撮影現場見学と美佐子との共作(2)
撮影現場の見学は、夏真っ盛りの暑い日に行われた。
東洋シナリオ・センターの所属する東洋映画の撮影現場は、横須賀線の**駅の近くにあった。
見学に参加したのは五十名余。私や沢田たちのグループは全員参加した。
東洋映画の人気シリーズの一本が撮影中だという。
広い門から入っていくと、いくつもの大きな小屋が目についた。
「この中にセットが組んである」と渕上講師が言った。
七つくらいの小屋を通り過ぎた時、目的の小屋が見えてきた。入り口に「**組」という文字が書いてあった。
見学者がいるということが伝わっているのかドアは開いていた。
私たちはぞろぞろと中に入った。いくらか埃のにおいがした。
中には店のセットが造られていた。映画で見知った舞台が、やや薄っぺらな感じでそこにあった。ライトのせいで明るく、また、暑い。
「今日お願いしていました見学に来ました。よろしくお願いします」と渕上講師が言うと、上の方(照明係か?)から、はいよ、と声がした。
内は閑散としていた。まだ本番前なのだろう。
私たちは、セットの裏側へまわっていった。ベニヤで造られた板(壁)の裏側には、パイプ椅子やらコードの付いた何かの器機やら照明のライトやらがあちらこちらに雑多に置かれていた。
その先に、パイプ椅子に座って休憩している主役俳優がいた!
「こんにちは。今日はすいません」と渕上講師が言うと、その俳優はうん、と言うように頷いた。
私たちは、互いにほとんど話をせずに渕上講師についていった。
ひとつひとつの機材などは見てもわからなかったが、現場独特の圧力のようなものを感じた。
現場は動いてないように見えた。しかし、あちらこちらに何か調整をしているらしい人たちの細かな動きがあった。
「あっ、どうも」と言う渕上講師の声の方を見ると、写真で見たことのある中年男性が立っていた。監督だった。
「今、休憩中というか、準備中だけどね、見ていって下さい」
監督が言った。
見ると言っても、セットを一周まわってしまうと、もう見るべきものはなかった。
ただ、ここであの映画が撮影されているんだ、という興奮があった。
「みんなシナリオ学校の人?」
先ほど裏にいた主演俳優が不意に出てきて言った。「将来、いいシナリオを書いてね、みんなさ」
笑いが起こった。それだけで、彼はまたセットの後ろに入っていった。
「なんか重厚な感じだったね」
私は吊革につかまりながら言った。
現地解散した後、帰りの電車の中で、私たちは印象を話し合っていた。
「あんな中にひとりでいたら、なんか震えるね」と河田が言った。
「さっきの年末年始に封切りのやつだろう? どのくらいまで撮ったんだろう」
佐倉が言った。
「まだ、序盤でしょう。あの映画ロケ多いし」と中井が言った。
「撮影してるとこ見たかったな」
「さすがに撮影中は見せないでしょう」
「なんか現場見るとちがうよね」
樹口美佐子は暑さのせいばかりでなく上気した顔をしていた。「私たちのシナリオなんか小さく見える」
「そうだなぁ。あんなとこで撮れるようなシナリオが書けるのかな」と沢田が言った。
「まずは、卒業制作。頑張らなくちゃね」
樹口美佐子が勢いよく言った。
樹口美佐子とは講義の日以外にも土・日曜日などに会った。卒業制作の作品の打ち合わせである。他の話をする時でも、私たちは驚くほど趣味が似ていた。
ストーリーはあらかた出来上がっていた。次週にでも講義の日に発表しよう、と美佐子は言った。
卒業制作の作品の後半はこうだ。
