第9話 何の為に
「では、今回の一件について」
黒マントが頷いた事を確認して、切り捨てジャックはそう話を切り出した。
刃を思わせるその瞳は、しかと黒マントの姿を捉えている。
「何故モスマンの群れが現れたのか、お聞かせ願えますか?」
「無論だ。とは言っても、そう複雑な話ではない」
黒マントもまた、仮面越しに切り捨てジャックと目を合わせた。仮面で知覚されにくいとはいえ、ここで目を逸らすのは不誠実だと考えていた。
「大方、魔界から流れ着いたモスマンどもが、あの廃工場を異界化して密かに繁殖を繰り返していたのだろう。野放しにしておくのは危険だったからな」
「成る程。では」
切り捨てジャックの目が細まる。それはまるで、黒マントの一挙手一投足を見定めているかのようだった。
「あなたは何故、そこに介入してモスマンの群れと交戦したのですか?」
「…………」
「プテラブレードを助けたという話もそうです。巷で噂にまでなっている、正体不明の“怪人黒マント”。誰かを助けるような行動をしていると思いきや、その正体を隠すような立ち回りも、噂の内容からは見えてくる。その目的はあまりにも不明に過ぎます」
虚偽や誤魔化しは通用しないだろう。そんな確信が黒マントの中にはあった。切り捨てジャックの右手は、いつでも抜刀して居合切りへと移行できる態勢に見える。
彼は見定めているのだ。“怪人黒マント”の正体が正義の超人なのか、或いは……
「あなたという存在が善か悪か、私たちはそれを測りかねています。もしも、あなたが悪の超人であるならば」
一呼吸が置かれる。
「切り捨てるのみです」
ピリッ、と周囲の空気が張り詰める。
ゴクリ。誰にも聞こえないよう最大限に音を殺して、黒マントが唾を飲み込んだ。それを感じ取ったのかそうでないのか、切り捨てジャックの眼差しが更に鋭さを増していく。
そんな時である。
「まァまァ、その辺にしておき給エ」
飴玉が1つ、宙を舞う。放り投げられた飴玉をキャッチしながら、切り捨てジャックは話に割り込んできたプロフェッサーの方を見る。
目線が交差。やがて切り捨てジャックは溜め息をつき、包装から出した赤い飴玉(イチゴ味のようだ)を口の中へ転がす。
それを見てウンウンと頷きながら、プロフェッサーは黒マントを見た。純白の仮面に隠された黒マントの表情を見る事はできないが、それでもプロフェッサーは彼を推し測ろうとしている様子。
「イヤ、悪かったネ。ジャック君も悪い子では無いんだが、君の事を警戒しているのだヨ」
「……失礼しました。確かに、少し冷静ではありませんでしたね」
申し訳なさそうに眉を歪ませながら、切り捨てジャックが頭を下げる。黒マントへの警戒心は薄れていないようだが、それでも先ほどのようにピリピリとした気配は収まっていた。
頭を上げた彼に対して、黒マントは「いや、いい」と手で制する。
「当然だろう。正体不明の謎の“怪人”などを、誰が信用できるものか」
「それ自分で言っちゃうのネ……まァ、それはいいだろウ」
パン、と手を叩くプロフェッサー。
「君がモスマンと交戦していた理由は分かっタ。では、次の質問ダ」
「……何だ?」
「何故、君はモスマンの存在を知覚できたのだネ? 廃工場の異界化が解除されたのは、巣立ちを迎えたつい先ほどの事だろウ。そして君は、異界化が解除されていの一番にここへ駆け付け、モスマンと交戦しタ」
沈黙する黒マント。
前述の通り、虚偽の類いが通用しない事は分かり切っている。切り捨てジャックとプロフェッサー・キャンディ、2人の強者を相手に言いくるめができるだけの技術を、黒マントは持ち合わせていなかった。
数秒ほど思考を巡らせた末、黒マントは正直に話す事を選択する。
それは先に挙げた理由もあるが、何よりも──
──憧れのヒーローたちに対して、嘘はつきたくない。
正体を隠すような立ち回りを続けている事が誠実か、と言われれば返答に困るが。それでも黒マント──翔は、目の前のヒーローたちにきちんと話そうと考えた。
「パトロールだ」
「……パトロール、ですか?」
「ああ。夜の街を回って、ヴィランや魔界の怪物を討伐している。今回の交戦もその一環だ」
しかと、2人のヒーローを見据える。仮面の向こう側から覗く黒マントの目に宿る感情を、果たして彼らはどのように受け取っただろうか?
