邪神の器は、一人になりたい
「先生、さよなら!」
「さよなら、気を付けてね!」
夕方帰って行く子供達を見送り、私は明日の授業の用意を済ませてから学校をあとにした。
神の器としての役目を終えて2ヶ月。
私はレギウスの生家で暮らす傍ら、村の小学校で教師の仕事をしている。
レギウスは傭兵団長を部下に譲り、この村の治安維持の警備の仕事をしている。
たまに戦場が恋しいようなことを言ったりするので、いつか傭兵に返り咲くことがあるかもしれないが、今はエノンはいたって平和なので当分それはないだろう。
アンムートは、皇帝の息子が皇位についた。
前皇帝は未だエノンに捕らわれていて、人質の身だ。今やアンムートはエノンの管轄として機能しているに過ぎない。そして、私を召喚した闇の女神の神官長も。
レギウスに捕らえられた神官長は取引しようとしたらしい。
「私を解放するなら、器の娘を元の世界に帰してやる」
そう言ったが、レギウスは迷わず彼を牢に放り込んだ。
あとになって、そのことをレギウスは私に話して謝ってくれた。
「トウコの帰る道を断ってしまい、すまない」と。
頭を下げる彼を見て、いじらしくて笑ってしまった。怒りは湧かなくて、「いて欲しい」と言われて、ただ嬉しかった。
向こうの世界にいる家族や友人に会いたいとは思うけれど、レギウスと別れてまで会いたいわけではなかったから。
「夕飯何にしよう……」
今夜は私が夕飯当番だ。
いつもの小さな店で、卵と鶏肉とキノコを買う。トマトと玉ねぎは畑で収穫したのがあるから、それを使おう。
私の今の趣味は、自家菜園で野菜を作ること。それから、元の世界とこの世界の歴史を編纂して本に纏める作業だ。
歴史を学ぶために大学に通っていた私は、その経験を生かし、いずれ本として出版しようと思っている。
この世界では、一般の人々の間では歴史について書かれた本は出回っていなくて関心も薄い。
私からしたら歴史は、過去の教訓を知る上で大切なものだ。それを知れば、回避できる危険や誤りもある。
そう、例えば神を操ろうとする愚かさなんかを。
休日なんかに机に向かって書き物をする私を、彼はよく覗き見て感心してくれる。
「トウコは、物知りだな。しかし、こちらの世界の歴史をどうやって調べたんだ?」
「以前教えてもらったの」
参考資料もなく書き上げる私は、本当は誰にも教えられていない。厳密には、いるのだが……
「いるのね?」
自宅の玄関に着いたところで、背後に声を掛けた。庭の林檎の木の陰から、音もなく現れたガイルに微笑んだ。
「久し振り。いつか来ると思ってた」
こちらをじっと見たまま、ゆっくりと近付く男に、買い物袋を下ろして動かずにいた。
「元気だった?」
「………トウコ」
何かを言いかけて声にならない言葉に、ガイルは戸惑っているようだった。
「苦しいの?」
問うと、体を揺らして顔を俯ける。
「………ああ、そう、だ。お前が以前言った言葉が、わかりたいのに分かっているかもしれないのに、わからない」
「そう」
助けを私に求めている。
ガイルの額に軽く触れても、彼は抵抗せず大人しい。
触れた先から流れ込むのは、彼の傷だ。
娼婦の母に虐待の末捨てられ、雪の中を、さ迷う幼い子供。
人身売買でアンムートに捨て駒として買われた少年。
愛されたことがないから、愛し方も分からない青年。
ずっとずっと苦しんで、安寧を求めて止まない魂。
額に置いていた手を、彼の胸に当てる。光を帯びた私の指先に目を見張っていたガイルだったが、ふいに目から涙を零した。
「あなたの心の傷を癒してあげる」
光の女神の神力で、彼はきっと楽になる。
手を放すと、ガイルは自分の温かさを感じる胸に触れて、また涙を零した。
「その、力は……?」
「内緒にしててね。もうこれで大丈夫よ。あなたは誰かをちゃんと愛せる」
茫然としていたガイルが、首を振った。
「俺は……俺はトウコが」
「ううん、私ではあなたを幸せにできない。さあ、もう行って、夫が帰ってくるから夕御飯作らなきゃ」
そう言うと、しばらく私を見つめてから、ガイルは悲しげな表情で柔らかく私の肩を抱き締めた。それが最後の別れだと知っていたから、私は受け入れて彼の背中を撫でた。
「さよなら、ガイル」
私の言葉を合図に腕を解き、小さく礼を言った彼は夕暮れの中に溶けるようにして、やがて姿を消していった。
***************
「トウコ、どうした?」
帰って来たレギウスが、玄関先に座っていた私に目を瞬いた。
「お帰り、待ってたの」
そう言って飛び付いたら、「体が冷たくなってる」と、彼は暖めようと深く私を抱き締めてくれた。
一緒に家に入り、私が夕御飯を作っている間に、彼は風呂を沸かして寝具を整える。
二人で夕御飯を食べた後、先にお風呂に入ったところで話し掛けた。
「ありがとうございました。貴女がいてくれたからガイルを助けられた」
胸の奥で、くすりと笑うイメージが伝わる。
「あの……それで、まだ私から離れないんですか?」
次にふるふると首を振るイメージ。
「飽きませんか?え……レギウスとのラブラブをもっと見たい?いやいや!やめてくださいよ!」
なんだ、この女神様!
覗き魔な女子なだけじゃん!光の女神様がこんなだって皆知ったら引くだろうな。
私はアンムートとの戦いの後に、器を辞めて女神様には天に帰ってもらうはずだったのに、なぜか気に入られて留まった状態で今に至る。
私を乗っ取るわけではなく、ただ神力を使わせてくれて、見守っているだけなのだが……困る。
レギウスは心配するだろうから言ってない。彼は私が既にただの人間だと信じきっている。
その内、出てってくれる……よね?
「おいで」
寝室でレギウスの膝に乗せられて、その銀髪に指を入れてみる。
「綺麗な色」
髪を見て、瞳の青さを眺めていたら、照れた彼が誤魔化して私の唇を奪った。
「明日は休みだから、ゆっくりできるな」
「う、うん……そうね」
嬉しそうに私を抱きかかえてキスを繰り返す彼の首に腕を回す。
女神は静かに押し黙り、私は彼のことだけを考えようと意識を向ける……なんとか
は、早く出てって欲しい……
「はやく」
「トウコっ」
「へ?あ、きゃん」
口走った言葉で煽ってしまった。私は夫に愛でられながら、願っていた。
早く一人の体になりたい………
そう、邪神の器は、一人になりたい!
二人きりになるために。
〈完〉
ここまで読んでいただきありがとうございました!
また違う世界でお会いしましょう、いやお会いしたいです!




