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第10話 汝は偽善者なりや?

 ギィ、バタン。

 石で作られた硬く頑丈な扉を開けながら、黒マントは地下室へと足を踏み入れた。

 ここは自宅、その地下に設けられた魔女の工房(アトリエ)である。壁掛けの鳩時計に目線を向けてみれば、時刻は既に午前0時を過ぎている。


「ハァ……」


 彼以外には誰もいない静かな工房の中に、黒マントの溜め息が反響する。

 カッコカッコとスリッパの音を立てながら工房の中を進み、自らの象徴である黒いローブマントを粗雑に脱ぎ捨てる。

 そうして黒マント──黒井 翔は、至るところがボロボロになっている椅子へと腰かけた。


「大変なパトロールだったな……」


 深い、深い溜め息。肩を何度か回し、首をコキコキと鳴らす。

 身体を程々に(ほぐ)した翔は、左袖に手を挿し入れると、左腕に装着されていたブレスレット型のウィンチを外して取り出した。


 翔の自作であるこの小型ウィンチは、翔の意のままにアラクネーの糸の射出・巻き取りができる便利な装置。外に出かける時はいつも装着し、持ち歩いている。

 それが何故今まで他の誰にも気付かれなかったのか。それもまた魔女の技術を応用したものであり、一般人には知覚されないよう誤魔化しの力が作用しているのだ。


 小型ウィンチを机の上に置き、優しく撫でる

 机に刻み付けられた焦げ跡に指先を這わせながら、翔は暫し物思いに耽っていた。


「…………」


 すぅ、と工房内の空気を大きく吸い込む。それを口の中で転がしながら、先ほどまでの出来事を反芻するように味わう。


 切り捨てジャックとプロフェッサー・キャンディ。ヒーローチーム『樫の杖の七番目(セブンスオブオーク)』に所属する、新進気鋭のヒーローたち。翔の中でも大きな注目株であり、何より憧れの対象。

 同じく『樫の杖(オーク)』に所属するプテラブレード。彼女に会えただけに留まらず、今度は切り捨てジャックとプロフェッサーとも言葉を交わす事ができた。


 ヒーローオタクである翔が感動しない訳がなく、もしも自称情報通のクラスメートである池原に聞かせれば、きっと狂喜乱舞する事だろう。


 にも関わらず、翔の表情はどうにも優れない。彼は何かを深く思案するかのように、虚空を見つめながら椅子の背もたれに体重を乗せていく。


「ヒーローかヴィランか、善か悪、か……」


 切り捨てジャック、プロフェッサーと交わしたやり取り。彼らから投げかけられた疑問は、まるで魚の小骨が刺さったかのように、翔の心と思考に楔を打ち込んでいた。

 大きく、より大きく深呼吸。彼らの言葉を思い返しながら、酸素と共に全身を循環させる。


「僕は……“怪人黒マント”はヒーローじゃない。けれど、決してヴィランではない」


 独り言。自分の考えを声に出す事で、聴覚を交えて思考をより詳細に整理する。


「悪でもない。……少なくとも、僕は悪を成す為に黒マントになった訳じゃない」


 翔の声が、夜の静寂に満ちた地下室中の大気を振るわせていく。

 黒マントとして活動している際の、魔法によって加工された低く重い声色ではなく、翔本来の少年らしい普通の声。


 徐に目を瞑る翔。瞼の裏に浮かび上がるのは、別れ際に贈られたプロフェッサーからの助言。


──せめて、自分の在り方が『善』であるか『悪』であるかだけはハッキリ提示しておき給エ。


 “怪人黒マント”はヒーローではない。翔はそのように定義・認識していた。

 しかし、だからといってヴィランなど悪の類いであるかと問われれば否だ。翔が黒マントとして活動を始めた理由は多々あれど、人様に迷惑をかけたいが為に始めたのではない。


 人知れず活動し、怪物やヴィランを成敗し、目撃者の記憶を消して去る。

 成る程、それはヴィランの所業ではないが、ヒーローであるかと聞かれれば微妙なところだろう。


 では、“怪人黒マント”はどういう存在なのだろう? 善か、それとも悪か。


「善……善、か」


 すぅ。

 小さな小さな呼吸音。翔の身体に酸素が染み渡り、吐き出すと同時に全身が弛緩する。


「黒マントは善……なのか?」


 虚空を見つめる。地下室の天井に目を向けてみれば、机と同様に焦げた跡や薬品のシミなどが散見されるよう。


 翔は、自らの行いが善であるかどうかの確証を持てないでいた。

 確かに、人を助ける行為は紛う事なく善行だろう。それを賢しらに否定する方が異常というもの。

 しかし、“怪人黒マント”としての行いは、果たして賞賛を向けられるような行いなのだろうか? そういった悩み自体は、以前から翔の脳裏に芽生えていた。今回の一件でそれが表面化しただけに過ぎない。


