山田洋次の特別講義
私は、卒業制作に入る前に一本書いてみたいと思っていた。構想もあった。かつて書いていた小説らしきものの中でこれならシナリオにもなるのではないかと考えているものがあった。
こんな話だった。
――大学生の主人公には同年代の恋人がいる。その主人公には病に罹った母親がいた。不治の病だった。その母親が久しぶりに外泊を許可された日、主人公には恋人との約束があった。一緒にテニスをしようというものだった。主人公は母親を気にかけながら、テニスに行った。テニスをしている最中、母親の泣いている顔や厳格な父の顔、そして兄をなじる妹の顔などがよぎった。テニスを早めに切り上げて帰ってきた主人公を待っていたのは母親の手料理で主人公の好物だったハンバーグと母の手紙だった。手紙にはこうあった。「ごめんね。お母さん泣いてばかりいて……。これからは私も頑張るからね」――
主人公の痛みを表現できればと考えていた。
私は、久しぶりに机に向かった。息子との散歩には行ったが、その他の時間、原稿用紙に文字を埋め始めた。
シナリオの正しい書き方などわからない。見よう見まねだった。
ペラの原稿用紙で90枚。ほぼ一週間で書き上げた。自信はなかった。全体に少し急ぎすぎ、そのために120枚に到達しなかったような気がした。
しかし、とりあえず習作第一作が書けたことには満足した。
「ハンバーグ」とタイトルを表紙に付けて綴じた。
それを渕上講師に提出したのは、次の講義が終わってからだった。今までにもそうして提出する受講生がいた。どういう評価になるかわくわくした。
呼び出されたのは、その次の講義の後だった。
いつもの「飲み会」に行く沢田に委細を告げて私は渕上講師に言われた事務室へ向かった。
「最初がね、学校のシーンから始まっているでしょう、これがまずよくない」渕上講師は私の顔を見ずに行った。「学園ものかなと思ってしまう」
「はい」と私は言った。
「それからね、無駄なシーンが多すぎる。無駄と言うより独りよがりだな」
渕上講師の視線は相変わらず私の目を逸れ宙を舞っていた。「時間の処理がまずい。それに、主人公の行動だね、何をしようとしているか一本筋が通っていない、貫通行動がないんだな」
渕上講師の評価はほとんど最悪だった。しかし、半ば予想していたことでもあり、それ自体にショックはなかった。ただ人の作品を批評するのに一度も目を合わせないというのはどんなものだろう、と思った。本気になって何かを教え、指導する態度には見えなかった。
「飲み会」に行くと、まだ皆の議論は続いていた。
「どうだった」と沢田が訊いた。
「ダメダメ、最悪」と言って、私は笑った。
私の脳裏には、始終宙を舞っていた渕上講師の目が残っていた。
「おい、おい、みんな」と少し酔った沢田が声を上げた。「今日、小山さんがシナリオを一本書いた! 拍手!」
ぱらぱらと拍手がわいた。
「どうでした?」と、樹口美佐子が訊いた。
「くそみそだったよ」
「でも一本書きあげるなんてすごいね」
「ダメダメ、出来がよくなけりゃ」
「今度見せて下さい」
樹口美佐子は、本当に興味を持っているようだった。
「樹口さん、発表まだだよね」
「今度くらいかなと思っているのだけど」「楽しみだな」
「私のなんかダメダメ」
トイレへ行ってくる、と言って立ち上がった美佐子の素足が白く見えた。
講義は二ヶ月目に入っていた。いつの間にか季節は初夏になっていた。
最初の予定では、そろそろ会社に復帰しなければならない頃だった。しかし、毎日出社する気力がなかった。
息子と散歩するのは習慣になっていた。日に日に成長するのがわかるような気がした。
立ち上がって歩くことができるようになった頃、簡単な言葉を話すようになった頃、私は会社で毎日仕事をしていた。これからの息子はどのように成長するのか。保育園へ行くようになる日、その運動会、その卒業と小学校に行く日、……それらの成長を見届けたいと思うようになっていた。
シナリオ・センターの講義の日、「飲み会」をするようになってから帰りが遅くなった。帰ると息子はもう寝息をたてていた。そんな日でも、何か息子の成長を見落としたような気になってしまう。「かわいい盛りだから」と何人にも言われた。そうだと思う。毎日会社へ出て以前のように仕事に明け暮れ、息子の寝顔ばかりを見る日々は嫌だった。
私は、結局かかりつけの病院で診断書を書いてもらい、休職を延長することにした。
