一欠片の色
1
『妖鳳女子学園』、通称『妖女』という私立高校がある。
そこには福岡県全域の高校で最も大きい図書館があり、
勉学の為に他校から入館の許可を得て訪れる学生も多い。
その図書館の受付には、本とは無縁ではないかと思わせる茶髪の生徒がいた。
赤い縁の眼鏡をかけ、少し目尻がつり上っている為気が強そうな印象を受ける。
文学少女というより、お洒落を楽しむ今時の少女といった方が納得する。
「あれ?どうしたの、ゆり。眼鏡やん。」
受付の少女に話しかける女子がいた。
長い黒髪はポニーテールで、まつげのエクステが重そうに瞬いている。
『ゆり』と呼ばれた少女は、その女子をちら、と見て答える。
「もともと目が悪かったんよ。コンタクトやめただけ。」
「へぇ、そうやったんやね。眼鏡似合ってるよ~」
「・・・それはどーも。」
「お世辞じゃないってば。」
「・・・真愛さぁ。いつも何しに来てるわけ?私とつるんでるだけやん。」
黒髪の女子、津野瀬 真愛は意味ありげに笑う。
「うちらのさ、男との出会いの場所といったらここしかないわけやん?」
ゆりはふぅ、と息をつく。
「あんたは男求めにここに来てるわけ?」
「分かってんでしょーに。
でねでね、この間ここでなんと合コンの約束まで出来たんよ!」
「・・・ふーん。」
「・・・あれ?反応が薄いやん。ゆりもくるっしょ?」
「私はいい。」
「えー!?どうしたの?何か最近落ち着いてなーい?・・・まさか
ゆり、すでに彼氏いんの?」
「・・・むしろ逆。」
冷めた口調でゆりは答える。
「男はあきらめた。目指すものあるからいらない。」
ゆりの発言に、真愛はエクステで重そうなまつげをこの上なく上げて見開いた。
「だから勝手にやってちょーだい。」
「ゆり~、悲しすぎるわ。今男見つけないでどうすんのよ?」
「私の事はほっといて。・・・ほら行った行った。後ろがつかえてんだから。」
真愛の後ろに、本を持った女子がいる。
何か言いたそうだったが、真愛は素直に受付から去っていった。
ゆりは本の受付をしながら思う。
― 男が欲しい、運命の相手を見つける、
・・・なんて前は言っていたけど、どうしたらいいか分からなくなった。
向こうから寄ってくるなんて、虫のいい話なんて無いという事だけ分かった。
自分がいい女になればいいだけ。
言い寄ってくる男が来るような女になれば自然に・・・ね。
頑張って、慣れないコンタクトしてたけどやめた。
眼鏡が一番だな、うん。
ゆりは館内を見渡した。
所々他校の生徒が見受けられる。
ふと受付の近くにある本棚に目を向けると、真愛が誰かと話している。
ゆりとは対称的な眼鏡をした、他校の男子生徒。
青縁の眼鏡をかけ、背は真愛の頭一つ分出ている。
茶色に染めた髪は無造作に立てられ、体格は中肉中背。
― 巷では『超ヤバイ』級の男子だ。
真愛のあの顔ときたら・・・
その男子と話している真愛の表情は、溶けそうなくらい恍惚に浸っている。
― ・・・合コンの相手かな。
あの制服は確か、男子校の『青葉学園』。
ばりばり金持ちの、お坊ちゃん高校やないか。
真愛の奴、下心満載だわ。
ゆりは呆れて視線を外そうとした、その時だった。
「・・・!」
ゆりは改めてその男子を見つめる。
― ・・・私の目に狂いがなければ・・・
この男・・・
真愛がその男子と別れて、再びゆりのいる受付にやってくる。
「ねぇ、見た!?あの男の子!超ヤバイでしょ!?」
テンションが上がっている真愛を、ゆりは真剣な顔で見る。
「・・・真愛。あの男と合コンするの?」
「そう!ゆりも行きたくなったやろ?しかも『青葉学園』の男子やから
文句なしやし!」
本棚で本を立ち読みしているその男子を見ながら、ゆりは言った。
「・・・私もその合コン参加する。」
「おっ!でしょでしょ!何だかんだ言ってやっぱゆり、あきらめてないやん!」
「・・・そういうことにしといても構わないけど、とにかく絶対参加する。」
「そうこなくっちゃね!
今度の土曜日夜の7時に、博多駅で待ち合わせしてんのよ。
人数は三対三にしようかって言ってたから・・・私とゆり、
あともう一人連れていくんやけど、京華にしようと思ってんだ。」
『京華』とは『飯田 京華』の事で、ゆりとは同じクラスである。
― あまり話した事ないけど、そこそこ可愛い子だ。
真愛とは対照的で、内気そうな印象がある。
しかしこの二人は親友で、気が合うそうだが。
「いいかな?」
「・・・いいも何も、私の方が誘われたんだし。」
「じゃあ決まりね!」
真愛はとても嬉そうだった。
再び真愛はその男子の所へ戻り、話し合っている。
その男子が、ちらっとゆりの方を向いた。
ゆりはその男子と目が合う。
その男子は、にこっ、と微笑んでゆりのいる受付に歩いてきた。
何気ない仕草と雰囲気は、女を恍惚に浸らせる力があった。
しかしゆりは表情を変えず、その男子の動作を冷静に見守る。
「初めまして・・・と言うべきかな?