「どんな理由でヒーロー活動を始めたとしても、命懸けで戦っている以上は立派なヒーロー……か」


 プロフェッサーの言葉を口に出す。

 暫しの静寂。壁に備え付けられた鳩時計が、ただカッコカッコと歯車を巡らせていく。

 溜め息を1つ。そうして翔は、力無く首を横に振った。


「……いいや、プロフェッサー。僕は、“怪人黒マント”はただの()()()ですよ」


 正義の為、誰かの力となる為にスーパーパワーを振るう。それは紛れもなくヒーローの行いだ。

 報酬を得る、ないしは名声を得る為に。その正否に関する議論は今の世においても絶えないが、それらもまたヒーローであると翔は考える。プロフェッサーの言葉通り、彼らもまた命懸けで諸悪と戦っているからだ。


 しかし、“怪人黒マント”はどうだろうか?

 翔は思い出す。黒マントとしての道を選んだ最初の理由。今の翔を形作る、幼い頃に抱いたある「夢」を。

 それこそが、翔が黒マントになった原初の衝動。にも関わらず、翔は今までその「夢」から目を逸らし続けていた。


 その理由はいたってシンプル。()()()()()()()()()()()()()()


 プテラブレード、切り捨てジャック、プロフェッサー・キャンディ。翔が憧れ、尊敬するヒーロー『樫の杖の七番目(セブンスオブオーク)』の面々。

 もしも彼らが、翔が黒マントになった理由を知った時。果たして如何なるリアクションを返すのだろうか? もしもクラスメートたちがそれを知った時、彼らもどんな反応をするのだろうか?


 翔にとって、それはある種の恐怖でもあった。


「僕にヒーローとしての資格は無いよ。僕は、ただの怪人。“怪人黒マント”だ」


 笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える表情。翔は、今の自分がどんな表情を浮かべているのか分からないでいた。

