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DARKNESS GLITTER  作者: 伝記 かんな
6/15

繋がる心

互いに想いを告げ、互いに気持ちを知った二人。

触れた瞬間に繋がる心。誰にも知られず、ただ二人だけに分かる世界。

その一方で、闇に溶け込む一つの影が・・・試練を招き寄せる。


                  6


八月上旬。

この時期になると、気だるい暑さと蝉の合唱で朝を迎える。

ブーン、と扇風機がひたすら回って、

部屋の空気を涼しくさせているが、あまり効果が無い。

汗ばむ自分の身体をゆっくり起こし、ゆりは少しため息をつく。

机の上にあった赤縁眼鏡を取り、かけるとベッドから降りる。

背伸びをしながら、大きな欠伸をした。


― ・・・オレンジジュース飲みたい・・・


ちらっと、机の上のデジタル置時計を見る。

時刻は7時12分を示していた。

起きるにはまだ早いが、とても暑くて眠れる状態ではなかった。


― ・・・

 それにしても、暑すぎる。

 年々酷くなってない?


ゆりの部屋にはエアコンがない。

暑い時は暑い。

寒い時は寒い。

四季を身体で感じながら過ごしたいと思っているからだった。

暑ければ、冷たいものを摂ると

とても美味しい。

寒ければ、温かいものを摂ると

とても幸せになる。

ゆりはそれを大切にしたかった。


― 便利になる世の中だけど、

 そうなればなる程

 五感というものが鈍っていくような気がする。

 人であって、人ではなくなるような。

 せっかく人としての優れた機能があるのに、

  どうしてそれを使わないのか。


ゆりはふと、

不敵な笑みをする少年を思い浮かべる。


― 俊太郎が言ってたな・・・

 

 『遺伝子に聞けばいいんだよ。

  俺たちが考えるよりも、昔の人が繋げていったものは深い。

  身体が動かないのは、先入観とか余計な知識が入り過ぎて

  動きを邪魔しているんだ。』


 ・・・ちょっと理解不能だったけど、何となく分かる。

 でも、それが出来たら言う事はない。


ゆりは障子を開けて部屋から出て行く。

ほのかに味噌汁のにおいがした。

ゆりは朝御飯をとても大事にしている。

それを用意してくれる祖母に感謝しつつ、

それを食して仕事に行く。

洗面所に行き、眼鏡を取って顔を洗う。

水は井戸水なので、とても冷たくて気持ちが良い。

洗い終わると、ふぅ、と息をつく。

用意していたタオルで顔を拭き、

眼鏡をかけると、鏡に映った自分の顔を見る。


― ・・・・・・


ゆりはこの時、『先読み』を発動させる。


― ・・・俊太郎に、新たな出会いがある。


ゆりが熱を出して寝込んだ時から、一週間が経っていた。

あれから何の進展も無く、今日に至る。

その時の事を思い出し、胸の奥に痛みを感じた。


― ・・・あんな告白の仕方はないよね。

  あれは、本当に失敗した。


ゆりは自分の失態に、深く反省する。

思い出すだけで、また熱が出そうだった。

はぁ、と、ため息をつく。


― ・・・とりあえず、なかったことにして。

 そうしないと、ひたすら落ち込む。


洗面台の入り口の戸が開く。


「おっ。先約か。おはよ、ゆり。」


思い浮かべていた人物が現れ、ゆりは目を見張った。


「あ、お、おはよ。」


動揺が隠せてないのは分かっていたが、

それでも平静を装って、ゆりは言葉を投げる。


「顔洗い終わったけん、使っていいよ。」


逃げるように洗面台から離れるゆりを、俊太郎は訝しげに見る。


「どうした?」


「べ、別に何も。」


そう言って、洗面所から出て行こうとするゆりを、

俊太郎は入り口に腕を伸ばして遮断した。

目の前に出てきた腕を凝視し、ゆりは身体を硬直させた。


「・・・今日、帰り遅いの?」


「・・・日曜日だから遅くなるかも・・・ね。」


ゆりは必死だった。

胸の中は、荒波と豪風の嵐だった。

そんなゆりを見透かしているのか、俊太郎はじっと見つめる。

その、痛い程の視線は、熱くて濃い。

ただでさえ暑いのに、その視線のお陰で、

ゆりは汗をどっと出す。


「どっか行きたい。」


「・・・社会人は忙しいんよ。」


「なんだよその言い訳。明日休みだろ。」


「・・・」


「夏休みの間がチャンスだろ?どっか行こう。」


「・・・どこ、行きたいんよ。」


ゆりの返答に、俊太郎は目を輝かせる。


「海。」


「う、海?」


ゆりは思わず聞き返した。


「海で泳ぎたい。」


ゆりは一瞬、俊太郎の渇望が微笑ましく思えた。

しかし、『泳ぎたい』の言葉に、申し訳なさそうに答える。


「ちょっと待って。・・・ごめん俊。

 実は私、泳げないんよね・・・」


「見に行くだけでいい。」


「・・・そんなに行きたいと?」


「行きたい。」


ゆりは少し考えて言う。


「じゃあ水族館にする?」


その言葉で、俊太郎の表情がみるみる明るくなった。


「水族館?!マジで?やった、行きてぇ!」


はしゃぎ出す俊太郎を見て、ゆりは笑わずにはいられなかった。

俊太郎は確かめるように言う。


「絶対行くからな。絶対だぞ。」


「はいはい。」


「駄目って言っても絶対行く。」


「分かったってば。」


― ほんと俊って・・・子どもみたいなところあるよね。

 いや、実際子どもなんだけど。


「俺明日のプラン考えとく。デートだ!」


「え?・・・あ・・・ちょっと・・・」


俊太郎は上機嫌で、洗面所から去っていく。

ゆりは呆気にとられたように見送る。


― ・・・え。これって私、のせられた?