実は何回かここに来ているから、君の顔は知っているんだけどね。
俺は白崎 直。よろしく。」
綺麗な笑顔だった。
真愛は隣で、とろけた表情を浮かべている。
ゆりは軽く会釈をして言った。
「・・・佐川ゆりです。」
「土曜日楽しみにしてるよ。それじゃ、また。」
図書館を去っていくその姿は、風が去るように爽やかだった。
その様をずっと見送る真愛の二の腕を、ゆりは叩いた。
「いったぁ!何すんのよゆり!」
「ほんとあんたって奴は・・・面食いもいいとこだわ。」
「超タイプなんやもん。見惚れて当然でしょうが!」
「あの男、相当な悪人やったらどうするよ?」
「悪人なわけないやん!超カッコいいのに!」
― だめだこりゃ。
ゆりはふぅ、と息をついた。
― これ以上、言ったところで信じないだろうし・・・
私が何とかするしかないな。
「ああ、楽しみ~!早く来ないかな~土曜日!」
浮かれる友人を、ゆりは呆れた様子で見守る。
ゆりは、事象を予測する力を持つ。
一般的な言葉で例えるなら、『先読み』の力である。
ここ最近、ゆりはその力が強くなってきているように感じていた。
今までその人物を一目見てすぐ判断できなかったのだが、
目に見えるくらいはっきり『先読み』できるようになっていた。
― ・・・あの男には、今まで会ってきた人間に感じたことがない
大きな『悪意』を感じる。
・・・何も起きなければいいんだけど・・・そうはいかないようだ。
*
下校途中、ゆりはとある一軒家に寄り道した。
瓦屋根の古風な造り。
昭和の色を彩るその家の主は、
ゆりの祖母『佐川とき』の家である。
この人をなくして今の自分はない、とゆりは思っている。
彼女の職業は『易者』。
ゆりの力を一番に理解し、そして彼女もまた『先読み』の力を持つ。
ほんの以前まで力を持て余し、将来の道を考えもしなかったゆりだが、
彼女の『易者』という職業の意義を最近知り、自分の力を生かそうと思い始めた。
インターホンを鳴らさず、ゆりは玄関の戸に手をかけた。
― 鍵がかかっていない。
「おばあちゃーん。入るよ~」
返答を待たずにゆりは戸を開けた。
がらがらがら、と音が鳴る。
ゆりはためらいなく中へ入った。
土間には、大きな黒い革靴が揃えてある。
― この靴・・・
「ゆりかーい?居間にいるよ~、入っといで~」
家の奥から声が聞こえた。
ゆりは靴を脱いで家に上がると、廊下を歩いていく。
居間に行くと、ちゃぶ台に向かい合うように座る男女がいる。
女の方はゆりのよく知る祖母ときで、男の方はスーツを着た40代の中年。
「やあ、ゆりちゃん。しばらくだね。」
「今晩は、鍋島さん。ご無沙汰です。」
中年の男は自分の娘を見るように笑みを浮かべる。
― 鍋島 朔冶。
普通のサラリーマンに見えるこの人の職業は『情報屋』。
『情報屋』と『易者』は助力関係にあるらしい。
・・・私にはまだそこまでしか教えてもらえていないが。
「ゆり、よくきたね。」
「・・・うん。ちょっと学校で怪しい奴を見たの。」
「怪しい奴とな?」
「うん。」
ゆりはちゃぶ台の所に腰を下ろして、二人と向かい合う。
「うちのダチが馬鹿でさ。そいつの学校の奴らと合コンするのよ。
何かとんでもない事が起こりそうな予感がするわけ。
普通の奴なら私も首を突っ込まないんだけど・・・
なんかヤバい雰囲気を持っているわけよ、その男。」
ゆりは鍋島に目を向ける。
「鍋島さん。
今日あなたに会えたのは、そのとんでもない事が起こるのを防げる
助けになるのではないかと思います。
その男の素性を調べてもらえませんか?