 自然と、翔の目線が下へ下へと動いていく。そんな中、あるものを見つけた翔の視線がピタリとそこで静止する。


「これは……?」


 椅子から立ち上がり、発見したものを拾ってみる。

 ポップなデザインのピエロが描かれた包装。大きさや形からして、飴玉(キャンディ)であるらしい。

 そこまで認識して、ようやく翔は思い出した。それは別れ際、プロフェッサー・キャンディから投げ渡された飴玉だった。


 ヒーローネーム『プロフェッサー・キャンディ』、本名、ヒューズ・シュガーフィールド。彼は大の甘いもの好きで知られており、よく飴玉を口にしているという。

 先般邂逅した時も、自分で舐めるだけでなく切り捨てジャックにも飴玉を分けていた。


 それを思い出しながら、翔は小さく微笑む。

 丁寧に包装を外してみれば、中からは可愛らしい緑色の飴玉が1つ。手に取って、口の中へと放り込む。

 コロリ、と飴玉が舌の上を転がり、爽やかなリンゴの味わいを翔に齎した。


「……美味しい」


 翔が浮かべた柔らかな微笑み。それを見た者は誰もおらず、ただ時が流れていくのみ。

 壁の鳩時計は、相変わらずカッチコッチと音を鳴らしていた。





 時は午前8時40分頃。ところは私立馬宮高校。

 ガラリと教室の扉が開け放たれ、リュックサックを背負った翔が中へと入室した。

 その音に気付いたクラスメートたちは教室の出入り口へと目をやり、そこに立つ翔の姿を認めると、手を挙げるなりして翔と挨拶を交わし始める。


「おっす黒井、おはようさん」

「おー、翔か。おはよー」

「おはよう皆。ふわぁ……」


 自分の席にリュックサックを降ろしながら、翔は深く欠伸を1つ。よく見れば、いつになく眠たそうな表情を浮かべている。

 また夜更かししたのだろう。翔の様子を見たクラスメートたちの見解は概ね一致していた。


「翔クーン、随分と眠たそうだな? またスクラップブックだの何だのを作ってたんじゃないのか?」

「アハハ……バレちゃった? 夕刊に太秦(ウズマサ) レンの記事が掲載されててさ、つい気になっちゃったんだよね」


 照れくさそうに頬を掻く翔。と言っても、彼の発言は半分嘘だ。

 確かに昨日、翔は夕刊に掲載されていたヒーローの記事をスクラップブックに加工していた。しかしそれは夕方に終わらせており、夜更かしするほどの手間ではない。


 では何故夜更かししていたかというと、魔法の道具(マジックアイテム)の修繕の為だ。

 モスマンに牙を突き立てられて一部が破れたローブマントを縫い、細部が(ほつ)れていたアラクネーの糸の結い直し、新しいルーンカードの作成と補充。

 スーパーパワーを持たず、魔法の道具(マジックアイテム)でそれを補っている翔だからこそ、こうした道具のメンテナンスは欠かせないもの。


 徹夜、までとはいかないものの、そういった事情もあって翔は深夜遅くまで作業を行っていた。

 とはいえ、それを馬鹿正直に言う訳にもいかない。故に翔は、僅かに誤魔化しを挟んだのだった。


「あ、それ俺も見たぜ。“悪魔憑き”がインタビューに答えてたやつだろ?」

「そうそう。彼女の相棒のメリリも一緒になって喋ってた──」

「蓮様の話をしたわね!」


 唐突に首を突っ込んできた女子生徒。彼女もまた翔の友人の1人であり、今話題に上がっていたヒーロー、太秦 蓮の大ファンでもある。

 彼女は翔たちの間に割り込んでくると、興奮した様子で話し出す。


「私も当然その記事は見たわ! 言葉の1文字1文字から蓮様の知性が感じられたわよね!?」

「あ、ああ、そうだね。最近多発している悪魔の被害に関して、当の悪魔と共生関係にある“悪魔憑き”にその見解を……」

「ああ、蓮様……新聞のモノクロ写真でも、そのお美しさと凛々しさは全く揺らぎもしない……メリリ君との軽快なやり取りもアクセントとなって、嗚呼、嗚呼……」


 恍惚とした表情の女子生徒。これにはヒーローオタクの翔も含み笑いを零してしまう。

 実際、太秦 蓮はそのボーイッシュな相貌とクールな振る舞いから、女性からの人気が非常に高いヒーローだと聞くが……なお、太秦 蓮は()()である。


「まったく、ヒーローオタクといい自称情報通といい、ウチのクラスには変人しかいないのか……?」

「あら何よ、私は蓮様を応援してるだけよ。黒井や池原さんと一緒にしないでもらえるかしら」

「んな事言って、知ってるんだぞ? お前が“悪魔憑き”の夢小説書いてるの」

「は? 夢小説言うな殺すぞ」


 ワイのワイの騒がしくなる朝の教室。

 ある意味平和ですらあるこのひと時を、翔は決して不快には思っていなかった。むしろ、友人たちが楽し気に騒いでいる雰囲気に心地良ささえ感じている。


 そんな時だ。

 教室の扉が、半ば叩き付けるようにして勢いよく開かれる。ガッシャン! という音に、教室中の視線が音源へと注がれた。


 そんなバイタリティー溢れる入室方法を実行したのは、自称情報通の池原である。


「おっはよー諸君。情報通の池原ちゃんが登校してきたよーん」

「おはよう池原さん。今日はいつにも増して元気だね」

「おいっす自称情報通。今日入荷のネタでなんかあるかー?」

