第6話 闇夜で蠢くヤツラ
「──ぃ。────ろ」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。誰を呼んでいるかは分からない。
「ぉ──、く──ぃ? 聞こ────」
ボンヤリとした思考の靄に包まれながら、翔は夢の中で微睡んでいた。
靄の向こうに見えるのは、栗色のポニーテールが揺れる同年代の少女。1対の双剣を佩いた憧れのヒーロー。
彼女が自分に背を向けて、凶悪なヴィランや怪物どもと戦いを繰り広げている。
彼女が剣を振るう度、ヴィランどもは斃れていく。ヴィランどもが武器を振るう度、彼女は傷ついていく。
「──ろ! く──、く──ぃ!」
翔は手を伸ばす。必死になって、傷ついていく彼女の背へと手を伸ばす。しかし、どれだけ伸ばしても靄の向こうへは届かない。
彼女の力になりたい。彼女と共に戦いたい。彼女と肩を並べたい。幾多もの衝動が靄の中を駆け巡る。だが──
──違う。
彼女と力を合わせてヴィランどもと戦いたい、自分もヒーローになりたい。成る程、それらの衝動は確かに本心だ。紛れもなく、翔が抱いている純粋な欲望だ。
けれど、違う。翔が最初に抱き、それらの欲望の起点となった「夢」は似て非なるものだ。
それはある意味、最も子供らしい願い。ヒーローになりたい、などという願いよりも一笑に付されるだろう夢。
それでも翔は求めていた。自分はヒーローになれない、なれるだけの力が無いと気付き、挫折してもなお。その「夢」だけは諦めきれずに燻っていた。
「ぃ──まで────んだ! 早──」
そして翔は“怪人黒マント”になった。ともすれば、その夢が叶えられるかもしれない状況。いつの間にかその「夢」は、“怪人黒マント”になった「目的」へと転じていた。
にも関わらず、黒マントは自らの正体を隠そうとする。「夢」に、「目的」に手が届くとしてもなお、黒マントはその機会をフイにするような立ち回りを続けている。
夜の闇に紛れて活動し、目撃者の記憶を消して回る。それは果たして、翔が夢描いたヒーロー像なのだろうか? いや、そんな訳が無いだろう。
それでも翔は、自らの「夢」を、「目的」をひた隠しにする。例えそれが、「夢」を叶える機会を遠ざけてしまう事になろうとも。
嗚呼、何と矛盾した心理だろうか。これでは一体、何の為に“怪人黒マント”としての道を選んだのか──
「起きろ黒井! もう昼休みだぞ!」
そして翔の意識は、現実世界へと浮上し、覚醒に至る。
■
「うわ──とっ、と、おわっ!?」
クラスメートの声で飛び起きた翔は、勢い余って座っていた椅子ごと後ろへ倒れ込んでしまう。
ガッシャン! という音と共にひっくり返った翔を見て、彼を起こしたクラスメートたちは呆れたように、やれやれと首を横に振る。
「ようやく起きたか、バ翔め。もう昼休みだってのにいつまでもグースカ寝てやがって」
「ああ、ゴメン。寝ちゃってたのか」
「応よ。いつ先生にバレるのか、俺たちヒヤヒヤものだったんだぜ?」
腕を組み、フン、と鼻を鳴らすクラスメート。彼の仕草に、起き上がった翔は思わず申し訳ないと頭を掻く。しかしまだ眠いと目を擦り、「ふわぁ」と欠伸を1つ。そんな翔の様子を見たクラスメートたちは、ますます呆れ果てていた。
「しっかし珍しいな、黒井が居眠りだなんて。なんかあったか?」
「どうせコイツの事だから、新しいスクラップブックを作るのに熱中してたんじゃないか?」
「昨日はやってないよ。スクラップブックを作ったのは一昨日」
「どっちにしろ作ってんじゃねぇか……」
翔のヒーローオタクっぷりは留まるところを知らない。それをよく知っていた筈の生徒たちは、その事を今再び思い知った。
「でも、本当にどうかしたのか? お前さんが授業中に居眠りするなんて、これまで無かった気がするぞ」
「んー……」
何かを考えるような仕草を見せる翔。彼の脳裏に思い浮かび上がるのは、昨晩の一件。憧れのヒーローであるプテラブレードと共闘し、ヴィランと交戦した真夜中の出来事。
あの後パトロールを終えて家へ帰った翔は、様々な感情が複雑に入り混じり、精神が興奮して暫く眠れずにいた。
朝起きてネットやニュースを確認したところ、どうやらプテラブレードは黒マントの存在について言及はしていなかった様子。
公に“怪人黒マント”の存在が認知される事は無かったが、それでもSNSや掲示板などでは「黒いマントの人物を見た」などというレスポンスをチラリと見かける。
これはあまり歓迎できない事態だ。ネットに出回った噂を完全に消し去るのは限りなく不可能に近い。とはいえ、あの場で目撃者1人1人に対して記憶消去の魔法を施す訳にもいかない。