できれば今度の土曜日前までに。無理を承知の上ですが・・・」
頭を下げるゆりを、ときは優しく見守りながら言った。
「ゆり。お前さんがそう言うと思って私が鍋島さんを呼んだんだよ。」
ゆりはその言葉に驚くが、すぐに納得した。
― 流石おばあちゃんだ。『先読み』はいつも私の上をいく。
鍋島はうなずきながら答える。
「・・・ゆりちゃん。
君のお願いを叶える条件として、こちらからもお願いがあってね。
それを呑んでもらいたい。」
「鍋島さんのお願い、ですか?」
「ゆり。私の見解は、この件はお前さんとある人の力を借りて解決する。」
「・・・ある人って?」
鍋島は一時の間を置き、うなずいた。
「彼はね、ゆりちゃんに全面協力してくれるそうだ。
こちらの条件は、この件を彼と共に解決してほしいんだよ。」
「えっと・・・あの、二人とも。あの人とか彼って一体・・・?」
「申し訳ない。彼の詳しい事はあえて伏せておく。
正体も分からない相手を受け入れるのは、ゆりちゃんにとって
厳しいかもしれないが・・・」
ときはいく末を静かに見守っている。
その様子をゆりは感じ取り、少し考えた後答えた。
「・・・分かりました。その人と私が協力する事で最悪の事態を回避できるなら、
条件を呑みます。」
「ありがとう。・・・で、その男というのは?」
「その男は『白崎 直』といって、青葉学園在学の高校生です。」
「白崎・・・?どこかで聞いたような・・・」
鍋島はしばらく考えた後、大きく目を見開いた。
「・・・『シラサキ』グループ!・・・なるほど。
『シラサキ』グループの社長の息子の名前が確か『直』だったよ。
その線を調べてみよう。」
「よろしくお願いします。」
鍋島は小さくうなずくと、静かに言った。
「・・・彼の名前は『瞬』。信じられないかもしれないが、
彼はこの居間のどこかにいて、話を一緒に聞いている。」
ゆりは鍋島の言う事が理解できなかった。
― ・・・ここにはおばあちゃんと鍋島さん、私しかいないけど・・・
居間を見渡してみるが、二人以外の姿は見受けられない。
首をかしげながらも、ゆりはその『瞬』の事には触れなかった。
*
土曜日はあっという間にやってくる。
ゆりは、鍋島がくれた情報を頭の中で整理しながら、
待ち合わせの場所に向かっていた。
電車の車窓が目まぐるしくスクロールしている。
― 『白崎 直』。
青葉学園在学高等部三年生。
成績はトップクラスで、運動神経も良く、皆から慕われているらしい。
『シラサキ』グループの子息ともあって、カリスマ的な存在だという。
しかし裏の顔があり、同級生とつるんで賭博や女子に暴行をはたらいている
事実があるという。
表沙汰にならないのは、親が持つ警察とのコネクションのお陰らしい。
情報を聞けば聞くほど、世の中不条理だと思った。
ゆりはスクロールに流れるネオンを見つめながら思いふける。
― 『シラサキ』グループ。
金融会社主体で、かなりの大手企業。
鍋島さんが調べた結果、最近政治家とのコネクションもあるらしく、
賄賂の疑惑も窺える。
『―まもなく博多~、博多に着きます。お忘れ物がないようお手元をお確かめの上
席をお立ちください・・・』
社内にアナウンスが流れる。
ゆりは深呼吸をして、電車のドアに向かい合う。
― 神様。
どうかいい方向にお導きください・・・
電車はゆっくりと停まる。
ぷしゅーっと、電車のドアが開いた。
多くの人が博多駅のホームに降りていく。
ゆりもその流れに沿ってホームに降り立った。
土曜日という事もあって、博多駅は賑わっていた。
その人波の中を、ゆりは揺らぐことなく歩いていく。
― 待ち合わせ時間は7時。
場所は博多口のコンコース付近だ。
今の時刻は・・・まだ30分前。
ちょっと早すぎたかな・・・
改札口を抜けると、ゆりは待ち合わせの場所に行かずアーケードに所々建つ柱に
身を預けた。
賑わう人波を、ゆりは眺める。
ふいに、何か右手に冷たいものが触れた。
ゆりは自分の右手に目を向ける。
自分の右手にからまる冷たい手。
ゆりは非常に驚いた。
反射的に、ばっと、その手を離す。
その手の主の方向を見るのがとても怖かったが、ゆりは相手を見据えた。
背丈はゆりの肩くらいで、黒い髪は目にかかる程の長さ。
小学生高学年を思わせる、あどけなさを持った少年だった。
「・・・幽霊?」
聞くのも馬鹿らしいと思ったが、
さっきの冷たい手を思ったら聞かずにいられなかった。
少年はふっ、と息を漏らす。
「悪いが違う。生きてる人間だよ。」
ゆりは鍋島の言葉を思い出し、冷静さを少しずつ取り戻す。
少年はゆりと並ぶように、柱に身を預けている。
しばらく互いに沈黙する。
ゆりは意を決したように言葉を発した。
「・・・あんたが『瞬』?」
ゆりの問いに、少年はへぇ、と唸った。
「その通り。」
ゆりは平静を装っているが、
この妙な雰囲気を持った少年に大きな疑問と動揺の波が押し寄せていた。
― 何こいつ・・・?!
見かけ小学生っぽいけど、違う。
本当に子ども?
私の『先読み』の力を使っても・・・分からない。
ゆりが必死に動揺を押し隠している傍ら、少年はぽつりと言った。
「行くのやめたら?」
その言葉で、ゆりは我に返る。
緊張を見透かされた気がして、ゆりは少しむっとした。
ちらっと少年を見て、ゆりはその問いに答える。
「行くに決まってるやん。力を貸してくれるんでしょ?
