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第4話 真夜中のパトロール

 夜。

 太陽はとうの昔に地平線の果てへと沈み切り、代わりに三日月が宙を支配する。

 夜空を彩る幾多の星々も、無数の街灯が照らす現代日本においては観測し難いものがあるだろう、そんな時間帯。


 ビルの屋上から夜の街を見渡してみれば、ネオンの眩い光が、昼間と錯覚してしまえるほどに街や人々を明るく照らしていた。

 22時を過ぎているにも関わらず、ビル街は雑多な人ごみや行き交う車で騒がしい事この上ない。


 そんな夜の街の一角。ポツンと立つ廃ビルの屋上に翔──黒マントは立っていた。

 夜の闇よりも黒く思える漆黒のローブマントは、ネオンの灯りさえも寄せ付けず、廃ビルの暗闇に溶け込んでいるよう。

 そんな真っ黒マントに見合わないほど白い仮面の奥から、黒マントはじっと街を一望していた。


「……ここら一帯に異常は無し」


 ボソリ、とそう呟いた。やがて黒マントは徐に右手を前に出し、何かを待っているかのような仕草を見せる。

 状況に変化が現れたのはその直後だ。暗い暗い夜空の向こうから、1匹の鳩が飛んでくる。黒マントの仮面と同じくらい白く、綺麗な羽毛を持つ鳩だ。

 鳩は黒マントが突き出した右手に留まり、喉を鳴らして己の帰還を主に伝える。


「ポロロロロ……」

「ああ、よくやってくれた。良い子だ」


 黒マントが人差し指で優しく撫でると、鳩は気持ちよさそうに目を細めていく。

 この鳩は、厳密には生物ではない。黒マントが魔女術(ウィッチクラフト)の技術を用いて作成した疑似生命──使い魔(ファミリア)である。

 黒マントと鳩は視界共有の魔法で繋がっており、今のように黒マントが夜のパトロールを行う際、空から偵察する事で黒マントに街の状況を伝える役割を持っているのだ。

 加えて言うならば、使い魔の鳩はこの1匹だけではない。他にも何匹か飼っており、いずれも黒マントが自作したものである。


「この辺りは問題ないな。次は、住宅街に行ってみるか」


 黒マントが右手を挙げれば、留まっていた鳩もまた翼を広げて飛び立ち、黒マントが言った住宅街の方角へと飛び去っていく。

 それを見て、よし、と頷く黒マント。彼は同じように他の使い魔にも同様の命令を送ると、ザックザックと音を立ててビルの屋上を歩き出す。


 やがて彼は屋上の手すりに足を乗せると、すぅ、と息を吸う。体内の魔力を練っているのだ。

 次の瞬間、黒マントが履いているスニーカーの靴底が赤く輝き出す。それは明確に「明るい」と言えるほど強い輝きではないものの、傍目から見れば異常である事に間違いは無い。


 これもまた、簡易的ではあるが魔法の道具(マジックアイテム)の1つだ。

 黒マント──翔のスニーカーの靴底にはルーン文字が彫られており、魔力を流す事で彼の脚力・跳躍力を強化する効果を持っている。

 彫られている文字は(エワズ)のルーン。移動に関する要素を暗示するルーン文字だ。


 そうして、黒マントは手すりを踏み台に跳躍。すると、どうだろうか。凡そ常人とは思えない跳躍力で以て、黒マントは夜の街を飛ぶように飛び越えた。

 空中を舞う黒マントは、左手を前に突き出して袖の内側から糸を射出。近くにあった別のビルの手すりに巻き付かせ、夕方にやった時と同じようにウィンチで巻き取り始める。


 ルーンと糸の射出・巻き取りによって、黒マントは己の目論見通り、新たなビルの屋上へと着地する事に成功する。

 しかし、それだけに終わらない。着地した黒マントは間髪入れずに駆け出し、先ほどと同じように(エワズ)のルーンを起動。屋上から飛び出して、また新たな着地先へと向かった。

