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沢田の結婚式計画

季節は夏を迎えていた。その年は猛暑になるという予想で、六月末から30℃を超える日が続いた。

講義の方は、開講から二ヶ月を過ぎて、三題噺の発表は終わった。各人の創る物語はそれぞれ個性があり、面白かった。しかし、それに続く講義は、脚本の古典の解析をやっており、原稿用紙にシナリオを書く書き方ひとつ教えられなかった。

三題噺の後は、卒業制作の構想の発表とそれを材とした論議だった。発表は構想が立った順。それを終えた人から卒業制作にはいる。卒業制作ができると、それを製本して皆に配るという段取りだった。

私は、卒業制作の構想などまるでなかった。いつも――たとえば息子と散歩する時などにも、頭にあったが、モチーフになるようなことは何も浮かんでこなかった。



 そんなある日、いつものようにシナリオ・センターへ行くと、乗ろうとしたエレベーターから樹口美佐子が降りてくるのに出会った。

「どうしたの?」

「今日、休講ですって」

「休講?」

「渕上講師の風邪ですって」

「何だよ、それ」

「ひどいわよね」

私たちは一緒にセンターを出て歩き始めた。

「このまま帰ります?」

樹口美佐子が訊いてきた。

「そうだなぁ。なんか拍子抜けって感じで」

「もしよかったら、近くでお茶でも飲みませんか?」

「そうしようか」

私たちは、駅のそばにある喫茶店に入った。他に誰かがいれば飲みに行きたいような気分だったが、美佐子と二人でははばかられた。

室内が全部木造の気楽に入りやすい店だった。内のクーラーが心地よかった。

「お子さん、元気ですか?」

「元気だよ。暑いんでさ、散歩になんか行くとこっちがバテてしまう」

それからしばらくの間、私たちは世話話をした。

「卒業制作、考えています?」

美佐子が訊いてきた。

「う~ん、まだ何も形になりそうもないなぁ」

「私も。全然浮かんでこない」

「貫通行動とか言われてもね」

美佐子も頷いた。

「私ね、」と樹口が言った。「ちょっと考えていることがあるんですけど……」

「何、題材?」

ううんと美佐子は首を振った。「まだ、受け容れてくれるかどうかわからないんだけど……」

美佐子は、いたずらっぽい目をした。ブルーのブラウスの開いた胸元からのぞく白い肌がまぶしい。唇には地味なピンクの紅をさしている。

「何よ」と、訊くと、

「小山さん、共作って考えてない?」

「キョウサク?」

「ええ、誰かと一緒に書くの、卒業制作」

「共作か」

「ええ」

「そうねぇ、誰もいないからなぁ、相手が」

そう言うと、美佐子はコーヒーを前に少しこちらに乗り出して、

「私とじゃ、共作できませんか?」

「樹口さんと?」

「ダメですか?」

「いや、ダメじゃないけど、考えてなかったから」

「考えてもらえませんか?」

美佐子は真剣だった。

「どうして、私?」

「前にも言ったかも知れませんけど、ものを見る視点みたいなものが同じような気がするのね」

「それは私も感じる」

「本当?」

「うん、発表聴いてそう思った」

「私も」と言って、美佐子は恥ずかしそうに目を伏せた。「今返事じゃなくていいですから、考えてもらえませんか?」

「うん、わかった」

 私はそう答えた。

 樹口美佐子との共作――考えてなかった。

 先日の山田洋次監督の特別講義を聴いて、「共作」に興味はあった。自分だけで書くのも自由度があっていいとも思ったが、「共作」、それも樹口美佐子とのそれには興味がわいた。何かひとりで書くよりも幅の大きなものになるかも知れない。

