第1話 街のウワサ
イメージ曲:僕たちのヒーロー(Project DMM)
太陽系第3番惑星、地球。
この世界には人間たちの生きる“人界”と、目には見えないもう1つの世界“魔界”が存在していた。
魔界に蔓延る悪鬼羅刹、魑魅魍魎、恐るべき悪魔ども。それらは人々の血肉や魂を求め、魔界の深淵より絶え間なく這い出てくる。
人智を超越した怪物どもの暴虐に、力無き人々はどうする事もできずにいた。
だが、希望は決して潰えた訳ではない。
如何なる奇跡か必然か、時折人間の中から超常的な力を持った存在が現れるようになった。
彼らはその超人めいた力を人々の為に振るい、魔界より出でる怪物どもから命を懸けて世界を守らんとする。
人々は彼らの力に畏怖し、彼らの在り方に感銘を受け、彼らの活躍に溢れんばかりの称賛を浴びせた。
それはまさしく、神話の英雄の再来と言ってもよいだろう。
そして時は現代。
魔界の住人たる怪物どもや、超人でありながら人々に牙を剥く悪の超人“悪漢”の犯罪行為は、21世紀の現代においても途絶える事は無かった。
しかし、何を臆する事があるだろうか。人々には“彼ら”がいた。
弱きを助け、悪しきを挫く。人間と人間の世界を、その命を懸けて守り抜く正義の超人。
彼らは尊敬と畏怖の意を込めて、やがてこう呼ばれるようになった。
──“英雄”、と。
■
「──ねぇ、知ってる?」
時は現代、ところは日本。
日本某県B市に位置する私立馬宮高校、その教室にて。40人ほどが入れる凡そ一般的な教室の中を見渡せば、自分の席に座っている生徒は少ない様子。
今はホームルーム前。生徒たちは席を立ち、或いは席に座ったまま、読書や予習、友人との雑談など思い思いに過ごしていた。
そしてそれは、よく響く声で話を切り出した女子生徒とその友人たちも例外ではない。
「A級ヴィランのベムドラゴンが捕まったってさ! つい今朝の話らしいよ」
「へぇ、それマジで? ベムドラゴンって言ったら、その凶暴さからS級への格上げも検討されていたって話だぞ」
「あ、それ俺も聞いたぜ。かなりの大捕り物だったみたいだな」
ワイワイと、教室の一角がやや騒がしくなる。
生徒の輪の中心にいる女子生徒はかなりの情報通らしく、自分が仕入れたとっておきの新ネタを喜々として語り出す。周りの生徒もまた、彼女の話を聞くべく耳を傾けている。
「交差点のトコに宝石店あるじゃん? なんでも今日、その店に海外からレアものの宝石が輸入されてきたみたいでさー」
「ああ成る程、見えてきたぞ。ベムドラゴンは強盗系のヴィラン、その宝石を奪いに来たんだな」
「そゆことそゆこと。んでー、勿論その危険性は重々承知の上だったから、宝石店も警察の機動部隊に予め応援を寄越してもらってたみたいなんだ」
でも! そう言って、女子生徒はピッと人差し指を立ててみせた。彼女の身振り手振りによって、制服のスカートがヒラヒラと揺れていくよう。
「相手はなんてったってA級ヴィラン! 機動部隊も善戦してたみたいだけど、状況は膠着状態に陥った!」
「まぁ、じゃなきゃとっくの昔に捕まっているだろうからな。腐っても超人には変わりないか」
「だな。しかも奴は肉体強化系の超人だ、生半可な火器では厳しいものがあるだろう」
「けれど、警察の機動部隊も凄いと思うわ。A級ヴィラン相手に膠着状態にまで持ち込めるのは流石の練度よ」
あれやこれやと、思い思いの言葉を交わし合う生徒たち。それは最早、雑談の域を超えて議論にまで発展しつつある。逆に言えば、それほどに関心の高い話題という事を意味していた。
そんな折、話の中心だった女子生徒が「ゴホン!」と咳払いをひとつ。周囲の議論がパタリと止まり、生徒たちは女子生徒に注目する。
「しかーし! まだこの盤面に出ていない要素が1つある。ヴィランの脅威から人々を守る正義の超人! それは即ち──」
「ヒーロー、だろう?」
「いぐざくとりー!」
答えを口に出した男子生徒に対して、ビシッと指を差して肯定する女子生徒。
「ベムドラゴンと機動部隊の戦いは膠着し、一進一退の状況だった。そこにヒーローが颯爽と駆け付けて、切った張ったの末にベムドラゴンを撃破! ベムドラゴンはあえなく警察の御用になったとさ」
「成る程な。今の話から推察するに、ベムドラゴンは機動部隊との戦闘で少なくないダメージを負っていた筈だ。そこが肝だな」
「俺もそう思う。ヒーローだけではいつものように逃げられていただろうな」
「機動部隊から立て続けにヒーローとの連戦にもつれ込んだのが敗因だろう。何にせよ、ベムドラゴンにとっちゃ年貢の納め時だった訳だ」
雑談に次ぐ雑談、議論に次ぐ議論。先ほどと同じ光景が繰り返されていく。