だったら解決できると、
おばあちゃんが言ってたんだから大丈夫に決まってる。」
ゆりの答えに、少年は小さく笑う。
「度胸あるな。・・・俺を信じてくれて助かる。」
「あんたじゃない。おばあちゃんを信じてるの。」
ゆりはふと、改札口にある時計を見る。
時間は6時50分を回っていた。
― もう行かなきゃ・・・
ゆりは再び少年のいる方向に目を向ける。
すると、さっきまでいた少年の姿は綺麗に消えていた。
― ・・・やっぱり幽霊かもしれない。
あまりにも鮮やかな去り方に、そう思わざるを得ない。
気を取り直して、ゆりは柱から身を放した。
待ち合わせの場所を目指し、アーケードを歩き出す。
博多口付近は多くの人が行き交っており、
待ち合わせの場所に誰がいるか把握が難しかった。
「あ、ゆりー!!こっちこっちー!!」
真愛の声が聞こえ、ゆりは声のした方向を見る。
すると、真愛と一緒にいる少女に気づいた。
髪はセミロングで、服装は白色のフェミニンなフリル付きのスカート。
黒で統一している真愛の格好とは対照的だった。
「佐川さん、こんばんは。」
「ゆりでいいよ、飯田さん。私も飯田さんの事、京華って呼ぶから。」
少女―京華は少し戸惑った様子だったが、相槌を打って快諾する。。
「ねぇ、あれ白崎君じゃない?」
真愛がこちらに向かってくる少年を見つけた。
「白崎くーん!!こっちー!!」
人波の流れに乗って、白崎 直は姿を現した。
図書館で会った時の青縁の眼鏡は、紫色に変わっていた。
服装のセンスの良さとルックスに、周辺の女の子達が振り返る。
黒のジャケットに、ビンテージのジーパン。
歩いてくる姿は、メンズファッションモデルのようだった。
その少年に、真愛と京華は釘付けになっている。
「こんばんは。待たせちゃったかな?」
柔らかく微笑むその美少年に、真愛と京華は見惚れた。
ゆりはその二人の代わりに受け答える。
「いえ、今来たところです。・・・白崎君一人ですか?」
美少年―直の周りを見て、ゆりは尋ねる。
直は申し訳なさそうに答える。
「二人は遅れるみたいでね、
これから僕の紹介する店で合流するようにしたよ。
それで構わないかな?」
真愛が率先して答える。
「はい!構いません!」
直は満面の笑みを浮かべた。
「良かった。じゃあ行こうか。
ここから少し離れたところに、僕の車があるんだ。
それに乗っていこう。」
「え!?車!?」
真愛はかなり驚いている。
京華も同じだったようだ。
「免許取ったばかりだけどね。」
「素敵・・・!免許取れたとしても、高校生が車なんて買えませんよ!」
「そこら辺は親のスネかじっているんだけど。ははっ。」
直の笑顔はまさに天使の微笑みで、暖かい空気を作り出す。
その空気に、真愛と京華は酔いしれているようだった。
そんな中ゆりは、直の奥底に隠れている『悪意』を見つめていた。
「車は近くの立体駐車場に停めてあるんだ。出してくるから、
ロータリーの所で待ってて。」
直はそう言って颯爽と歩いていった。
その後ろ姿を見送ると、真愛が京華に話しかける。
「・・・ね?超カッコいいでしょ!?」
「うん・・・信じられないくらいカッコいいね。」
その二人の様子を見て、ゆりは深いため息をついた。
*
中央区薬院白金台。
この地域は豪華な一軒家やマンションが建ち並ぶ住宅街である
最高級外車の車窓からその光景を眺める少女三人。
真愛と京華は夢見心地の様子で、目を輝かせている。
― 何て贅沢な車に乗ってんのよ・・・
ゆりはそう思いながら一人呆れていた。
「もうすぐ店に着くよ。」
爽快に運転しながら、直は少女達に声をかけた。
車は、とある一角の駐車場に入っていく。
車を降りた少女達の目に飛び込んできたのは、10階建てのマンション。
1階には敷居の高そうな洒落た店がネオンを灯していた。
壁は黒の大理石で、
エントランスに敷かれた真っ赤な絨毯には、金の刺繍がある。
真愛と京華は圧倒されているのか、立ち尽くしている。
ゆりも若干その雰囲気に気圧されたが、自分の使命感が支えてくれた。
直は優しく少女達に言葉をかける。
「この店は父が経営しているんだ。だから気兼ねなく楽しんで。
さぁ、入ろう。」
「・・・はい!」
真愛が張り切って返事をする。
京華もつられるようにうなずく。
直の後に続くように、二人が歩いていく。
ゆりは改めて建物の全体を見渡した。
― アクションが起こるとしたらここだ。
ここは相手の懐の中と思っていい。
ゆりは深呼吸する。
― 『易者』を目指すなら、これは乗り越えなければならない。
その為におばあちゃんから護身術も習ってる。
・・・その護身術を使う場面が出なければいいけど。
最善を尽くそう。
ゆりは意を決し歩き出した。
「いらっしゃいませ、直様。
ご友人の方々は奥の部屋にお通ししてございます。」
黒服の男性が直に声をかけ、丁寧に頭を垂れる。
「ありがとう。」
それに応えると、直は慣れているかのように奥へ歩いていく。
「いらっしゃいませ。」
黒服の男性が少女達にも同様に頭を垂れる。
真愛と京華は戸惑いながらも、つられるようにお辞儀して直の後に続く。
ゆりは冷静に店の中を見渡していた。
店の照明は明るいとは言えない。
