悪役令嬢の孫姫の婚約者は回想する。
これは俺が婚約者であるマリーナ姫との過去について書いた日記のようなものだ。
マリーナ姫は現国王のユークリッド陛下の一人娘でフオルド王国の第一王女である。といっても兄君が二人と弟君が一人の四人兄弟の三番目になるが。
兄王子の二人はユーリウスとシメオンといい、弟王子がフイックスといった。マリーナ姫は美しいプラチナブロンドの髪と淡い緑色の瞳で儚げな雰囲気の超がつく美少女だ。が、性格が残念だった。
気が強いが妄想癖がある。よく一人で思い出し笑いをしていて不気味なことこの上ない。
もし、俺が婚約者でなかったら彼女は苦労する事だろう。そんな風に思いながらため息をついたのだった。
俺がまだ、五歳くらいの時にマリーナ姫と初めて会った。その時、彼女はまだ一歳くらいだったか。恥ずかしそうにするどころかこちらをじっと見つめていた。
真面目に膝をついて胸に手を当てて騎士風に挨拶をする。淡い緑色の瞳に胸が不思議と高鳴った。
「初めまして。王妃様、王子殿下方。わたしはフィーラ公爵家の者でアロンソと申します。今日はお招きいただきありがとうございます」
そう挨拶をしたのを覚えている。母君の王妃陛下は穏やかに笑みを浮かべられた。
「ええ。丁寧な挨拶をありがとう。アロンソ君、うちの息子たちとも仲良くしてあげてね」
「あ、はい。殿下方と仲良くできるように努力します」
慌てて言うと王妃陛下はにこやかにお笑いになる。そして、二人の王子方を前に押し出された。
「ユーリウス、シメオン。この子は私の遠縁の親戚でフィーラ公爵家のアロンソ君よ。あなたたちとは年が近いから一緒に遊んであげて」
「お母様。アロンソ君はいくつなんですか?」
金色の髪と濃いめの青い瞳の方の王子殿下が俺の歳について尋ねてきた。王妃陛下が我が母のイザベラに問いかけられた。
母が五歳だと答えると金色の髪の王子殿下ことユーリウスが俺に駆け寄ってくる。弟のシメオンも同じように近寄ってきた。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、よろしくな。アロンソ兄さん」
ユーリウスはそう言いながら俺に手を差し出してきた。俺は戸惑いながらもその手を握り返した。
確か、ユーリウスが四歳でシメオンが三歳だったか。すぐにユーリウスは手を離す。
シメオンも恥ずかしそうにしながらも挨拶をしてきて俺は頷いた。その後、三人で中庭の庭園に繰り出したのだった。
妹のイルジアがやってきてマリーナ姫や陛下にもご挨拶しないのは失礼だと怒られた。それに俺は頷いたが。王子方は不満そうにしながら、女のくせして生意気だとのたまう。
これにイルジアがキレた。ユーリウスは言わなかったのだが。シメオンの方を睨みつけながら何と彼の耳を引っ張ったのだ。
「…い、痛い!離せよ、このバカ女!」
「ああら。誰がバカ女ですって。あたくしにいくら王子殿下といえども偉そうに生意気だなどとよく言えたものですわね。兄上もわかっているのに。王子殿下がわからないだなんて呆れてしまいますわね!」
「何だと。女はおとなしくしていればいいんだ。お前だって黙っていればいいものを」
三歳なのに口がよく回るものだ。五歳なのに俺は感心した。
イルジアはふうとため息をつきながら引っ張っていた耳を離した。シメオンは王妃陛下とよく似た琥珀色の瞳を涙ぐませながらも睨みつけた。
「いくら何でも耳を引っ張るとはひどい奴だな」
「シメオン様が悪いんですよ。あたくしに失礼な事をおっしゃるからです」
二人は睨み合うと互いにそっぽを向いた。俺は先が思いやられるなと頭を抱えたのだった。
後で服を汚して母にこっぴどく叱られてしまう。王妃陛下は宥めてくださったが。俺は妹を怒らせたらまずいと学んだ。特にシメオンの前では駄目だと肝に命じた。
そうして、年月は過ぎ去り俺は二十歳になっていた。意外な事にマリーナ姫と俺は正式に婚約式を挙げて婚約者となっていた。結婚も間近となっている。マリーナ姫は相変わらずの性格だが色気が出てき始めていた。こちらが驚くほどにだ。今日も淡い緑色の瞳をきらきらと輝かせながら話しかけてきた。
「ねえ、アロンソ様。今日は私の誕生日なんです。父様からプレゼントをいただいて。私の好きなレアチーズケーキなんです。一緒に食べませんか?」
「いいですよ。けど、丸々一個はさすがに無理ですね。それでもいいですか?」
「はい。かまいません」
にこやかに笑いながらマリーナ姫は侍女に指示をしてレアチーズケーキを準備させる。紅茶の用意もされてマリーナ姫の使う自室の応接間に良い香りが漂う。
侍女がレアチーズケーキを切り分けて小皿に盛り付けた。フォークも付けてテーブルに置く。レアチーズケーキを早速、マリーナ姫はフォークで切り分けて食べ始めた。
「うーん。美味しいわあ」
ケーキの欠片を口の端につけながらも美味しそうに頬張る。俺も気分がほのぼのとした。同じようにケーキを切り分けて口に運んだ。仄かな酸味と甘味が絶妙で口どけは柔らかい。なかなかに美味な菓子だ。俺はじっくりと味わいながら食べた。マリーナ姫も満足そうにしながら侍女に言っておかわりをしている。よく入るなと思いながらもナフキンを手に取った。
