ハッピーエンド?
「それでは娘と結婚したかったらこれから言う難題をクリアしてみせろ。それとも、尻尾を巻いて逃げるか」
それまで怒り心頭の様子だった父は突然にやりと笑い、彼にこう言いだした。
結婚するのに難題をクリアしなきゃいけないなんてまるでかの有名な月のお姫様みたい。でもそれならお父さんの配役は竹取の翁なんでしょうね。
雪絵は夢でも見ているような気分でそんなことを考えていた。まさか、こんなにも反対されるなんて予想外だったのだ。
雪絵はとある財閥のお嬢様だ。だから、雪絵の恋人である彼は結婚すれば自然とその莫大な権力と財産を享受できるようになる。でも、彼はそんな人ではないし、だからこそ愛し合うことができたのだと思っている。そして、父もそんな彼を見れば絶対に祝福してくれると思って今日こうして連れてきたのだった。
「やります!彼女と共にいるためならば!」
ああ、雪絵が呆然としているうちに話がすすんでしまっていた。彼は雪絵への情熱とこれから言い渡される難題に爛々と目を光らせていた。
難題の内容は「二つの扉があり、片方の扉の向こうには美少女がいて、もう一方には毒蛇がいる。このうちどちらかの部屋に入り、一晩過ごす」というものだった。彼が達成できれば雪絵と結婚することが出来る。しかし、危険なものだった。
準備が必要ということであり、三日間彼は屋敷の部屋の中に閉じ込められることとなった。
「やっぱり、無理よ。今からでもお父さんを説得しましょう」
雪絵は彼に危険な目にあって欲しくなかった。例え自分のためであったとしても。
「達成する算段はあるんだよ」
彼は笑いながら言った。
「君が協力してくれればいいんだ。君はこの家で長いこと暮らしていただろう?だから昔なじみの使用人なんかに協力して貰えば事前にどちらの扉に毒蛇がいるかを知ることが出来るはずだよ」
僕の命は君にかかっているようなものだね、と軽い口調で言う彼の言葉の奥の確かな信頼を雪絵は感じ取った。
「それじゃあもうすでに勝負を制してるようなものね」
だからこそそう、軽く返した。
千恵子さん。そう皆に呼ばれる、優しげな表情がよく似合う彼女は雪絵が幼い頃からこの家に仕えている使用人の一人だ。
「というわけで、なにか知らないかしら」
雪絵がそう尋ねると、彼女は少し困ったように首を振った。
「旦那さまはお嬢さまがそのようにお聞きになると予想していたのでしょう」
私のようなお嬢さまと親しい古くからの使用人は一切関わらせずに事を進めています、と残念そうに漏らした。
「そう、それじゃあ他の人たちに聞きにいっても意味はないのかしら。とても困ったことになったわね……」
雪絵のその様子を見た千恵子さんは少し考えるとやがて思いついたようにこう言った。
「もしかしたら古田のじいさんのところの孫ならなにか知っているかもしれません」
古田のじいさんというのはこれまた古くからこの家にいる人間で庭師をしている。
「いつも仕事をさぼっているような奴ですが、だからこそ屋敷の内外に関わらずいろんな情報を仕入れてくるのです」
だからお嬢さまのお役に立てると思います、と千恵子さんは自信ありげに言い切った。その様子が少しおかしくて、雪絵は笑ってしまった。
古田のじいさんの孫とやらは屋敷内でかなり有名なようで少し探すだけで様々な噂を聞くことができた。
(庭師の仕事を手伝わないで遊び呆けているどうしようもないやつ、か……。本当にそんな人が今回の難題について何か知っているのかしら)
あまりな噂に雪絵は不安にならざるをえないが、もう頼るべき人はいないことを考えると彼に知っていてもらわないと困るのだ。
そうしてついに雪絵は中庭に立っている青年を見つけた。
「あなたが古田のおじさまのお孫さんね」
雪絵がそう話しかけると彼は少し拗ねたような表情になった。
「じいさんと一緒にしないでくれよ、お嬢さま。俺は古田輝だ。輝って呼んでくれよ」
それで俺に聞きたいことがあるんだろう、と彼は先手を取って雪絵に質問を投げかけた。情報通だというのもあながち嘘ではないようだ。
難題についての情報をたずねるとすぐに彼は教えてくれた。向かって右の扉の向こうに毒蛇がいるらしい。彼は、
「旦那さまはあんたの恋人を死なせたりする気はないぜ」
と言った。当たり前だよな、いくらもみ消せるといってもそんなことをすれば処理が大変だし何よりそうする必要はないからな、と言うと雪絵にこう聞き返してきた。
「それでお嬢さまは恋人の彼になんて伝えるんだ?」
その質問に雪絵はなにが聞かれているのか分からなかった。
「え?」
「普通に伝える気?でもそれだと彼は美少女と一晩二人きりで過ごすことになるんだよ」
嫉ましくない?本当に絶世の美少女って感じだったよ、と意地の悪そうな顔になって雪絵に尋ねた。
「別にあんたがそれでいいならそれでいいけどね。まあ、あと三日もあるんだから悩んでみなよ」
「え、ちょっ」
そういうと、輝はどこかへと去っていってしまった。
「何よ、いきなりあんなこと言って……。輝の言うことなんか気にせずに彼に早く伝えなきゃいけないわ」
そうひとりごちながらも自分の心にしこりとなっているのを雪絵は感じていた。
三日後、いよいよ彼が難題に挑む日がやってきた。雪絵は結局輝の言うことに悩んでしまって伝えるのがぎりぎりになってしまった。特に件の美少女と直接会ってしまったのが悪かった。本当に美しい少女で、容姿にはそこそこの自信があった雪絵の自尊心をこなごなにしてしまった。
(私がこんなに嫉妬深いなんて知らなかったわ。でもこれが私と彼にとって最もいい結末なんだわ)
雪絵はそう自分に言い聞かせてざわつく心を落ち着かせようとした。
「それでは難題を始めようか」
そう父が厳かに宣言した。彼は不安そうな雪絵の顔を見て勇気づけるように
「大丈夫。君のおかげでもう勝ったようなものさ。もしかしたら役得かもしれないね」
と茶化したように言うと決然とした表情で父の前に出て行った。
そんな彼を見て、雪絵は自分の選択が正しかったのか分からなくなってしまった。
いろんな感情がないまぜになった雪絵の見ている前で話がすすんでいく。そうしていよいよ彼が扉に手をかけた。
雪絵はその瞬間をどうしても見ることが出来ず目を瞑ってしまった。