ヒーローとヴィランに関する情報は、いついかなる時もホットな話題である。故に、このように新情報とくればすぐさま盛り上がってしまえるのが、ヒーロー好きの性というものだ。
「それで池原、結局どのヒーローが応援に駆け付けたんだ?」
「ありゃ、言ってなかったっけ?」
「俺的にはマスター・キーに1票だな。あの人の破壊力ならベムドラゴンも制圧できるだろう」
「私は蓮様を推すわ。“悪魔憑き”の太秦 蓮様!」
「お前はホントあの人好きだな……俺はヒーローチーム『退魔部』だと思う。ホラ、レインメーカーとかがいる」
「馬鹿、『退魔部』は隣のD市だろうが」
「いんや、佐藤クン一部正解。ヒーローチームってとこは当たってるよ」
ククク、と手を口元に当てて笑う、池原という名前の女子生徒。その様子はもったいぶっているようにも見えて、周りとしては「早く言えよ」とも言いたくなる。
「それじゃあ言っちゃうけど、加勢にやって来たヒーローチームは──」
「『樫の杖の七番目』、だろう?」
不意に、池原の背後から声が聞こえてくる。振り向いた池原と同じように、彼女の周りにいた生徒たちも声の主へと視線を集中させた。
視線を浴びせかけられた声の主は、少し気恥ずかしいと言わんばかりに己の黒髪をポリポリと掻く。黒い瞳は電灯の光を映し込んでゆらゆらと揺れ、生徒たちをその黒目の中に捉えていた。身に付けている学生服もまた、彼の無個性さを際立たせている。
パッと見れば、大した特徴も無い黒髪黒目の少年である。しかしクラスメートである池原たちは、目の前の少年がどのような人物かをよく知っていた。
少年は池原と生徒の間に縫って入り、話の輪に加わらんとする。
「『樫の杖の七番目』。彼らがベムドラゴンと交戦して、奴を打倒したんだ」
「ンモー、翔んってば先に言っちゃダメでしょー。私が言いたかったのにぃ」
「そう言うなって池原。しかし『樫の杖』か。池原と黒井が言うんなら間違いないみたいだな」
「んだんだ。しかしよく知ってたな黒井」
「バーカ、翔のヒーローオタクは今に始まった事じゃないだろう」
クラスメートたちの言葉に、少年は照れ臭そうにはにかんで頭を掻いた。
黒井 翔。
それが少年の名前であり、同時に本作の主人公である。
「それで、主に誰が活躍したんだ?」
「そんなの全員に決まってるだろう? まず切り捨てジャックが戦場に割り込んでペースを握り、プロフェッサー・キャンディが後衛から切り捨てジャックや機動部隊のフォローを。そして……」
「ベムドラゴンが怯んだところを、プテラブレードがズバババーンと、ね!」
翔の話に割り込む池原。彼女の言動に対して、翔は思わず「あー!」と声を出してしまう。対する池原は、してやったりという表情を顔一面に浮かび上がらせていた。
「そこは僕が言おうとしていたのに……!」
「へっへーん! さっきのお返しだよ翔ん」
「なぁなぁ」
と、そこへ。話の輪の中にいた男子生徒の1人が、不意に声を上げた。どうかしたのかと、周囲の目線が彼に注がれる。
「無知を晒すようで何だが……『樫の杖の七番目』って、最近できたチームなのか?」
「たはー、まずそこからなのね」
池原がわざとらしく、自分の額をペシンと叩いてみせる。しかし、無知を責めるのは情報通にあってはならぬ事。
ここはひとつ、彼に説明してやらなくてはならない。そう思い立ち……
「しょうがないなぁ、それじゃあこの私がみっちり優しく──」
「『樫の杖の七番目』っていうのはさ!」
そこへ、ズイと翔が割り込んだ。その目はキラキラと輝いており、明らかな高揚感に満ちているように思える。
「最近結成されたヒーローチームでさ、ああ最近と言ってもここ半年くらい前だけどね。チームとしては新しい方なんだけど、この短期間で数々の功績を挙げて業界で注目されている新進気鋭のヒーローチームなんだ! 構成員は3人で、切り捨てジャックは刀を武器に戦う専業ヒーロー。専業っていうのは言わなくても分かるよね。2人目はプロフェッサー・キャンディ、本名、ヒューズ・シュガーフィールド氏。彼は氷の魔法を自在に操るチームのブレインで、馬宮大学の教授でもあるんだ。そして最後の1人がプテラブレード! 彼女は僕たちと同じ高校2年生だけどヒーロー登録をしている立派な公認ヒーローで、主に1対の剣を用いた二刀流を──」
「分かった、分かったから少し落ち着け黒井!」
ハッと我に返る。周囲を見てみれば、翔を見る生徒たちの目には困惑や呆れの感情が宿っているように見えた。
お恥ずかしいところをお見せしたと、顔を赤らめながら頬を掻く翔。彼と親しい友人たちは翔のこの悪癖をよく知っていた為、やれやれと呆れつつ首を振っている。
「まったく、変わらないな。翔のヒーローオタクっぷりも」
