみ』と限定したルールを破った時だ。
そういうことをした人間の魂は転生することなく深淵に送られる。そこには万物を食らう化け物がいて、魂を食って消滅させてしまうという。
「再信審判は戦争のような血なまぐさい行為ではない、ということでしょうか? どちらかといえば、決闘のような……」
「さぁ、戦争という概念は辞書にしかないので……」
クラン同士の戦いはタブーに触れるので国家間の武力衝突というものがわからない。
リグラヴェーダは知っているのだろうか。知っているのだろうなぁ。
「話を聞くに、そのような印象を受けます」
各クラン同士はいがみ合うことなく、互いの信仰を尊重する。交易もするし人のやり取りもする。
そして審判の時期になればお互いが『今度こそは』と意気込んで支度する。それはまるで、自慢の兵士を送り出して行う決闘のようだ、と。
「まぁ、そうなのかもしれません」
戦争か決闘か。否。これは審判だ。
我々が神々の信頼に応えるに十分な人間であるかを問うための。神々の信頼に応えることのできる人間であると証明するための。
だから信頼だけは裏切ってはならないのだ。私はそう信じている。そしてその信念は曲がることはないだろう。
「聞かれてばかりもあれなので、質問し返してもいいです?」
「はい? なんでしょうか。ファムファタールの言うことでしたら何でも」
真実に近しいところにいるという氷の民であるリグラヴェーダなら知っている……と踏んで訊ねよう。
「神の国はどういうところか知ってますか?」
「それは……えぇ……度し難い質問ですね……」
何でも答えると言った手前はぐらかせない。そんな困ったような顔をする。
「私も実際に見たことがないので伝承ですが……招かれた魂は塔に送られると言われています」
「塔」
「えぇ。塔を象徴とする世界に招かれるのだ、と」
全文が『そう言われている』と締めくくられる伝聞調だらけの伝承なので正確なところはわからないという。
神の国が塔を象徴とする世界だというのなら、成程。語っておいてなんだが、世界の拡張とやらのイメージが掴めなかったのだが塔という伝承を得て納得した。世界の拡張とはすなわち、塔を上に建て増ししているようなものなのかもしれない。
イメージがぴったりと重なって腑に落ちる。うんうんと納得の頷きを繰り返す。
「私もいつか行けるでしょうか?」
「えぇ。行けるでしょう。私が保証いたします、ファムファタール」