「自称をつけるんじゃないよ。それよりそれよりさー」


 池原がゴソゴソとポケットから取り出したもの。それはスマートフォンだ。

 彼女はスマホを手にすると、何かを検索しているのかポチポチとタップやフリックを繰り返す。


 その様子に、翔や生徒たちは興味を抱いて池原の周りへ集まっていく。自称だなんだと揶揄しているが、彼女の情報通っぷりを彼らはよく信頼していた。

 今日もまた、面白いネタを持ってきたのだろう。そう期待している面々に向けて、池原はズビッとスマホの画面を突き付ける。


 彼女が見せたのは、大手動画サイトにアップロードされたとある動画だ。ニュース映像か何からしい。


「昨日の晩……っていうか今日の深夜に、モスマンって怪物の群れとヒーローの戦いがあった事はもう知ってるだろうけど」

「知ってる前提で話すな自称情報通。いやまぁ、ニュースで見たけど」

「オーケー。で、モスマンを退治したのは『樫の杖の七番目(セブンスオブオーク)』の切り捨てジャックとプロフェッサー・キャンディだったのよね」

「ほー、『樫の杖(オーク)』か。あのチーム、最近結構活躍してるよな」

「でねでね、その事でマスコミたちがプロフェッサーに取材してたんだけど、その時に……」


 池原の持つスマホに視線が集中する。その中には、当然翔も含まれていた。


 動画の中では、記者たちから投げかけられる様々な質問に対して、プロフェッサーがいたって冷静に返答していた。

 プロフェッサーが「上手く言っておく」と言っていた通り、どうやら黒マントの関与は誤魔化されているらしい。

 しかし、問題はその直後だった。


『すみません、最近噂の“怪人黒マント”について何か一言!』


 幾多もの記者に囲まれているプロフェッサー。そこへマイクと共に突き出された質問。

 一見すると今回の一件とはまったく関係の無いように思える。実際、記者も本当に黒マントが関わっていたとは露ほども知らない。

 この機会に便乗して、という事だろう。折角取材できるタイミングが巡ってきたのだから、市民が気になっている事についてズバリ聞く。そのような意図である事は明白だ。


 記者の質問に対し、画面の向こうのプロフェッサーは「フム」と顎髭を撫でながら、マイクに向き直る。


『そうだね、“怪人黒マント”の正体やその目的についてはまだ分からない事も多イ。そもそも、本当に実在するのかすら、まだ確定はしていないだろうサ。しかシ……』

『しかし?』

『もし実在するならば、悪人(ヴィラン)ではないと私は思うヨ』

『それは、どうしてでしょうか?』


 記者の疑問に対して、プロフェッサーは自分を映すカメラへしっかりと目線を合わせる。モノクルの向こう側から、キラリと光る知性溢れる眼差し。

 若者からも人気の強い、プロフェッサー・キャンディのダンディな風格がそこにはあった。


『教授である私としては少々非論理的だが……()()サ。スーパーパワーに由来するものなのかどうかは定かでないが、私の感覚は()の“怪人”を不快には思っていなイ』


 むしロ。そう繋げて、プロフェッサーはニヤリと微笑む。


『もしも“怪人黒マント”が実在して、ヒーローとして私たちと共闘できるのならバ。とても面白い事になりそうだと、そう私は思うネ』


 動画はそこで停止する。池原が一時停止のアイコンを押したからだ。


「どうよ? どうよ?」

「かーっ、これは予想外だった。まさかこういう場で“怪人黒マント”について言及するとはな」

「でも、少々迂闊じゃないかしら? まだ不確定な噂に過ぎないんだし、公認ヒーローがこういう発言をするのは……」

「それを織り込んだ上での発言だと俺は思うけどな。それに、プロフェッサーの見解が公認ヒーローの総意って訳でも無いだろう」


 池原が持ち込んだ特ダネに関して、喜々として議論を交わすクラスメートたち。

 今日日(きょうび)、ヒーローとヴィランにまつわる話題は常に注目の的となっている。新しいネタと聞けば直ぐに飛びつくのは当然と言えよう。


 そんな中、1人だけ様子の違う生徒がいた。


(プロフェッサー……!)


 翔だ。彼は──“怪人黒マント”は、プロフェッサー・キャンディの言葉を強く噛み締めていた。

 ニュースでの彼の発言は、ニュースを見ている黒マントへのメッセージのようにも感じ取れた。

 憧れているヒーローが、あんなにも怪しく不審な自分に対して好意的な印象を語っている。翔は心の中で強く感動を覚えていた。


 だが、しかし。


(ごめんなさい……プロフェッサー、切り捨てジャック、プテラブレード……)


 翔の顔はどこか優れない。誰にも悟られないよう、密かに握り拳が作られる。

 プロフェッサーの言葉が嬉しかったのは事実だ。否定されるよりはずっといい。しかし、それでも。


(僕は……ヒーローにはなれない。偽善染みた“怪人”なんです)


 視界の隅では、池原を中心としてクラスメートたちが議論に熱中している様子。

 翔は、それをただ近くで見つめているだけだった。

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