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DARKNESS GLITTER  作者: 伝記 かんな
5/15

消えない灯

事件から一ヶ月が経ち、ゆりと『瞬』にはある変化が生じていた。

心に灯る、小さな熱。それは力強く根付き、やがて大きな情熱に成長する。

しかし、互いに想い合う心が葛藤を生み、すれ違いが起こる。


                  5


あの一件から一ヶ月が過ぎた。

季節は初夏を迎え、じっとりと汗をかく日々が続いている。

時刻は午後12時前。

海星高校では、一学期最後のホームルームが行われていた。

カーテンを閉めて外気と遮断し、

冷房を稼働している教室でも若干汗ばむ程だった。

無造作な髪を、汗を拭うようにかきあげる少年。

大きな二重の瞳は、ある席に向いていた。

その席には誰も座っていない。


― ・・・茜はあれから学校を休んでいる。

  担任の話では、体調不良で休学するとの事だ。

 事実はきっと、対応に追われているのだろう。

 メディアでは、『本城グループ会長・心筋梗塞で死亡』と報道されていた。

 『河凪 正巳』は、会社の利益を着服していたという容疑がかけられ、

 逮捕されたという。

 ・・・情報操作しなければ収拾がつかない程、

 事態は多方面に広がっていたのだろう。


「よし、今から成績表を渡すぞ。名前を呼ばれた者から取りに来てくれ。」


『成績表』の言葉に、教室中の生徒は思い思いの声を上げる。

担任が次々に名前を呼び出しては、一言声をかけながら成績表を渡していく。

その中身を見て、喜んでいる者もいれば、落胆している者・・・

少年は、眺めるようにその光景を見ていた。


「高城!」


担任が、少年の名前を呼ぶ。

少年― 高城俊太郎は席を立ち、教壇へ歩いていく。

担任は成績表を差し出し、俊太郎を一瞥する。

その顔には笑みが浮かんでいた。


「よく頑張ったな。」


担任は短く告げる。

俊太郎は会釈して成績表を受け取り、自分の席に戻っていく。

席に着くと、俊太郎は成績表を広げた。


「うわっ!!マジか!?すげぇ!オール5なんて、初めて見た!!」


俊太郎の後ろの席から、声が上がった。

その一声で、歓声が上がり、騒然となった。

俊太郎は、すぐさま後ろを振り返る。

そこには、少し髪を茶色に染めた男子生徒が、

満面の笑みを浮かべていた。


「こら岸本!静かにせんか!!」


担任の喝が飛び、生徒たちは静まった。

男子生徒― 『岸本』は、こそっ、と自分の成績表を俊太郎に見せる。


「ひでぇだろ?見事なオール2!・・・それに比べて、高城はすげぇな。」


「・・・・・・」


俊太郎は言葉を返さず、正面を向いたままだった。

無視されても、岸本は言葉をかけるのをやめない。


「高城さぁ。みんなから、すげぇ興味を持たれてんの知ってるか?

 話しかけたくても出来ないでいるんだ。何かオーラっていうの?

 近寄りがたいっていうかさ。」


「・・・・・・」


俊太郎は返事する事無く、前を向いたままだった。


「なぁ。そんだけすげぇっちゃけんさ。ちょっとはじけてみたらどうよ?

 すぐに人気者になるぜ~。お前イケメンやしさ。」



担任が次々と成績表を渡しているのを、俊太郎は眺めている。

何も返事をしない俊太郎の肩に、岸本は手を、ぽんっ、と置く。


「俺とダチにならねーか?」


置かれた手を、俊太郎は容赦なく払い落とす。


「・・・断る。」


岸本は顔を輝かせた。


「かっけぇ!ばりクールだなお前!俺さぁ、ずっとお前と喋りたかったんだよ。」


― 喋った内にならんだろうが。


俊太郎は心の中で、そう思った。


「成績表ももらったし、これから遊びに行こうぜ!夏休みだろ?

 ・・・まさか、『遊んでる暇はない』とか言うんじゃないだろうなぁ?」


一方的で強引な岸本に、俊太郎は、ふぅ、と息をついて言う。


「・・・やめとけよ。俺と絡んでも、何も面白くないから。」


「おっ!いいねぇ。お前が言うと様になるなぁ。」


意気揚々とする岸本に、俊太郎は何とも言えない心情に陥る。


― ・・・変な奴だ。


それが岸本の第一印象だった。

成績表を渡し終えた担任が、声を上げる。


「明日から夏休みだが、その夏休みこそ、今後の進路に左右すると思え。

 一年生だからといって、油断していると後で後悔するぞ。

 夏期講習を受けたい者は、ホームルーム終了後、私の所に集まるように。

 以上で終わる。起立!」


教室の皆が、一斉に席を立つ。


「礼!」


担任の掛け声の後、皆お辞儀をする。

その後、解放されたように空気が和む。

俊太郎は机の中に入れていた筆記用具を鞄に入れて、教室から出る。

その後を追うように、岸本も鞄を持って出ていく。

早足で歩く俊太郎に、小走り気味で横に並ぶ岸本。

俊太郎は、岸本を一瞥する。

岸本は、にっ、と笑いながら言葉をかける。


「なぁ、高城。バンドやらねーか?

 お前のルックスだったら、すげぇ様になるだろうし。」


「・・・悪いが、興味ない。」


「ま、考えておいてくれよ。今俺含めて三人いるっちゃけどさ、

 肝心のボーカルがいなくてさぁ。・・・ほら、これ!」


岸本は何かを、俊太郎に差し出す。

俊太郎はその勢いに負けて、立ち止まる。

差し出された物は、小さな紙切れだった。

それには、電話番号とメールアドレスが書かれてあった。


「気が向いたら連絡してくれ。そいじゃーな!」


岸本はそう言って、爽やかに去っていった。

俊太郎は、呆気に取られて見送る。


― ・・・何だ、一体。


渡された紙切れを、しばらく見つめる。

ふぅ、と息をつき、それを胸ポケットに入れると、

ゆっくり歩き出した。


                  *


海星高校は、博多駅から徒歩約10分にある。

電車に乗る為、俊太郎は博多駅に向かった。

容赦なく太陽の光が降り注ぐ。

額から汗が伝うのを感じた。

熱気溢れる雑踏の中を歩いていきながら、ふと思う。


― ・・・ゆりの所に寄ってみようかな。


博多駅からゆりの職場までは、目と鼻の先だった。


― 《『瞬』の彼女?》

  ・・・茜に言われた時は即答したが・・・。


  “ゆりにとって俺の存在は何なのか?”


  ・・・彼女が幸せなら、俺はそれでいい。

  こんな身体だしな・・・。

  自分の境遇は普通じゃないし、経歴も詐称している。


  “彼女がもし、想う男がいるなら?”


  あれから、そればかり考えている。


  “彼女にふさわしい男が現れたら?”