また、当の翔自身も、あの時介入した事を後悔しているかと言えばNOだ。あそこで介入しなければ、プテラブレードがどうなっていたかなど、あまり想像したいものではない。
それに、あのヴィランの行いによって既に被害者が出ていたらしい。幾ら正体を隠したいと言えども、あの場を放置する事は翔の正義感が許さなかった。
「特に何かあった訳じゃないと思うけどね。疲れが溜まってたのかも」
故に翔は、この場は誤魔化す事を選択した。
まさか「“怪人黒マント”の正体は自分で、深夜のパトロール中にプテラブレードと協力して人喰いのヴィランを撃退した」などと、クラスメートたちに馬鹿正直に言える筈も無し。
「そうか? それならいいんだが……あんまり不摂生もよくないぞ?」
「と、昨日深夜遅くまでMMOやってたアホが言っております」
「貴公……っ! 言うてはならん事を言いよったな……っ!」
流れるような動作で取っ組み合いに移行する。騒がしくも決して不快ではないクラスメートのやり取りを見て、翔は小さくクスリと笑みを浮かべた。
そこへ、教室の扉がガラリと大きく音を立てて開けられる。決断的な勢いで教室へと入ってきたのは、自称情報通の女子生徒である池原だ。手には、たった今購買部で購入してきたらしき総菜パンが握られている。
「おいっすー。あら翔ん、ようやく起きたの?」
「池原さん。まぁね、お恥ずかしいところを見せちゃった」
「いいって事よ。翔んの寝顔という、ある意味ヒーローの話題よりレアなモノ見れたしねー」
口に手を当てウフフと笑う池原。彼女の言葉を受けて、翔は「参ったな……」と照れ臭そうに溜め息を吐く。
そんな翔の様子を見ながら、池原は「それよりさー」と口を開いた。
「翔んはもう聞いた? “怪人黒マント”の最新情報!」
「ああ、昨日聞いた噂の続きかい? 池原さんも好きだねぇ」
「なんだ池原、まーた与太話聞かせるつもりじゃないだろうな?」
「マー、今の段階じゃあ、まだまだ与太話の範疇かもねぇ。ソースもSNSとかだし」
池原の言葉に、ギクリと身を強張らせる翔。彼女が何を言おうとしているのかを理解した、してしまった。
「昨日の深夜、住宅街でプテラブレードと謎のヴィランが交戦してたってのは皆も知ってるだろうけど、その現場に“怪人黒マント”もいたって噂があるんだ! 何でも黒マントは、暫くプテラブレードと──」
ああ、やっぱりか。ウキウキとした様子で饒舌に語る池原の姿を見ながら、翔は嫌な予感が当たってしまったと溜め息を1つ。
クラスメートたちのガヤガヤとした会話を聞き流しながら、パトロールの見直しをするべきかと思案をし始めるのだった。
■
時は流れ、数日後。
翔──黒マントは、鉄塔の上に立って夜景を望んでいた。時刻は23時を過ぎたところ、真夜中と言っていい時間帯だろう。
「先日のヴィランが捕まったという話は聞いていない……まだ、この街のどこかにいる……!」
黒マントが何をやっているかと言えば、当然パトロールである。先日プテラブレードと共に戦った、人を喰らうヴィランの女性。取り逃がしてしまった以上、彼女の脅威は未だ健在という事だ。
プテラブレードが「次に会った時は逃がさない」と言っていたように、黒マントもまた逃げたヴィランに対して強い警戒を抱いている。
「これ以上範囲を広めると魔力が保たないか……? 一先ずは移動するべきか」
使い魔の鳩は先日よりも数を増やし、第3者に知覚されないよう認識阻害の魔法を施しながら飛び立たせている。
探知の呪いや人間のルーンによる悪意感知の術式も、持ち得る魔力をギリギリまで使い、より広範囲を探査できるように努めている。
余談ながら、人間のルーンとは文字通り「人間」の要素を司るルーン文字である。「人間関係」「人の振り見て我が振り直せ」などの意味を持ち、黒マントはこの解釈を応用して「我が振りを直す為には、人の振りを知覚できる必要がある」として、悪意感知の術式に転用している。
本来、こういった用法を想定されたルーン文字であるかは不明である。しかし魔術的な占いなどにおいては、あえてあやふやになっている意味・暗示を自分の都合のいいように解釈し、そのように指向性を持たせる事は常識に近い手段だ。
閑話休題。
「この辺りは問題無さそうだ。次の場所へ…………!」
この周辺に件のヴィランはいないようだと判断した黒マント。彼が新しく探査魔法の起点となる場所へ赴こうとした矢先、事態が動いた。
「ココッ、コー! コー!」
黒マントの耳に、彼が設定した魔法術式を通して使い魔の鳴き声が届けられる。使い魔が異変を察知し、発見したのだ。