「1年前から、ずっと続けている」
「……ハハッ」
乾いたような笑い声を漏らしたのはプロフェッサー・キャンディだ。彼は自らの額をペシンと叩きながら、やれやれと呆れたように笑う。
しかし、その笑い声には黒マントに対する嘲りの感情は無いように感じられた。彼が呆れているのは、果たして黒マントか自分たちか。それとも、両方に対してか。
見れば、切り捨てジャックもまた、腕を組みながら溜め息をついている様子。
どうやら彼らは、黒マントが嘘をついているとは思っていないらしい。
「いやはや、これは参ったネ。巷で噂の“怪人”君は、1年前からこの街を守っていたのかイ。ハハッ、ヒーロー歴で言えば私たちよりも上ではないカ」
「いいや」
首を横に振る黒マント。その態度には、プロフェッサーの発言に対する明確な否定の意が含まれていた。
「俺が相手をしてきたのは、せいぜい木っ端の下級悪魔や破落戸程度だ。大物ヴィランなどを相手に活躍してきたあなた達の方が、より世の人々の為になっている」
「フム、それは視点の違いだろうサ。一口に下級の悪魔と言えども、一般人にとっては猛獣よりも脅威として……」
「それに」
ピシャリ。プロフェッサーの言葉を上書きするように放たれた一言。
「俺は、ヒーローではない」
それは、プテラブレードとの会話でも言い放った言葉。彼自身の、譲れない一線。
自らの発言を反芻するように、黒マントは何度も何度も繰り返し首を振る。
“怪人黒マント”という存在を「ヒーロー」として定義する事は、他ならぬ黒マント自身が許容しないのだ。まるで、それが自らの在り方とでも言うかのように。
「俺に、ヒーローと呼ばれる資格は無い。俺はただの“怪人”、それでいいんだ」
「……ふむ」
声を漏らしたのは切り捨てジャックだ。彼は、黒マントが「違う」と否定するだろうと予測した上で、敢えて確認の為に質問を投げかける。
「では、怪人であると?」
「いや」
切り捨てジャックの予想通り、黒マントは否定の言葉を発する。
無論、切り捨てジャックとて黒マントがヴィランであるとは思っていない。ただ、黒マントの正体と目的が見えてこない事に対して警戒心を抱いているだけなのだ。
それを知ってか知らいでか、黒マントは言葉を続けていく。
「俺の目的はヴィランと怪物の排除。人を害する事は決してしない」
「噂話におけるあなたの目撃証言があやふやになっている事に関して、あなたが記憶消去などの手段を講じているのでは、とされていますが?」
「その通りだ。……だが、それは俺に関する情報をあやふやにする為のもの。直近の十数分ほどの記憶にしか干渉していない」
切り捨てジャックの目線が鋭くなる。悪影響を最小限に収めるべく加減をしているとはいえ、記憶の消去などというある種強引な手段を当人が肯定してしまったのだから無理もないだろう。
喉を鳴らす黒マント。2人の様子を見て、プロフェッサーが「まァ、待ち給えヨ」と割って入った。
「“怪人黒マント”君、君は自分の目的を『ヴィランと怪物の排除』と言ったネ?」
「ああ。俺はその為に活動している」
「では、聞くガ」
モノクルの向こう側で、プロフェッサーの目つきが研ぎ澄まされた。それは切り捨てジャックのような刃そのものとも思える鋭さではなく、年老いた者のみが出せる人生の重みにも似た、強い説得力を含む知性の目だ。
「──君は、何の為にヴィランと戦っているのだネ?」
黒マントの動きが硬直する。胸の底から湧き上がってくる動揺を必死に押し戻そうと、思考が停止してしまう。
チラリ、と目線で悟られないように努めながら、2人のヒーローの様子を伺う。彼らは黒マントから目を逸らす事なく、じっと彼を見定めていた。
聞かれたくなかった事。誰からも隠していた事。ずっと目を逸らし続けていた事。
それを真正面から、憧れのヒーローに問いかけられた事で、黒マントは仮面の裏側で激しく動転する。
「そ、れは……」
「ヴィランを倒す、怪物を倒す。それは『目的』ではなく『手段』だろウ。目的とは、例えば正義、例えば復讐。或いは報酬を求めて。名声を得る為、というのもあるかもしれないネ」
