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第18話 意志の雷鳴轟いて

 日本某県B市、馬宮交差点。

 ここは今、戦場と化していた。


「GYAAAOOOOO!!」

「ちょっと五月蠅い! “ラプトルクロー”!」


 プテラブレードが双剣を振るう。まるで恐竜(ヴェロキラプトル)の鈎爪のような構えから放たれた1対の刃は、魔界の怪物をサクリと切り裂いた。

 絶命しその身体を灰へと変えゆく怪物の死体を蹴り飛ばし、その勢いで横方向へと跳躍。空中で素早く態勢を整えて、次なる怪物の懐へと飛び込んでいく。


「“ケツァールスティング”!」


 右手に握られた直剣(ブロードソード)は、その鋭い切っ先を怪物の土手っ腹へと、ズブリと沈み込ませた。プテラブレードはそのまま、怪物の腹を足場に左手の剣を振るう。

 怪物の首が宙を舞った事を切り応えから確認すると、視認する事なく怪物の腹を蹴り飛ばして跳躍した。


「GOGEEEEE!!」


 空中へと躍り出たプテラブレード。それを隙と見た怪物どもは、彼女の柔らかな肢体を食い千切らんと一斉に飛び掛かる。

 対するプテラブレードは一切動揺する事もなく、両手に持った双剣をしかと構える。


「“パラサスパイラル”!」


 腰の捻りを利用して回転し、螺旋めいた軌跡を描きながら双剣がキラリと踊る。驚異的な身体能力から放たれた回転切りは、プテラブレードの命を狙った不届き者どもをズタズタに引き裂いた。