  ・・・俺は祝福するのか?いや、しなければならない。


博多駅の雑踏を縫うように歩き、大手家電量販店を目指す。


― ・・・俺は彼女と、一緒に歩く資格はない。

  これから先、俺は『力』を全く使わないという自信がない。

  彼女を護るために、俺は『力』を使うだろう。

  危険な目に遭っている彼女を、傍観することはできない。


大手家電量販店に到着し、俊太郎はそのビルを見上げた。



― ・・・俺は彼女の傍にいられたら、それでいい。



                  *


『あかい堂書店』の事務所兼休憩所。

ロッカーが壁際に並び、

真ん中には簡易テーブルとパイプ椅子がある。

その部屋の端に、小さなデスク。

デスクには、書類やノートパソコンが置かれている。

狭い炊事場には、給湯器と簡易コンロが設置されていた。

ゆりはパイプ椅子に座り、

作って持ってきた弁当を簡易テーブルに広げて食べていた。

卵焼きを箸で掴み、口に運ぶ。

店内と通じるドアが、がちゃん、と開く。


「お疲れ様。」


入ってきたのは、30代前半の男だった。

長身で、中肉中背。スーツがよく似合っていた。

髪は、遊び過ぎずセットされていて、好印象を受ける。


「お疲れ様です、店長。」


ゆりはその青年に挨拶をする。

青年は笑みを浮かべると、デスクに歩いていき、椅子に座る。


― 『蔵野くらの 恵吾けいご』。

  この『あかい書店』の店長。


「佐川さん。食事中に悪いけど、ちょっといいか?」


ノートパソコンを操作しながら、青年― 蔵野はゆりを呼ぶ。

箸を置き、ゆりは蔵野の元に行く。

蔵野は画面を指差して言う。


「来週の棚卸しで、この棚のレイアウトを変えようと思っているのだが、

 君が考えてくれないか?」


「・・・はい、分かりました。」


「この前、君が考えてくれたレイアウトはとてもいいよ。

 お陰で、本の売れ行きが良くなった。感謝しているよ。」


ゆりは、恐縮するように会釈する。

蔵野は椅子から立ち上がった。


「休憩中すまなかった。それじゃあ、よろしく頼むよ。」


「はい。」


「あ、それと・・・これ。」


蔵野は胸ポケットから、小さな紙切れをゆりに渡す。


「・・・僕のプライベートの連絡先。

 今度食事にでも行かないか?」


その意味を理解し、ゆりは戸惑った表情を浮かべる。

ゆりの様子に、蔵野は優しく笑う。


「突然すぎたかな?・・・すまない。

 無理にとは言わないよ。・・・じゃあ。」


颯爽と蔵野は去っていく。

ゆりは、手渡されたその小さな紙切れを見つめた。


― 『蔵野 恵吾』が、私に好意を抱いている事。

  そして、このアクションが起こる事。

  『先読み』で分かってはいた。

  でも、いざ、こうして面と向かって言われると・・・

  分かっていても動揺する。

  ・・・どうしよう・・・


放心気味で、ゆりはテーブルに戻り、椅子に座る。

食べかけの弁当を見ながら、思いふける。


― ・・・俊太郎。

  私にとって彼は家族で、かけがえのない存在。

  ・・・でも本当に、家族として?

  多分、私は少なからず彼を異性として見ている。

  この気持ちは、はっきりしない。

  家族同然で、一緒に過ごしてきたせいやろうか?

 

食欲が失せて、ゆりは箸を直す。


― 『本城 茜』の件では・・・

  彼が、彼女を護る姿を見て、なぜか安心した。

  ・・・その感情ってなんだろう?


弁当箱の蓋を閉め、弁当包みで覆う。


― 彼が幸せになるなら、私は何でもする。

  その気持ちははっきりしている。

  彼が、他の誰と共に歩んでも、それが彼の望むものなら最高だ。

  この先、私といたらきっと彼は『力』を使う事になる。

  そうならない為に・・・私は彼を突き放した方がいいのかもしれない。


小さい紙切れを握りしめ、ゆりは俯いた。



― ・・・彼の『幸せ』は何?


                  *


「ただいま~。」


午後7時を過ぎた頃、ゆりは帰宅する。

廊下を歩いていき、居間に直行した。


「・・・おかえり~。」


居間では俊太郎が、

Tシャツとハーフパンツ姿でくつろぎながらテレビを見ていた。

ゆりはその姿を見て、息をつく。

それから自分の部屋に向かう。

それを確認した後、俊太郎は小さく息をつく。


― ・・・結局会わずに帰ってきてしまった。

  何か、考えていたら会いづらくなった。

  ・・・俺らしくない。


ゆりは階段を昇り、自分の部屋に入る。

バッグを机に置き、

部屋着に着替える為カッターシャツのボタンを外す。

シャツを脱いだ拍子に、小さな紙切れが畳にひらりと落ちる。

それに気づき、ゆりは拾う。

連絡先が書いてある紙切れ。


― ・・・蔵野さんはすごくいい人だ。

  前向きに考えても、この人なら私を大事にしてくれるだろう。


ゆりは紙切れを机の上に置き、着替え出す。


― ・・・不思議だ。

  自分の事になると、『先読み』があまり発動しない。

  ・・・でも、それがある意味嬉しい。

  見たくないものもある。


部屋着に着替え終わった後、ゆりは部屋を出て一階に下りていく。

再び居間に行くと、俊太郎の姿はなかった。

台所の方で物音が聞こえる。

ゆりは台所に足を運んだ。

すると、俊太郎がガスコンロの前に立ち、

鍋に火をかけていた。

テーブルには、大量のマカロニサラダが置かれている。


「・・・俊が作ったと?」


この光景に驚いて、ゆりは尋ねる。

目線を鍋に向けたまま、俊太郎は答えた。


「・・・味の保障はできないけど。」


「ううん、すごい!美味しそう!何か手伝う事ある?」


「それじゃ、小皿と箸持っていってくれ。もうすぐばあさんも帰ってくるし。」


「は~い!」


ゆりは嬉しそうに、小皿と箸を居間に持っていく。

居間のちゃぶ台に配置していると、玄関の方で音がした。

ゆりはすぐに廊下に出て、出迎える。


「おかえり、おばあちゃん。」


帰ってきた家の主―ときは微笑む。


「ただいま、ゆり。・・・おや?何かいいにおいがするね。」


「俊太郎が作ってくれたんよ!」


「ほぉ。それは楽しみだねぇ。」


ときとゆりは居間に向かう。

すると、ちゃぶ台にはマカロニサラダと肉じゃがが置かれていた。

俊太郎が台所から、

ご飯を装った茶碗と味噌汁椀三組をお盆に乗せて運んでいる。


「おかえり、ばあさん。晩メシの用意できてるよ。」


「ただいま。おお~、これはすごいねぇ。」


「早く食べよ!」


「はいはい、少し待っとくれよ。

 手くらい洗わせておくれ。」


ときは居間を出ていく。

ゆりはちゃぶ台に並ぶ食卓に、目を輝かせて見つめている。

その様子を見て、俊太郎は小さく笑う。


「そんなに嬉しいか?」


「うん。俊太郎の手料理なんて初めてやもん。」


「夏休みに入ったし、これから作れる時に作るよ。」


「そっか、夏休みに入ったんだっけ。

 あ、そういえば成績表もらったっちゃろ?見せてよ。」


「・・・見ても面白くないと思うが・・・」


俊太郎はそう言って、居間から去る。

そしてしばらくして、成績表を持った俊太郎がそれをゆりに手渡す。

ゆりは受け取るなり、それを開く。

目にして驚愕した。

部屋着に着替えてきたときが、居間に戻ってくる。

ゆりは、たまらずときに言う。


「おばあちゃん!オール5だって!!