顎髭を撫でるプロフェッサー。そのダンディに満ちた立ち振る舞いは、このような状況でなければ、見る者を惹く絵になっただろう。
「アア。先に言っておくが、私は報酬や名声を求めてヒーロー活動を行う事を否定する訳じゃないヨ。如何なる理由でも、命を懸けて戦っている事に変わりは無いからネ」
「ヒーロー登録をすれば、ヴィランの検挙等、功績を挙げる事によって役所から謝礼金が貰えますからね。それで生計を立てているのが、私のような専業ヒーローです」
横から口を挟む切り捨てジャック。混乱する思考を何とか御しつつ、黒マントは彼の言葉を「知っている」と肯定した。
この世に超人が現れて以降、現在に至るまでに様々なトラブルがあったと聞くが、それらを乗り越えて今のヒーロー制度がある。
そういった社会は、超人や戦えるだけの力を持った人々がヒーロー登録を行い、ヴィランや怪物の討伐で報酬を受け取る。そんな、所謂「職業ヒーロー」という存在さえ生み出していた。
そこで、プロフェッサーが「サテ」と咳払いをしながら話題を戻す。
「改めて聞こうカ。“怪人黒マント”君、君は何の為に戦っているのだネ? 自己の為、他者の為、或いはその両方カ」
「…………俺、は」
押し黙る黒マント。どうにかして言葉を紡ごうにも、舌は持ち主の意思に反して思うように動かない。
言うべきか、言うべきでないか。激しい葛藤が黒マントの心中で渦巻いていく。
そんな黒マントの様子を見て、プロフェッサーが更に口を開こうとした矢先だった。
「……フム、どうやら時間切れのようだネ」
「これは……」
唐突に、周囲にサイレンが木霊する。日本人であれば誰もが聞き覚えのあるその音は、紛う事なく警察のサイレンだ。
全身から僅かに力を緩め、切り捨てジャックが「ふぅ」と溜め息を1つ。
「ヴィランを発見した際、返り討ちにあう事による二次被害を防ぐ為に、ヒーローには事前の通報が推奨されています。それ用のガジェットも配布されていますからね」
「そうか……そうだった、な」
「そうとモ。サテ、“怪人黒マント”君」
プロフェッサーは黒マントから1歩後ろへと退き、彼が動きやすくなるようにスペースを空けるような動きを見せた。
一体何を、と首を傾げる黒マントに対して、彼は「何をやっているのだネ」と一言。
「正体を悟られたくないのだろウ? 行き給え、警察の面々には私が上手く誤魔化しておくヨ」
「……いいのか?」
「答えられないのも、何か理由があるのでしょう? 今は聞きませんよ」
そう言って、肩を竦める切り捨てジャック。
彼らの言葉を数秒かけて認識し、黒マントはペコリと頭を下げた。
「すまない、恩に着る」
「恩と思う事は無いサ。……ああでも、最後に1つだケ」
「何だ?」
いつでも動き出せる態勢の黒マントに対して、プロフェッサーは懐から飴玉を1つ取り出し、彼に投げ渡した。
それを見事にキャッチする黒マント。彼の様子に「ウム」と頷きを1つ残し、プロフェッサー・キャンディは別れ際の言葉を贈る。
「せめて、自分の在り方が『善』であるか『悪』であるかだけはハッキリ提示しておき給エ。今の君は、最悪の場合ヴィランと見做されるかもしれないヨ。私からの宿題ダ」
「……善処する」
たった一言。
黒マントの左袖から糸が射出され、靴底のルーンと合わせて彼を闇夜へと飛び立たせる。
やがて、あっという間に黒マントの姿は見えなくなり、代わりに警察のサイレンが直ぐそこまで迫ってきていた。
切り捨てジャックは浅めの溜め息を吐くと、プロフェッサーへと向き直る。
「良かったのですか? 私としても、彼が悪であるとは思えませんでしたが」
「君の言う通りサ。私も、彼は悪ではなく──」
フイ、と虚空へ目線を向ける。
3人の活躍によってモスマンの群れが排除された今、廃工場の周辺を支配するのは夜の冷たい空気のみ。
プロフェッサーは僅かに灰の匂いが残る空気を吸うと、味わうように口で転がし、ゆっくりと吐き出した。
「紛う事なき私たち側だと思うヨ。少なくとも、彼にはそう呼ばれるだけの資格があル」