――クリスマス・イヴ当日、今井恵子は、「約束」の黄色いマフラーを着けて待ち合わせ、と言っても、川口公平と仁科陽子の待ち合わせ場所になるはずだった喫茶店に行く。今井恵子は、川口公平らしい男を見つける。川口公平も恵子の黄色いマフラーに幾度も目を注ぐ。今井恵子はやがていたたまれず、喫茶店を出る。ひとりで帰るアパート。そこに意外にも川口公平がいる。「やっぱりそうだと思った」と川口。なぜあなたが住んでいるのか、仁科陽子はどうしたのか、と矢継ぎ早に恵子に問いかける。「ごめんなさい」という恵子。仁科陽子が引っ越ししたらしいこと、自分のところへ来たものと思ってクリスマスカードを開いてしまったことなどを話す。「私じゃダメ?」と言う恵子。「私が、今日つき合ってあげる」。川口と恵子のデート。恵子は精一杯楽しもうとするが川口は仏頂面。そして、帰ってくる二人。――
「そこへ、不倫している上司が尋ねてくるのよ」と樹口美佐子は言った。
「何で?」
「今井恵子さんはその日、会社を休んだことにしてもいいな」
「そう……」
「その不倫相手、相馬浩一郎を見て……」
「何? 今度は相馬浩一郎?」
「うん。相馬を見た川口公平が、お互い相手が違うようですね、とかって恵子さんに言うの」
「最後のシーンが問題だな」と私は言った。
「今井恵子さんは、相馬を振り切ると思うなぁ」
美佐子は考えながら言った。
「仁科陽子さんって、名前だけだね。一度も登場しない」
「でも、ここで登場させるわけにはいかないでしょう?」
「大家さんのところに来るとか」
「う~ん、無理あるなぁ」
それじゃあ、こういうのは、と言って私は美佐子のストーリーに続けた。
「今井恵子は相馬を追い出して……川口には、仁科陽子の行った先を調べておいてあげるって言うんだ」
「そして、恵子さんはまたひとりになるのね」
「それで、アパートの部屋で黄色いマフラーを見て……」
「クリスマスカードを開く。『聖夜』が流れる」
「窓を見ると雪……やり過ぎかな」
「ううん」と美佐子は言った。「そんな感じでTHE ENDかな」
物語の出来不出来は別として、私たちは満足していた。まずは一段落したという小さな達成感があった。
「とりあえず、それで発表の場に臨んでみましょう」
美佐子が言った。
「いろいろつっつかれるかも知れないけどね」
「でも、いい話になったと思うわ。……おかげさまで」
「こちらこそ」
私は、そう言って笑った。
私にはまだ仕事が残されていた。美佐子との打ち合わせで、出来上がったストーリーを文章にしてみようということになっていた。
文章化は私がやろう、と言った。文章化したものをコピーして皆に配る、そして意見を受け付ける。
その発表でどういう意見が出るかはわからなかったが、そのあとはシナリオ化だ。
「まだ、大仕事が残っているね」
「シナリオにしてみて、どうか、よね」
「終わりまで、よろしくお願いします」と私は言った。
「こちらこそ」
今度は美佐子がそう言って笑った。
私と樹口美佐子との共同制作作品の構想発表は、八月後半の火曜日に行われた。
たいていの人は、メモなどを手にして口頭で構想の発表をするのだったが、私と美佐子は細部まで皆にとらえて欲しいということでストーリーを文章にし、コピーを配るという方法にした。
ストーリーの文章化は思いの外手間取った。ペラで5~6枚程度と思っていたが、やってみると省略できないところも多くペラ10枚ほどの枚数になった。それを美佐子がワープロで打ちながら一部手を入れて、発表の二日前にようやく出来上がった。
「共作」というのも皆の目を引いた。私たちは二人で、講義室の壇上に立った。
発表に際し、私は、
「ここがダメだというのではなく、こうした方がいいという批評を下さい」と言った。
まず突かれたのは、主人公・今井恵子の生活だった。
「小山さんの前の発表の時にも言ったけど、この主人公、今井恵子の淋しさの元は何なのかな」と山岸という女性が言った。
「三十超えてひとりで、これといって恋人もいない。あまり本意でない仕事をしている、というところから虚しさは感じないかしら」