「確かこいつ、ヒーローの活躍を纏めてメモってるんだっけ?」
「そうだよ」
顔を上げる翔。復活の早い奴だと、生徒たちは思った。
「毎日テレビやネット、新聞なんかでヒーローの活躍は欠かさずチェックしてるからね。特に新聞は記事を切り抜いてスクラップブックを作ってるんだ。もう12冊目になるかな」
「そんなにか?」
「まぁね。何なら、これまでに登録された公認ヒーローの名前を暗唱してみようか? それくらい、僕はヒーローが好きなのさ」
顔を見合わせ、とってつけたように笑うクラスメートたち。まるで誇るように胸を張って語る翔の姿は、1周回ってある種の好感さえ持てるよう。
自称情報通の池原は、そんな根っからのヒーロー好きである翔に強いシンパシーを感じていた。
「いやー、翔んがいると話がもっと盛り上がって楽しいね。しかしヒーローオタクが話題に参戦するとなると、情報通の私としては、やっぱり今一番ホットな──」
そうして、池原は言葉を紡いだ。
「──“怪人黒マント”の話をするべきかしらね?」
ピクリ。
その言葉を聞いた翔の表情が僅かに強張った事を、池原は見逃さなかった。
「……? どうかしたの翔ん?」
「え? あ、いや……何でもないさ、うん」
「なー、その“怪人黒マント“って何だ?」
「俺も名前だけは聞いた事あるんだけどなぁ……何だっけ」
「今B市でウワサされてる都市伝説だよ」
翔の様子に違和感を覚えた池原だったが、クラスメートたちの反応を見て一先ず横に置き、彼らへの解説を優先する事にした。
人差し指を真っ直ぐ掲げ、その怪しげな噂を語り出す。
「夜の路地裏に現れて、人知れず魔界の怪物を倒して去っていく、正体不明の謎に包まれた人物。実際に見たって人はいるけど、誰も彼も証言があやふやみたいなんだ。でも」
「でも?」
「その証言だけは一致してる。彼らが言うには、路地裏で怪物に襲われていたところを……」
──真っ黒いマントで姿を隠した何者かに助けられた、んだって。
池原の視界の隅で、翔の表情がますます強張っていく。しかし、池原を含め誰もその事には気付いていない。
「なんだそりゃ。ただの自警ヒーローじゃないのか?」
「いや、ヴィジランテにしては話を聞かない。公認非公認に関わらず、ヒーロー活動をしているなら、公にその存在を知られている筈だ」
「マントで正体を隠しているっていうのもおかしいわね。それに、目撃証言があやふやなのも気になるわ」
「何らかの認識阻害能力か? 例えば、記憶の消去とか」
ワイのワイのと騒がしくなる生徒たち。話題を切り出した自称情報通の池原としては、こういった光景が見られるだけでも満足だった。
「だから、誰もその正体を掴めてないのさ。そいつがヒーローなのか、それともヴィランなのか。善か、悪か。そもそも実在しているかさえ分からない。だから都市伝説」
「そんでもって、誰が呼んだか“怪人黒マント”……ってワケか。確かに興味を惹かれるな」
「眉唾だが、もし本当なら面白そうだ。なぁ、黒井はどう思うよ?」
クラスメートたちの視線が翔に集まる。何やら考え込んでいた様子の翔は、数秒経ってからようやく、自分が見られている事に気付いたようだ。
「ああ、ゴメン。何の話だっけ?」
「黒マントだよ、“怪人黒マント”! 黒井はこの噂についてどう思う?」
「うーん、そうだなぁ……」
手を口に当て、考え込む仕草を見せる翔。生徒たちは、目の前のヒーローオタクの見解を待っていた。
「僕はあんまり好意的に見れないな。大方、こそこそ活動しているだけのヴィジランテなんじゃないか? 正体を隠すような立ち回りをしているのも、何かやましい事があるとかさ」
「あらら……意外なコメント」
「ヒーローオタクの翔としても、この都市伝説は眉唾ものってトコか?」
「そうは言ってもな、このご時世に“怪人”は無いだろう……あったとしても、それは変質者の類いだ」
ハァ、と深い深い溜め息を吐き出す。そんな翔の様子に、池原や他のクラスメートたちは小さな違和感を覚えた事だろう。
何かあったのだろうか? そう問いかけようとしていた矢先、教室中にチャイムが鳴り響く。その直後、教室の扉がガラリと開かれて教師が中へと入ってきた。
「ほらほら、もうホームルームだぞ。早く座れ」
教師の言葉に、生徒たちは仕方ないと言わんばかりの様子で各々の席へ戻っていく。
「時間切れかぁ、しゃーない。んじゃ翔ん、皆、また後でね」
「おー。また昼休みになー」
「分かった。また後でヒーローについての情報を聞かせてよ」
そう言って、席へ戻っていく池原に手を振る翔。
彼がポツリと呟いた言葉は、誰の耳にも届く事なく虚空へと消えていった。
「噂が広まりつつある……困ったな」