 ルーンが帯びる赤い輝きが、まるで虚空に線を描くように赤色の軌跡を残していく。


 ルーンで強化した跳躍力で飛び出し、ウィンチから射出した糸を巻き取る事で、まるでパルクールをやっているかのような三次元軌道を可能とする。

 黒マントとしての活動を開始した1年の間で、翔が編み出した移動法だった。


「さて、怪物どもが現れなければいいのだが」


 そう呟きながら、黒マントは人知れず夜の街を飛び抜けていく。

 この街に生きる人々は、都市伝説と謳われる“怪人黒マント”が自分たちの頭上を飛んでいる事など知りもしないだろう。

 ましてや──その目的が街のパトロールである事など。


 今のB市でその事を知る者は、誰1人としていない。





 翔が魔法道具職人(ウィッチクラフター)としての力を身に付け、密かに“怪人黒マント”としての活動を始めてから、ずっと続けている事。それは、夜の街のパトロールである。


 一般的に悪魔と呼ばれる怪物どもや、日夜犯罪行為を繰り返すヴィランは、何も白昼にしか行動しないなどというお行儀の良い存在ではない。

 むしろ日が沈み、闇が支配する夜に行動を起こす輩の方が多いと言っていい。


 故に、ヒーローたちの活動に昼夜は関係ない。公認ヒーロー(役所でヒーローとしての名義登録を行った者を指す)には、ヴィランや怪物どもに関する通報を傍受できるガジェットが配布されている事からも、それが伺えるだろう。


 さて、話を黒マントに戻すとしよう。彼が夜のパトロールを行っている理由は3つある。1つ目は無論、前述した通りのものだ。2つ目の理由は、自らの正体を隠す為である。

 暗闇の中であれば黒マントの姿も知覚されにくく、また彼自身の戦闘スタイルもあまり音を立てないものである為、夜の闇に紛れて行動する事は何かと都合がいい。

 何より目撃者の記憶を消すのであれば、その場の時刻が夜である方が、あやふやにしやすくて便利なのだ。


 尤も翔自身の技量不足によって記憶を完全に消しきれず、“怪人黒マント”という都市伝説が街で流行り出した事は、翔にとっても頭の痛い話であるのだが……


 そして3つ目の理由。それはいたってシンプルなものであり、翔がこうしたリスクを飲み込んでまで“怪人黒マント”としての活動を始めるに至ったもの。


──僕もヒーローみたいに街の平和を守りたい。


 昔であれば誰もが一笑に付しただろう、子供っぽい理由。しかし、今の翔にはその力がある。他のヒーローに比べれば非力であるが、怪物と戦えるだけの力がある。

 で、あるならば。何を迷う必要があるだろうか。これを愚者と呼ぶ者がいれば、その者こそが愚者だろう。

 故に翔は、都市伝説“怪人黒マント”として夜の街を飛び交っている。尤も──


「ヒーローと呼ばれる資格なんて、無いだろうけどな」


 2つ目の理由からなる黒マントの在り方は、3つ目の理由の根元である「ある理由」に反するどころか、大きく矛盾したものになっている。


 翔はその事を──誰よりも自覚していた。





 時は夜中の0時を過ぎた頃。普通の人間であれば、自宅の布団の中で微睡んでいるだろう時間帯。

 そんな誰もが寝静まっている時刻に至ってもなお、黒マントは街のパトロールを継続していた。


「…………ふむ」


 器用にも電柱の上に立ち、使い魔の鳩に周囲を偵察させながら住宅街を見回す。

 黒マントがパトロールに用いるのは何も使い魔だけではない。

 例えば、人間(マンナズ)のルーンを応用した悪意感知の術式、或いは探知の(まじな)い。それらを幾重にも組み合わせて張り巡らせて、黒マントは事件の察知を試みているのだ。


「今日はやけに静かだな……魔力の流れも、普段に比べれば穏やか過ぎる」


 小さな呟きが、仮面の裏側から冷たい夜の風へと放たれる。

 平常時であれば、風が吹いて雲が流れていくように、大気中の魔力というものはある程度かき乱れているものだ。

 それが、今日はそうではない。上位の怪物が出現した時のような、大時化めいた荒れ狂い方とは真逆に。言うなれば、風ひとつない不気味な静けさが街を支配していた。


 黒マントの下へ、偵察に向かっていた使い魔の鳩たちが戻ってくる。黒マントがマントの袖を広げれば、鳩たちは勝手知ったると言わんばかりに袖の奥の深淵へと姿を消していった。


