人助けなんて良いものじゃない
人助けなんて、碌なものではないと俺は考えている。
無償の代わりに感謝を受け取り、優越感に浸る薄汚いものだ。誰かのために自己を犠牲にする行為など生物的にも間違っている。
確かに人間は互いに助け合わねばここまでの繁栄も発展もなかったろう。
助け合いとは本来互いの望むものを提供しあって成り立つものであり、片方だけが提供することではない。見返りを求めてこその人類繁栄とも言えるだろう。
しかし、現社会では見返りを求める行動は酷くあさましい行為と考えられている。まるで自身だけが被害を被ることが美しい行為であるかのように。
他人の幸せが自分の幸せというのは嘘だろう。あくまでも自分が既に持っているから、他人がそれを得たとき祝うことが出来るのである。仮に自分が手にしていないもの、手に入れられなかったものを他人が得たときそれは妬み、羨ましく思い、時にはそれが悪意となって表れるだろう。
素直に称賛できる人を、損得なしに人助けを行える人を美しいものとし、それを真似ようと多くの人は偽善という皮を被る。
だが結局は偽善は偽善、偽物でしかない。美しいもので外側を覆おうと中身が変わるわけではないのだ。本当の危機に巻き込まれたとき、そんな皮は綺麗に剥がれ落ちる。他人よりも自分を。自然界ではそれが当たり前であり、それが正しい。
生物として破綻している行為を何故美しいものとするのか。俺にはそれが分からない。
ああ、だからこそ、俺はそれの正体を知りたくなってしまったのか...。
その日はいつもと変わらない何気ない一日で、そしていつもの自分なら何事もない一日で終わるはずだった。
高校3年生の冬、受験期真っ盛りの俺は今日も今日とて勉強地獄の日々を送っていた。
何のために大学に行くか明確な目標もないまま、親に教師に将来のためだと言われ続けたから単に勉強しているだけ。幸い頭は悪いほうではないらしく、成績も順調に伸び続けている。
だが、その先に何があるというのだろうか?勉強は好きか嫌いかでいえば嫌いだ。
嫌いなものを頑張って大学に入ったとしても、その嫌いなものは更に続くことになる。
会社に入ったところでまた更に辛い思いをしなくてはいけない羽目になる。
なら、俺は今何のために、誰のために頑張っているのだろうか?少なくとも自分の為ではない。
甘えと言えば甘えなのだろうが、自分だけでも自分を甘やかさねばこの先生きていける気がしない。昔と違い、今は頑張ったところでその先に未来があるとは言えない世の中だ。希望も目標もないまま毎日を過ごしてその人生を謳歌したと言って死ねるだろうか。
俺はそんな人生まっぴらごめん被る。
やりたいことをやって、もう悔いはないと言って死にたい。
「別に、やりたいことがあるわけではないんだけどな...」
そんな言葉が無意識的に口から漏れていた。
高校からの帰り道、周りには誰もいない。幸い、今の独り言は誰にも聞かれていないらしい。
聞かれて困るわけではないが、独り言を聞かれるということ自体があまりよろしくない。
以前、クラスメイトから「いつもブツブツ言ってるけど、誰と話してるの?」などと言われ酷くショックを受け、それ以来他人の前では独り言には気を付けている。
個人的に教えてもらえたのはこれから先を考えると僥倖だと思うが。とにかく、それ以来独り言には気を付けていたのだが...。
まぁ、それだけ考え込んでいたということか。
こういう注意散漫な時にこそ事故に遭いやすいから気を付けないとな。
などと考えつつ、近くのコンビニに寄る。
家に帰れば受験勉強が待っている。ならば今のうちにやりたいことをやっておかねば。
漫画を立ち読みし、新発売された飲み物と軽食にパン、菓子を買う。
今やりたいことは明確なのに、これからやりたいことは真っ暗だ。