だがその照度が店の雰囲気と合っていた。
カウンターには誰も客はおらず、バーテンダーが静かにたたずんでいる。
テーブルらしきものはない。
全室個室のようだ。
直が入った部屋は広く、真ん中に晩餐会のようなテーブル席が置かれていた。
部屋の傍らにある牛革のソファーにくつろぐ二人の少年がいる。
「よう、直。」
「そっちの方が早かったみたいだな。」
美少年が二人増え、真愛と京華はそわそわしている。
二人の少年はソファーから立ち上がり、笑顔で応える。
「初めまして。僕は桂木 颯太と言います。よろしく。」
一人目の少年は短い黒髪を無造作に流し、細身の長い足が印象強い。
「俺は林藤 拓海。俺達直とは小さい頃から
よくつるんでいてね。」
二人目の少年の、肩まである茶色の髪は艶やかで品があった。
目も、カラーコンタクトを入れているのか茶色だった。
― 白崎 直と同じくらいのイケメンぞろい。
ますます計画性を感じる。
真愛と京華は、この増えた美少年達に釘付けだ。
「あ、あの、私は津野瀬 真愛です。」
真愛が、呆けている京華の腕を引っ張る。
現実に引き戻され、京華は慌てて自己紹介する。
「・・・飯田 京華です。」
直はしきりに笑っている。
「ははっ。そんなに緊張されるとこちらも畏まっちゃうな。」
颯太と拓海も、直と同様に笑顔を浮かべている。
ただ一人冷め気味に光景を見つめていたゆりに、拓海が尋ねる。
「・・・君の名前は?」
ゆりは出来るだけの笑顔を作って言う。
「佐川 ゆりです。」
「みんな可愛いね、うん。」
「流石直だな。」
颯太と拓海が笑みをこぼしながら言う。
「さ、立ち話も何だから座ろう。男女三人向かい合うようにね。」
直の掛け声に皆動き出す。
少女達三人が座った後、それを見計らったように美少年三人達が座った。
真愛の向かいに颯太、京華の向かいに拓海、そしてゆりの向かいには直が座る。
「・・・よろしくお願いします!」
真愛はかなり張り切っているのが分かる。
京華も頬が紅を差したように染まり、高揚しているようだった。
直が部屋にあるテレフォンを使い話した後、皆に向けて告げる。
「それでは今からディナーを始めると同時に、
『青学』と『幼女』の合コンを開催します。」
真愛も京華も、向かい合わせて座る颯太と拓海に目を向ける。
それぞれ挨拶をして、嬉しそうに微笑んでいる。
― 男子二人は真愛と京華にターゲットを決めているようだ。
・・・なぜか、白崎直は私に向き合っている。
直が、ゆりに視線を合わせて笑みを浮かべる。
ゆりは軽く会釈をして、視線を外した。
部屋に二人のウェイターが、飲み物と前菜を運んでくる。
それぞれ思い思いに話し、楽しみながら食事をしている。
ゆりは静かにフォークを持ち、前菜のサラダを口に運ぶ。
直はそのゆりの動作を見つめている。
その視線に気づきながらも、ゆりは黙々と晩餐を進める。
「・・・君って、不思議な魅力があるね。」
ぽつりと直がゆりに言葉をかける。
ゆりは悪魔で冷静に対応する。
「白崎さんほど整った顔、私は初めて見ます。」
その返答に、直は小さく息を漏らして笑う。
それからゆりと直は言葉を交わさないままの時間を過ごす。
それをよそに、男女二人の話は盛り上がっているようだった。
メインディッシュの牛ヒレ肉を、ゆりはナイフとフォークで切り分ける。
直の強い視線を感じ、ゆりはちら、と目を向ける。
表情はとても穏やかだ。
しかし目の奥にある、深い闇をゆりは見逃さなかった。
コースはデザートに差し掛かる。
ウェイターがワイングラスをそれぞれの所に置いていく。
そして赤ワインらしきものを注いでいった。
直が皆に伝えるように言い渡す。
「この一見赤ワインのようなものは、
この日の為に取り寄せた特別なラズベリージュースです。
アルコールは入ってないから安心して。」
「わぁ・・・!美味しそう!」
真愛が嬉しそうに口に運ぶ。
京華もそれに続いた。
ゆりもワイングラスを持ち、口に含もうとしたその時だった。
― 【飲むなよ。】
ゆりはその声に、はっとする。
― 【そのジュースには、睡眠薬と筋弛緩剤が入っている。】
その言葉にゆりは動揺する。
― 【俺に任せておけ。飲むふりをしろ。】
― ・・・どういうことよ?
ゆりは内心迷ったが、怪しまれるのを恐れて『瞬』の言葉に従った。
ワイングラスを傾ける。
ジュースが口に向かって流れてくるが、
それが含むこともなく、こぼれもしない。
不思議な現象だった。
飲んでもいないのに、ジュースは確実に消えていく。
それが全部無くなった直後の事だった。
真愛が椅子から崩れ落ちるように倒れる。
京華も間もなく崩れ落ちた。
― 【眠るふりをしろ。】
ゆりは『瞬』の言葉に従った。
二人同様にゆりは椅子から崩れ落ち、そのまま床にふせた。
三人の少女の寝落ちを見届けると、三人の美少年の雰囲気も一変した。
「ふぅ・・・終わった終わった。」
ゆりは床に伏せたまま聞き耳を立てる。
― この声は・・・桂木 颯太だ。
「おい、直。相場はいくらだ?」
― 林藤 拓海の声。
「そうだな・・・質は悪くないから『3』ってところかな。」
― これは白崎 直の声。
相場・・・?
『3』って何の事?
