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第3話 彼が怪人になるまで

 “怪人黒マント”。

 あくまで都市伝説に過ぎない筈の存在が、しかし確かに女性の目の前に立っていた。


 黒マントは袖の奥から放ったミスリルの鎖で悪魔の動きを抑え込んでいる。

 悪魔はそれを何とかしようと画策するも、動こうとすればするほどに腕へと食い込む聖なる鎖は、ますます悪魔の腕を清浄な力で焼いていく。


 やがて、膠着するかに思われた状況が再び動き始める。

 黒マントが左手を掲げると、そこにはどこから取り出したのか数本のダーツを握っていた。よくよく観察してみれば、そのダーツの先端には紫色の液体が塗られている事に気付けるだろう。


 黒マントは躊躇う事もせず、左手に持ったダーツを悪魔目掛けて投げ放つ。彼と悪魔は鎖で繋がれている為、悪魔はそれを躱す事ができなかった。

 トスッ、と軽い音を立てて、ダーツが悪魔の腕や肩に突き刺さる。しかし、それ自体は悪魔に何の痛痒(ダメージ)も与えていないように見えた。


 一体何なのだろう? そんな女性の考えが覆されるのはその直後だ。


「GUッ……!? GA、A……A!?」


 突如として、悪魔がもがき苦しみ出した。喉を掻きむしり、鎖で縛られ動けないながらも、必死に自らの苦痛を全身で以て表現してゆく。


「い、一体……!?」

「GOッ、GAッ、GUッ……A、A……a…………──」


 やがてブクブクと泡を吹き出して、悪魔は力無くその場に崩れ落ちた。その瞳は濁り、泡の中から舌がダランと垂れている。

 誰がどう見ても、悪魔は絶命していた。


「ダーツには毒を縫ってある」


 黒マントが右手を振るうと、悪魔の腕を縛り付けていたミスリルの鎖はまるで生き物のようにうねり、シュルシュルと動き出す。そうして鎖はジャラジャラと音を立てながら、マントの袖の中へと戻っていった。


「4種類の毒草と、毒蛇ヒドラの猛毒。それらを混ぜ合わせ、儀式を以て呪詛を含ませたものだ。象さえも殺せる」


 そう言い放つ黒マント。その声色はいたって冷ややかなもののように女性は感じた。


 彼女が異音に気付いて視線を悪魔の死体に向ければ、悪魔の死体はブクブクと音を立てて沸騰し、灰へと転じていく。

 ヒーローやヴィランに疎い女性だったが、この現象に関しては知識があった。魔界の住人である悪鬼羅刹どもは、この世ならざる存在であるが故に、人界で死ぬとその身体は灰と化すという。