 ボロボロと崩れていく怪物どもの死体。

 それによってできた灰のカーテンを突き抜けて、プテラブレードは当然のように華麗な着地。

 パラパラと落ちてくる灰を、剣に付着した血液ごと振り払い。プテラブレードは「ああ、もう!」と声を荒げた。


「一体何なの、この数は!? それに……」


 プテラブレードの死角から迫る肉の鞭。彼女はそれを視覚ではなく直感で察知し、振り向き様に切り捨てる。

 真っ二つになった肉塊の一撃はプテラブレードの横を振り抜けると、轟音を上げてコンクリートを打ち砕く。


 着弾による風圧を肌に浴びながら、プテラブレードはキッとした敵意の視線と共に、騒動の根元を睨み付けた。


「まさか襲撃された護送車に乗っていたのが、あなただったとはね……!」

「AAAAAAAAAAAA!! AAAA,AAAAAAAAAAAAA!!」


 大きさは2階建ての住宅ほどだろうか。それほどの体躯を持ったそれは、最早「人」ではなく「肉の塊」と形容した方が的確に違いない。

 粘液(スライム)を思わせるほどにブヨブヨとした肉の集合体。辛うじて、元々は手足だっただろう部分を視認する事はできるが、凡そ人型とは言い難い。

 その肉塊の頂点、つまり頭部のみは、未だ人の形を保っていた。しかし、目の焦点が合わず狂った表情のそれを「美女」と呼べる人物はこの世に存在すまい。


 そしてそんなクリーチャーの至るところには、牙を生やした口が見え隠れしており、そのどれもがダラダラと涎を垂らしていた。


 一体誰が信じられるだろうか? このクリーチャーの正体が、人を喰らう妖艶な美女──ヴィラン“悪女野風”であった事などを。


「まったく、イメチェンにしてはハリキリ過ぎじゃないかしら?」

「軽口を言っている暇があったら──」


 プテラブレードの後ろから迫り来る鬼型の怪物。咆哮を上げながら爪を振り上げた直後、怪物の首がコロリと路面に転がった。

 怪物の首を刎ね、スタッと着地した人物。右手に刀を持ち、左手は鞘を手で固定している彼こそ、プテラブレードの仲間たる切り捨てジャックだ。


「1体でも多く切り捨ててください。こいつらのせいで、肝心の悪女野風まで近付けないのですから」

「ん。分かったよ、ジャックさん」


 クルクル。手の内で双剣を転がすように弄ぶプテラブレード。決してふざけている訳ではない。彼女なりの予備動作(ルーティーン)だ。

 それを横目で見ながら、切り捨てジャックもまた刀を手早く鞘へと納める。


「私と教授が露払いを担当します。プテラブレードさんは怪物どもを蹴散らしつつ悪女野風のところへ!」

「オーケー、分かった!」


 磁石が反発するかのように、プテラブレードと切り捨てジャックは全く正反対の方向へと駆け出した。


「GYOGYOGYOGYOGYO!!」

「GISYARARARA!!」


 この世のものとは思えない不快極まる叫びを上げながら、怪物どもが大群で押し寄せてくる。

 このまま行けば、切り捨てジャックは怪物どもの暴威に晒され、骨も残らないだろう。しかし、ヒーローがそう簡単に斃れる訳もなし。

 切り捨てジャックは砕けかかった路面を力強く踏み締めると、怪物の群れへと飛び込むと同時に抜刀。


「“切り捨て御免”!」


 一瞬の内に怪物どもを切り伏せ、灰の中を突っ切って次なる獲物へと向かおうとする。

 ゾワリ。背中に走る悪寒に、靴底でブレーキをかけて立ち止まる。切り捨てジャックの背後から迫るのは、彼の背丈を悠々と超える巨大な鬼の怪物。トロールと呼ばれる種であり、魔界の恐るべき尖兵だ。


「TOROOOOOOOON!!」


 トロールは半分ほどが折れた電柱を担いでおり、まるで野球のバットか何かのように電柱を振り下ろす。

 頭上へ迫る電柱に対して、切り捨てジャックは身体を半歩横にズラすのみ。たったそれだけで、電柱は彼に傷1つつける事すら叶わず路面を打ち砕いた。


「TOROッ!?」

「大振りが過ぎます」


 先ほどまで片手で持っていた刀を両手でしかと持つ。そうして握り締めた無銘の刀を、切り捨てジャックは素早い構えから上段で振り下ろした。


「“無礼討ち”!」


 放たれた一刀は、切り捨てジャックよりも大きな背丈を持つトロールの頭蓋を叩き割った。

 ドスン! と音を立てながら崩れ落ちるトロール。それを一瞥すらせずに納刀し、ふぅ、と呼吸を1つ。


「プテラブレードさんじゃありませんが、如何せん数が多過ぎる……一体どうして、これほどの数が突然……?」

「恐らク」


 カッコと靴音を鳴らし、切り捨てジャックの傍までやってきたのはプロフェッサー・キャンディだ。

 彼は懐から取り出した飴玉(ブドウ味のようだ)を口の中で転がし、ステッキでカッツと路面を叩く。


 それだけで、今まさに2人へと襲い掛かってきた怪物は全身を凍結させて崩れ落ちる。


「悪女野風が原因だろうネ。奴の額に、賢者の石が埋め込まれているのは確認済みダ」

「賢者の石、ですか。強力な魔法の道具(マジックアイテム)とは聞き及んでいました……がッ!」

「GYAGOッ!?」


 卓越した居合切りによって怪物が切り捨てられる。

 意識の外を突くかのように、その死体を乗り越えて次なる怪物が現れるが……


「“ママレードニードル”」


 路面から生えた氷の棘によって心臓を穿たれた。

 灰へと転じるそれを無視して、プロフェッサーは切り捨てジャックの言葉に「アア」と返答する。


「その認識で構わないヨ。問題は、その賢者の石が暴走状態にあるという事ダ」

「暴走……それで奴は、あのような姿に?」

「だろうネ。そして、暴走した賢者の石の異常な魔力反応によって……」

「魔界の怪物どもが活性化した、と。そういう事ですか」

「アア。そして私の推測が正しけれバ、悪女野風を排除すれば怪物どもモ──ッ!」


 同時に、その場から飛び退くプロフェッサーと切り捨てジャック。

 次の瞬間、彼らがいた場所を巨大なハンマーが粉砕した。ハンマーの持ち主はトロールだ。しかも、先ほど切り捨てジャックが相対した個体よりも巨大である。


「TODOOOOOROOOOON!!」

「“キャラメルバインド”」


 プロフェッサーがカッツとステッキを鳴らす。

 直後、彼の足を起点として凄まじいスピードで路面が凍り、やがてそれはトロールの足を伝って下半身までもを凍らせた。


「TODOROッ!?」

「“切り捨て……二連”ッ!」


 2撃。切り捨てジャックの抜刀と共に放たれた()()の居合切りは、一瞬でトロールの頸椎を切り倒す。

 灰となって腐り落ちるトロールの死体。トロールが持っていたハンマーの上に着地すると、切り捨てジャックは舌打ちをした。


「我々3人だけでは無理があります。機動部隊も頑張ってはいるようですが……他のヒーローはどうしたんですか!」

「悪女野風が怪物どもを呼び寄せた事は先ほども話したガ……どうやら他の地区でも怪物の群れが活性化(スタンピード)を起こしているらしイ。警察の無線を傍受しタ」


 顎髭を撫でるプロフェッサー。冷静を装ってはいるが、彼もまた徐々に余裕を無くして焦っている事を、仲間である切り捨てジャックは見抜いていた。


「マスター・キー君も蓮君も、他のヒーローたちは別の地区で戦っているそうだヨ。つまりこの場は、機動部隊と我々『樫の杖の七番目(セブンスオブオーク)』が何とかするしかないという事ダ」