 樹口美佐子の女性としての魅力も私の中で揺れていた。しかし、それを自覚するのはためらわれた。

 私は、帰りの電車の中で、ひとつため息をつき、もう少しゆっくり考えてみようと思った。


 また、それとは別の動きが、私にもたらされた。

 七月の半ばを過ぎた頃、沢田からちょっと話があると言われた。

「『飲み会』の席でかまわない?」

「いや、別の方がいい」というので、私と沢田は「『飲み会』には後で行く」と皆には告げて樹口美佐子とお茶を飲んだ喫茶店へ行った。

「実は……」と沢田が気ぜわしそうに話し出した。「俺、結婚するかも知れない」

「えっ?」

「いや、する」

「私の知っている人か、相手」

「いや、そうじゃない」

「そう」

 それでは、私が呼び出されたわけがわからない。

「それで?」と私は訊いた。

「結婚式を段取って欲しい」

「段取る?」

「俺も彼女も金がないから、結婚式場では披露宴できないんだ」

 沢田は照れくさそうに鼻をすすった。

「どうするつもり?」

「だから、その、手作り結婚式みたいのでやりたいんだ」

「うん」

「それの実行委員長みたいな感じで段取って欲しいんだ」

「何をすればいい?」

「まだ何をどうするか全く考えていない。だから相談に乗って欲しい。そして、その実行責任者。それも早めに」

「早めって、いつ頃?」

「再来月まで、できれば、来月がいい」

「そりゃ、また急だな」

 沢田はまた鼻をすすると、

「俺、来年早々父ちゃんになるんだ」

「えっ?」

「順序が逆転しちまって、さ」

 そういうことか、と私は納得した。

「みんなには、まだ?」

「センターの何人かは呼ぶつもりなんだけど、言うのはいろいろきまってからがいいかな、と」

「なるほど」

 それから、私は沢田からいろいろ聴き出した。――嫁さんとは、山を散策する会で知り合い、まだ一年ほどのつきあいだということ、俺にはこの子しかいないと思っていること、年が十二歳離れていること、等々……。

 「公民館のようなところの一室を借りて、ケータリングか何かを使ってやったらどうかな」

 私は、そういうカップルの式に出席したことがあった。

「それでもいいんだけど……俺、外でやりたい気がするんだ」

「外って、屋外?」

「うん」

「そうか、わかった。バーベキュー・パーティーみたいなのはどうだ?」

「俺も、そんなことを考えていた」

「よし、センターの何人かと実行委員会を作ろう。そこで細かいことは考えようじゃないか」

 私は、そういって頷いた。

 降って湧いたような話だったが、私は乗り気だった。何かこのグループにいることが、いろいろな経験を呼び込んでくるようだった。

 美佐子との共作の話も、とりあえず棚上げだな。私はそう思って、もう一度頷いた。



 私は、センターのメンバーの中から、比較的暇のありそうな、河田雅之、中井弘幸、樹口美佐子を選んでことの次第を打ち明けた。このほかに新郎の沢田、新婦の木下恵子が加わって、実行委員会を作った。

 恵子は二十九、妊婦のせいか小太りの感じに見えた。笑うと細く人なつこい目になった。

 第一回の会合は、日曜日に新宿の「談話室」で行った。普通の喫茶店と違い、コーヒー一杯でいくら粘っても文句は言われない。その分少し高めだったが。

 「まず規模だな」と私は言った。

 沢田は、父親を亡くしていたが、親戚筋で五、六人ということだった。木下恵子は八人くらいと言った。それに友だち関係。

 「その前にさ、」と河田雅之が言った。「屋外で、バーベキュー形式でやるってことは、それでいいのかな。テラスみたいなところを借り切って、ということじゃないよね」

 「いや、野原でバーベキューという感じ」と沢田が言う。「まだ伝えてない人がいるけどね、皆の了解は取れると思う」

 「木下さんちの方は、それでいいの?」

と、樹口美佐子が訊くと、

「大丈夫だと思います」と恵子が言った。「ダメそうな人は呼ばないから」

「屋外でっていうのは天気とかのリスクがあるよね」と中井弘幸が言った。

「雨だったら順延というわけにはいかないでしょう?」

 樹口美佐子は、その日明るい緑のカーディガンを着ていた。

「雨だったら中止」と沢田がきっぱりと言った。

 河田は皆が了承してくれるなら候補地がいくつかある、と言った。

 披露宴の規模は三十人くらいになりそうだった。日時は、沢田のできるだけ早くという意向を尊重して八月中旬から九月上旬ということになった。

 河田が候補地のいくつかに連絡を取ってみる、そして、新郎新婦には出席者の確認を急ぐということで第一回目の会合は終わった。

 帰りは樹口美佐子と一緒になった。

「屋外でバーベキューというのは大胆ね」

 樹口美佐子が言った。「呼ぶ人の中にはお年寄りもいるでしょうし」

「そうだね。でもアウトドア派の沢田さんらしいよ」

「うまくいくといいわね」

「うまくやらなくちゃ」

「うん」と美佐子は頷いた。

「ところでさぁ、」と、私は切り出した。「卒業制作の件だけど」

「ええ」

「共作、してみようか」

「本当?」

「何も案が浮かばないせいもあるんだけど」

 言い訳がましくなった。

「私も。でも、やってみましょう」

「とりあえず、スケッチでもいいからお互いに何か考えて、近いうちに打ち合わせしよう」

「うん、しよう」

 樹口美佐子はうれしそうに笑った。



 結婚式の概要が固まったのは七月の終わりだった。

 出席人数、新郎新婦を含めて三十六人、場所は奥多摩の川沿いの割と平坦な(山を登るようなことのない)キャンプ場、日時は少し暑いかも知れないが、八月中旬の日曜日、午後一時から。