次第に顔が火照っていく。


― ・・・デート!

 うっそぉ・・・


ゆりはその場にしゃがみ込んだ。


― ・・・やばい・・・初デートだ。


                   *


朝食を済ませた後、ゆりは出勤の為家を出ていく。

それを送り出した後、俊太郎は居間に戻り、

朝食で使った食器を片付け出す。


「ばあさん。いいよ。俺が片付けるから。」


「いいのかい?ありがとうねぇ。」


ときはそう言い残して、居間を去っていく。

俊太郎は、重ねた食器を台所の流し台に持って行き、蛇口をひねる。


― やったね。ゆりとデートだ。


俊太郎は、スポンジに洗剤を付けて泡を立てる。

機嫌良く次々に皿を洗っていく。


「俊~。ちょっと出掛けてくるからね。

 帰りは夕方になるかな。」


居間の方からときの声がする。

蛇口の水を止めて、俊太郎はときの元へ歩いていく。

ときの格好はいつもと違っていた。

髪をゆるく束ね、

身に纏う服は鮮やかな藍色で織られたチャイナドレス。

化粧も、いつもより洗練されていた。


「ばあさん・・・すごく綺麗だけど。デート?」


ときの姿に、俊太郎は驚く。

その様子を見て、ときは可笑しそうに笑って答える。


「そうだねぇ。そういう事にしといてもらえるかな?ほっほっ」


「とても似合ってるよ。」


「ほっほっ。若い者に言われると悪い気しないねぇ。

 それじゃあ行ってくるよ。」


「ああ。行ってらっしゃい。」


俊太郎は玄関まで行き、ときを見送った。

颯爽と歩いていく淑女の後ろ姿を、黙って見守る。


― ばあさんって、中国人だよな。多分。

 八卦掌とか何とか、拳法使うし。

 数ヶ月前に目の当たりにした、ゆりが使っていた拳法・・・

 あれは、ばあさん直伝だって聞いた。


俊太郎は台所に戻り、流し台に行って続きを再開する。


― ・・・ってことは、ゆりはクォーターか。

 何となく目の辺りが、日本人っぽくないんだよな。

 そこが可愛いんだが。


ゆりの顔を思い浮かべながら、俊太郎は食器を洗っていく。

それが終わると二階に上がり、自分の部屋に戻った。

居間にはエアコンが設置されているが、

二階の部屋にはどこにも付いていない。

ゆりと同じく、俊太郎は四季を肌で感じるのが嬉しかった。


― 四年前の自分は、体温も時間も感じる事が出来なかった。

 ・・・ほんとにゆりのお陰だよな。

 胸の奥に感じる熱いものも。

 ゆりに再会して、さらに深く、濃くなった。


俊太郎は部屋の窓を開け、外を眺める。


― 待ち遠しいな。


ぬるい風が、彼の真っ黒な髪を撫でていく。


― 明日とか、短い時間で訪れていたけど・・・

 今じゃこんなに遠い時間に感じるようになるなんて。


俊太郎の部屋の窓からは、一本の大きな銀杏の木が見える。

この家の庭に根付いている木だった。


― 確かこの部屋って、ばあさんの旦那さんの部屋だったよな。


青々とした立派な葉が、風と共に揺れている。

どこからか来た蝉が、幹に止まって鳴いていた。

その木を眺めながら、俊太郎は思いふける。


― 明日水族館に行って、どこで食事しようかな・・・


明日の事を考えると、俊太郎は楽しくて仕方がなかった。

ゆりの事を考える時間が増えた。

考えれば考える程、

今まで捨ててきた感情とか、人間らしさが蘇ってくる気がしていた。


― そうだ。

 少し出掛けよう。

 明日着ていく服とか買いに行こうかな。

 余所行きの服とか持ってないし。


俊太郎は思い立ったように、

寝間着からTシャツとジーパンに着替えて部屋を出た。


                    *


ぎらぎらと太陽が熱を発して、街を照りつけている。

その熱波で陽炎が生まれ、アスファルトの上で揺らぐ。

今の時間帯の博多駅周辺は人の波で埋め尽くされて、

さらに暑さが倍増していた。

その中を、俊太郎はものともせず歩いていく。

額には汗の粒が浮かんでいるが、表情はとても涼しげだ。

彼の容姿は、人並より良い方に分類される。

行き交う女性の視線が、時折俊太郎を捉えていく。

彼はその事に無関心なのか慣れているのか、全く気にしていなかった。


「・・・ん?」


俊太郎を捉える視線の中、声を上げる者がいた。


「・・・高城じゃね?おーい!」


人波の中から、俊太郎を呼び止める声が上がる。

その声に反応して、目を向ける。


「・・・あいつ、確か・・・」


俊太郎の記憶の中で、まだ浅いところにいる人物だった。


「いいタイミングで会ったなぁ~!」


俊太郎のクラスメイトの岸本。

下の名前は覚えておらず、

俊太郎はただ、強引で勝手な奴だと思っていた。


「おい、このイケメンが俺の言ってた奴。」


岸本が、後ろにいた二人の少年に声をかける。

その少年たちは、俊太郎を見て目を輝かせている。


「ヒロの言ってた通りやなぁ。ばりイケメンやん。」


ぽつりと言葉をこぼすその一人は、

髪を茶色に染めており、細身の長身である。

頬骨が少し出ているせいか、さらに痩せて見える。

細く長い指が印象強い。


「ヒロがボーカルやるより、ずっといいばい。」


俊太郎を頭の先から足の先まで見ながら、

うんうんと頷くもう一人の少年。

頭は坊主で、一人目の少年とは対照的に体格ががっちりしている。

程よく鍛えられた腕は、日焼けして皮が所々むけていた。


「はっきり言ってくれるよなぁ。まぁ確かにそうっちゃけど。」


笑いながら言う岸本の姿を、俊太郎は改めて見る。

水色のTシャツにジーンズ姿で、

髪は夏休み前の時と違って赤く染められていた。

俊太郎の目線に気づいたのか、

岸本は悪戯が見つかった子どものような表情で言う。


「夏休みの間だけな。センセイに見つかったらやべぇけど。

 ・・・高城、これから時間ある?」