 高校になってもそれってどういう事~?信じらんない・・・」


俊太郎は、ゆりの反応に噴き出す。


「そんなに騒ぐ事ないだろ~?珍しくないって。」


「・・・それ、他の人に言っちゃ駄目やけんね。」


「まぁまぁ。せっかく俊太郎が作ってくれたご飯が冷めるよ。」


「・・・・それもそうやね。」


ゆりはちゃぶ台を見て、素直に腰を下ろす。

俊太郎とときも、それに続く。


「それでは・・・いただきます!」


箸を持って、味噌汁椀に手を出すゆり。

ときも味噌汁の椀を持ち、すする。


「・・・美味しい!」


「うん。美味しいね。」


二人の反応に、俊太郎は満足げに笑う。


「まだ作れるやつ少ないから、これから覚えていくけど・・・」


「充分だよ。ありがとう、俊太郎。」


「これから楽しみやね!」


三人が囲んだ食卓は、和やかに過ぎていく。

それはこの四年間変わらない時間だった。

一日の出来事を、談笑しながら食事をする。


― ・・・私の至福の時間。

  これがずっと続けばいいのにと、いつも思っている。

  でも、・・・この時間はいつか途絶える。

  それがどういう形で迎えるのか、全く分からない。


食事が終わり、ゆりは食器を重ねて炊事場に持っていこうとする。

それを、俊太郎は制して言う。


「後片付けは俺がするからいいよ。明日も仕事だろ?

 ばあさんもいいから。ゆっくり休んでくれ。」


そう言われて、ゆりとときは顔を見合わせて笑う。


「どうしたんだろうねぇ。」


「ほんと。俊、やけに気を遣ってない?」


「・・・二人とも失礼だな。こういう日があってもいいだろ~?

 日頃感謝してるお礼をしたかっただけなのに。」


俊太郎は笑いながら、手際よく食器を重ねて台所に運んでいく。

その姿を見送り、ゆりは首を傾げる。


「・・・やっぱり、何か変よね?おばあちゃん。」


「ほっ、ほっ・・・そうだねぇ。」


ときも立ち上がり、腰をとんとん叩きながらゆりに言う。


「・・・ゆり。内に秘めたる炎を閉ざす事、試練の幕開けと成り、

 反して炎を盛んにする事、道に光を灯すされど新たな試練の幕開けと成る。

 ・・・それを心に留めておく事だ。」


「・・・え?」


「若者たちの事に口を出すのは、野暮だからねぇ・・・

  それじゃあ、おやすみ。」


居間から出ていく祖母を、ゆりは言葉を掛けずに見送った。

その後を追うように、ゆりは祖母の言葉を考えながら、

自分の部屋に戻ろうと二階に上がる。

廊下を歩いていると、ある部屋の前の障子に目を向けた。

そこは、生前ゆりの祖父が使っていた部屋だったが、

今は俊太郎の部屋になっている。


― ・・・おばあちゃんは、私の行く先を見守ってくれている。


ゆりは、ふぅ、と息をつき、障子から目を離した。


                  *


午後11時を過ぎた頃。

ゆりは風呂に入った後、鏡台の前に座って髪をとかしていた。

この部屋にエアコンはない為、窓を開けて扇風機を回していた。

網戸の向こう側から、蝉の声が聞こえている。

とんとん、と障子から音がした。

ゆりは障子の方に目を向ける。


「・・・ゆり、ちょっといいか?」


その低い声に、ゆりは大きく動揺した。

迷ったが、障子を開けようとして立ち上がる。

歩いていくと、息を整えてゆりはゆっくり障子を開けた。


「・・・どうしたの?」


俊太郎は神妙な面持ちで立っていた。


「・・・入ってもいいか?」


「・・・うん。」


ゆりは必死で動揺を隠しながら、座布団を畳に二つ置く。

俊太郎はゆっくり部屋に入り、

用意された座布団の上に、静かに座る。

ゆりは障子を閉める。

その後、向かい合うように置いた座布団に座る。

しばらく目を合わさず、沈黙の時間が過ぎる。

今この空間で向かい合う二人の心情は、計り知れない。

扇風機の音が、部屋を支配していた。

ゆりはそれに耐えきれなくなって、言葉を紡ぐ。


「・・・ま、毎日暑いわね~・・・」


「・・・そうだな。」


「・・・ちょっと風、強めよっか?」


ゆりは膝を付きながら、扇風機に移動する。

そして、かちっ、と“強”ボタンを押す。

その拍子に、何かがふわりと舞った。

それは、俊太郎の前にひらりと落ちる。

それを手にする俊太郎。

ゆりはそれを見て、はっとする。

俊太郎が手にしたそれは、ある小さな紙切れ。

それを奪う間もなく、ゆりは見守るしかなかった。

ゆりは何て言おうか迷う。

葛藤をしていると、俊太郎はその紙切れを見つめながら言った。


「・・・へぇ。さては男からか?流石ゆりだな。」


その言葉に、ゆりは衝撃を受ける。

そして次に紡がれる言葉は、ゆりの胸を貫いた。


「やるなぁ。で、その男ってどんな奴だ?」


俊太郎はからかうような感じで、にやにやしている。

ゆりは瞬き一つ出来なかった。

ぱく、と口を開けたが、空気が漏れる。

言葉が出なかった。


「まぁ、ゆりに声をかける男に変な奴はいないと思う。

 付き合ってみたら?」


「・・・う・・・」


ようやく出た声。

その声と同時に、ゆりは立ち上がっていた。


「うるさいわね!!そんなの俊に関係ないでしょ!?

 そんなの言われなくたって、蔵野さんはとてもいい人よ!」


堰を切ったように出た言葉。

それと憤り。

そんな様子を、俊太郎は表情変えずに見守っていた。


「・・・ふぅん。蔵野っていうんだ、そいつ。」


ゆりは動揺の波にさらわれる。

弁解するような眼差しで、俊太郎を見つめる。


「・・・べ、別に付き合おうとか、そんな事・・・」


「いいじゃないか?」


俊太郎は微笑む。


「俺はいいと思う。俺は応援す・・・」


ぱしん、と音が響く。

それで、俊太郎の言葉が止まった。

ゆりが、俊太郎の頬を叩いたのだ。

ゆりの表情は、憤りと、苛立ちが入り交じって歪んでいる。


「うるさいって言ってるやろ!?

 ・・・何よ!話したい事はそれだけ!?」


俊太郎はゆっくり顔を、ゆりに向ける。

目と目が合う。

俊太郎の表情にも憤りが浮かんでいた。


「俺は正しいと思って言ったんだ!!」


「だから、勝手に私の幸せを決めないで、って言ってるの!!」


ゆりは真っ直ぐに言葉をぶつける。

俊太郎も揺らぐ事無くゆりを見る。

ぶつかる視線。

俊太郎の表情に彩る色。

その表情を目の当たりにして、

ゆりは痛いくらいに鼓動が強く鳴るのを感じる。


「・・・お前の幸せは何だ?」


低い声が、さらに低く響く。

ゆりは胸の中で荒れ狂う焦燥に耐え、俊太郎を見据える。

見透かそうとするその瞳に囚われ、言葉が見つからなかった。


「・・・答えによっては、俺はこの家から出て行く。」


その言葉が、容赦なく胸を貫く。

口を開いて言葉を絞り出そうとするが、声が出ない。

俊太郎は、幾分声音を和らげて言った。


「・・・出て行く事になったとしても、俺はお前を護る。

 そう決めたから。

 俺にとって、ゆりは命の恩人だ。大事な存在だ。

 ・・・それは言っておくべきだと思ったから。

 ・・・お前の幸せは?」


二度目の問いかけ。

ゆりは真っ直ぐに俊太郎を見つめる。

荒れ狂う焦燥が、次第に凪に変わり、疑問が浮かび出す。

その疑問を、ゆりは堰を切ったように吐き出す。


「・・・恩人って何?