「直、まだ時間じゃないだろ?俺達にも少し楽しませてくれよ。」
「・・・悪いな。大事な『商品』なんだ。
取り分は全部くれてやるから我慢してくれ。」
「・・・分かったよ。それじゃ俺たちは帰るぜ。」
「ああ。取り分は学校で渡す。」
― ・・・『商品』・・・?
その言葉の響きに、ゆりは嫌悪感を覚えた。
部屋に入ってくる複数の足音。
気づかれないように薄目で状況を確認する。
真愛と京華が黒服に担がれ、連れて行かれている。
ゆりにも黒服の男の手が伸びる。
身体がふわりと浮くのをゆりは感じた。
ただ黙って、されるがまま目を閉じて時を待つ。
どこかの部屋に身体を下ろされ、黒服の男達はそこから立ち去っていく。
完全に静寂が支配したところで、ゆりは目をゆっくり開けた。
暗い部屋だった。
ゆりは身体を起き上がらせ、周りを見渡す。
真愛と京華がすぐ傍で寝息をたてている事は分かったが、どんな部屋なのか
見渡しても把握は出来なかった。
「・・・逃げるか?」
『瞬』の声が響く。
声の主は、座り込むゆりの目の前に立っている。
『瞬』の問いかけに、ゆりは首を横に振った。
「まだ終わっていない。何も解決してない・・・逃げるわけにはいかない。」
まるで勇気を奮い立たせるような、ゆりの独り言だった。
『瞬』は黙って、その様子を見つめている。
「・・・お願い、力を貸して。」
つぶやくような、ゆりの懇願だった。
『瞬』はしゃがみ込んで、ゆりと目線を合わせる。
「・・・鍋島の言ったとおり、俺は力を貸す約束だ。」
「・・・ありがとう。」
「・・・で、どうすればいい?」
「・・・」
ちら、と、横で寝息をたてている二人の少女を見る。
「とりあえずこの二人を安全な場所に連れて行ってほしい。
あんたならできるでしょ?・・・多分。」
ゆりは『瞬』に探るような、妙なお願いをする。
『瞬』は悟ったのか、小さく笑いながら頷く。
「ああ。できるよ。分かった。
・・・それから?」
「私は今からあいつに会って話をする。」
『瞬』は間を置いて頷いた。
「・・・お前に降りかかる災難は俺が払う。
思うように動いてくれて構わない。」
「・・・ありがとう。」
ゆりは不思議に思う。
― こんな得体の知れない子どもの言う事、素直に信じられるのはなぜ?
・・・私大丈夫かしら。
・・・って、のんびり考えてる暇ないっ。
立ち上がって辺りを見回すと、もう『瞬』の姿は消えていた。
そして真愛と京華の二人の姿も一緒に。
その鮮やかな消え方に、ゆりは少しだけ驚いたがすぐに冷静になる。
― ・・・嘘でしょ。マジックみたい。
ゆりは部屋の出入り口のドアに歩いていく。
ドアノブに手をかけると、すんなりドアが開いた。
大きく息を吸う。
心を決め、ゆりは部屋を出た。
廊下の明かりが眩しかった。
部屋が暗かったので、目が慣れるまで数秒かかったがすぐに回復する。
廊下は豪華な絨毯が敷かれており、ホテルのようだった。
人がいる気配がないので、ゆりは少しほっとした。
用心深く廊下を歩いていく。
― 【奴はこの施設の5階にいる。ここはさっきいた店の2階だ。】
『瞬』の声がする。
もう戻ってきたのかと、ゆりは驚いた。
― 【もうじきしたら、『取引』が始まる。
それの前に会って話をつけろ。そうしないと厄介だ。】
「『取引』?・・・どんな人たちが来るわけ?」
― 【国の財界を握る大物・・・と言っておこう。
とにかく早いに越した事はない。】
ふわ、と何かがゆりに取り巻く。
なんだろう、と思った矢先、『瞬』の顔が目の前に来る。
す、と腕を引かれ、ゆりははっ、とする。
「な・・・」
『にを』、と言おうとした瞬間、視界に闇が広がった。
突然のブラックアウトに、ゆりは大きく戸惑う。
しかしそれは一瞬の出来事だった。
何が起こったのか理解できないまま、
ゆりの目の前には一つのドアが立ちはだかっている。
― 【奴はここにいる。準備はいいか?】
「・・・?!」
― え・・・?さっき私がいる所が2階と言ったよね。
あいつは5階にいるって・・・
ああ、もう!