「・・・これから買い物行くところだ。」


「少しだけでいいんだ。な?ちょっとだけ顔貸してくれよ。」


『頼む!』と拝むように、岸本は俊太郎に手を合わせる。

自分勝手で強引な頼み事に、俊太郎は即答しようと思った。

しかし、ふと思いとどまる。


― 『私は、俊太郎が成長する姿が見られてとても幸せなんよ。』


そう言って柔らかい笑みを浮かべた、大切な人の顔を思い出す。


― ・・・俺にとって本当に必要な事って、一体何だろう。

 ・・・俺に足りないものって、こういう事なのか?


俊太郎が無言で立ち尽くす様子を、

どうしていいか分からず、岸本はただ、じっと行方を窺う。

二人の少年も、岸本と俊太郎の様子を見守る。


「・・・おーい・・・高城~?」


しびれを切らし、岸本が呼び掛ける。

俊太郎はようやく口を開いた。


「・・・分かった。少しだけな。」


断わられると思って身構えていた岸本の表情が、

その一声でとても明るくなった。


「よっしゃ!!そうこなくっちゃな!」


二人の少年も、岸本につられて笑顔になった。

はしゃぐように岸本は笑って、俊太郎に言う。


「この二人はバンドのメンバーでな。

 今からスタジオに向かうところだったんだ。」


俊太郎は改めるように、三人を見る。

岸本と長身の少年は、黒いソフトケースに包まれた長い物を背負っている。

坊主の少年は、見たところ何も持っていないようだった。


「俺のはエレキね。こっちはベース。」


「楽器の事は全く素人で分からない。」


「ああ。そうだよな。まぁ俺らも初心者っちゃけど。

 俺らはエレキギター、ベースギター、ドラムって感じかな。」


「ドラムセットは、揃える金も場所もないけんさ、

 スタジオのやつを借りる。

 スティックは安いやつあるから持ってんだけどな。」


そう言って、坊主の少年はジーンズの後ろポケットから

スティックを取り出す。


「まぁここは暑いし、スタジオ行ってから詳しい事を説明するよ。

 自己紹介もな。んじゃ行こう!」


足取り軽く、岸本が先導して歩いていく。

少年たちは、博多駅の賑わいから遠ざかっていった。


                  *


博多駅から歩いて約10分。

博多口を出てオフィス街を抜けると、少し古さを感じさせるビルがあった。

4階建てのビルで、

周りには小さな公園があり、

母親たちに見守られながら子どもたちが遊んでいた。


「秘密基地みたいで好きっちゃんね、このスタジオ。

 値段も学生に優しい。」


ビルの入口の扉には、

『No game area』という文字が、緑色のペンキで殴り書きされていた。

微かに、楽器を演奏する音が聞こえてくる。

岸本を先頭に、少年たちはビルの中に入っていった。

すると、受付らしきスペースの中に、若い女がいた。

髪は緑色に染め、白いメッシュが入っている。


「いらっしゃい。」


岸本の顔を見るなり、女は声をかける。

にこりともせず掛けられた、短い言葉に乗せられた声音はハスキーだった。

右の耳輪にはピアスが沢山付けられ、

目の周りには黒いシャドウが濃く塗られている。

雑誌を片手に、もう一方の手には火のついた煙草が指に挟まっている。


「こんちは~」


岸本たち三人は女に慣れているのか、普通に挨拶する。

女は気だるそうに、雑誌を見ながら言葉を投げる。


「三階のCスタ。」


「あざっす。」


短いやり取りを交わし、岸本たちは階段に向かう。

俊太郎はその女に目を向けながら、岸本たちの後を追う。

階段に差し掛かったところで、岸本は小声で俊太郎に話しかける。


「あの姐さん、雰囲気怖くて何も聞けんっちゃんね・・・

 名前くらい聞こうかなって思うけど、まだ出来ん。」


俊太郎は、その女に見覚えがあった。

しかし特に何も言わず、岸本たちの後を追うように階段を上る。

三階に着くと、狭い廊下が目に入る。

廊下は冷房が効いておらず、とても暑かった。

額に汗を浮かべながら、岸本が声を上げる。


「ドアに“C”って書いてあるやろ?」


岸本が、あるドアを指差す。

少年たちはそのドアに向かって歩いていく。

ドアは防音仕様で分厚い。

岸本がそのドアを開け、全員スタジオ内に入る。

ドアを閉め、エアコンをオンにすると設定温度を極限まで下げた。


「ここはさ、狭くてボロいけどいい機材置いてるっちゃんね。」


岸本は背負っているエレキギターを下ろし、ソフトケースから取り出す。


「準備する間に自己紹介やな。ベースからどーぞ。」


細身で長身の少年も、

岸本同様にソフトケースからベースギターを取り出し、

ギタースタンドに立て掛ける。


「俺は甲斐田かいだ 卓斗たくと。タクでいいよ。

 ヒロとは幼稚園からの付き合い。

 何かこいつといると、時間が過ぎるの早くてさ・・・」


「それ、褒められてんのか?」


「まぁ、そういう事。」


卓斗―タクは笑いながら、シールドケーブルをアンプ(増幅器)に繋ぐ。

コードチューナーを取り付け、キー(調)を合わせ出す。


「んじゃ次はドラムどーぞ。」


坊主頭の少年は、

ドラムセットのハイハットシンバルを調整しながら言う。


「俺も同じで、幼稚園からの腐れ縁やな。

 『山崎やまさき 翔太しょうた』。ショータね。

 海が好きでよく泳ぎにいってんだ。」


「こいつの肌、焼け過ぎやろ~?」


「お前らが白すぎると。」


「それは言える。俺とタクは不健康やもんな。」


「巻き込むな。」


三人の少年たちは笑う。


「それじゃあ俺の番。改めて自己紹介!」


岸本は、エレキギターをかき鳴らす。

アンプから大きな音が響いた。

俊太郎はその、初めて間近で聞く大音量に驚いた。

身体にびりびりと、音の波が押し寄せる。

岸本は弦を抑えて音を消すと、笑みを浮かべた。


「『岸本きしもと 比呂ひろ』!ヒロでいいからな!