 私は別にあんたを助けた覚えは無い。

 大事な存在って?

 それはどういう意味で言ったの?

 答えによって出て行くって何よ?何でそうなるわけ?

 勝手に決めていかないでよ・・・」


ゆりの表情は、疑問を吐き出していくにつれて曇っていく。


「・・・どうして、いなくなるわけよ・・・」


頬に涙が伝う。

嗚咽が出る。

止まらなくなった。

俊太郎は、その様子に戸惑う。


「・・・おい、ゆり・・・」


「うぅ・・・」


「・・・何、泣いてるんだよ。泣く事ないだろ?」


「・・・出て行く、なんて、言う、からっ・・・」


嗚咽が混じって、言葉が途切れる。

ゆりは俯く。

嗚咽を繰り返して、ただ泣く。

俊太郎は迷った。

ゆりに手を伸ばそうとしたが、それを躊躇う。

俊太郎は、ぐっ、と拳を作って言った。


「・・・悪かった。もう出て行くなんて言わない。」


「・・・・・・」


「・・・それじゃ、俺は寝るよ。おやすみ。」


「・・・・・・」


俊太郎は立ち上がり、きびすを返す。

障子を開け、部屋を去っていった。

扇風機の風で、ゆりの髪が靡く。

風と共に、嗚咽が部屋に残された。


                  *


一週間が経ったある日。

午後10時を過ぎた頃、ゆりはまだ、『あかい書店』にいた。

月に一回の棚卸の日は、いつも残業である。

これを機会にレイアウトを見直し、総入れ替えする事もある。

何人か従業員が残っていたが、9時を過ぎたところで、

ゆり唯一人になった。

それは、蔵野に言われた業務が終わらなかった為だった。

ゆりは黙々と本を揃え、棚に置いていく。

冷房は効いていたが、夏場というのもあって汗が滲んでいた。


「ご苦労様。」


蔵野がゆりの元に現れる。

ゆりは作業をしながら会釈をする。


「・・・うん、良いと思うよ。手間をかけさせて悪かったね。」


「いえ・・・私も、ここのレイアウトがずっと気になっていましたから

 ・・・すっきりしました。」


ゆりは小さく笑う。

蔵野も微笑んだ後、缶ジュースを差し出す。


「少し休憩した方がいいよ。」


「あ、すみません。ありがとうございます・・・」


ゆりは手を止めて、差し出された缶ジュースを受け取った。

それはオレンジ100%で、ゆりの最も好きなジュースだった。

有難く思い、缶の蓋を開けて飲む。

蔵野は缶コーヒーで、同じく蓋を開けて飲む。

飲み干した後、ゆりは大きく息を付いた。


「生き返りました!」


「ははっ。合間の一服は最高だよな。」


「お陰で頑張れそうです。あともう少しで終わると思います。」


「そうか。ありがとう。

 ・・・全部飲んだかな?もらうよ。」


「あ、はい!ありがとうございました!」


蔵野は笑いながら、空になった缶を受け取り、去っていく。

ゆりはそれを見送ると、作業を再開する。


― ・・・あれから俊太郎とは、気まずい。

  互いに何も触れずに、話す事を避けている。


ゆりはため息をついた後、気を取り直すかのように仕事をする。

作業が終わったのは、11時を過ぎた頃だった。


「大変お疲れ様。・・・うん。よく頑張ったね。」


棚を眺め、蔵野は労いの言葉をかける。

ゆりは会釈した後、完成したレイアウトを眺める。


「これで様子を見て、改善が必要ならいつでも言ってください。」


「そうだね。本当に遅くまですまなかったね。」


「いえ。それでは失礼します。」


「・・・あ、ちょっと待って。」


行こうとしたゆりを、蔵野が止める。


「・・・はい?」


「もし良ければなんだけど・・・今から食事に行かないか?」


蔵野の申し出に、ゆりは少し迷ったが答えた。


「・・・はい。」


蔵野はゆりの様子を察して笑う。


「ご馳走するよ。今日の労いをしたくってね。」


― ・・・きちんと返事をしなければ。

  このままだと失礼だ。


ゆりと蔵野は店を出て、駐車場に向かう。

蔵野の愛車は、ドイツ産の高級車。

ゆりはふと、四年前の事を思い出した。


― そういえば、白崎直が乗っていたのも高級車。

  確かに、車は社会的地位を示す必須ステータスだと聞く。

  良い車、良い時計・・・

  私は、変なのかもしれない。

  そんなの目にちらつかせても、私は惹かれない。


「深夜まで経営しているダイニングがあってね。そこに予約取ってあるんだ。」


軽快に車を走らせながら、蔵野は言った。

ゆりは車窓に目を向ける。

流れる景色を眺め、気持ちを落ち着かせていった。

蔵野は車のコンポに電源を入れる。

綺麗な旋律が、社内に流れ出す。


「・・・ピアノが好きでね。」


車内に響き渡る、宝石のような音色。

ゆりはその美しい音で、緊張が解けた。


「ピアノが流れている中で、本を読むのが僕の至高の時間だ。

 僕にとって、本と音楽は無くてはならないものだよ。」


「・・・私も同じです。」


蔵野は微笑む。

ゆりも微笑んだ。


「この曲知っているかな?」


「はい。ドビュッシーの『月の光』、・・・ですよね。」


「そう。」


それから二人は何も話さなかった。

空間に溢れる、淡い光の音色を味わうように。


                  *


蔵野とゆりが車で移動している頃。

俊太郎は居間でテレビを見ていた。

ちらっと、時計に目を向ける。

時計の針は11時半を指していた。


「ゆりは遅いねぇ。」


ときが、居間に顔を出す。

俊太郎は再びテレビに目を向けた。


「棚卸だろ。」


「ふむ・・・それにしても遅すぎる気がしてなぁ。」


ときはそう言い残して、去っていく。

テレビの電源を消し、俊太郎は畳に寝転がった。

両手を頭の後ろで組み、天井を見つめる。


― ・・・ばあさんの言う通りだ。

  今まで棚卸で、こんなに遅くはならなかった。


ふう、と息をつく。


― ・・・俺が気にする事じゃない、か。


                  *


中央区六本松。

二人を乗せた車は、とある高層ビルの屋内駐車場に入っていく。

蔵野とゆりは車から降りて、通用口にあるエレベーターに乗った。

上昇し、21階の所で停まる。

ドアが開くと、静かで落ち着いたフロアが目に飛び込む。

足元には、真紅の絨毯が敷かれている。

ゆりは、この優雅なフロアに圧倒された。

そこに構える店。

店の入り口付近に、看板が立ててある。

看板には、『starlight』という文字が書かれていた。

蔵野は先導するように、その店に入る。

その後を、ゆりは歩いていく。


「いらっしゃいませ。」