直後には幾つかの探査魔法も同様に、街に起きた異変を黒マントへと通達する。使い魔と複数の魔法の情報を照らし合わせる事で、詳細な座標の特定もできている。
で、あれば。黒マントがするべき事はただ1つ。
「急がなければ……!」
黒マントが左手を前に突き出す。その長い袖で隠された小型ウィンチからアラクネーの糸が射出される。
遠く離れた鉄塔に糸が巻き付いた事を確認し、スニーカーの靴底に刻まれた馬のルーンへと魔力を流し込む。移動を司るルーン文字は黒マントの脚力を強化し、彼を鉄塔から飛び立たせた。
黒マントがするべき事はただ1つ。
現場に急行し、事態の収拾を図る事のみ。
■
そこはB市の外れにある小さな廃工場だった。夜中である事も相まって、人気などというものは一切無い。しかし、何か奇妙でおぞましい気配が周囲には漂っていた。
その入り口に降り立った黒マントは、異変が廃工場の内部で起きている事を察知する。
「念には念を、だな」
そう呟き、袖の奥からインク壺を取り出した。魔法道具制作の一環で黒マント──翔が自作したものであり、魔力を含有している為、儀式やルーンの刻印に用いる事ができる。
黒マントは壺の中に人差し指を浸し、指に付着したインクで自らの仮面にルーン文字を書き記す。
描いたルーン文字は松明。火や閃きを司るルーンだが、松明という「暗闇を照らす光源」としての性質を利用し、こうして暗視に転用する事も可能だ。
「……これはまた、随分と増えたものだな」
松明のルーンによって強化された黒マントの視力は、廃工場の内部で何が起きているのかを鮮明に理解する事ができた。
ウゾ。ウゾゾ。ウゾゾゾゾ。
おぞましく、怖気の走る異音。目の前に広がっていたのは、この世のものとは思えない──否、この世のものではない者どもが蠢く地獄だった。
「GEGEGEGEGE……」
「KUCOCOCOCOCOCO……」
人間と娥を粗雑に混ぜ合わせたような、凡そ人の世の住人とは思えない奇妙極まる容貌。ギラギラとした赤い目線が、暗闇の中で数多く蠢いている。
娥人間とでも言うべきそれらは、廃工場を自分たちの巣として繁殖を繰り返しているのだ。
「くそったれめ、よりにもよってモスマンか! 廃工場を異界化させてやがったな!」
モスマン。ここではないどこか、“魔界”より現れる異形の怪物、その一種である。文字通り娥と人間を混ぜたような姿をしており、牙には毒を持っている。そして、虫であるが故に繁殖力が高い。
何故ここまで増えているのか。何故今まで誰にも気付かれなかったのか。その理由はいたってシンプル。モスマンの群れがこの廃工場一帯を現世から切り離し、周囲から断絶された空間の中で仲間を増やし続けていたのだ。
そして廃工場は再びこの世へと戻ってきた。これが意味する事とは即ち──
「いよいよ巣立ちの時、という訳か」
ジロリ。赤く光るモスマンどもの目線が、黒マントへと集中する。黒マントが自分たちにとっての異物だと、敵だと、獲物だと認識したのだ。
相対する黒マントもまた、懐から幾本かのダーツを取り出している。その先端には、黒マント自作の猛毒が塗られていた。
「GISYAAAAA!」
暗闇を飛び出して、1匹のモスマンが黒マントへと襲い掛かる。大きく剥かれたその牙で噛み付かれれば、即効性の麻痺毒が黒マントの肉体を蝕むに違いない。
が、しかし。
「やらせるものかよ」
黒マントが手に持っていたダーツの1本を投げ放つ。彼の首元へ目がけて迫ってきていたモスマンの右目へとダーツが突き刺さった。
痛みと衝撃で、思わず軌道を変えてしまうモスマン。黒マントの横を通り過ぎ、地面にもんどりうって墜落する。
黒マントが仮面越しに横目で確認してみれば、その顔は苦痛に歪んだまま、瞳から光が消えていた。
数種類の毒草から抽出した毒素と、神話にも語られる蛇の怪物ヒドラの毒。そこに呪詛を混ぜ合わせた強力な猛毒は、1匹のモスマンの命を容易く奪い去った。魔界の住人の例に漏れず、モスマンの死骸はボロボロと灰に転じて崩れていく。
暗闇の奥で、ザワザワと騒ぎ出すモスマンども。幾つもの赤い目が絶え間なく揺れ動き、やがてそれらは黒マントを明確な敵対者だと認識するに至る。
一方の黒マントは右手に毒のダーツ、左手にルーンを刻んだカードを持っている。加えて、右手の袖からは青白磁色の鎖が見え隠れしていた。
公的機関に通報している暇は無い。これだけの数のモスマンが街へ放たれれば、発生する被害など想像のしようが無い。
「来い。1匹とて逃がすものかよ」
無感情でぶっきらぼうな声色。
仮面で表情が隠されてもなお、黒マントの戦意は明確にモスマンどもへと浴びせかけられた。