「成る程、それは退屈しませんね!」


 先ほどプテラブレードに注意していたにも関わらず、切り捨てジャックもまた軽口を1つ。

 そんな折、2人の耳をつんざくような爆音が交差点に轟いた。


 2人が音源の方向を見てみれば、そこにはボロボロになりながらも敵を睨みつけるプテラブレードの姿。

 彼女が相対する敵と言えば、悪女野風以外にはあり得まい。


「AAAAAAAAAA!! KO、BU、TA、CHAAAAAAAN!!」

「うるっ……さい! あなたみたいなゲテモノ崩れはご遠慮させてもらうわ!」


 悪女野風の全身に生えた口の幾つかが、触手へと転じてプテラブレードへ襲い掛かる。

 プテラブレードはそれを切り捨て蹴飛ばし、或いは躱す。彼女に切断されてビチビチと路面を跳ねる触手は、まるで魔界の怪物と同じように灰へと変わり崩れ去っていった。


 既にプテラブレードのダウンベストは至るところが傷ついており、彼女のチャームポイントである栗色の髪も砂埃でくすんでいる。

 綺麗な顔からが血が流れ、双剣もまた切れ味を鈍らせていた。


 それでも。


「絶対、諦めない!」


 自分を奮起させるように叫ぶ。

 狂ったような……否、気狂いそのものな雄叫びを上げる悪女野風に負けないように、大声で自らの勇敢さを奮い立てる。


「あたしは負けない! 絶対、絶対……ッ! あなたみたいなヴィランには、絶対ッ!」


 手の内で双剣をクルクルと転がす。それが彼女なりの予備動作(ルーティーン)