「何かある。そろそろ動いた方が──!」


 その時だ。まだ帰還していない鳩の1羽が、住宅街の一角で起きている異変を感知し、視覚共有の魔法を通して黒マントへとその事実を告げた。

 それだけではない。黒マントが街に展開していた悪意感知の術式や探知の呪いもまた、その異変を的確に察知する。


 そこからの彼の動きは速かった。使い魔から伝達されてきた情報、そして術式の反応から即座に現場へのルートを把握。左手の袖から糸が放たれるのと、靴底のルーンを起動して電柱から飛び出すのはほぼ同時だった。

 糸は少し離れたところの電柱に巻き付き、その軌道を上手くコントロールしながら、黒マントはアスファルトの地面へと着地。それと同時に(エワズ)のルーンを再び起動する。


 黒マントはまるでロケットの発射めいて上空へと吹っ飛び、電柱から巻き取った糸を、新たな電柱へと引っ掛けて巻き取る。

 落下するように、否、文字通り落下しながら目的地への最短距離を突き進んでいた。


「何事も無ければ……いや」


 移動中、ふと零した独り言を否定するように、黒マントは首を横に振った。


()()()()()()()。急がなければ」





「──チィッ!」


 夜の道路。乗用車はおろか、往き合う人すらいない、アスファルトとブロック塀に囲まれた空間にて。


 剣戟の音が、静かな道路に反響していく。電灯の光を反射してキラリと煌めく刃の軌跡が、敵の命を刈り取らんと弧を描いて繰り出された。

 しかし、その成果はどうだろうか。敵へ向けて放たれた一太刀は、当の敵が振るった腕によって防がれたではないか。


 ガキィン!


 金属と肉という、相反する物体同士がぶつかったとはとても思えない金属音が鳴り響く。直後、剣の持ち主は本能的に危険を感じ取り、その場から大きく飛び退いた。


 次の瞬間、剣の持ち主がいた場所を巨大な顎が過ぎ去り、ガブリと虚空を噛み砕く。見れば、鮫のそれを思わせる巨大な口は、肥大化した右腕の手の平が変化したものであるらしい。

 口の形に変化していた巨大な右腕は、見る見る間にその体積を縮小していき、やがて顎の痕跡など無いただの右腕へと戻っていった。


「その手品、どうなっているのかしら?」

「手品じゃないわよぉ。私のチカラ♪」


 道路の中心で対峙している人物はいずれも女性だ。妖しく点滅を繰り返す電灯が、彼女たちの姿を朧気ながらも照らし出す。


 剣の持ち主は、栗色の髪を持つ少女。彼女の荒い呼吸によって、栗色に染まったポニーテールがゆらゆらと風に揺れていた。

 加えて、彼女が身に付けている迷彩柄のダウンベストによって、豊かな双丘がより際立っているよう。彼女の顔つきや体躯から、少女が高校生ほどの年齢である事が伺えるだろう。


 何よりも目を惹くものは、少女の両手に握られた()()の剣。柄に翼めいた意匠の施された直剣(ブロードソード)が2本。それをそれぞれの手に握り締め、少女は目の前の敵をじっと見定めている。


「折角いい気分でディナーを楽しんでいたのにぃ、無粋な子豚ちゃんねぇ」


 対して、少女が敵対している女性は異質だった。血を思わせる真っ赤なドレスで着飾ったその女性は、そのグラマラスなボディと合わせて、一見すると妖艶な美女に見えるかもしれない。

 それはある意味で正しい。異なる点があるとするならば、見た目に魅了されて近付けば、その者の命は無いという事だ。


 その妖しげな顔と深紅のドレスには、正真正銘の血液──返り血が付着している。特に口の周りにはベッタリと血が染み付いており、これまでに()()()()()()()()()()を何よりも示していた。

 視線を落とせば、女性の足元には、また別の女性が横たわっている。いや、それは正確ではないだろう。既に事切れた女性の遺体が、そこには転がっていた。よく見れば、腹部を引き裂かれている事が分かる。


