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それから、僕は毎晩のように例のバーに通い詰めた。店の人間に顔を覚えられたくなかったので、一つの店に通い詰めるようなことはしないようにしていたのだが、彼女に再会できなかったら、僕は自分の無力さに苛まれて狂ってしまいそうだったから、こうする他になかった。しかし、彼女は一向に姿を現さなかった。彼女に出逢ってから一ヶ月ほどが経った三月の暮れには、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しく思えてきた。名前はおろか、顔すらもしっかりと記憶しているわけではない。そんな女のことを一途に思い続けるなんて、何て間抜けなのだろう。いつもどおり、僕はたった一杯のカシオレを呑み乾して店を出た。
店先で五、六人の酔っぱらいが屯している。僕と同じくらいの年代の男たちが、騒ぎ立てていた。僕もとんだ愚か者だが、こいつらも僕に勝るとも劣らない愚か者だ。
「死んじゃえばいいのに……」
普段の僕なら云えるはずのない言葉だった。僕は自分以外の人間の大半を軽蔑しているが、同時に尋常でないほどに怖れていた。人間が、特に人間の声が、怖くて、怖くて仕方がなかった。別に、今の僕はセーブが効かないほど酒に酔っているわけではなかったのだが、やはり少しでもアルコールが入ってしまえば思い切りが良くなってしまうものだ。
勿論、男たちは僕に向かって怒声を張り上げた。そのうちの一人が、僕の胸倉を掴んで、路地裏まで引きずって行き、左頬を一発殴った。たった一発だったのに、口中に血の味がひろがった。そのまま地べたに横たわった僕の頭を、殴った男は足蹴にした。男たちは寄って集って、僕を蹴り飛ばしたり、唾を吐き捨てたりして、弄んだ。鳩尾に入った一発が痛恨の一撃となり、胃袋の中にあったものが逆流してきて、僕は思わず嘔吐してしまった。吐瀉物には血もまじっていた。口腔内の血なのか、はたまた内臓が傷ついたときに出た血なのか、わからなかったが、男たちは僕が嘔吐してもなお容赦しなかった。それどころか、「汚ったねえ」と云って、彼らの暴力はさらにエスカレートしていった。
結局、十五分ほどの暴行の末に、財布にあった五万円を抜き取って、男たちは夜の闇に消えて行った。――その金で、明日睡眠薬を買わないといけない、でないと僕は。――
このとき、僕の眼裡によぎったのは、やっぱりあのアメスピの女だった。この醜い姿は、あの夜とそっくりだ。僕は腫れあがった瞼を無理やりにこじ開けて、辺りを見渡した。どこかにいるはずだ、そう確信していた。だが、僕の生きるこの世界は、どうやら僕の想像よりも遥かに残酷みたいだ。――