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美佐子との共作(3)

夏の終わり、私はやや強いうつにおそわれた。何もやる気にならなかった。シーンや台詞を整理せねばならなかったが、その作品が取るに足らないものに見えた。こんなストーリーがシナリオになるのか、私は自信を失っていた。

かかりつけの木下医師とも話した。

「気力が出ません」と言うと、木下医師は、

「あまりこれをしなくちゃ、あれもしなくちゃと考えないことです」と言った。「物事の全体を見ようとすると重荷にもなります。でも、ひとつひとつ小さなことを重ねていくと考えて下さい。ひとつできれば、ひとつ自信になっていきますから」

私は、ほとんどの日、家にいて、息子との散歩の他にはいつもごろごろして吉田拓郎の曲を聴いた。

吉田拓郎は、私が高校生の頃から、耽溺したシンガーだった。聴き始めてもう二十余年にもなった。アルバムが出ては買い、コンサートにもほとんど行っていた。他人にはわからないであろう、一緒に生きてきたという感慨があった。同時代感覚だった。

私は、またしても、吉田拓郎とともに夏を乗り切れればと思っていた。

 その年の夏は猛暑だったわりには短かった。九月の声を聴くと間もなく、暑熱が後ずさった。気候が良くなると、私のうつも軽快に向かった。

 美佐子との共同作業にかかる前に、私は、少しずつシーンや台詞の案などをメモ書きにしていった。書いていくにつけ、シーンが立体的になっていくような気がした。

 私たちが目論んだように、ストーリー作りから少し離れてみたおかげで、その中にどっぷりつからずに外から見直し、良しにつけ悪しきにつけはっきりと目につくようになった。

 「飲み会」の後などに何度か話し合い、お互いそろそろ始めようという機運になった。

 九月の第二日曜日に、私たちの作業を始めることにした。

 駅まで迎えに来ると言った美佐子に甘え、私たちは駅で待ち合わせた。

 若い頃の初デートの時のように心が弾むのを押さえきれなかった。

 美佐子は、グリーンの半袖のサマーセーターを着て駅で待っていた。

 「歩いて十分くらいなのだけど」と美佐子は言った。「夜になるとけっこう暗くて、少し怖いわ」

 美佐子のマンションまでは、そう言うとおり、緑の多い静かな道だった。所々の背の低い住宅や造成地の間に、ふいっと現れた三階建てのマンションが美佐子の住居だった。駅からやや離れているために、市価より安い賃料だったという

 美佐子の部屋は三階の隅にあった。

 広さは1LDK――畳敷きの一部屋にフローリングのダイニングキッチンのついた、ひとりなら十分な広さの部屋だった。おもに畳敷きの部屋で過ごしているらしく、中央にテーブルがあり、本棚やテレビ、隙間を埋めるように棚代わりのカラーボックスなどが置いてある。カラーボックスの上にラジカセ。本棚には小説やシナリオ、演劇の本などがあった。私の家にもあるものがちらほらと目についた。 本棚の下段には、カセット・テープが並んでいる。よく見ると中島みゆきのものが多い。

 「中島みゆき、聴くんだ」と私が言うと、美佐子は、お茶の用意をしながら、

 「恥ずかしいからあんまり見ないで」と言って、「でも、中島みゆきには凝っているの、今」と付け加えた。

 「私も聴くよ。『エレーン』とか『異国』とか」

 「『エレーン』いいわよね。胸がキュッという感じ」

 美佐子が居間にやってきた。

 「テープのタイトルの字が何本かずつちがうでしょ?」

 私は、テープの列を見直した。

 「録音してくれた人がちがうの。私の遍歴」と言って、美佐子はフフフと笑った。

 「さあ、お茶を一杯飲んだら、やるべきことをやりますか」と私が言うと、美佐子は、これ、と言って、使いかけになっているワープロをテーブルの上に載せた。

第一シーンはふたりで合意していた。


    *    *

●今井恵子のアパート


●同・恵子の部屋の郵便受け

   差し込まれる郵便物の束。ダイレクトメールが多いが、その中に白い封筒がある。

    *    *


 「クリスマスカードを見てから、恵子さんがすることって結構あるのよね」と美佐子が言った。「封を開けて、大家さんに前の人の引っ越し先確認して、黄色いマフラーを買って」