 新郎新婦は、地図付きの招待状作り、河田はバーベキューの道具の準備と当日の司会、中井は送り迎えのマイクロバスの手配と来賓の受付、樹口美佐子は食材の調達、音響・ビデオ撮影は佐倉孝一が申し出てくれた。私は全体の進行、挨拶……等々、担当も決まった。

 天候は時の運だった。

「あとは運天だな」

「沢田さんの行いが良けりゃはれるよ」

「俺は行い良いさ」と沢田が言うと、中井弘幸は「先に赤ちゃんできちゃうもんねぇ」と言って、皆を笑わせた。



 いよいよ披露宴を一週間後に控えた日曜日、私たちはまた新宿で落ち合った。

 食材は腐らぬものから準備を始めていた。道具は、キャンプ場で借りるものに加えてテーブルや椅子から皿やグラスまで、河田がレンタルショップから借り出していた。レンタカーのマイクロバスは一台、歩が危うい老人たちを乗せ、歩ける人は歩いてもらうことになる。

「披露宴の出欠席は?」

「三十二名。その内バスが必要な人は、十六名くらい。半数だな」と、私は言った。

「衣装はどうなんです?」と中井が訊いた。

「来る人には、平服でと連絡してある」と沢田。

「沢田さんたちは?」

「一応スーツとワンピース」

「ウェディング・ドレスは?」

「汚れるんじゃないかな」と河田。

「でも、花嫁としては着たいんじゃないの?」と樹口美佐子が訊くと、

「いえ、歳も歳ですし、私は白っぽいスーツで」と木下恵子が言った。

「それでいいならいいけど、まだ若いじゃない」

「お色直しは?」

「なし」と沢田。「着替える場所もないし、出てくるドアもない」

「いいの、それで?」

 樹口美佐子が恵子に気を遣っていた。

 恵子は、沢田にすべて任せたといった風だった。

「何度も言うけど、あとは天気だけだなぁ」と中井が言うのに皆頷いた。

「週間予報ではね、晴れそうなんだけど」と河田が言った。

「どうせならぱぁっと晴れてくれないかしら」

 樹口美佐子は、そう言って木下恵子の薄化粧した顔を見た。

 私たちはそれから、店の中で言葉だけの通し稽古をした。

 雨さえ降らなければ、結構まともな披露宴になりそうだった。皆準備に気合いが入っていた。

 全体で約一時間半というところだった。

「いいんじゃないかな、こんなもんで」と私が言うと、河田が、「花」と言った。

「花が欲しいよ」

「そうね。キャンドルサービスができないのだから、せめてテーブルに花があった方がいいわ」と、樹口美佐子も言った。

「生花は難しいかな」

「そんなことないっすよ、」と中井が言った。「当日、生花運んでもらうように手配しますよ」

「葬式用の花輪じゃないだろうな」と河田がちゃかすと、

「わかってますって」と中井が胸を叩いた。

「じゃあ、たのむ」と私は言った。

 正直、皆がこんなに熱心に披露宴の準備をしてくれるとは思わなかった。酔狂な他人事である。それに一所懸命立ち向かっているのだ。

 私は、楽しかった。この仲間がかけがえのないものに見えた。

 私たちは、当日の朝現地集合を約して、散会した。

「いろいろありがとう」と沢田が言うのに、皆が手を振って別れた。



 シナリオ・センターの講義は続けられていたが、最近ではほとんど聴く者がいなかった。ただ、皆の卒業制作の構想の発表と、講義の後の「飲み会」のみに興味があった。

「飲み会」の場では、もっぱら沢田の結婚披露宴に注目が集まった。もちろん、センターの全員を呼ぶわけにはいかなかったが、全員が沢田たちを祝福していた。

「私、良い歌を歌いますからね」

 沢田のたっての希望で披露宴に呼んだ島田老人が、言った。

「ビデオ録ってきて下さいね」

「しっかりやりますよぉ」と中井が言って、周囲を笑わせた。


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