一人のウェイターが出迎える。

蔵野はそのウェイターに言葉をかける。

店内は、落ち着いた空気が漂っていた。

バーカウンターにはカップルが語り合っている。


「蔵野様、お待ち致しておりました。ご案内致します。」


ウェイターは物腰柔らかく先導する。

テーブル席からさらに奥へ行くと、個室になっていた。

ウェイターが個室のドアを開ける。

蔵野がゆりをにこやかに促す。

ゆりは戸惑い気味で個室に入った。


「・・・わぁ・・・」


ゆりは素直に感嘆の声を上げた。

個室の窓は、パノラマ画像のように夜景が広がる。

ネオンが、夜空に輝く星のようだった。

その夜景を引き立たせるように、照度は控えめに落としてあった。

個室に置かれたテーブルは一つ。

その真ん中には、キャンドルが灯されていた。

椅子が向かい合うように二つ。

ゆりはしばらく、この個室の素晴らしさに呆然と立ち尽くした。


「どうぞ、お客様。」


ウェイターが微笑んで、ゆりに椅子へと促す。

ゆりは我に返り、促されるまま椅子に座った。

そして向かい側に、蔵野が座る。


「それでは、ご予約頂いていたコースを始めさせていただきます。

 ごゆっくりお楽しみください。」


ウェイターは優雅にお辞儀をして、静かに個室を去っていく。

それを見送った後、ゆりは堪らず喋り出す。


「・・・店長!こんな良い所で食事なんて、割に合いません!」


ゆりの慌てぶりに、蔵野は満足げに笑う。


「交際を申し込もうとしている相手に、

 男としてこの場を提供したかったんだ。

 ・・・でもあんまり畏まらないでくれ。この時間を楽しもう。」


濁さずはっきり伝える蔵野に、ゆりは敬服する。


「・・・分かりました。堪能させてもらいます。」


蔵野は優しい眼差しで、ゆりを見る。


「この時間を迎えられて、僕は嬉しいよ。」


ゆりはその言葉に、胸が苦しくなった。


― ・・・この人はなぜ、私なんかに好意を抱いたのだろう?


それから、二人は食事を堪能しながら会話を楽しんだ。

時には夜景を眺め、静かに過ごす。

ゆりはこの時間が、とても心地よかった。

慌ただしい日常から解放され、心が洗われるようだった。

コースが終了し、食器が下げられてワイングラスだけがテーブルに残る。

蔵野のワイングラスには、口当たりの良いジュースが注がれている。

普段あまり酒を嗜まないゆりは、少しずつ赤ワインを口に含んでいった。


「佐川さん。」


「・・・はい。」


「少しはリフレッシュできたかな?」


「・・・え?」


「ここ最近、塞ぎ込んでいたみたいだったから・・・

 少しでも気が晴れたらいいなと思ってね。」


蔵野の気遣いに、ゆりは申し訳なく思った。


「・・・すみません。」


「いや、謝らないでくれ。

 僕もこの食事の誘いは強引かなと思っていたから。」


ゆりは相槌を打つように微笑む。

蔵野は微笑んだ後、真剣な表情になった。

その表情は、ゆりの鼓動を波打たせる。


― この表情。

 ・・・そうだ。

 俊太郎。

 俊太郎もこの表情をする。


「・・・佐川さん。」


ゆりは顔を俯かせ、蔵野をまともに見られなかった。


「・・・好きです。付き合ってください。」


揺るがない声音。

ゆりはゆっくり顔を上げる。

蔵野の真摯な瞳に、ゆりは吸い込まれる。


― ・・・このまま、流れる?

  流れて、この人と一緒に歩く?


そう考えた瞬間に、激動の波が心を乱す。


― ・・・私は・・・


  ・・・私は・・・・・・!!


ゆりは、がたん、と席を立った。


「・・・ごめんなさい。ごめんなさい、蔵野さん。

 私には勿体ないくらいの、最高の申し出です。本当に嬉しいです。

 でも・・・あなたと交際はできません。」


ゆりは深く頭を下げる。

蔵野はそんなゆりを、静かに見つめる。

頭を下げたまま、ゆりは言い続ける。


「蔵野さんには、私よりももっとふさわしい女の人がいます。

 私のような変人じゃなくて、もっと素敵な女性が。

 ・・・本当に、ごめんなさい・・・!」


「・・・・・・」


空間が静寂に包まれる。

その静寂に耐え、ゆりは頭を下げたまま動かなかった。


「・・・顔を上げてくれないか。」


蔵野がぽつりと言葉をこぼす。

その言葉で、ようやくゆりは顔を上げた。


「・・・君はなぜ自分を卑下する?

 君は素晴らしい女性だよ。だから惹かれた。ただそれだけだ。

 好きになるのに、理屈が必要か?」


ゆりは蔵野の言葉を受け止めながら、息を整えて答える。


「・・・私は、あなたとは歩けません。」


蔵野は椅子から腰を上げる。

ゆりの前に立ち、静かに言う。


「・・・聞かせてくれないか?

 度々、店に顔を出していた男の子。あの子は誰だ?」


ゆりは瞬き一つできなかった。

蔵野の言葉から、俊太郎の事が出るとは思わなかったのだ。


「あの子を見る君の目は・・・家族を見る目じゃない。

 異性として見つめる目。君が想っているのはその子だろう?」


「・・・蔵野さん・・・」


「違うかい?」


ゆりは顔を俯かせた。


「・・・はい。」


「・・・そうか。」


蔵野は笑う。


「君なりに、僕を傷つけないように言葉を選んでくれたみたいだけど・・・

 逆効果だったね。」


「・・・すみません・・・。

 私、本当に何て言ったらいいか・・・」


「君の本音が聞けて良かった。・・・座らないか?」


椅子に促す蔵野に、ゆりは素直に従う。


「・・・かないませんね。蔵野さんには。」


「君が、嘘をつくのが下手なのが分かって、さらに好きになったよ。」


ゆりは、恥ずかしい気持ちで一杯になった。

ワイングラスのジュースを飲み干し、蔵野は和やかに言葉をかける。


「今夜は楽しかったよ。君の事が少しだけ分かった。

 友人としても、君と付き合えると確信が持てたし。」


ゆりは唯々、目の前にいる青年に敬服する。


― この人は・・・とんでもない器の持ち主かもしれない。


「さぁ、帰ろうか。遅くまで付き合ってもらってありがとう。

 家まで送らせてもらうよ。」


蔵野は笑みを絶やさなかった。

ゆりは改めて、目の前にいる青年が上司で幸せだと、

感じたのだった。



                  *


ゆりが家に帰り着いた時刻は、深夜2時過ぎだった。

照明をつけず、居間に歩いていく。

酒を飲んだせいか、水が飲みたくて台所に行き、冷蔵庫を開ける。

すると、ラップがかけられた皿が目に入る。


― ・・・晩御飯は、冷やし中華だったとかいな。

  もしかして、私の分?