樹口美佐子がそう言うと、
「でも、たとえば旅行を趣味にしていたり、何か習い事をやっていたり、それなりに充実している人も多いわよね」と山岸。
「そういう女の人じゃないの」と美佐子が言った。「そういう積極的な女性じゃなくて、ある意味、人生に対して臆病なのよ」
「私もそういう人いると思いますけど……、ただシナリオでうまく描けるかなと思いました」と白石祐子が言った。
「そこなんだよね、」と今度は私が言った。「何かいい案ありませんか?」
「鮭の切り身をね、買ってくるんだけど、たいてい二切れ入っているよね。それをうまく見せるって言うか……」と河田雅之が言った。
「でも、私もそうだけど、冷凍庫に入れてまたの日に使うわよ」と松井という若い女性が言った。
「自分で料理して、ひとりでぼそぼそ食べているって、十分淋しいよ」と沢田が言った。
「箸とか茶碗一セット用意してね」と河田。
「私、それより、淋しいからって、不倫しちゃうって言うのが、ステレオタイプの女の人の描き方だなって……」
さっきの山岸という女性がまた言った。
「でも……」と美佐子が少し言いにくそうに言う。「誰にも相手にされないで、うん、たとえ恋人がいても、ふだん相手にしてもらえくて、そばに優しい人がいたら……」
「普通のなんかやってくれる式の優しさじゃなくて、些細なところに気づいてくれる優しさ」と白石が言う。「そういうのに女性って弱いよね」
「そうなの?」と誰かが言い、フフフフ、と白石は照れたように笑った。
「そういうのをシャレードか何かで見せてもいいよね」と、佐倉孝一が口を開いた。
「あの」と美佐子が言った。「でもね、この話は不倫の話じゃなくて、なんて言うのかな、淋しくて不倫しているほどの女性が、クリスマス・イヴにカードの電子音に惹かれてしまうって言うか、いえ、全体の話で淋しさを見せたいというか……」
「うん、わかる」と白石が言う。「途中からの気持ちの変化、わかると思います。だから、はじめに、主人公に淋しさをそんなにたくさん背負わせなくてもいいんじゃないかな」
「クリスマス・イヴの日、会社休むんでしょう?」と山岸が問う。
「ええ」
「不倫相手の上司が訊くのよ、理由は、って」
「ええ」と美佐子。
「デートです、って言うの小さな声で、でも、きっぱりと」
「その上司は、そうか、って言うんだよね、一言」
沢田が口をはさんだ。「あとで、訪ねてくる、伏線にもなるしね」
「それよりね、」と河田が話題を変えた。「仁科陽子が出てこないよね、実際は」
「そう、何か絡みたいんじゃないでしょうか」と中井弘幸が言った。
私と美佐子にとっても痛い点だった。
「その点は、私たち二人の間でも問題になったところです。何か妙案はありませんか?」と私は言った。
「実際には出てこなくてもいいんじゃないかな」と沢田が言った。「たとえば、大家さんに行き先を聞いて電話すると、誰、あんた? みたいな感じで出てくる」
「仁科陽子は、もう川口公平には気がないんだよね」と河田が言う。「それをしっかりと見せておかないと……」
「電話の中でいいんじゃない? 川口公平さんからクリスマスカードが来てますよって言うと、捨てていいわみたいな」と山岸が言った。
「薄情!」と中井が言って、皆が笑った。
「でもそんなもんよ、女って」と山岸。
「酔っぱらって、電話に出るんだな」と河田が言うと、山岸が、
「バーかキャバレーに勤めている、つまり夜のお仕事だから、昼間電話かけられても眠いのよね」
「それでクリスマスカードなんてどうでもよくなっちゃう」と白石が言う。
「でもさ、恵子はクリスマスカードの内容を説明するよね、開けてしまったことを謝って」と河田が言う。「それで、仁科陽子の心も動く、荒れた生活だろうからね。それで、仁科陽子も夜、今は恵子の部屋に来るっていうのは?」