 俺たちさ、まだバンド始めて四ヶ月っちゃんね。下っ手くそ。

 高校になって何か始めたくてさ。派手な事。

 それにこいつらが付き合ってくれてるんよね。

 だから高城も遊びでいいからさ、ボーカルやってみねーか?」


岸本―ヒロが、マイクスタンドからマイクを取り、

俊太郎に差し出す。

差し出されたそれを、俊太郎はじっと見つめる。


「・・・」


タクとショータは、行方を見守っている。

俊太郎はしばらくして、ぽつりと言う。


「・・・知ってる曲とかないんだけど。」


「おっ!それはオーケーって事でいいとかいな?」


「・・・まず、何か演奏してくれ。聴きたい。」


その言葉に、ヒロは笑顔で頷く。

タクとショータも笑みを浮かべた。

マイクをスタンドに返し、

ヒロはタクと同様にコードチューナーで音を合わせ出す。


「下っ手くそやけどいいか?

 やっと形になってきた曲が1曲しかないけど!」


「ああ。」


「よっしゃ!高城が初めての観客やな!」


「そうやな。」


「うへーっ、緊張するっ。」


ヒロとタクは、

ソフトケースからバンドスコア(楽譜)のコピーを取り出し、

それを譜面台に乗せる。


「『Easter Card』」の『GREATEST』。

 初心者に優しいCコードの曲だから、弾きやすいかなと思ってさ。

 すっげぇいい曲っちゃんね。」


ヒロがタクとショータに目で合図する。

その合図と共に、ショータがスティックでカウントを刻む。

ベースのソロ(独奏)。

それを追うようにエレキギターが入る。

そしてドラムがフィルインする。

三人の音色が重なり、演奏が始まった。

俊太郎は耳を傾け、身体全体で音の波を感じる。

腹の底に響く重低音。

多彩に奏でる音の粒。

地面に這う振動。

それは俊太郎にとって、初めて味わう感覚だった。

三人は、意気揚々と演奏を楽しんでいた。

それを目の当たりにして、自然とリズムに乗り出す。

スタジオに溢れる熱気。

少年たちはそれに酔いしれ、波に乗る。

演奏が終わると、軽い耳鳴りがしていた。

ヒロは爽快感で一杯の表情を浮かべる。


「やべぇ!この前より上達しとるやん!」


「うん。練習したお陰やな。」


「音合わせると分かるな!みんな上手くなってる!」


三人は高揚して、それぞれ言葉を投げる。

俊太郎はその光景を見て、言葉を掛ける。


「すごいな。こういうの初めて聴いたけど・・・

 とても良かったと思う。」


俊太郎の言葉に、ヒロは嬉しそうに笑う。


「最初は散々やったけどな!音出すのも一苦労でさ。

 弦も押さえられなくて。」


タクも笑いながら言う。


「そうそう。タブ譜を見るのも勉強したっけ。

 指弾きも、やっと出来るようになってきた。」


ショータはジーンズのポケットからハンドタオルを取り出し、

頭の汗を拭く。


「最初、手と足が一緒にしか動かなくて・・・

 力んじゃうし、体力持たねぇし。

 でも最近、やっとテクニック覚えて楽に叩けるようになったっちゃんね。」


それぞれ主張する三人に、俊太郎は言った。


「・・・この曲の元が聴きたいんだけど。歌ってみたい。」


その言葉に、三人は顔を見合わせると、笑顔になる。

ヒロは俊太郎の肩に手を置く。


「『Easter Card』の『GREATEST』で検索したら出てくるよ。

 ・・・って、こんなメジャーなバンドの曲知らねーのか?」


俊太郎は、肩に置かれたヒロの手を払う事はしなかった。


「ああ。流行りは疎い。」


「・・・そういえば、俺が渡した連絡先の紙、捨ててないよな?」


「ああ。」


「歌ってくれるんやな?」


俊太郎は頷いた。


「歌った事ないけど・・・やってみるよ。」


「よっしゃーーーっ!!!」


ヒロは歓喜の声を上げ、腕を振り上げる。

タクとショータはその姿を見て笑った。


「恋が実ったな、ヒロ。」


「ずーっと高城の話してたもんなぁ。」


幼馴染たちの言葉に、ヒロは慌てる。


「ば、バカ!ばらすなよ!」


「あはははっ」


俊太郎も小さく笑う。

少年達の小さな会合は、かけがえのない時間となった。



二時間後、俊太郎たちはスタジオから出て一階に下りた。

ヒロが代表して、受付の女に料金を払う。


「今度の予約しといていいっすか?」


「・・・いつ?」


「二週間後の水曜日なんっすけど・・・」


「・・・空いてるよ。」


「また二時間でよろしくお願いします。」


「はいよ。」


女は短く告げ、煙草に火をつける。

ヒロはお辞儀をして、外に出ようとする。

タクとショータもそれに続く。

俊太郎はふと、ヒロに声をかけた。


「ヒロ。ちょっとトイレに行くから先に行っていてくれ。」


「おお。んじゃ先に出とくからな。」


ヒロたち三人は、店の外に出ていった。

それを見届け、俊太郎は女に目を向ける。

女はちらっと俊太郎を一瞥して言う。


「・・・トイレは廊下の突き当り。」


「・・・まさか、こんな所でお前に会うとはな。」


俊太郎の言葉に、女は無表情で答える。


「・・・その目。見覚えあんね。

 あんた・・・もしかしてあん時のガキんちょ?」