  ・・・しまった。

  食べて帰る事を連絡してなかった。


ゆりは、500mlペットボトルのミネラルウォーターを取り出す。

蓋を開け、飲む。

半分くらい飲み干し、息をつく。

蓋を閉め、冷蔵庫に戻す。

きびすを返して居間に行くと、人影があった。

ゆりは、かなり驚いた。


「・・・俊太郎?」


背の高いシルエットを見て、ゆりは声をかける。

鼓動が、聞こえるのではないかと思う程、強く鳴っている。


「・・・ばあさん、心配してたよ。」


低い声が、さらに低い。

ゆりは、震えそうになる手を必死で抑える。


「・・・ごめんなさい。連絡するのを忘れてた。」


俊太郎が歩み寄ってくる。

ゆりは、びくっ、として身構えた。

俊太郎はゆりの横を通り過ぎ、台所へ行く。

その行動に、ゆりは首を傾げた。


ばたん。

・・・ざぁー・・・


ゆりはその音が気になり、台所へ行く。

俊太郎は何かをゴミ箱に捨てて、皿を洗っている。

何を捨てたのか気になり、ゆりはゴミ箱を開ける。


「・・・ちょっと、俊!?」


それは、さっき冷蔵庫で見た冷やし中華だった。

ゴミ箱の中で、無残な姿になっていた。


「捨てる事ないやろ!?」


「食ってきたんだろ?じゃあこれは用済みだ。別におかしくない。」


俊太郎は洗い終え、居間に戻っていく。

ゆりは俊太郎の行動に納得がいかず、追いかける。


「・・・俊!」


ゆりは呼び止める。

それに応じたのか、俊太郎は居間の真ん中で立ち止まる。

ゆりの方を振り返り、ぽつりと言った。


「ゆり、酒飲んできただろ?酒のにおいがする。」


「・・・え、ああ・・・飲んできたけど・・・」


「美味いものも食ってきたんだろ?」


「・・・うん・・・」


「なぁ、ゆり。」


ゆりは俊太郎を見つめる。

俊太郎もゆりを見つめて、言った。


「蔵野って奴の事、好きになれ。」


最初、ゆりは何を言われているのか分からなかった。


「・・・え?」


「普通に食事して、酒を飲める相手。今までにいたか?

 同性でもいなかっただろ。

 そこまで心を許せる相手なら、俺は祝福する。」


「・・・俊、何を言って・・・」


俊太郎は微笑んだ。


「お疲れ様。明日も仕事だろ?早く休めよ。おやすみ。」


そう言って、俊太郎は居間から出て行く。

ゆりは何も言い返せなかった。

呆然と、俊太郎の後ろ姿を見送る。

視界がぼやけた。

何だろう、とゆりは手で頬を触る。

無意識に涙が伝っていた。

止め処なく、ぽろぽろと落ちる。

次には、胸が苦しくなっていた。

あまりにも苦しすぎて、立っていられなかった。

ゆりはその場で膝をつく。

嗚咽する。

両手で顔を覆った。


― ・・・ひどいよ・・・俊・・・

  ・・・どうしてそんな事言うのよ?


居間に嗚咽の声が響く。

涙は、どんどん溢れ出す。

ゆりの溢れる涙は止まらなかった。

それは、夜が明ける前まで続いたのだった。


                  *


朝方。

俊太郎は目を覚まして、洗面所に向かった。

顔を洗い、タオルで拭き取ると、小さく息をつく。


― ・・・俺は最低だよな。


洗面所の鏡で、自分の顔を見る。


― でも、これでいい。

  俺みたいな奴より、ずっといい。

  ゆりを、本当に幸せにできる。


俊太郎は、居間に向かった。

朝御飯は基本、三人揃って食べていた。

それが一日の始まりだった。

居間に入ると、ちゃぶ台にはご飯と味噌汁、そして佃煮が置いてある。


「おはよう、俊太郎。」


台所にいた、ときが顔を出す。


「おはよう、ばあさん。」


「・・・ゆりは結局帰ってこなかったねぇ。」


「・・・え?いや、2時頃帰ってきてたけど・・・」


「おや、そうなのかい?でも部屋に行ったらゆりはいなかったよ。」


「・・・・・・」


俊太郎は、いつもゆりが座る場所を見つめる。

ときは焼いた鮭を乗せた皿を運び、ちゃぶ台に置く。


「それじゃあもう出かけたのかな?

 仕事は9時からなのにねぇ。早出かな?」


ときは腰を下ろす。

それにつられるように、俊太郎も自分が座っている場所に腰を下ろす。

一つ空いた場所。

俊太郎は視線を逸らし、手を合わせた。


「・・・いただきます。」


その頃。


ゆりは職場の近くのファストフード店にいた。

コーヒーとハンバーガーを頼み、窓際の席に座って外を眺めている。

居間で泣き明かした後、風呂に入り、一睡もせず家を出た。

泣き過ぎて、腫れた目を隠すように化粧を濃くして、

いつもの赤縁眼鏡ではなく銀縁眼鏡をかけていた。

目線を、袋に包まれたハンバーガーに移す。


― ・・・俊太郎と合わせる顔がなかった。

  と、いうより怖かった。

  ・・・私はこんなに弱かったのか。


袋に包まれたままのハンバーガーを見つめる。


― 俊太郎は、私の幸せを願っている。


コーヒーを少し口に含む。

苦い味が、口の中に広がった。


― ・・・でもね、俊。

  私はね、そんなの決めてほしくない。

  幸せに感じる事なんて、みんな違うんよ。

  例え、それが正しかったとしても。


ゆりは、ぎゅ、とまぶたを閉じた。

また涙が出そうになるのを堪える。


― 気づいたんよ。

  蔵野さんから告白されて、気づいてしまった。

  私の歩く道に、俊太郎がいないのは・・・

  考えられない。


既に冷めたハンバーガーを手に取る。

袋を広げて、かぶりついた。


― ごめんね、俊。

  私って自分勝手よね。

  あなたが願った私の幸せは、本当に、

  私を大切に考えてくれているからなんよね。

  でも・・・

  私は・・・

  私は・・・・・・



午前7時頃。

ゆりは早くに、職場の『あかい書店』に出向いた。

休憩室のドアを開けると、デスクトップの所に蔵野が座っていた。

ゆりは、背筋を伸ばす。


「・・・おはようございます。」


声をかけると、蔵野は立ち上がってゆりに笑いかける。


「おはよう。・・・昨日は遅くまで悪かったね。」


「そんな・・・こちらこそご馳走になって、

 本当にありがとうございました。」


「・・・どうした?目が腫れているみたいだが。」


内心動揺したが、ゆりは平静を装う。


「慣れないお酒、飲んじゃいましたから・・・」


「ははっ、そうか。・・・また誘ってもいいかな?