 そんな事を思い出していた女性がふと気付いた時には、黒マントが直ぐ目の前まで迫っていた。

 敵か味方かも分からない不気味な存在が、自分に迫ってくる。それは、悪魔に殺されかけた女性からすれば、更なる脅威のようにも感じられただろう。


「ひっ、ひぃ……!?」

「危険な事はしない」


 ぶっきらぼうに言い放たれた言葉。その言葉に続くように、黒マントの腕が女性へと伸ばされる。

 ビクリ、と身を弾ませる女性。それを意に介さず、黒マントは右の手の平を女性の額に強く当てた。


「お前は今見た事を忘れる」

「あ、あなた……」


 絞り出すような声。何をされるのかは分からないが、これだけは。

 そう思った女性は、腹の底から力を振り絞り、黒マントに対して誰何の声を上げた。


「あなた、は……街で噂になっている “怪人黒マ──」

「それ以上は言うな」


 女性の言葉を遮るように、黒マントは口を開いた。同時に、額へ押し付けられた手の平から淡い光が漏れ出てゆく。


「暫し眠れ」


 光は女性の額を伝って、彼女の全身へと染み込んでいく。そこに不快さはなく、どこかこそばゆく女性は感じていた。

 そこから何か言おうとするも力を出せず、やがて女性は瞼を閉じて倒れ込んでしまう。

 死んだ訳ではない。現に女性は、すぅすぅと寝息を立てて眠っている様子。


 それを確認した黒マントは女性を抱きかかえ、路地裏の出口にそっと横たわらせる。路地裏の壁にもたれ、女性は健やかに寝息を立てているようだ。


 ふぅ、と仮面の奥から溜め息が漏れ出る。仮面を脱ぎ、バサリとマントのフードを外せば、そこには──


「全く、楽な仕事じゃあないな」


 黒髪黒目の中肉中背。身に付けているローブマントを無視して顔だけを見れば、凡そ普通の男子高校生そのものに見える事だろう。

 それは紛れもなく、黒井 翔の素顔そのものだった。


 翔はローブマントを脱いでテキパキと折り畳み、腕に抱えるようにして手に持った。仮面も隠すようにして持ち、路地裏の出口をじっと見つめている。


「今度こそ記憶消去(メモリーウォッシュ)の魔法が上手く効いているといいけど……僕の腕じゃあなぁ……」


 そうぼやく翔。そこで彼は、自分のリュックサックをビルの屋上に放っておいてある事をようやく思い出した。

 また、あそこまで戻らなければならない。そう考え、やれやれと溜め息をつきながら、翔は路地裏を後にする。


 見れば、ビル街の遥か彼方の地平線へと夕日が沈んで消えていこうとしていた。女性と悪魔に介入して悪魔を倒してから、そこそこの時間が経ったのだろう。


「そうだ、警察に通報しないと……」


 そう思い立ち、翔はポケットからスマートフォンを取り出した。同様に小型の変声機を取り出し、通報したのが自分だと悟られないようにする。

 暫くして、プルルルル……というコール音が小さく街路の大気へと拡散していった。


 黒井 翔という少年が誰にも明かしていない重大な秘密。それは──


「女性が倒れている。場所は……」


──都市伝説“怪人黒マント”の正体が、自分であるという事だ。





「ただいま」


 自分以外に誰も住んでいない家へと、そう声をかけながら扉を開く。

両親が死んでから3年も経つというのに、家へ帰ると未だに「ただいま」と言ってしまう。そんな自分を、翔はまだ割り切れていないのかと軽く自嘲した。


 手には野菜や肉類が詰め込まれた袋が下げられている。どれも、先ほど翔がスーパーで購入したものだ。

 リビングへ入り、パチリと部屋の電気をつけてみれば、まだ3年前と同じ気配がするように翔は感じた。

 しかし直ぐに、いや、と否定するように首を振る。


「いつになくセンチだな、僕……」


 小さく溜め息をつきつつ、リビングからキッチンへ。テキパキと袋の中のものを冷蔵庫へと詰め込んだ翔は、リビングを出てある場所を目指す。


 そこは、かつて物置きだった場所。ガラリと扉を開けば、色んな雑貨がところ狭しと詰め込まれていた場所は、今は地下へと続く階段へと変貌していた。

 翔は用意してあったスリッパを履くと、躊躇もせずに階段を降りていく。


 パッコ、パッコと、スリッパの音が地下空間に反響する。やがて1つの扉へと行き着いた翔は、その古臭い匂いがする石の扉を開け放った。


 内部は、凡そ一般的な住宅のそれとは言い難かった。

 棚の中でところ狭しと置かれている、奇怪な生物のホルマリン漬け瓶、或いは何かの薬品の瓶。かと思えば、隣の本棚には名状し難い文字の綴られた分厚い本が並んでいる。

 何種類もの魔法(ルーン)文字が刻まれた大釜、プランターの中で青々と茂る薬草、奇妙な気配を帯びた機織り機。

 そんな部屋の奥には、ところどころが焦げたり、何かの薬品が染み付いた跡の残った机が置かれていた。


 椅子に腰かけて、ようやく一息つけたと言わんばかりに、肺の中の空気を一気に吐き出していく。

 くるりと部屋中を一望してみれば、そこには翔がこの3年で構築してきた魔法の工房(アトリエ)が広がっていた。

 その視界の隅、衣類をかけておくハンガーラックには、漆黒に塗り潰されたローブマントがかけられている。丁寧に手入れされているらしく、そのマントには皺1つとして無い。


 翔はそんな部屋の空気を、すぅ、と吸い込んだ。口の中で味わうように転がし、肺に届ける。そして、はぁ、と吐き出した。

 翔の家の地下に広がる魔法の工房。その存在を知る者は、彼のクラスメートの中には1人もいない。





 翔が誰にも話す事なく魔法使いの道を志した事に、別段特別な事情は無い。正確には、それほど劇的ではない、というだけだが。


 彼は元々、幼い頃からヒーローに憧れていた。弱きを助け、悪しきを挫く。そんなヒーローの在り方に深く、強く感銘を受け、全てのヒーローに尊敬の念を抱いていた。それ自体は、高校2年生となった今でも変わる事は無い。いや、昔よりも更に強く尊敬していると言っていいだろう。


 翔には夢があった。いつか自分もヒーローになり、憧れのヒーローたちと共に肩を並べる。そんな、幼い子供が抱く淡い夢が。

 しかし悲しいかな、翔にはそれを成し遂げるだけの力が無かった。生まれついてのスーパーパワーは無く、戦う為の才能も足りていない。


 それは何も、翔に限った事ではない。ヒーローに憧れる子供たちは皆、ヒーローと肩を並べたいと願い、自分にはその力が無い事に気付く。そうして折り合いをつけて生きていくのだ。