「・・・ああ。」


女は、ふふ、と声を漏らす。


「近頃見かけないと思ったら・・・

 天下の『護り屋』が、学生ごっこしてるとはね。」


俊太郎は、笑いもせず言う。


「まぁな。時間を取り戻しているところだ。」


「・・・あ、そう。」


「お前も、こんな所で何しているんだ?」


女は、煙草の煙の行方を眺めながら言う。


「何してるも何も。ここはわたしのホーム。

 ・・・早く行きな。ダチが待ってるよ。」


俊太郎は言葉を投げる。


「・・・『結女衣ゆめい』。

 『道頓堀』っていう奴知っているか?」


女―『結女衣』は、しばらく考えて答える。


「・・・知らないね。興味ない。」


「一流のお前は、お構いなしか。」


「お褒めの言葉どうも。

 ・・・何、そいつがあんたを困らせてるの?」


「・・・いや、別に。」


『結女衣』は薄く笑う。


「もしそうだとしたら・・・興味持つけどね。」


煙草を一吸いし、ふーっと上に向かって吹く。


「あんたとは、なるべく関わりたくないからねぇ。」


「・・・俺も、だ。」


俊太郎も笑う。

二人の間の空気は、緊迫して重い。


「仕事で、あんたに会わないことを祈るよ。」


「俺はもう、仕事はしていない。」


「・・・へぇ。ほんとに学生してんだね。」


『結女衣』はそれ以上、何も言わなかった。

空気が戻る。

俊太郎もそれ以降、何も話さずその場を去っていった。


                  *


午後12時を過ぎた頃。

ゆりは休憩中で、テーブルに弁当を広げていた。

唐揚げを一口食べた矢先、スマホから着信音が鳴る。

マグカップに注いでいたお茶を口に含み、

飲み込むと、ゆりはスマホの画面を見る。


― ・・・鍋島さんだ。


ゆりは画面を指でスワイプさせ、耳に宛がう。


「・・・もしもし。」


《やぁ、ゆりちゃん。こんにちは。》


「こんにちは、鍋島さん。

 鍋島さんから電話がかかってくるなんて、初めてですね。」


《はは。そうだっけな?》


「はい。この前の一件から登録させてもらってましたけど・・・」


《まぁ、そうだね。僕から君に用事がある事はなかったもんな。

 ・・・でも今日は、君に用事がある。》


ゆりは『先読み』で、この事象を把握していた。


《この前のカフェ覚えているかな?『SHALLYAシャリア』。

 君の仕事が終わってから、そこで会えるかな?》


「・・・はい。多分今日は残業がないと思います。

 なので、18時頃で構いませんか?」


《分かった。それじゃあその時間に会おう。》


「それでは、また。」


ゆりは、鍋島が通話を切るのを待ってスマホをテーブルに置く。


― ・・・これは転機だ。


先程一口食べた唐揚げを箸で掴むと、口に運んだ。

ゆりの目に、力強い光が灯る。


― 私が出来る、最善の道を見極めなくては。



午後6時頃。


ゆりは、『SHALLYA』に出向いた。

店に入ると、窓際の席に鍋島が座っていた。


「いらっしゃいませ。」


ウエイターがゆりに話しかける。


「あの、鍋島の連れの者ですが・・・」


「鍋島様のお連れ様ですね。どうぞ。」


ゆりは促されるまま店内に入ると、

鍋島が座っているテーブルに向かった。


「お待たせしてすみません。」


「やぁ、ゆりちゃん。ご無沙汰してたね。」


鍋島は和やかにゆりを迎える。

ゆりは会釈をして、鍋島の向かい側に座った。


「アイスコーヒーをください。」


「かしこまりました。」


注文を受け、ウエイターは去っていく。

注文したものが来るまで、二人は沈黙して座っていた。

アイスコーヒーがテーブルに置かれ、ウエイターがいなくなると、

鍋島は口を開いた。


「ゆりちゃん。早速本題に入るが、君に会いたがっている人がいてね。

 ・・・本城 茜だ。」


その名前に、ゆりは頷く。


「・・・はい。御令嬢が会いたいのは私というより・・・」


「そう。『早苗』としての君に、だ。」


ゆりはしばらく考え、言葉を紡ぐ。


「構いません。『早苗』として会います。」


「・・・なるほど。もう君は先を見通しているんだね。」


「はい。まだはっきりとは見えませんが。」


「これは、『易者』の仕事ではないよ。」


鍋島は真剣な表情で、ゆりを見据える。

ゆりは微笑んだ。


「今後の、私の道がどうなるのか・・・その転機だと思います。」


「・・・断ってもいいんだよ。ゆりちゃん。」


鍋島は心配そうに言う。

ゆりは真っ直ぐな瞳を鍋島に向ける。


「『易者』は、『こちら側』と『あちら側』を繋ぐ職業。

 その為には、どちらの世界も知らなくてはならない。

 だから私はあえて飛び込みます。

 それがもし、命を落とすことになっても・・・悔いません。

 私が選んだ道ですから。」


強い意志を示すゆりに、鍋島は息をついて微笑む。


「・・・そうか。本当に君はときさんの血を引いているね。

 その力強い目も、一緒だ。」


「私の『力』で誰かが救われるなら、本望です。」


「分かった。もう止めないよ。」


鍋島はコーヒーを口に含み、告げる。