 今度は気軽に居酒屋でも。」


ゆりは、微笑んで答えた。


「はい。」


その応答に安心するように、蔵野は息をつく。


「良かった。ちょっと強引だったから嫌われたかなと思ってね。」


ゆりは蔵野の言葉に、小さく笑う。

ゆりの笑顔につられて、蔵野も笑った。



夕方5時頃。

ゆりは頭痛と身体のだるさを感じ、吐き気を覚えていた。


「佐川さん、大丈夫?」


ゆりの様子に気づき、

河内かわち 美津子みつこ』が心配そうに声をかけてきた。

この『あかい書店』で、長い年月働いているパートの中年女性で、

正社員のゆりが頼りにする一人である。

温和な性格と面倒見の良さから、皆に慕われている。


「・・・はい・・・」


「・・・大丈夫じゃなさそうね。

 昨日残業で頑張ったんだから、今日は早く上がったら?」


普通なら断るところだったが、

尋常じゃない具合の悪さに、ゆりは素直に頷いた。


「・・・すみません。そうさせてもらいます。」


「店長は外に出てるから、私から言っておくわよ。」


「ありがとうございます、河内さん。」


「いーのいーの。頑張り屋さんには、少し気を抜く事が必要よ。」


美津子は、にか、と笑う。

ゆりは申し訳なさそうに頭を下げた。

休憩室を通り、女子更衣室に入る。

制服を着替えるのも大変なくらいに、意識が朦朧としていた。

眩暈がして、身体全体から汗が吹き出ていた。


― ・・・どうしよう・・・

  家に、帰りたくないし・・・

  どこか、ないかな・・・


何とか着替えて、ゆりは裏口から出て行く。

ふらつく足で、博多駅に向かう。

この時間は人の行き交いが激しく、界隈はにぎやかだった。

人の会話が、ゆりには雑音のように聞こえた。

それが、吐き気を倍増させる。

はぁ、はぁ、と息を切らす。

どんっ、と、

反対から来た通行人とぶつかる。

ゆりはその拍子で、大きくよろけた。

こける、とゆりは思った。

しかし、

片腕を掴んで引っ張る者がいた。


― ・・・誰・・・?


その人物の顔を見ようとしたら、視界が遮断される。

ゆりはそのまま気を失った。


                  *


ブーン・・・


― ・・・・・・


  何の音・・・?


  ・・・・・・扇風機・・・?


  ・・・額が・・・冷たい。


  ・・・タオル?


ゆりは鉛のように重い手を、額に持っていく。

すると、湿らせたタオルが手に触れる。


― ・・・私、どうなったんやろ・・・


重いまぶたを、ようやく上げる。

目に飛び込んできたのは、見慣れた天井。


― ・・・私の部屋?


ゆりは朦朧とする中、自分の状況に戸惑う。


― ・・・私、帰るところだったよね・・・

  ・・・すごく頭痛くて・・・気分悪くて・・・それから・・・


「・・・起きたか?」


よく知っている低い声。

ゆりは声がした方向に、顔を向ける。

そこには、心配そうに自分を覗き込む俊太郎がいた。

ゆりはようやく、

自分が自分の部屋のベッドに寝かされている事に気づく。

俊太郎が目の前にいる事と状況に、動揺しながら呟く。


「・・・私、何で自分の部屋に・・・」


俊太郎は、囁くように言葉をかける。


「・・・俺が連れて帰った。」


「・・・」


「・・・朝からずっと、ゆりの傍にいた。」


「・・・え?」


俊太郎は真っ直ぐにゆりを見つめる。


「・・・ごめん。俺はこれからも『力』を使うと思う。

 ゆりを護る為に。

 使わないとは、断言できない。

 俺はそれでいいんだ。」


真摯な眼差しに、ゆりは動揺を鎮めて見つめ返す。


「・・・俊にはね、『力』を使わない人生を歩いてほしいんよ。

 それを見守るのが私の幸せ。

 俊が普通に成長して、幸せに生きているならそれでいい。

 私の為に時間を止めないで。」


「・・・俺の成長?」


「そう。俊と暮らし始めてからの四年間、

 それを見守る事が出来て、とても幸せだった。

 俊は俊の道を行けばいいんよ。私は私の道を行く。」


「・・・俺の道?」


「そう。」


俊太郎は顔を俯かせ、しばらく沈黙する。

ゆりはその姿を、母親のように温かく見守る。


「・・・ゆり。」


「ん?」


「ありがとう。」


ゆりは笑う。


「何それ。どうしたと?」


「ゆりの気持ちは、俺よりも大きい。

 やっぱゆりって、すごいよな。」


俊太郎は顔を上げる。

その瞳に宿る光。

その光が、ゆりの心に、ちくっ、と差し込む。

それを感じ取ると共に、差し込んだ痛みに乱された。


「・・・え・・・?何?」


「・・・」


「俊太郎?」


「・・・」


見つめ合う。

俊太郎の目に宿る光。

ゆりの目に映るその影。


「・・・ゆり。俺はゆりの事を、大事な存在だと感じている。大好きだ。」


その言葉に、ゆりは大きな衝撃を受ける。

俊太郎の目に宿る、光の意味を知ったからだ。


「ゆりが俺の事を、そう考えてくれているなら・・・

 もう遠慮も我慢もしない。」


ゆりは、俊太郎の言葉の一つ一つに鼓動を早くさせる。


「大好きだ、ゆり。今伝えるべきだと思ったから・・・

 こんな気持ちになったのは、初めてだ。」


「えっと・・・」


ゆりは、この上なく顔を紅潮させる。

かける言葉も見つからず、言い淀む。


「困るよな。分かってる。でも、もう抑えない。気を遣わない。」


俊太郎は笑う。

その笑みは、ゆりの心を乱す。

激しく鳴る鼓動に耐えきれず、俊太郎から目を逸らす。


「俺は自分勝手だと思う。ごめん。でも、伝えたかったんだ。」


― ・・・

  私の本心を・・・伝えるべき?

  伝えていいの?

  ・・・どうしよう・・・

  ・・・どうしたらいいと?  


ゆりは大きく深呼吸して、

自分に掛けてあったタオルケットを頭から被った。

その行動に、俊太郎は噴き出す。


「ははっ。何だそれは~、可愛いな。」


― 可愛いとか言うなっ!!