「あなたのせいでたくさんの人が困ってる……苦しんでる!」


 しかと悪女野風(ヴィラン)の醜悪な相貌を睨みつける。

 その目には確かな闘志と意志、そして勇気が宿っていた。


「なら、あたしはそれを止めなくちゃならない。あなたを倒さなくちゃならない!」


 路面を力一杯に踏み締める。プテラブレードのスーパーパワーは足にも宿り、砕けかけたコンクリートが更にひび割れていく。


「何故なら! それが、それこそが──」


 足場を蹴り飛ばし、一気に駆け出した。その衝撃でコンクリートの路面が音を立てて割れ砕ける。

 プテラブレードは双剣を握り締め、悪女野風ただ1点へと向けて走り抜ける。


 悪女野風が迎撃するべく触手を歪ませる。プテラブレードを餌と認識した怪物どもが迫り来ていた。

 それがどうした関係無い。それら如きが、彼女にとっての障害などにはなり得ない。

 何故ならば──


「あたしがイチバン格好いいと信じる、ヒーローの在り方だからッ!」


 それこそが、英雄(ヒーロー)の在り方である。





「────」


 翔は、呆然としていた。


 戦場と化した交差点から、少し離れた場所のビル。中にいた人々はとうに避難を終え、最早誰もいない無人の建造物。

 その屋上で、翔は交差点を一望していた。


 彼の目の前に広がっているのは、苛烈極まる“人界”と“魔界”の戦い、その縮図。

 地獄の深淵から這い出てきた魑魅魍魎、悪鬼羅刹の数々。その脅威と暴威は、人間たちの築き上げた秩序と平穏を砕かんと、その爪を振るい牙を剥く。


 その脅威に立ち向かうは、桜の代紋を纏う警察の機動部隊。彼らは度々、税金泥棒などと賢しらに揶揄されるが、人々の幸せを守る為に尽力している勇士たちだ。


 そして──今なお死闘を繰り広げている3人のヒーロー。

 プテラブレードが双剣を振るい、切り捨てジャックが一刀の下に切り伏せ、プロフェッサー・キャンディが魔法を放つ。

 新進気鋭のヒーローチーム『樫の杖の七番目(セブンスオブオーク)』の面々。彼らは自らの武器を振るい、ヴィランや怪物どもに命を懸けて立ち向かっていく。


「凄い……」


 思わず声が漏れる。

 そこにあったのは、翔の憧れそのものだった。

 ヒーローと共に戦いたい、ヒーローと肩を並べたい。


──自分もヒーローになりたい。


 10年以上前に諦めた筈の欲望が、ふつふつと湧き出してくる事を翔は自覚していた。


 自然と、握り拳が作られる。

 少し前までの翔ならば、一笑に付しただろう欲望。しかしヒーローと出会い語らった今、翔の思考には一石が投じられ、彼の心境には変化が訪れていた。


 しかし、それでも。それでも、だ。


「……できない」


 震える声。怯えるように、誰にも聞こえないほどか弱い呟きが虚空へ消える。


「……怖い、怖いんだ。ヒーローになる事が」


 彼の心を蝕むのは、小学生の頃にクラスメートたちからぶつけられた心無い言葉の数々。

 ヒーローと友達になりたい。そんな夢を残酷に嘲笑った悪意無き悪意。


 ゴクリ。

 大きな音で喉が鳴る。だがそれもまた、戦場の轟音の前に掻き消える。

 翔はじっと、交差点の戦場を俯瞰し続けていた。何か行動を起こす訳でもなく、呆然と。


 しかしそれ故に、戦況を誰よりも把握しているのもまた翔だった。


「不味い……このままじゃ……」


 つぅ、と翔の頬を汗が伝う。

 悪女野風の持つ賢者の石が怪物どもを呼び寄せている事は、魔女術使い(ウィッチクラフター)である翔も直ぐに理解した。悪女野風を倒せば、怪物どもの出現も収まるだろう。


 だが、数が多過ぎる。ヒーロー3人と機動部隊だけで、大量の怪物どもを退けながら悪女野風を葬る事は、果たして可能だろうか?

 見れば、ヒーローたちも徐々に消耗しつつある様子。特にプテラブレードなど、普段の凛々しさとはかけ離れているほど、全身をボロボロにしながらも戦っていた。


 状況はヒーロー不利。それが翔の出した結論。


 だが──。


「僕なら、きっと」


 視線を落とす。翔の目線の先には、学校を飛び出す際に引っ掴んできたリュックサック。

 そこに()()()()()()()()など、翔が一番よく知っていた。


 翔の呟きは、決して自惚れなどではない。

 魔法道具職人(ウィッチクラフター)である彼は、その技術で様々な魔法の道具(マジックアイテム)を制作してきた。それらの特性もあって、“怪人黒マント”は概ね絡め手系の戦闘スタイルを持つ。


 それ故、怪物どもの群れを1人で相手取るのは厳しいだろう。しかし、()()()()()()()()()()()()どうだろうか。絡め手を以て支援すべき対象が存在し、かつその対象への攻撃を阻む絡め手の技術が、黒マントにはある。