「御令嬢と会う日時は来週の水曜日午後8時。

 場所は本城家の屋敷。僕が繋いだのはそれだけだ。

 今後の事は『オウル』と相談してくれ。

 『早苗』として会うなら、メイクが必要だろう。

 もし、何か情報が必要ならいつでも連絡してくれて構わない。」


「はい。分かりました。」


鍋島は、まるで娘を見るかのような眼差しをゆりに向ける。


「・・・本当に、気をつけるんだよ。僕は全面協力する。」


ゆりは鍋島の心遣いに感謝して、頭を下げた。


                  *


午後8時頃。

ときの家に帰り着いたゆりは、いつものように居間へ直行する。


「ただいま~。」


「ああ、おかえり。ゆり。」


「ちょっと遅くなっちゃった。ごめんね、待たせちゃって。」


「いいんだよ。御苦労様。晩御飯の用意は出来ているよ。

 俊太郎は部屋にいるから、呼んできてもらえるかな?」


「うん。」


居間から出て、ゆりは俊太郎の部屋に向かう。

二階に上がり、廊下を歩いていく。

部屋の前に立つと、声をかける。


「俊~。ただいま~。」


しばらくの間返答を待つが、返ってこなかった。

ゆりは首を傾げる。


「・・・俊~?」


部屋の様子は静かだった。

扇風機の稼働する音が、かすかに聞こえる。


「・・・入るよ~。」


断りを入れてゆりは障子を開ける。

部屋の中を見ると、俊太郎はベッドに横たわっていた。

ゆりはそっと部屋に入る。

横たわる俊太郎を覗き込むと、ゆりは目を見開く。

俊太郎はスマホにイヤホンを繋ぎ、目を閉じて何かを聴いていた。

その光景が意外過ぎて、しばらくじっと見つめる。

視線に気づいたのか、俊太郎は目を開けた。

ゆりが目の前にいるのに驚き、イヤホンを外して起き上がる。


「ゆり、帰ってきてたのか。おかえり。」


「・・・俊、何を聴いてたと?」


「ん?曲だよ。ゆりはこの曲聴いた事あるか?」


そう言って、俊太郎はイヤホンを差し出す。

ゆりは、その俊太郎の姿に驚きを隠せないでいた。


「俊太郎が曲を聴いてるなんて・・・びっくり。」


ゆりの言葉に、俊太郎は笑う。


「だよな。」


差し出されたイヤホンを受け取り、ゆりは耳に付ける。

スマホから流れる音楽を聴くと、すぐに声を上げる。


「・・・これ、『Easter Card』やん。」


「流石ゆり。知っているんだな。」


「知ってるも何も、ばり有名なバンドやん。

 最近メジャーデビューして、めっちゃ人気あるんやから。」


「へぇー。そうなんだ。いい曲だな。」


「・・・ねぇ。どうしたの急に?音楽なんて興味なかったのに。」


イヤホンを外し、俊太郎に返す。

俊太郎はスマホを操作して、曲の再生を止めた。


「学校のクラスメイトに変な奴がいてさ。

 夏休み入る前に、俺に連絡先渡してきたんだよ。

 強引だったから、今まで放置してたんだけど。

 そしたら朝、買い物に出かけた時に偶然そいつと会ってさ。

 そいつバンドやってるらしくて・・・誘われて、

 そいつの仲間たちと、ちょっとスタジオに行ってみた。」


「・・・それで?」


話の、この時点でゆりは驚いていた。

興味津々で耳を傾ける。


「そいつらの演奏を聴いたらさ、何か妙に心地よくてさ。

 ・・・まぁ元の曲を聴いたら、下手くそなのは分かったけど・・・」


「・・・」


「でも、何か楽しかったんだよな。

 そいつが俺に歌えって言うからさ、ちょっと歌ってみようかなって・・・」


「うっそぉ!!」


ゆりは堪らず声を上げる。


「俊が?!バンドのボーカル?!何その展開?!

 俊に友達が出来ただけでもすごいのに、バンドのボーカル!?」


「・・・お、おい。そんなに驚く事か?

 ・・・っていうか、友達って・・・」


「すごい!ヤバい!おばあちゃんに知らせなくちゃ!」


「・・・おい、ゆり・・・」


「いつ歌うん?聴きに行ってもいい?」


「・・・あのな。まだ一回も歌った事ないんだけど。」


ゆりはその言葉で、ふと思いつく。


「ねぇ。明日水族館行った帰りにカラオケ行こうよ。

 歌の練習したらいいやん?」


その提案に、俊太郎は一時考えて同意する。


「・・・カラオケか。いいかもな。ちょっと歌ってみたい。」


楽しみで仕方ないといった様子で、俊太郎は笑みを浮かべる。


「行ったことない所ばかりだな~。明日楽しみだな。」


ゆりも、笑みを浮かべて言う。


「そうやね。」


「ゆり~、俊~。早く下りておいで~。」


一階から、ときの声が届く。

ゆりは俊太郎を促す。


「行こう。」


「ああ。」


ゆりは嬉しくて仕方なかった。

俊太郎が、進んで人との繋がりを持った事。

着実に、人として大切なものを知っていく、その成長に。


                    *


翌日の早朝。

雀がさえずり、蝉が鳴き出した頃。

すでにゆりは目を覚ましていた。

寝ている間に蒸し暑さで汗をかいていた為、

軽くシャワーを浴び、自分の部屋の扇風機で涼んでいた。


― ・・・洋服、昨日買ったけど・・・


ハンガーにかけている洋服を見つめる。


― ・・・似合うかな?