「姫。口にケーキがついていますよ」
そう言ってマリーナ姫の口元を拭う。が、姫は頬をさっと赤らめる。
俺は不思議に思いながらも彼女の口元についたケーキを拭き取ってしまう。侍女たちがきゃあと何故か悲鳴をあげていたが。俺はナフキンを小皿の横に置いて残ったケーキにありついたのだった。
マリーナ姫とレアチーズケーキを食べ終えた後、庭園をゆっくりと散策した。侍女たちは気を利かせて近くにはいない。俺と姫は薔薇や百合の花などを眺めながらぽつぽつと話していた。
「アロンソ様。今日は兄様にさんざん邪魔をされたんです。ユーリウス兄様はいいんですけど。シメオン兄様はアロンソ様の名前を出すと不機嫌になって。お前をあいつにだけは渡したくなかったとか言うんです。おかしいと思いませんか?」
「…そうか。シメオンがね。あいつはイルジアが苦手だからな」
「え。シメオン兄様がイルジアさんを苦手にって。それは聞いていましたけど。だからって婚約まで反対するのはやり過ぎだと思うわ」
マリーナ姫はそう言いながらあんのバカ兄貴めと毒づいた。王女なんだからもう少しオブラートに包んでほしいとは言えない。だってな、マリーナ姫はこう見えてなかなかに腕っぷしが強いからな。下手して顔をグーで殴られても困る。
「まあ、昔にイルジアがシメオンの耳を引っ張ったり頬を平手打ちしたりしたことがあったから。それ以来、イルジアの事が苦手になったと言っていましたね」
苦笑いしながら答えた。マリーナ姫はあらと言いながら固まる。イルジアと彼女は親友だ。しかもイルジアは兄のユーリウスの婚約者でもある。
姫にとっては義理の姉ともいえる存在だった。
「はあ。そうだったんですか。イルジアさんとシメオン兄様との間にそういう事があったんですね」
「そうですね。けど、今はイルジアもユーリウスの婚約者だから。シメオンも昔ほどにはちょっかいを出さなくなりましたよ」
俺がそう言うとマリーナ姫はぎこちなく歩み寄ってくる。彼女がすぐ側までやってきたので手をおもむろに繋いだ。びくりと体を震わせていたが姫は離そうとしない。
しばらくそのままでいたのだった。
あれから、一ヶ月が経った。イルジアとユーリウスは既に結婚式を挙げていた。二人とも二十一歳でこの国としては遅めの結婚だ。式は国の威勢をかけて行われた。
式の後の夜会で俺はマリーナ姫とダンスをする。すっかり、姫は大人の女性で胸が踊る感覚に口角が上がった。瞳の色に合わせたモスグリーンのドレスと小さな生花が飾られた銀の髪は艶やかで華やかだ。俺は知らず知らずの間に見とれていた。
「アロンソ様?」
不思議そうにマリーナ姫は問いかけてくる。
「いや。何でもない。ただ、綺麗だなと思って」
「え。ありがとうございます。アロンソ様も素敵ですよ」
マリーナ姫は、はにかみながら褒めてくれる。俺は顔に熱が集まるのを感じた。
「…姫の方こそ綺麗だよ。俺なんか髪は茶色だから地味だろ」
「そんなことありません。アロンソ様は素敵な方です。瞳だって綺麗な青だし」
「あんまりお世辞は言わないでくれ。俺に言ったって何にも出ないぞ」
困った風で言うと姫は苦笑いした。
「わかりました。アロンソ様を困らせてしまったようですね。ごめんなさい」
「いや。俺も余計な事を言ったな」
互いに謝りあうとマリーナ姫は首を緩やかに振った。俺はベランダの方を見る。人はまだいないようだ。
「姫。ベランダにもカウチがあるから。そちらに行こうか?」
「あ。そうね、行きましょうか」
俺は姫と連れ立ってベランダに行ったのだった。
ベランダに移動してガラス戸を閉めた。中の音や周囲の目も遮断される。マリーナ姫は先にカウチに座ると夜空に浮かぶ満月を眺めた。彼女の銀の髪は月光によりきらきらと本物の銀のように輝く。瞳も同じようになっていてまた見とれてしまう。白い肌も透き通るようで月の女神のようだった。
「アロンソ様。どうかしましたか?」
マリーナ姫はまっすぐに俺を見ながらきいてくる。目線を横に逸らしながらいやと誤魔化した。
「何でもない。月が綺麗だなと思って」
「あ。そうですね、月がとても綺麗。今日は満月だったのね」
マリーナ姫はそう言いながらうっとりと月に見とれた。俺も月を眺めた。しばし、そうしてからマリーナ姫の髪に手を伸ばす。思ったよりも柔らかくさらさらとしている。感触を楽しみながら撫でた。
「姫。綺麗な髪だな」
「そうですか?」
「ああ。なあ、あなたは俺と結婚するわけだか。愛していると言ったらどうする?」
「ええ。アロンソ様?!」
「答えてくれ」
俺が笑いながら言うとマリーナ姫はしばらく考えこんだ。そして顔を上げる。
「…えっと。私もアロンソ様を愛していますよ。疑っていたのですか」
「そんなことはないよ。むしろ、信じてはいたが」
そう答えたら姫は顔や耳、首筋までうっすらと赤らめた。うぶな反応に俺は嬉しくなる。
「これからもよろしくな。マリーナ」
名を姫を付けずに呼ぶと彼女はさらに真っ赤になる。俺は笑いながら額にキスをしたのだった。
終わり