 無論、翔もその1人だった。彼はその小さな挫折を胸に、自らを「ヒーローを応援する側」だと割り切って生きていく事にした。


 そんな翔の人生に転機が訪れたのは3年前、彼が中学2年生の頃だった。

 翔の両親が、交通事故で死亡した。ヴィランや怪物は何も関わっていない、ただの交通事故だった。

 当然ながら翔は酷く悲しみ、落ち込む日々が続いた。しかし父の兄、つまり伯父が後見人になってくれると聞き、悲しみながらでも、少しずつでも折り合いをつけていこうと決意する。


 その矢先だった。遺品を整理する為、翔が両親の書斎を訪れていた時。

 翔の父親は、大の骨董品マニアだった。母親もオカルトの類いが好きで、2人が世界中の古美術商から買い求めていたという中世の魔導書(グリモワール)(尤も、真贋については眉唾ものだが)が書斎には多くあった。

 その他にも様々な書籍が数多くあり、その影響で翔はファンタジーやオカルトに造詣が深くなっていったのだが、今は置いておく。


 書斎の整理中、バランスを崩した本の山が翔を襲い、大量の魔導書が床に散乱してしまう。

 やれやれ、また直さないと。そう考えていた矢先、翔の視界に1冊の魔導書が飛び込んできた。正確には、その魔導書の存在に()()()()()()()()


 両親が買い漁っていた大量の魔導書。その中にただ1つ、本物の魔力を帯びた魔導書があったのだ。

 魔導書が宿す魔力を感じ取り、翔は本能的に理解した。理解できてしまった。

 自らに──魔法使いとしての素質がある事を。


 それ自体は特筆するべき事ではない。一説によれば、人間の凡そ6割は、多かれ少なかれ魔法使いの才能を持っているという。魔法使い(ミスティック)系の超人も多く確認されているが、そういったスーパーパワーとは違う普遍的な要素だというのが定説らしい。

 多くの人間が己の才能に気付かず一生を終える中、翔は本物の魔導書を見つけた事で、自らに眠る才能に気付く事ができたのだ。


 恐らく魔法使いとしての才能が無かったのだろう両親は、それが本物であると知らずに購入し、書斎に置いておいたのだろう。尤も、魔導書であるという時点でオカルト好きの両親にとっては当たりなのだが。


 思い立った翔は魔法の事を隠し、伯父に無理を言って元の家で一人暮らしをさせてもらう事にした。そうして3年後の現在に至るまで、翔は魔法の勉強をする傍ら、この家で一人暮らしを続けている。


 翔が読み進めていく内に、その魔導書は中世の魔女が記したものである事を知る。

 魔女(ウィッチ)。それは薬品や祭祀具など、魔法の道具(マジックアイテム)の作成に長けた魔法使いたちであり、中世のカトリックによる魔女狩りによって絶滅したとされていた。


 しかし、その意思は途絶えていなかった。魔法の道具(マジックアイテム)の作成方法について──魔女術(ウィッチクラフト)と呼ばれる魔法体系についてを記した魔導書が、現代まで残っていたのだ。


 その魔導書には様々な事が記されていた。

 薬草の栽培方法や調薬から、魔法陣の描き方、魔法を用いた布の編み方、儀式に使うインクの作り方、使い魔の作り方、ルーン文字の刻み方、呪術、占星術、その他諸々(エトセトラ)

 この魔導書こそが、翔にとっての魔法の“先生”だった。


 慣れない一人暮らしに四苦八苦し、魔法の練習をしては何度も何度も失敗を繰り返し。2年前に知り合った魔術系の人物に頼み込み、家の地下に工房を用立ててもらい。

 季節が巡り──今から1年前、高校に入学したばかりの頃に。


 翔は決心した。「ある目的」を果たす為に。

 魔力を糸にして紡いだローブマントと、変声の魔法を込めた仮面。そして多種多様な魔法道具を手にして。

 彼は密かに、誰にも悟らせる事なく、魔法道具職人(ウィッチクラフター)“怪人黒マント”としての道を歩き始めたのだった。


 尤も、「ある目的」は達成できていないどころか、より遠ざかっているのが現状であるのだが……





 パチリ、と翔は目を覚ます。彼が、自分が椅子に座ったままうたた寝をしていた事に気付くまで、そう時間はかからなかった。


「いけないいけない……今、何時だ?」


 翔が壁にかけられた鳩時計に目を向けてみれば、時刻は20時を過ぎたところ。夕飯時はとうに過ぎている。

 寝過ごしてしまったか、と翔は大きな大きな溜め息を1つ。


「仕方ない……行こうか」


 彼は自らの頬を叩くと、ハンガーラックにかけてあったローブマントを手に取った。机の上の仮面をひったくり、慣れた手つきでマントと仮面を身に付ける。

 具合を確かめ、良しと頷く。


「夕飯はおあずけだ。パトロールに行かないと」


 そう言いながら工房を後にして、地下階段をカツカツと昇っていく翔。

 彼が黒マントとしての活動を始めてから、ずっと続けている事。


 それは──夜のパトロールである。

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