悩んでいると、障子を軽く叩く音がする。


「おはよう、ゆり。」


俊太郎の声に、ゆりはどきっとする。

動揺したが、すぐに平静を保ち挨拶を返す。


「・・・おはよ、俊。」


「出かけるの、9時頃にしようか。

 ちょうど水族館が開く時間に着くと思う。

 居間で待ち合わせよう。」


「うん。分かった。」


その返答を聞いて、俊太郎は去っていく。

それと同時に、ゆりは大きく息をつく。


― ・・・考えてみたら・・・

 居間で待ち合わせとか、あり得ないよね。

 部屋出てすぐ会うとか、心の準備が・・・

 世間じゃ、私の歳で初デートとか・・・

 かなり遅い方になるんやろうけど。

 ・・・ううっ。落ち着け。普通に出かけるだけやん。


心の葛藤に、ゆりは深くため息をついた。



午前9時前。

ゆりは、自分の部屋にある姿見鏡を見つめる。

髪は緩くおだんごでまとめて、服は淡いピンクのマキシワンピース。

メイクは、ネットで調べて学んだ術を施した。


― ・・・普段の私じゃないな、完全に。


ゆりは小さく笑った。

バッグは、初給料の時にご褒美で買ったマゼンタ色のハンドバッグ。

それを手に取り、ゆりは部屋を出る。

普段何気なく歩いている廊下だが、

今日は踏みしめるように歩いていく。

居間に行くと、すでに俊太郎が待っていた。

藍色の五分袖コーチシャツに、白のボトムス。

そして、紺色のソフトハットを被っている。


「・・・・・・」


互いに見つめ合ったまま、しばらく固まる。


「・・・ゆり、すげぇ可愛い。」


「・・・俊、なにその格好。格好良すぎる。」


互いの口から、ぽつりと言葉が出る。

俊太郎はゆりを360度見回していく。


「可愛い。すげー可愛い。」


「ちょ、ちょっと。やめてよ。」


「見ちゃうだろ。見ちゃうって。可愛いもん。」


「連発するなっ!」


ゆりは顔を真っ赤にして言う。


「俺もちょっと頑張ってみた。店の人に聞いてさ。

 そしたらこんな感じになった。」


「・・・ばり似合う。モデルみたい。」


「そうか?良かった。何か変じゃないかな~って不安だったけど。」


ゆりも、負けずに俊太郎を頭の先から足の先まで見つめる。


― ・・・店員さん、きっと楽しかっただろうな。

 こんな逸材にコーデ出来て。

 ・・・私、隣を歩く自信ないっちゃけど・・・


「さ、行こう!すげー楽しみ~!」


俊太郎は、はしゃいで玄関に向かう。

ゆりはそんな俊太郎の姿に、笑わずにはいられなかった。


                  *


福岡市東区西戸崎。

海浜公園が近くにある水族館で、電車から降りて徒歩で行ける。

今日は快晴で、日差しが強い。


「公園もいいな~。今度行こうな。」


強い日差しに負けることなく、俊太郎は元気に歩いていく。

若干、その後ろを歩くゆり。


―・・・予想はしてたけど・・・

 俊太郎を見る、みんなの視線が凄かった。

 私、耐えられるかいな・・・


「・・・どうした、ゆり?何か疲れてないか?」


「・・・ううん。大丈夫。」


俊太郎は、ゆりの隣に並んで歩く。

様子を窺うように見てくる俊太郎に、ゆりは動揺する。


「な、何?」


「・・・ゆり、楽しくないのか?」


「・・・何言ってんの。楽しいに決まってるやん。」


「じゃあ何で疲れているんだ?」


「・・・気にしなくていいの。ほら、もう着いたよ。」


目の前に水族館の入り口が現れる。

それに、俊太郎の目が輝く。

二人は入館し、館内を歩いていく。

平日という事もあって、人はまばらだった。

受付で料金を支払うと、

自然の流れのように俊太郎はゆりの手を握る。

ゆりは目を見開いた。

なすがまま手を引かれて、歩いていく。

手から伝わる俊太郎の熱。

鼓動が、強く波打つ。


「・・・綺麗だな~」


俊太郎は感嘆の声を上げる。

広がる景色に、ゆりも目を奪われる。

水槽に漂う命の光。

悠々と泳ぐ魚の群れ。

二人は立ち止まって、水槽を眺める。


「・・・ずっと見てられるな。」


「うん。」


ゆりは不思議に思った。

繋がれた手に、違和感を覚えなかった。

強く波打っていた鼓動も、鎮まっている。

むしろ心地よかった。

俊太郎もゆりと同じ感覚を抱く。


「・・・ゆり。」


「・・・ん?」


「・・・ありがとう。」


「・・・え?何が?」


「・・・いや、何となく。」


「・・・・・・うん。」


それから二人は水槽を眺めたまま、しばらく立ち尽くす。

ただ、その空間に身をまかせ、漂った。


                  *


イルカショーを楽しんだ後、二人は館内のレストランに入った。

そこでは、イルカが泳ぐ姿を眺めながら食事が出来る。

二人は案内されてテーブルに座る。

それぞれ注文した後、二人は意気揚々と語り出す。


「イルカ可愛かった~!」


「ああ。楽しかった!見られて良かったな~。」


「ねぇねぇ、食べた後ペンギン見に行きたいな。」


「いいよ。俺はスナメリも見たい。」


「私も!」


二人は笑い合う。

注文の品が来ると、会話を楽しみながら食事をした。

館内のイベントショーを観覧し、

充分満喫した後再び水槽を眺める。

生命のゆらぎ。

二人はそれを静かに見守る。


「・・・行こっか。」


「・・・ああ。」


短く告げるゆりに、俊太郎も短く返す。

それ以上言わずとも、二人は通じ合っていた。

ゆっくり歩き出す。

共有した時間は、かけがえのないものとなって刻まれた。


                  *


夕方5時頃。

水族館の帰り道、二人は博多駅の某カラオケ店に入る。


「ここはゆりにまかせる。システムが全然わからない。」


「うん。」