 「あのさあ、封を開ける日だけど、やっぱり不倫相手」

 「相馬浩一郎」

 「そう、その相馬さんと飲むんじゃないんじゃないかな。別れるつもりで引っ越したんでしょう?」

 「じゃあ、同僚?」

 「恵子が唯一心を許す同僚がいるんだよ。その子と飲むんだ」と私は言った。

 「年下の無邪気な子よね、きっと。田村紀子」

 「フフフ、そうだね」

 「もう、相馬課長とは別れちゃったんですか? なんて訊いちゃう」

 「他の同僚は相馬課長と恵子がつき合っていると知って、引いてるんだな。その中で、その子だけはちがう」

 「どういう風になるのかな」と言って、美佐子はパチパチとワープロを打ち始めた。スピードが速い。私は、キイを打つ仕事もしているのかなと思った。


    *    *

●バー・店内

   恵子と田村紀子が飲んでいる。

田村「恵子さん、もう、相馬課長とは別れちゃったんですか?」

恵子「どうして?」

田村「別れちゃったんなら、みんなに言ったらどうですか?」

恵子「どうして?」

田村「みんな、よそよそしいでしょう、恵子さんには?」

恵子「しょうがないわよ」

    *    *


私は原稿を読んで、

 「そんな感じかな」と言った。「それで少しふらふらしながら帰ってくると、郵便があるんだな」

 「それで宛名を見ずに開封してしまう」

 そう言って、美佐子は、またワープロに向かった。

 「電話しないのかな」

 「電話?」と美佐子が訊いた。

 「川口公平は、仁科陽子に」

 「でも、引っ越しちゃっているから通じないわよ」

 「ああ、そうか」と私は得心した。

 「それより、最低三日はいるわよね、クリスマス・イヴまで」

 「カードを開けた日、その日から耳に『聖夜』がこびりつく。それから、翌日大家に連絡先を聞いて電話する」

 「その翌日、黄色いマフラーを衝動買いする」

 

    *    *

●街中

   帰宅途中の恵子が歩いている。

   横断歩道の前で立ち止まる恵子。

   横断歩道の音が『聖夜』の電子音に聞こえる。


●街中・他の場所

   歩いている恵子。

   途中にブティックがあり、黄色いマフラーがディスプレイされている。

   そのマフラーに吸い寄せられる恵子。耳には『聖夜』の電子音。

    *    *


 「うん、こんな感じ」と、美佐子の打った原稿を見て、私は言った。

 「イヴ当日は、会社休むのよね」

 「電話して、急病で、とか言う」

 「相馬課長が出るの?」

 「いや、そうじゃない方がいいと思うんだ。それで、後から、相馬課長が携帯か何かでかけ直してくる」

 「うん」

 「『病気だって?』『いえ、デートです』……みたいな」

 「恵子さんの目の端には、黄色いマフラーがかけてあるのが見えるのね」

 「それからお化粧。ちょっとわからないけど……」

 「念入りに化粧するわね、やっぱり」

 「その耳に『聖夜』の電子音」

 「カードのメッセージに書かなきゃならないけど、待ち合わせは何時頃かな」

 「喫茶店で目を合わせて一度は逃げるのよね。それでマンションに帰ると川口がいて、恵子は説明するより先に『私じゃダメ』って言って、それからディナー。……三時頃の待ち合わせかな」

 「メッセージ、決めちゃおう」

 そう言って、今度は、私がワープロの前に座った。


    *    *

●クリスマス・カード

川口の声「元気ですか? 電話が通じないので、メッセージにします。今年のイブも会えますか?」

   『聖夜』の電子音。


●恵子の部屋

   カードを読んでいる恵子。

川口の声「(前のシーンに続いて)できれば、昨年会った店、池袋の『メゾンド』で会いましょう。午後三時。もし、都合が悪ければ電話 下さい。できれば、去年贈った黄色いマフラー着けてきてくれるとうれしいです。似合っていたから……。楽しみにしています。   川口公平」

   続いている『聖夜』の電子音。

    *    *


 「上手いわね、さすがに」と美佐子は言った。

 「そうでもないけど……」

 「この手紙を電話口で、恵子さんが陽子さんに読んであげるのよね、少し戻るけど」

 「反応ね、さっき飛ばしたけど。捨ててくれみたいに完全否定されると、後で川口に会いに行けないからね」

 「『私は行けないわ』『どうして?』『夕方から仕事だもの』って言う感じ?」

 「うん。『じゃあ私が行くわ。会って説明する』かな」

 「今度は私が書くわ」と言って、美佐子はワープロに向かった。



 「一服しようか?」

 美佐子の原稿を読んだところで、私は言った。

 「そうね」と言って、美佐子は立ち上がった。「コーヒーでいい?」

 「うん」

 「ビールは早いものね」

 「ああ、でも、もうこんな時間か」

 五時近かった。

 「夕飯、どうする、食べていける?」

 「どうするかな」

 妻には、少し遅くなるかも知れないけれど、夕食は食べると言ってある。ついでに、シナリオの合評だ、とも。

 「もう少しやりたいな」

 美佐子が言った。

 「そうだね」

 コーヒーを飲みながら、私はそう言った。「夕食は別として、もう少し進めよう」

 「ええ」

 「次は、『メゾンド』でのご対面なんだけど……どんな風かな」

 「恵子さんは早く来て待っている。テーブルに黄色いマフラーを置いて……でも内心は迷っている」

 「そこへ来る川口公平。何か荷物を持っていて、すぐそれとわかる感じだな」

 「ここの部分は任せて、イメージあるから」

 美佐子はそう言って、ワープロに向かった。


    *    *

●喫茶店「メゾンド」・内

   大きなクリスマス・ツリー。

   それほど大きな店ではない。

   客もまだまばら。

   恵子のテーブルにもキャンドル(まだ火が点いていない)がある。その横に置いてある黄色いマフラー。

   恵子は、無意識のうちにそのマフラーを手でいじっている。

   (時間経過)