ゆりは思いっきり、心の中で叫んだ。

俊太郎は微笑みながら立ち上がって、言葉をかける。


「少し待っていてくれ。今から、お粥作ってくる。」


俊太郎は部屋を去っていく。

それを確認した後、ゆりは大きく息をついた。


― ・・・俊太郎。

  私もね、あなたの事好き。大好き。

  ・・・でも、でもね。


視界がぼやける。

涙が零れた。


― このまま、あなたの想いに応えるべきか、

 あなたの将来の為に、引き下がるべきか・・・

 伝えるべきか、迷ってる。


                  *


30分くらい経って、再びゆりの部屋に俊太郎が訪れる。

小さめの土鍋と、水が入ったグラスを乗せたお盆を、机に置く。


「食べれそうか?」


ゆりの様子を窺いながら、俊太郎は椅子に腰を下ろす。

ゆりは、俊太郎から目を逸らして答える。


「・・・うん、何とか。ありがとう。・・・お水からもらっていい?」


ゆりは上半身を、ゆっくり起こす。

発熱してまだ熱が下がっていないのか、だるさを覚えた。

俊太郎はグラスを、ゆりに渡す。

グラスに注がれた液体を見て、

ゆりは急に、喉が渇いている事に気づく。

“渇望”の語源の如く、それを一気に飲み干した。

素晴らしい早さで空になったグラスを俊太郎に渡し、

ゆりは土鍋に目を向ける。


「・・・俊太郎がお粥作るなんて・・・信じられない。」


「すげぇだろ。」


得意げに俊太郎はお盆を持ち、ゆりの膝の上に置く。

土鍋の蓋を開けると、白い湯気が、ほわっ、と立ち上る。


「・・・美味しそう。」


「美味しいぞ。」


お粥には、卵がとろりと掛かっていた。


「絶妙・・・」


ゆりの反応に、俊太郎は満足している。

れんげでお粥をすくい、呑水に移す。

白いお粥と卵が絡んでいるのを見て、食欲が湧いてくる。

それを少しれんげに乗せ、口に運んだ。


「・・・美味しい。」


心から、言葉がぽろりと出る。


「食べられるだけでいいから。そしてまた寝る事だな。」


「・・・うん。ありがと。」


俊太郎の優しさと温かさに、ゆりは胸を熱くした。


「・・・俊。」


「ん?」


「・・・俊は将来、どうしたいって考えてる?」


その問いかけに、俊太郎は間を置いて答える。


「さぁな。とりあえず今、したかった事をしてる感じかな。

 将来どうしたいとか、考えた事ないかもな。」


「・・・」


「俺さ、普通の人生ってのがよく分からないんだよな。

 まっとうな生き方してきてないし。

 ゆりの考えている普通の人生って、何なんだ?」


真っ直ぐな眼差しを向けられ、ゆりはどう答えていいか戸惑った。


― 確かにそうなのかもしれない。

  私の考えていた俊太郎の幸せは、自分勝手な思い込みなのか・・・

  でも。

  俊太郎の『力』。

  これを切り離す事が出来れば、彼にとって幸せな人生になるはず。

  私が行こうとしている道に、その幸せは得られない。


「俊。」


「ん?」


「私もあなたが好きよ。大好き。」


「・・・え?」


「これはずっと、これからも変わらない。あなたがどんな道を行っても。

 でもね、私が行こうとしている道に、

 あなたがどう関わるのか・・・とても心配なんよ。見えてこない。」


「・・・・・・」


「あなたが『力』を使わない道と、私が行く道が交わる絵が、見えてこない。」


「・・・ゆり。」


「いくら考えても、見えてこなくて・・・」


「なぁ。」


「・・・ん?何?」


「ゆり。さっき今、何て言った?」


「え?だからね、あなたが『力』を使わない道と・・・」


「違う。その前の前。さらっと言ったよな?」


「・・・・・・」


ゆりはしばらく考える。

俊太郎に目を向けると、

とてもとても、きらきらした目をしてゆりを見ていた。

その様子に、首を傾げながらゆりは考え込む。


― ・・・・・・


ゆりは次第に、自分の言った言葉を思い出す。


― ・・・ん・・・?

  ちょっと待って。

  私、なんかとんでもない事を、さらっとこぼした、かも。


「・・・あ。」


ゆりは完全に思い出し、鼓動が波立つのを感じた。


「やだ。今のなし。」


「なし!?」


俊太郎は全力で訴える。


「なし、じゃないだろ?

 なし、じゃないよな?!」


「なし!今のなし!!」


もはや、何のやりとりが行われているか不明だった。


「せ・・・せっかくのお粥冷めちゃうから、話終わり!」


ゆりは素晴らしい勢いで、お粥を口に運び出す。

俊太郎は、じっ、とゆりを見つめる。

その目に、今までにない強い光が宿る。

ゆりは俊太郎の様子にお構い無しに、お粥を食する。

熱いのも気にしなかった。

全部平らげ、ゆりはお盆を俊太郎に返す。


「美味しかった。ありがとう、俊。

 俊の言われた通り、もう寝るから。」


俊太郎は何も言葉を発する事無く、それを受け取り、お盆を机の上に置く。

ゆりは、静かになった俊太郎に目を向ける。

俊太郎の目に宿る、強い光。

その光を見た時、金縛りにあったかのような感覚に陥る。

俊太郎の表情に浮かぶ色。

今までにない、濃くて深い激情。

ゆりはそれから、目を逸らす事を許されなかった。


「ゆり、少しは熱下がった?」


急に俊太郎から言葉が漏れ、ゆりは慌て気味に答える。


「う、うん。」


「ちょっと測らせろ。」


えっ、とゆりが言う前に、俊太郎は行動に移っていた。

大きな手がゆりの額に置かれる。

ゆりはびっくりして、身構えた。


「だ、大丈夫よ。うん。沢山食べたし、もう寝るから・・・」


「手じゃ熱は測れないよな・・・」


俊太郎の行動に隙はない。

顔が近づく。

ゆりは逃れようとするが、それを俊太郎は許さない。

俊太郎の額が、ゆりの額に触れる。

大きな黒曜の瞳が、ゆりの瞳を捕らえる。

あまりにも近すぎて、

ゆりは息をする事も、まともに出来なかった。


「ゆりは・・・」


ぽつりと零れる俊太郎の声は、低く囁く程度に響く。


「・・・どうしたい?」


「・・・ど・・・・・どう・・・したい・?」


ゆりは失神しそうだった。


「・・・好き合っている者同士が、する事ってなんだろう。」


「・・・ちょ・・と・・・俊・・・」


俊太郎の大きな両手が、ゆりの両頬をふわりと挟む。

その手はとても温かく、優しい。


「答えはもう分かるよな・・・」


「待って・・・何のこと・・よ」


「まだはぐらかすのか?」


「ち、違う・・・・・・なんでこんな事に・・・」


「ゆりが俺の事好きっていうことが?」


「いや・・・だから・・・・・・その・・・・・・」


「俺は、もう遠慮しないって言ったよな。」


「・・・」


「俺が今、何を思ってるのか分かるよな?」


「・・・」


「分かるよな?」


「分かる・・よ。」


「ゆりは俺とどうしたい?」


「・・・・・・」


ゆりは俊太郎の追求に耐えきれず、ぎゅっと目を閉じる。

そんなゆりを、俊太郎は窺うように見守る。


「俺、もう待てないんだけど。」


「・・・ごめん、俊、私の負けです。」


ようやく搾り出たゆりの言葉に、俊太郎は噴き出して笑った。


「ははっ。」


「・・・俊の・・・好きにしてください・・・・・・」


「こっちこそ、ごめん。つい悪戯したくなってさ。」


俊太郎は両腕をふわりとゆりに回し、ぎゅっと抱きしめた。


「続きは、ゆりの熱が下がってからな。」


「・・・馬鹿!」


俊太郎が、普段通りの雰囲気に戻ったのに気づき、

ゆりはその両腕から逃れる。


「病人をからかうな!」


「いや、本気だったけど。

 でも、あまりにもゆりが可愛くてさ・・・」


指摘され、ゆりは顔を真っ赤にする。


「あんたには、遠慮が必要だって気づいた!」


「もう遅い。我慢も遠慮もしない。」


不適な笑みを浮かべ、俊太郎はゆりの頭に手を置く。


「おやすみ。ゆり。」


「・・・おやすみ。」


ゆりは睨みながらも、言葉を返した。

俊太郎は立ち上がり、お盆を持つ。


「ゆっくり休めよ。ここんとこ忙しかったのもあって身体が疲れてたんだ。」


じゃあ、と言葉を残して、俊太郎は部屋から去っていった。

風のような爽やかな去り方に、ゆりはしばらく放心状態に陥る。

そして、俊太郎の激情を思い出し、自らの身体を抱き締める。

初めて向き合う、女としての一面にゆりは深いため息をついた。

激しく鳴り止まない鼓動が、支配する。

眠れない夜を過ごす事になったのは、言うまでもない。




             To be continued・・・



















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― 新着の感想 ―
[良い点] ああああああ!!蔵野さんだ!蔵野さんだあああああっ!!!!(この先知ってるからこそ余計にテンション爆上がり) ああ、店長さんだったのですね蔵野さん!この頃からすでにゆりちゃんのことが。そし…
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