ゆりは受付を済ませ、伝票ホルダーを持って部屋に向かう。

俊太郎はその後に続く。


「要は、カラオケする為の部屋を借りるって事。

とりあえず1時間取ったけん。」


部屋に入ると、俊太郎は興味津々で見回す。


「お~。何だ、ここ。どうするんだ?」


そう言いながら、

カラオケルームのモニターや機材を見て目を輝かす。

ゆりはバッグをソファーに置き、電子目次本を手に取る。


「これでアーティストの名前とか曲名とかを検索して・・・

 歌いたいものが見つかったら入力して、転送する。」


「へぇ~。なるほど。」


「何歌う?さっそく『Easter Card』入れよっか。」


「まずゆりが歌ってくれ。」


「い、いやいや。私は下手くそやもん。」


「ゆりの歌声聴きたい。」


「だからね、下手なんだってば。」


「観客俺だけしかいないだろ?別に恥かしがる事ないって。」


― ノリで歌える状況じゃないから嫌なんだってば!


心で抗議をするゆり。


「お願い。」


「やだ。」


「一曲だけ。」


「・・・」


「いいだろ~?」


「・・・もう。分かった、一曲だけね。」


「やった!」


二人はソファーに腰を下ろす。

俊太郎の要求に負け、ゆりはしぶしぶ電子目次本を操作して、

マイクを手にする。

曲が流れ出すと、俊太郎はその迫力に驚く。


「すごいな!」


俊太郎が楽しそうに言った言葉は曲にかき消され、

ゆりの耳に届かなかった。

ゆりはモニターを見る。

緊張して、マイクを握る手が震えていた。

意を決すると、息を吸う。

曲は、有名な某女性アーティストが歌うポップス。

明るい曲調で歌いやすいので、ゆりの定番ソングだった。

歌うゆりを、俊太郎は静かに見守る。

その目はとても優しい。

歌い終わり、曲が完全に終わる。

すると俊太郎は大きく拍手をした。


「すげー可愛い!!ゆりの歌声すごくいい!!」


その賞賛に、ゆりは赤面する。


「恥ずかしい!やめて!」


「なんだよ。全然恥ずかしい事ないだろ。上手い。」


「もう歌わないからね。はい、次、俊太郎!」


ゆりは必死で照れを隠しながら、俊太郎にマイクを渡す。


「『Easter Card』の『GREATEST』入れるからね。

 昨日聴いてたんやろ?

 とりあえず分かるとこから歌ってみたらいいよ。」


ゆりは電子目次本を操作し、転送する。


「ああ。昨日ずっと聴いてたから憶えた。」


「・・・憶えた?」


前奏が流れ出す。

俊太郎は立ち上がった。

その姿は、とても生き生きして輝いていた。

歌う一声が響いた瞬間、ゆりに何かが取り巻く。

それと同時に、とらわれた。


“100年後も 今も

 想い合う心は 変わらないだろう


 変わるといえば

 刻んでいく時間とき


 その時 見上げた空は かえらないから


 この世界にいる一人の人間ひと

 想い続ける心は 残るだろうか


 伝えていきたい 素敵な愛を

 僕達ぼくらの歌で



 100年後も 今も

 繋ぎ合う心は 変わらないだろう


 変わるといえば

 重ねていく時間とき


 その時 見上げた空は かえらないから


 この世界にある一つの命を

 繋ぎ続ける心は 残るだろうか


 伝えていきたい 素敵な地球ほし

 僕達ぼくらの歌で』


正確な旋律、リズム、抑揚・・・そして歌詞に乗る声。

全てがゆりの身体を包み込んだ。

鳥肌が立ち、心を鷲掴みにする。

俊太郎の姿が霞む。

気づけば、頬に涙が伝っていた。

ゆりは自分が無意識で、涙を流しているのに驚く。

歌い終わり、演奏が終わると俊太郎はゆりに目を向ける。


「・・・ゆり?何泣いてるんだ?」


「・・・・・・感動した。」


「え?」


「・・・凄かった。俊の歌。」


― 上手い下手のレベルじゃない。

 心を震わす歌声だ。


ゆりは鼻をすすり、涙を拭う。

俊太郎はマイクを置き、ゆりの横に座る。


「・・・俺の歌、そんなに凄かったのか?」


「・・・うん。初めて歌ったとは思えないくらい。

 何なんよ、もう・・・何でも出来て。」


「聴いたまんま歌っただけだけど・・・」


「・・・それが凄いと。」


余韻が残っているのか、ゆりの涙は止まらなかった。

拭っても、止まらない。

大きな手が、ゆりの頬に触れる。

止まらない涙を、その指が受け止める。

互いに見つめ合った。

瞳に映る、互いの顔。


「・・・俺、歌の才能あるかな?」


「・・・ある。かなり。」


俊太郎は微笑む。

ゆりもその笑顔に応えて微笑んだ。

その微笑みで、涙が自然に止まる。

ゆりは静かにまぶたを閉じた。

大きな手が、頬からうなじに置かれる。

ゆっくり引き寄せ、近づく。


そっと重なる唇。


優しく、触れるように。

互いに、想い合うように。


                  *


満ちた月が真上に昇る頃。

某ビルの屋上に、一筋の煙が緩やかに立ち上っている。

ネオンを静かに見下ろす、漆黒の双眸。

その影は闇に溶け込んでいる。

わずかな月の光が、

左腕に刻まれた黒い蓮のタトゥーを照らす。


その影の表情に浮かぶものは何もない。

夜の静寂な空間に漂っていた。




            ・・・To be continued・・・







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[良い点] デートデートデートデート!!!!デートだああああ!!✨️✨️✨️✨️ 俊太郎くん反応めちゃ可愛いこどもみたいめちゃ可愛いふふふふ(*´艸`)✨️✨️✨️ ゆりちゃんの反応もめちゃ可愛い………
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