レイテツ
“近藤勇の新選組”を大きく出来るなら、なんだってしてやる。手段なんざ選んでいられねぇ。
そう決めたはずだ。
迷うな。
「来るかもわかんねぇ援軍なんか待ってられっか」
新選組局長・近藤勇の部屋では、幹部隊士が膝を突き合わせて密談の最中だ。後世に有名な池田屋事変・元治元年六月五日の黄昏時である。
「何処に何十人が潜んでいるのかすら分からないのに……危険過ぎるよ」
苦々しく舌打ち混じりに吐き捨てるのは、鬼の副長土方歳三、穏やかながら熱を持って窘めるのは仏の副長山南敬介だ。さらに続ける。
「古高奪還の為、屯所への襲撃も考えられるから、警備の隊士も置かなければならない」
「そりゃあ、あんたに任せる。病人を市中連れ回す程、俺ぁ鬼じゃねぇ」
何をいけしゃあしゃあと、といった心境が、この場に集う大多数のそれである。
ふくよかな白い頬を赤く染めつつ押し黙る山南が飲み込んだ正論を引き継ぐのは、当時は疑う者すらいなかったが、会津藩密偵だという説がある斎藤一だ。
「我々を市中連れ回す程の巡回を行うのでしたら、やはり援軍を待つのが得策でしょう」
会津藩桑名藩共に、自分が援軍要請をしたのだから必ず来る、との自信が伺える。
来られちゃ困るっつってんだ。
心中で毒づく、幼少期から喧嘩に明け暮れた土方には、野生の勘のような絶対的予感があった。
これは歴史に残る程の大事件となる。単独で成し遂げれば壬生狼と馬鹿にする京の民そして日本中に、近藤勇の新選組ここにありと知らしめることができる。名を上げる好機を逃す訳にはいかない。
私情丸出しのこの男とは正反対に、ただ只管に国を憂うるのみの思考しかない男が漸く口を開いた。口調は重々しく、鬼瓦のような顔をこれでもかと顰めている。
「……こうしている間に、奴らは参集し、天子様そして大樹公に、もしものことが起きるかもしれぬ」
そんな考えは一切思いつきもしない土方は
「はっ?」
と、思わず素っ頓狂な声を上げそうになるのを堪えて目を見張った。互いにここまで徹底した熱中ぶりも珍しい。
商人として潜伏していた古高俊太郎を捕縛し、土方主導の凄まじい拷問により暴露された計画は“祇園祭の宵宮、強風の日に、京市中に火を放ち、混乱に乗じて天子様を拐かし、京都守護職である会津藩主を暗殺する”との、まさかそこまで討幕派連中も大胆ではないだろうと半信半疑にもなりたくなる内容だ。
当時の土方は、そんな計画が実行されるとは思っていなかったのかもしれない。
ただ有力志士がとぐろを巻いて決集していることは間違いない。実行されようがされまいが、一網打尽にする絶好の機会であることは確かだ。
「いや、議論が大事なこともわかっているのだが」
表現方法は違えど、誰かさんと同じように仲間を何よりも大切に思っているので、隊士達への気遣いも忘れない。
「……俺を信じて、ついてきてくれないか」
「はい! お供します!」
何をどうするとの下知もないのに、即答する男がひとり。
と、いうのも彼にとって内容などはどうでもよいことだ。
近藤勇がどこで何をどうしようと、必ずついていくと心に決めて生きている。
沖田総司、そのひとである。
「まだ何も言ってねぇよ」
注意していなければ聞こえない程の小声だが、ついつい即座に突っ込む土方は、普段公式の場では鬼と冠せられる副長の威厳を意識した毅然とした態度を貫くが、幼なじみで兄弟盃まで交わした近藤よりも尚、この男の前では地の振る舞いが垣間見える。
切迫した場面での近藤もつい破顔する威力を、沖田の無邪気さは持っている。
沖田に続き、他の隊士も次々と近藤に応える。結局この集団の特に幹部連中は、近藤勇に惚れ込んでいる者ばかりだ。
同じ内容を土方が言ったとしたら、またも非難轟々熱い議論が展開するであろうに。
「新選組だけで強行突破する。二隊に分かれて、虱潰しで行こう」
抗うことのできない、大将たる器を近藤は持っている。
彼が続けて熱心に語り、周囲も涙ぐむ程の熱を持って聞き入る中、土方にとってはずっと気になっていた違和感をまた思い出していた。
沖田の様子がおかしい。
口許に笑みを浮かべ、自らのというより近藤のこれからの大舞台にわくわくしている、といった状態を隠せない彼のここ最近の様子が、目敏い土方からすれば明らかにおかしいのだ。
まずは、以前が怠けていた、という訳ではないが、隊務に対してやけに積極的であること。
新選組には死番といい、字で表すと物々しいが、数日前から心の準備をさせるという、ある意味作成者土方の気遣い溢れる制度がある。
要は四人一組で巡察に出掛ける時の隊列の先頭を務め、必然的に建造物や路地に入る時など、敵が潜んでいるかもしれぬ場に真っ先に入っていかなければならない者を日替わりで担当させる制度があったのだが、誰が希望したわけでないが暗黙の了解として、十ある小隊の隊長には死番は回って来ないのにも関わらず、言わずと知れた一番隊隊長である沖田は毎回のように死番を差し置いて真っ先に突入するので、死番としてはありがたい反面、副長にバレたらと思うと、というか当然バレているだろうから気が気ではないのだ。
そして、熱心に稽古に参加するようになった。