疑問を心の中で叫びつつ、ゆりは気持ちを無理やり抑え込む。
そしてドアノブに手をかける。
しかし、ふと思い直し、軽く拳を作ってドアをノックした。
しばらく間を置いて、応答があった。
『・・・はい。』
― 白崎 直の声。
― 【部屋の中はあいつ一人だ。】
『瞬』が付け足すように言う。
ゆりは充分深呼吸をして、改めてドアノブに手をかけた。
ドアを開け、部屋に入ると中にいるその人物と対峙した。
「・・・!?」
その人物は、ゆりの姿を認識した途端目を大きく見開く。
「な・・・なんでお前・・・」
驚愕して、言葉に余裕がないのが分かる。
直を見据え、ゆりは静かな口調で言葉を発する。
「・・・あんたは親から利用される事で自分の存在を確かめている。」
「・・・なんだと?」
思いがけない方向からの指摘に、直は表情を激変させる。
整った顔が歪み、瞳が一定に定まらなくなる。
ゆりは続ける。
「しかられたい、誰かに止めてもらいたい、それを心の中でずっと叫んでいる。」
「・・・うるさい!!」
直は叫びに近い声を放つ。
「お前に何が分かる!!」
ゆりは少し声を和らげて言う。
「分からないわよ。あんたの心なんて誰にも分からない。
自分しか分からないものよ。だから自分で何とかするしかない。
自分の存在を知ってほしい・・・そんなの誰だって思ってる。
・・・あんたのやってる事はね、人の道を外してんのよ。
それには、私も目を瞑れない。ほうってはおけないわけ。
まだ間に合う。あんたは私の言う事に、まだ耳を傾けられるんだから。」
「・・・なにを・・・何を言ってんだよ、お前・・・」
直の肩が震えている。
眼鏡のレンズが部屋の照明と反射して、目の表情が読み取れなかった。
次の瞬間、直が勢いよくゆりの方へ歩み寄る。
ゆりは逃げなかった。
両肩を掴まれ、そのまま後ろに下がり、だんっ、と壁に押し付けられる。
直の瞳がゆりの瞳を直視する。
部屋内の空気が、そのまま凍りつく。
静寂が支配する中、直の喉の奥から言葉が響いた。
「・・・今更・・・何言ってんだよ・・・」
「・・・」
「・・・お前は何をしてくれてるんだよ・・・
もう遅いんだよ・・・どうしたところで状況は変わらないんだよ・・・」
「・・・遅いもへったくれもないでしょ?」
ゆりは強く言った。
「分かった時点であんたはやり直せる。
これからどうするか、よく考えることね。」
「・・・もっと・・・」
直は首をうなだれる。
「・・・もっと早く、お前に会っていたら・・・」
ゆりはそんな直をじっ、と見つめる。
直の奥に、色んな感情の波が押し寄せていた。
― ・・・もう大丈夫みたいね。
ゆりはほっ、と安堵の息を漏らした。
*
次の日の朝。
ゆりは登校前にテレビを付けてニュースを見た。
― マスコミの情報の早さは、本当に脱帽するわ。
速報として、『シラサキ』グループの賄賂発覚を取り上げていた。
『シラサキ』グループ社長、『白崎 遼太郎』は逮捕され、その息子『直』も
関与していた事を肯定し、逮捕された。
この事実が発覚したのを受け、『シラサキ』グループは倒産の危機に陥っている。
ゆりは、直が自首をして、洗いざらい事実を言ったのだろうと思った。
しかし、実際賄賂の内容、『財界の大物』の人物像は報道されていない。
そこはやはり、警察も手を出せない相手という事なのかと、
世の中本当に不条理だと、ゆりは繰り返し実感した。
ゆりはあの後の事を、真愛と京華に話した。
自分達が、酒を騙し飲まされていいようにされそうになった、と。
賄賂の事は、事実を包んで隠した。
真愛と京華は『憤り』と言うよりも、少し残念そうにしていた。
ゆりは無理もないな、と思う。
― 彼女達にとって、大事な出会いの場であったし、まさに理想的だっただろう。
・・・だからこのままじゃいられない。
その日の放課後。時刻は17時頃。
ゆりはとある学園の校門前に待ち伏せしていた。
『先読み』の力を持つ彼女には、100%会える自信があった。
ゆりが制服姿だったため、下校する学生が注目しながら歩いていく。
その中、とある二人の男子学生が、ゆりの姿を見て驚愕する。
ゆりはまっすぐその二人を見据えて、その二人の所へ歩いていった。
その二人は囚われたかのようにその場に立ち尽くす。
「・・・どーも。昨日はとても楽しかったですね。」
ゆりが皮肉たっぷりに話しかけると、気まずそうに二人は目をそらした。
二人の男子学生とは、昨日合コンした『桂木 颯太』と『林藤 拓海』である。
「大丈夫ですよ。昨日の合コンの事はいいませんから。
白崎直もあんたたちの名前は出してないみたいだし。」
そのゆりの言葉に、二人は顔を見合わせる。
その表情に安堵の色が伺えた。
ゆりは二人を見合わせて、強い口調で告げる。
「これだけは言っておきたいと思ってきました。
真愛と京華は本当にあんたたちとの合コンを楽しんでいました。
その二人を弄んだ罪は重いと思います。私は許せない。
今後また弄んだら、私は容赦しないのでそのつもりでいてください。
あんたたちを刑務所に送る事なんて簡単だという事を忘れないように。
いいわね?」
ゆりの迫力と言葉に、二人は顔を青ざめて何回もうなずいた。
「それじゃ、もう会う事がないのを祈ります。」
ゆりはきびすを返し、まっすぐ歩いていく。