   手にバッグや紙袋を提げ、一目でそれとわかる男、川口公平が入ってくる。

   恵子の緊張。

   恵子、目を伏せて黄色いマフラーを見つめている。

   席に座り店内を見まわす川口。その目が黄色いマフラーに留まるが、すぐにはずす(仁科陽子ではない)。

   川口はコーヒーを注文してガイドブックなどを見ている。今日これからの予定を立てているのかも知れない。


●同店内の時計

   午後三時を過ぎる。


●同・内

   川口、首を回しながら、自分の腕時計で時間を確認する。そして、また、店内を見まわす。

   恵子の黄色いマフラー――から目を離す川口。


●同店内の時計

   三時半を過ぎる。


●同・内

   恵子が伏せ目がちに川口を見ている。

   手持ちぶさたらしい川口。荷物を確認したりしている。

   また川口の目が店内を泳ぐ。

   恵子の横に置かれた黄色いマフラー――今度は目をそらさない川口。何か考えている風。

   川口が席を立とうとする。その瞬間、伝票を持ち、立ち上がる恵子。

   あわてて、レジを済まし、黄色いマフラーを置いたまま、店を飛び出す。

    *    *


 「なるほどね」

 「どう」と美佐子が言った。「こんな感じじゃない?」

 「マフラーは置いていくのか」

 「その方がいいかなと思って」

 「それなら、恵子が出ていった後で、マフラーは川口が持っていくんだな」

 「ああ、そういうこと」

 「それなら、次に来るのは、恵子が寒風吹きすさぶ中、マフラーなしで歩いているシーンかな」

「そういうシーンあるわね」

 美佐子はそう言ってキイをたたきはじめた。



 結局その日は、午後七時過ぎまでやっていた。美佐子は、夕食を食べていけばと誘ったが、私はやはり帰ることにした。

 美佐子は、最寄りの駅まで送ってきた。

 「できそうだね、何か」と美佐子は言った。

 「やっぱりふたりでやると、アイディア膨らむな」

 「そうね」

 「今度はいつ?」と私が訊くと、美佐子は、

 「小山さんがよければ、次の土曜・日曜に一気にやってみない? それで終わるかどうかわからないけど」

 「私はそれでも構わない」

 正直、土・日曜とも息子の顔をゆっくり見れないのは淋しくもあったが、創作意欲といった風なものが身体を熱くしていた。それよりも美佐子の方の予定が気になった。

 「こんなに土・日費やして、彼氏と会えないんじゃない?」

 「それは」と美佐子は言葉を切った。そのまま黙っているので、私は、

 「そっちの方は大丈夫なの?」と訊いた。

 夏の頃と比べて、日没時間が早くなっているのがわかった。美佐子が「少し怖い」と言ったように、夜暗くなると、駅までの道は暗かった。周囲にあまり灯りがない。

 「私、彼とはもうダメかも知れない……」

 長いためらいの後、美佐子は小さな声でそう言った。

 「やっぱり私が時間を取りすぎているのかな」

 「ううん、それは関係ない」

 美佐子はきっぱりと言った。

 「じゃあ、どうして? 私なんかが訊くことじゃないかも知れないけど」

 美佐子はまた少し黙った。

 「価値観って言うのかな」

 「えっ?」

 「たとえば山田洋次さんみたいに、人間の心のことを中心に考えることが、私には大事なの」

 「うん。それはわかる」

 「だから、センターのみんなとも会って話するのは好き」

 「そうだな、私も」

 「彼は、そういう人じゃないの。……会社での成績とか儲け話とか、そういうのを大事にする人なの」

 今度は私が黙った。センターへ行くことで、私も自分の中で価値観が変わった。美佐子も、センターでの経験が彼との距離を感じさせることになったのかも知れない。

 「つまり、……そういうこと」

 美佐子は結論づけるように言った。

 駅の灯りが見えてきた。私は意識して歩調をゆるめた。

 「私が言うことじゃないかも知れないけど、山田監督が言ったような熾火は、誰もが持っているかも知れないよ」

 美佐子が黙っているので、私は続けた。「センターへ来ている人だって、儲け話はするだろうし、そういう話ばかりするからって心の問題を軽視しているとは限らないんじゃないかな」

 「そうね」

 美佐子はそう言ってひとつ大きなため息をついた。

 「一度今言っていたようなことを彼にも話してみたら?」

 「ええ。私も、ちょっとシナリオのことで熱くなっているのかも知れない」

 「まあ、私もそうだけど」と私は言った。

 「ごめんなさい、私の個人的なことを……」

 美佐子は気持ちを切り替えたように言った。

 「私が訊いたのだから」と私が言うと、美佐子は、

 「じゃあ、とにかくシナリオの方は、来週の土・日でいい?」

 「私の方は、構わない」と、私はもう一度言った。

 「じゃあ、また、来週」

 「時間とかは、また、センターで会った時にでも」

 「うん」

 美佐子は、ひとつ頷いて、私にお辞儀をした。私は手を振って、駅構内へ入っていった。


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