新選組幹部の母体である試衛館道場では塾頭を務め、
「身体で斬れ」
との彼の名言で残っている通り、とことん実戦剣法を意識した激烈な稽古の指導者であったが、上洛後しばらくは隙を見ては地域の子ども達と遊び回り、稽古はサボりがちになっていた。
温厚で真面目な井上源三郎に
「源さん、まぁた稽古ですか」
と声を掛け、
「わかってるなら顔を出しゃあいいものを」
と小言を言われる程であった。
しかし最近は剣術師範頭としての役割を全うし、隊士達に稽古を付けている。ただ塾頭時代とは打って変わって、終始笑いの耐えないような、冗談を言いながらの楽しげな雰囲気の稽古となっているのだ。
また、裕福な家庭は自宅に風呂があり、どこにでも湯屋があった江戸に住む者は日に三回は入浴するのが一般的だった当時、と言うのも頗る風呂好きとの気質ではなく、湿気や土埃がひどくて入らずには居られないとの理由だが、沖田は幼少期から風呂嫌いで、入る回数が少ない上に渋々入ったとしてもちゃんと洗ったのだかわからないようなカラスの行水であったのだが、今は人並みに風呂に入り、ついで身なりも、以前は何処に行くのにも稽古着でウロウロしていたのを改め、折り目のきちんと付いた袴に、総髪を江戸紫の元結でキリリと結っている。
これは明らかに……
「女でもできたか」
出動前、不逞浪士らに気取られないよう平装で分散しつつ祇園集会所に集まった隊士達が各々身支度をしている中、敢えてこんな場面で不意にススと傍に寄り、低い声音で囁いた。
狙い通り激しく動揺した沖田は、口に含んでいた茶を盛大に吹き出しそうになりつつ、少し咳き込んだ。
「はぁあ? こんな時になんで冗談なんか」
あからさまに軽蔑の視線で睨みつけながら、沖田には珍しくかなり怒っている。
「冗談じゃねぇよ」
何故か機嫌悪そうに土方は睨み返す。
驚かせて本心を聞き出すのが目的だった癖に、沸々と怒りが込み上げてくるのだから勝手なものである。畳み掛けるように話を詰める予定だった筈が調子を崩し、その隙に沖田はいつも貼り付いている小憎たらしくなるような笑顔に戻る。
「……だとしたら、なんなんです?」
沖田は女嫌いで通っている。
原因は土方にも推測でしかないが、武士の身分とは名ばかりの貧しい家に生まれ幼くして母を亡くし、姉に育てられていたが、妊娠を機に僅か九歳で試衛館に内弟子として出されたのを、本来長男であり跡継ぎである自分なのに、体のいい口減らしとして追い出されたと解釈していてもおかしくない状況であり、試衛館では近藤の義母に大層虐められていた、という生い立ちからか、もう二十歳にもなるというのに女っ気がまるでない。
江戸では吉原、京では島原や祇園と、必要とあらばすぐ近くで妓を買える環境であり、当時には珍しく給料制であった新選組の幹部隊士ともあれば十分過ぎる程の金もあったが、行く素振りすらない。
それだけであれば、剣術修行や隊務に忙しく遊ぶ間がないのかとの解釈もできるが、沖田はすれ違いざまに振り向かれるような典型的な美形であり、表面上は人懐こいのでかなりモテる。付き合いで揚屋に飲み行くことはあっても妓と戯れることはなく、素人女にまで代わる代わる言い寄られるのを
「修行中の身ですから」
と、全て袖にする末に出来た看板が、筋金入りの女嫌いである。
「もしかしてぇ、ヤキモチですかぁ?」
今度は土方が激しく動揺させられる番である。
「ッバカ! なんで俺が」
上京してからというもの、周囲には鉄面皮のように思われている土方の感情は、沖田になら手に取るようにわかる。それは特別に探ろうとしているわけではなく、幼少期から異様に他人の目を気にし、感情を読み取り、決して嫌われないようにしてきた彼に染み付いた癖である。
「わかりやすく慌てないでくださいよ、気色悪いなぁ」
溜息混じりの低い声で、本人にしか聞こえないよう念入りに呟くのも、当然、土方の心をわかっている上でこのような仕打ちをする程度に、自他共に認める鬼副長に負けず劣らず沖田は鬼である。
「だから違っ」
「そんなに心配しなくても、僕は誰のものにもなりません」
無論、あなたのものにも、との続きが今にも聞こえてきそうな冷ややかな眼差しだ。
近藤隊と土方隊に分かれての出動であり、沖田は少数精鋭かつ現在では周知の事実の通り大当たりを引くことになる近藤隊に属し、互いに命の保証はない。
一騎当千国士無双だとでも自負していそうな二人は例外かもしれないが、今生の別れを連想しても当然の状況であるにも関わらず、あまりにも短い新選組の歴史上最も長く熱い夜の幕開けには、あまりにもあっさりと捨て台詞を残し身を翻す沖田の姿があった。
彼にとって絶対の存在である近藤の、下知と勝鬨の大音声が響いたからだ。
沖田の変化を恋患いと認識したのは、土方が終生後悔することになる誤解である。
しかし、変化の真実の理由を土方が知っていたとして、沖田を行かせないとの選択肢を彼は選べなかったであろう。
冒頭の通り信念を貫くと、もう何年も前……近藤を大将にすると誓った時に決めてしまっている。
「ばいばぁい、歳三さん」
「黙れクソガキ」
名前で呼ぶのを止せと次ぐ頃には、もう姿はなかった。
了