二人は何も言い返せないのか、ゆりの後姿を見送るしかできなかった。
*
ゆりは、ときの家に立ち寄る約束をしていた。
『瞬』の件についてである。
― 昨日あれから姿を現さなかった。
・・・本当に変な奴。
行動、言動、理解不能な不思議な力・・・
子どもにしては落ち着き過ぎてるし・・・
それに私の『先読み』の力が全く通用しない。
いろいろ考えていたら、あっという間にときの家に着いた。
日も落ちて、辺りは暗くなっている。
「おばあちゃーん、入るよ~。」
そう言って、ゆりはいつものように玄関の戸に手をかける。
がらがら、と音を立てて開け、ためらいなく入る。
玄関の土間に、目新しい靴はなかった。
しばらくして返事がくる。
「ああ、ゆり。入っておいで~、居間にいるよ~」
ゆりは靴を脱いで、居間を目指して短い廊下を歩く。
― 何かいいにおいがする。
その香りは、ゆりのお腹の虫を騒がせる。
居間に着いて、その光景を目の当たりにした。
ちゃぶ台で、カレーを黙々と食べている少年。
勢いがあり、頬をしきりに動かしている。
ゆりはその少年の様を見るなり、呆然とした。
― ・・・こうしてみると・・・普通の小学生なんだけど・・・
その少年はゆりに気づき、片手を挙げる。
食べるのに必死のようだった。
ときは少年の豪快な食べっぷりに、満足げに笑顔を浮かべる。
「『瞬』がお腹空いているって言うもんだから、カレー作ったよ。
お前も食べるかい?」
「・・・私はいい。」
『瞬』の勢いよく食らう姿を見て、騒いでいたゆりのお腹の虫は黙り込む。
カレーを黙々と食べている『瞬』に向かい合わせて座った。
食べ終えた『瞬』は傍らにあったコップ一杯の水を一気に飲み干すと、
満足そうに大きく息をついた。
「はーっ、美味かった!ありがとう、ばあさん。生き返ったよ。」
「ほほっ。それは良かった。」
ときは、まるで孫を見守るかのように微笑んでいる。
『瞬』はゆりの方を向いて言い放つ。
「こうして飯を食えるのは、10年ぶりだったものでな。」
その言葉は、ゆりを止まらせた。
「・・・は?」
「俺は力を使い始めたのをきっかけに、
10年間成長が止まったままになっていたんだ。」
『瞬』が放つ言葉の意味が分からず、ゆりは尋ねる。
「・・・10年間、あんたは成長せず子どものままでいたってわけ!?」
「多分成長できなかったというより、
俺の体だけ時間が止まったままだったという事だろうな。」
ゆりは目を見張り、驚愕する。
「・・・そんな事って・・・あるの?」
「ああ。」
― ・・・確かにこいつの手は冷たかった。
体温が感じられない気がした。
「俺自身この力の事を調べている。力を使うのを一日やめただけで
いきなりお腹が空いてしまってな。
どうやらこの力を使わなければ俺は成長できるのかもしれない。
・・・今まで力を使うのをやめられない環境にいたせいで、
それに気づかなかった。」
「・・・どういう事?」
『瞬』は静かに告げる。
「俺は『護り屋』をしていた。
今回の『シラサキ』グループの件に関わる『国の財界を握る大物』から
専属で雇われていた。・・・まぁ、そいつに嫌気が差して離れたんだが。
あんたが『取引』を駄目にしてくれて本当に爽快だった。」
「『護り屋』・・・」
ゆりは初めて聞くその職業を口にする。
『瞬』は小さく息をついて、ときに言葉をかける。
「なぁ、ばあさん。そういうわけで俺さ、行くあてがないんだよね。
ここにしばらく住まわせてもらえないかな?」
その申し出に、ゆりは目を見開く。
ときは大して驚きもせず、穏やかな口調で答える。
「ああ。構わないよ。好きに暮らしなさい。
それと、ゆり。お前もしばらくここで暮らしなさい。」
「はぁ?!」
「助かった。有難う、ばあさん。」
「ちょっとおばあちゃん?!」
「『易者』を目指すなら良い頃合だろう。
私の元でいろいろ教える事があるからね。
お母さんには私から伝えておくよ。」
「・・・・・・」
「ほほっ。」
ゆりの反応に、ときは笑顔を浮かべている。
― ・・・こんな訳分からない子どもと一緒に暮らす?・・・待って。
こいつ見た目小学生だけど、
それから10歳プラスして・・・
いやいやいや、成人してるよね。
見た目はこうでも絶対大人よね。
混乱しながら視線を送るゆりの様子を悟ったのか、
『瞬』は意味ありげな言葉をこぼす。
「大丈夫。力を使って風呂とか覗かないから。」
「ばっ・・・」
変な動悸がゆりを襲う。
顔を真っ赤にして抗議した。
「そんなことしたら、家から叩き出してやるけんね!!」
「しないって。」
ゆりのあからさまな抗議に、『瞬』は楽しそうに眺めて笑う。
「実は俺がここに来たのは、あんたにまた会いたくてさ。
あの時のお礼と、恩を返すために今回前面協力させてもらった。」
「・・・え?」
― ・・・私が前にこいつと会ってる?
・・・全く憶えがないんやけど・・・
「それじゃあ・・・これから同じ屋根の下住む同士、仲良くしような。
あ、ばあさん。俺ちゃんと家賃払うから。仕事で稼いだ金結構持ってるから
安心してくれ。」
「律儀な居候だねぇ。」
ときはにこにこ微笑んでいる。
屈託のない笑みを彩る少年。
二人を見合わせ、これから起こる事象を考えると、ゆりは深いため息をついた。
・・・To be continued
誤字を修正しました。