「あ、なるほど。それで、相手がちがいますね、か」細田という年配の男が言った。
「終わりがなぁ。なんかごちゃごちゃしてくるわね、何となく」と山岸。
「終わりは、原案通りの方が、恵子の淋しさが出ていていいと思うんだよね」と沢田が言った。「だから、仁科陽子が出てくるとなると、どうなるんだろうな」
「そっちはハッピー・エンドでいいんじゃない」と松井が言った。「川口公平は仁科陽子と無事会える。でも、恵子は、相馬浩一郎を追い出すのよね。そこで、ひとり、黄色いマフラーを見る、そして、『聖夜』の電子音」
「細かいところですけど、カードは陽子に返すんじゃないかなぁ」と中井。
「電子音は、実際に鳴っていなくてもいいのよ、耳についていれば」と松井。
「終わりは、松井さんが言ったような感じでいいんじゃないかな」と沢田がまとめるように言った。「どうですか、小山さん、樹口さん」
「うん、だいたい」と私は言った。美佐子も隣で頷いている。
「これは、テレビのシナリオだね」
黙っていた渕上講師が言った。「映画のようにスケール大きく描くのではなくて、ディーテイルにこだわるって言うか……」
「テレビでもいいんじゃないですか?」と沢田が言うと、渕上講師は、
「いや、それはいいんだけどね。スケッチの延長だっていう気はするね。何度も言ったように、主人公に貫通行動がない。だから、達成感みたいなものは出ないな」
「特にテレビを意識しているんだから、貫通行動なんてなくてもいいと思いますが?」
沢田が、また突っかかるような言い方をした。
「どうかね。とにかく今話し合ったことを参考にシナリオにしてみて下さい」
渕上講師は、そう言った。
「60分ドラマとしたら、雰囲気があってとてもいいと思うわ」と白石が言った。
講義の後の「飲み会」でのことだ。
「でも、小山さんや樹口さんらしいね」
沢田が言った。「クリスマスの日曜劇場だったりすれば、すごくいいものになると思う」
「まだシナリオにするためには大変だと思うけど、頑張ってほしいね」と河田が言った。
「共作、どういう風にやったんですか?」
佐倉が訊いた。
「どうと言うことはないよ。今日発表の場でしたようなことを二人でやっただけ。お互いに思いついたストーリーをぶつけ合って、それはちがうんじゃないか、とか言い合って」と私が言うと、美佐子が、
「原原案は小山さんの発想なの」と言った。
「なんか気が合っていて、うらやましい感じだな」と沢田が言った。
「ふたり、いい雰囲気よね」と白石。
「おいおい」と私は言った。「私は妻子持ち。樹口さんは恋人持ちだよ」
皆は笑った。しかし、美佐子の目が少し悲しげに光ったのが、私は気にかかった。
私のマンションでやろうよ、と言い出したのは、美佐子の方だった。
私たちには、まだ大仕事が残されていた。皆で合評したストーリーをシナリオにしなければならなかった。細部のシーンや台詞には、検討しながら書かなければならないところが多々あった。
「私のところなら、ワープロもあるし、落ち着いてできるでしょう?」
美佐子はそう言った。
それが便利な提案であることに疑いはなかった。しかし、美佐子ひとりの部屋を訪れることに、私なりの抵抗があった。美佐子は、未婚の魅力的な女性だった。その上、恋人もいるという。誤解が生まれないとは限らなかった。
「恋人が妬いたりしないのかい?」
私は、冗談めかして言った。
「そんな人じゃないもの」
美佐子の言い方は、少し悲しげだった。「それに、小山さん、安全でしょう?」
「さあ、それはわからないさ。私だって男の端くれだからね」
私はそう言って笑った。正直な思いだった。しかし、美佐子は笑い飛ばして、そうしましょうと言った。