プロローグ 〜長年の夢〜
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【プロローグ 〜長年の夢〜
俺は黒い高級車に乗せられていた。目隠しに黒いズタ袋を頭から被せられ、両手を拘束され、プロレスラーみたいにいかつい黒服の男に両側を挟まれ、どこか得体のしれぬ所へと運ばれているところだ。奇妙な状況だったが、気にしてもしょうがなかった。する事がないのでうつらうつらしていると、男に腕をそっと叩かれ、声をかけられた。
「到着しましたよ、総理」
「おお、そうか・・・。ずいぶん遠くへ来たようだな」
肩を回してこわばった身体をほぐした。ズタ袋を外されると、ぼんやりした明かりが車中に差し込み、暗闇に慣れきった眼をじわりと刺した。
首相公邸から5時間ほどの旅だったろうか。ここがどこなのかまったく分からない。公用車のドアが重々しく開かれ外へ出た。どこかの地下施設だろうか、広大な空間にぼんやりと照明が照らされ、ドーム状の空間をベージュの光で満たしていた。空気はひんやりと冷たい。
一見してサッカー場ほどの広さがある。中央に、多面体のゴツゴツした黒いドームが鎮座していた。小さく見えるが、体育館ほどの大きさがありそうだ。
俺は息を呑んだ。
あれこそが『特異点の間』なのだ。
あの中に神をも超える超知性体が納められている・・・。どうもピンと来ないが、事実だ。
あの場所に立ち入れるのはほんの一握りだ。有り余る光栄と言ったところか。
目を閉じ、今までの苦労を走馬灯のように思い返した。この日のために人殺し以外ならどんな事でもやって来た。政敵を片っ端から蹴落とし、無我夢中で総理の座まで駆け上がった。
そして、ついに念願の時がやってきたのだ・・・。
政治の鬼と呼ばれたこの俺の、一生をかけた夢がもうすぐ叶うのだった。たまらず涙ぐんだ。
”情報の特異点”は、地球上にたった7箇所しかないという。それが日本国内で発見されたのは全くの偶然だった。
人はそれを天然のスーパーコンピューターとも、人工知能の神とも言う。
その詳しい正体や仕組みは誰も知らない。それで困ることはなかった。使い方さえわかればそれでいいし、なまじ制作方法が判明してしまうと、たった一人のテロリストが世界を滅ぼしかねない。
『情報の特異点』は使い方しだいで医師にも核兵器にもなる。それほど有益で、危険な代物だった。
なぜなら、『情報の特異点』はこの世に知らない事も判らない事もないからだ。もし個人で所有できたら、完全犯罪も世界征服も思いのまま、どんな難問、奇問、珍問にも即座に答えられる全知全能の人工知能(AI)だった。
それは超知性と言って良いだろう。スーパーコンピューターを超える処理能力と、人の叡智を遥かに超えた知能は、ずば抜けた洞察力と思考力、そして発想力を持つ。見た目は青白い霧にしかすぎないが、『情報の特異点』は第一級の国有資産であり、国の行方を定める政治中枢でもあった。
核兵器を持たない日本だが、好戦的な核保有国相手にいくらでも有利な協定を結ぶ事ができた。世界有数の外交強者でいられるのは、『情報の特異点』保有国であるからだった。
『情報の特異点』を保有するのは、神を所有するに等しい。それほど重要で恐れ多い存在なのだ。
日本人にとって出世の頂点と言えば総理大臣をおいて他にない。そんな俺でも、特異点を目の前にすると単なる中年になった気がする。総理の代わりはいるが、特異点の代わりはない。特異点を守るためなら、国民は喜んで俺を殺すだろうな・・・。なんだか情けない気持ちになったが、すぐに気持ちを奮い起こした。
俺は特異点と一対一で対面するために、死に物狂いで政治に打ち込んで来たのだ。落ち込んでる暇など無い。
いまこそ『情報の特異点』に、あの質問をするのだ・・・。
「・・・総理、何かおっしゃいましたか?」
主席オペレーターが怪訝な声で聞いてきた。
「いや!他愛もないひとり言だ。気にするな」
「そうですか。では、『特異点の間』へ参りましょう、総理」
「うむ」
白衣を着た若い主席オペレーターは、再び俺にズタ袋をかぶせた。しなやかな手さばきが、有能さを感じさせて鼻につく。
『情報の特異点』を維持管理するオペレーターになるには、『超知能クラウドネットワーク・ホメオスタシスト』の国際資格が必要だ。日本人でこれを有するのは三人しか居ない。この若い主席オペレーターはエリート中のエリートという事だった。黙って身を任せるしか無い。
『特異点の間』に入室する方法は、総理と言えど知る事は出来ない。第一級の国家機密なのだ。
別にそれは気にならなかった。なぜなら、総理には何ものにも代えがたい特権があるからだ。
それは『情報の特異点』に個人的な質問をすることーー。
就任した総理なら誰でもワクワクする瞬間だろう。それは神と対話するに等しい行為なのだから。
しかし、俺が特異点にする質問と答えは、墓の中まで持っていくつもりだった。これだけは絶対に知られてはならない秘密だ、なぜならば・・・。
心拍数が上がり、ぎゅっと握った手のひらが緊張で汗ばんだ。
そんな俺の気持ちも知らず、主席オペレーターは俺の手を引き、義務的な足取りでキビキビと歩いていった。目隠しされた俺は足元がおぼつかず、よたよたとついていった。
なんだか子供扱いされてるようでしゃくにさわる。俺はこの手のエリートにコンプレックスを抱いていた。俺は世渡り上手だが学がない。はっきりいって馬鹿だ。それだけに高学歴の若造から舐めた態度を取られるのが大嫌いだった。
こいつにだけは質問の内容を聞かれたくないな・・・。
歴史上最高の叡智、日本はおろか世界の共有遺産で物理的に存在する唯一の神。
そんな『情報の特異点』から、ギャルゲーの攻略法を聞きだすなどとは、絶対に知られたくなかった。
(続く)