 加えて、黒マントにはある()()があった。それは行使する為の手間や火力から普段は使わない「とっておき」。

 それを行使すれば、或いは……


「でも……それ、でも……」


 声が震える。手が震える。身体が震える。

 呼吸が荒くなる。汗が幾筋も流れる。痛いほどに手を握り締める。

 自分があの場へ乗り込めば、或いは不利な状況を打破できるかもしれない。怪物どもを、悪女野風を倒せるかもしれない。

 それでも翔は、自らに根付く強迫観念(トラウマ)を完全に引き剥がせずにいた。


 そんな時だ。


「あたしは負けない! 絶対、絶対……ッ! あなたみたいなヴィランには、絶対ッ!」


 轟音が交錯する戦場においても。戦場から離れた場所にあるビル、その屋上においても。


「あなたのせいでたくさんの人が困ってる……苦しんでる!」


 その叫びはよく響き渡り、それは翔の耳にまで確かに届いていた。

 目を見開く翔。その目には、全身に傷を負いながらも悪女野風へと対峙するプテラブレードの姿が1つ。


「なら、あたしはそれを止めなくちゃならない。あなたを倒さなくちゃならない!」


 それは、己を奮い立たせる為の決意の祝詞。

 ただの虚勢、痩せ我慢だと賢しらに嘲る者もいるだろう。例えそうだとしても、その叫びには聞く者の心を揺さぶる確かな力があった。

 それは翔も例外ではなく。プテラブレードの魂の叫びに、翔の心を蝕むナニカが蠢いていく。


「何故なら! それが、それこそが──」


 1対の直剣を振り上げるプテラブレード。

 遠く離れた場所からでも、翔には確かに見えた。彼女の瞳が、強い決意の光を宿している事を。

 そうしてプテラブレードは走り出し──


「あたしがイチバン格好いいと信じる、()()()()()()()()()()()ッ!」


 瞬間、雷鳴が轟いた。

 それはあくまで比喩表現である。しかし翔の肉体、神経、毛細血管の1本1本に至るまで。翔は、自身を構築する全ての要素に電流が走ったかのような衝撃を覚える。


 それは昨日、プロフェッサーから勇気について説かれた時よりも強く、激しく。

 遥か天空から落ちてきた一筋の雷めいて、力ある言葉は翔の頭部から全身を貫き、鮮明なショックを駆け巡らせる。

 そうして雷鳴は、翔の心を蝕む靄を完膚なきまでに吹き飛ばしていった。


 嗚呼、何という事だ。自分は今まで、なんと馬鹿な事で悩み続けていたのだ。

 翔の視界は、急激に晴れ渡り、どこまでも景色が澄み切って見えるように錯覚する。


「そうか、そういう事だったんだ……!」


 彼女は今なんと言った? 自らが知るヒーローの在り方を、格好いいと信じていると、だから自分(ヒーロー)もそう在るのだと。確かにそう言ったのだ。

 ヒーローという存在がどう格好いいかなど、翔は誰よりも何よりも知っていた。だからこそ、翔は心からヒーローを尊敬していた。愛していた。憧れていた。


 では、今の“自分”はどうなのだ? “自分”はヒーローではない、それはいいだろう。“自分”は偽善者だ、それも個々の主観だ、問題は無い。


 だが、しかし。周りの評価を怖がって逃げ回り、自分が動ける状況であるにも関わらず、ウジウジと悩み続けて動かない。

 それは果たして、ヒーローの行いなのだろか? 翔が心から尊敬し、憧れの感情を向けているヒーローたちは、例え誰かの想像の中でもそういった行いをするだろうか?


「──いいや、そんな訳が無い」


 翔は、自らの行いを恥じた。

 ヒーローに憧れていると、そうなりたいと願っておきながら。自分が成した事は、憧れのヒーローたちを貶めるに等しいものなのだから。


 翔は恥じた。そして考えた。

 恥じるだけならば誰でもできる。ならば、次に自分がするべき事は思考。

 もしもこんな時、ヒーローならば何をする? もしも自分がこんな状況に直面したとして、翔が憧れるヒーローたちはどんな行動を起こし、何を成す?


 その答えは、とうの昔に知っている。


「ああ──」


 リュックサックを開け放つ。中から取り出したのは、漆黒のローブマントと純白の仮面。悪女野風との戦闘で損傷していたが、その程度なら一晩かければ簡単に修復できた。

 翔は躊躇う事なくローブマントを身に纏い、迷いなく袖に腕を通す。フードを被り、仮面を装着。1年つけ続けた仮面はよく馴染み、しかし翔には新しい服を着た時のような清々しさを感じられた。


「僕は今まで、何を迷ってたんだ」


 今の翔は、まるで神からの天啓を得たような気分だった。

 心の中を覆い蝕んでいた靄が全て消え去り、僅かに根付いていた強迫観念(トラウマ)という名の歪みは正された。


 たった一言で、長年苦しんできた悩みが晴れる。

 傍目から見れば滑稽だろう。それは自分の悩みが薄っぺらいものであると自白したようなものだと、そう知った風な口を利く者もいるだろう。

 或いは単純に、お前は馬鹿だと嘲る者もいるだろう。


 しかし、翔はそれでよかった。

 滑稽でいい、薄っぺらでいい。今の自分にとって、それらは何の関係も無い。

 そして馬鹿でもいい。むしろ馬鹿がいい。ずっと言ってきたじゃないか。言われてきたじゃないか。


──元より僕はヒーロー馬鹿(オタク)だ。


 悩みは晴れ、考えは固まった。後は行動を起こすだけ。

 で、あるならば。やるべき事など、ただ1つしか無い。


 翔が左袖のウィンチを起動させる。パシュ、という音と共に糸が射出され、彼が戦場に赴く為の道しるべとなる。

 靴底のルーン文字に魔力を籠める。(エワズ)のルーンは翔の脚力を強化し、ビルの屋上から飛び立たせる為に十分な勢いを齎した。


 空中に躍り出る翔──黒マント。彼は明確な力の宿る声で叫んだ。

 それは黒マントの決意を表す一言。己を奮い立たせる覚悟の狼煙。


「さぁ、行こう! 彼らと共に在る為に!」

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