「そうして何人食べてきたのかしら? あなたみたいなヴィランを見逃していただなんて、ヒーローとして情けない限りよ」


 キッ、と鋭い視線をヴィランの女性に投げかける少女。対するヴィランは艶やかな笑みを浮かべ、ペロリと舌舐めずり。口の周りに付着していた返り血を味わうように舐め取った。


「そうねぇ……ざっと4人くらいかしらぁ? たぁくさん、甚振(いたぶ)って食べたのよぉ?」


 妖艶な笑みを浮かべて舌を躍らせるその様は、まるで美味しい料理を食べた感想を語っているかのよう。

 しかし、彼女にとっての「美食」が如何なるものであるのかを、ヒーローの少女は知っていた。それ故に、少女はより表情を強張らせ、剣の切っ先をヴィランへと向ける。


「あなたはここで倒すわ」

「やってみなさぁい。私も、あなたをたぁくさん甚振ってあげるわぁ!」


 高らかにそう叫び、ヴィランが腕を振るった。勢いよく放たれた右腕は、瞬く間にまるでゴムのように伸び、指の1本1本が槍めいて鋭利に尖っていく。

 一方の少女もまた臆する事なく、冷静に左手の剣を横に薙ぐ。そうすれば、指の槍はいとも容易く切り払われた。

 指を落とされたヴィランは、痛みに喘ぐ様子を一切見せる事は無い。それどころか、快楽の笑みさえ浮かべているようで。


「あなたも美味しそぅ……待っててね子豚ちゃぁん。たくさん甚振って、美味しく食べてあげるわぁ!」


 瞬間、ヴィランの左手が破裂した。厳密には、破裂するようにして、左手の筋肉が無数の槍へと転じたのだ。

 自らへと迫り来る肉の槍に対抗するべく、少女は両手に握った1対の直剣を踊るように振るう。彼女の踊りに合わせて胸が上下し、電灯の光に照らされ銀色に輝く刃は、少女の望む通りに虚空を舞う。


 襲い掛かる槍の嵐を悉く切り刻んでいくそれは、まさしく剣舞とでも言うべき華麗なもの。このような状況でなければ、少女には万雷の拍手が送られた事だろう。


 しかし。


「がっ、あ、うぅ……っ!」


 やはりそれにも限度がある。討ち漏らした肉の槍は少女の身体を掠め、その身に傷を刻み、赤い血を流れさせる。

 まるで網で覆い尽くすように、軌道を変えつつ四方から襲い来る肉の槍。それらは次第に、少女の負傷を増やしていった。


「さぁ、あなたはどんな声で啼くのかしらぁ、子豚ちゃぁぁぁん!!」


 トドメと言わんばかりに放たれるヴィランの右手。それは軌道上で奇怪な音を立てながら肥大化し、変形し、変質していく。

 やがてヴィランの右手は鮫と錯覚できるほどに大きく、鋭利な牙へと変形を果たした。ガチガチと歯を噛み合わせる顎は、今まさに少女のはらわたを食い千切らんと砲弾めいて宙を飛ぶ。


「不味ッ──!?」


 その時だ。


「──間一髪、か」


 ギチリ、と異様な音と共にヴィランの右手顎が空中で静止する。肥大化した肉は何とか動こうともがくも、ミチミチと音を立てるのみで動く気配を見せない。

 一体何が起きたのか。少女は瞬間的に理解できた。


 少女を喰らい尽くそうと襲い掛かっていた巨大な顎。それを食い止めるかのように、幾多ものか細い糸が絡み付いている。

 少女とヴィランは、ほぼ同時にある方向を見た。ヴィランの腕の動きを止めた糸の先、ブロック塀の上に立つその人物の姿を認める。


 漆黒のローブマントと純白の仮面で、素顔のみならず全身を隠し切った正体不明の存在。何の意匠も無い仮面越しに浴びせ掛けられる視線は、いっそヴィランであれば容赦をせずに済むのに……と少女に思わせた。


「あなた、は……?」

()の事はいい」


 くぐもった低い声。変声効果のある装備を身に付けているらしい。

 正体不明、ヒーローやヴィランかの判断さえつかない黒いマントの人物。彼は少女に向けて、ぶっきらぼうにこう言い放った。


「この場を何とかする方が先だ」

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