「会社で仕事をする気力がない」と言うと、木下医師は、「自然に気力が出てくるのを待ちましょう」と言った。
「シナリオの方は続けているの?」
そっちの方はやる気があると言うと、なにやら現実逃避をしているような気がした。
その日は、樹口美佐子が発表に立った。
「読書するのが好きです。好きな作家は、宮部みゆきかな。自分でも物語が書けたらと考えています」
美佐子の三題噺はこんなものだった。
――子供(女の子)が学校から帰ってくると、母親からの手紙がある。「もう、お父さんとは一緒に暮らせません。恵子(女の子の名)、ごめんね。いつか迎えに来るからね」そんな手紙がレモンを上に載せてある。レモンは恵子の大好物だった。恵子は、母親を求めて、ひとりでバスに乗り、駅へ行く。暮れなずむ街の中、レモンを持った恵子の姿がぽつんと駅前にある。何時間も何時間も待っている、レモンを握りしめて。その姿を駅前の易者が見ている。夜遅くなるのを待って、「どうしたのお嬢ちゃん」と声をかける。「お母さんを待っているの」「私が占ってあげようか、なに子供は無料だ」その易者についていく恵子。「レモンが好きなんだね」「うん」占いのまねごとをやって易者は言う。「明日の昼には戻ってくるさ」「そう?」「だから今日は家にお帰り」恵子はレモンを持ったまま家に帰っていく……。――
「夫とうまくいかなくなったいきさつが書かれていない」という批判は当然あった。
「父親は、この日どうしたのかも書かれていないですね」と沢田が言った。
「でも詩情はあるねぇ」と河田雅之が言った。
私も同感だった。レモンという果実がうまく小道具として使われていると思った。
「この作品はね、いちおう物語になっているんだよ。主人公の行動にも、母を待つという一本筋が通っているしね」
渕上講師は、目を宙に泳がせながら言った。「やはり夫との関係がネックだね」
その日の講義後の「飲み会」で私は樹口美佐子に言った。「レモンを持った女の子が絵に描けるような作品ですね」
「そうですか?」
美佐子は、柔和な表情をした。小柄な身体にサマーセーターがよく似合っていた。「でも、私結婚していないから、夫との関係って言われてもリアルにわいてこない」
「それはしょうがないね、結婚している私だってありふれた理由しか浮かんでこないんだから」
「それは結婚生活がうまくいってるからでしょう」
「フフフ、そうかな。でも、あなたの作品、視点の高さみたいなものが私と似ているように感じた」
「そう?」
美佐子は、一瞬うれしそうに微笑んだ。「私も小山さんの発表聞いた時、私と感じ方が似ているなって思った」
「似たもの同士なのかな」
私たちは声を上げて笑った。
知人というか「飲み会」仲間の発表が続いた。次の講義の日の発表の一番目は沢田だった。
沢田の作品はこんなものだった。
――ある絵描きが自分の描いた絵を駅前で売っている。しかし、さっぱり売れない。結構うまい風景画なのに……。その駅前にはもうひとり、易者がいた。こちらもさっぱり客が来ない。ある日、絵描きが易者のそばに行く。「占ってもらえませんか?」「何を?」「どうしたら絵が売れるようになるか」よしと言って、易者は占う。「風景画はやめて、果物のような静物を描きなさい」その次の週、絵描きは林檎やオレンジなどの絵を描いてやって来た。すると、ぽつんとひとりの客が来て、「この林檎の絵、いくらかね」と訊いて、買っていった。不思議なことにそれから絵がぽつぽつ売れ出した。絵描きは喜んで、報告しようといつかの易者を捜した。ところが、河岸を変えたのか易者の姿はなかった……。――
「現代の寓話だね」と河田雅之が言った。
「どうして絵が売れるようになったのでしょう?」と樹口美佐子が言うと、
「それがわからないから寓話なんじゃないかな」と河田。
佐倉孝一が珍しく、「でもシナリオになるかな」と言った。
「うん、小説的ですよね」と中井弘幸。「映像にするとあまり面白くないかな」
渕上講師は、「今言ってたけれど、映像としてあまり面白くないんだな。シナリオでは、行動や変化を絵で見せなけりゃならないからね。それから、誰か言ってたけど、なぜ急に絵が売れるようになったのか、作者にはわかっていないとダメだな。おとぎ話にもならない」
そういって締めた。
その話が初めて「飲み会」の席に出たのは、その日だった。
「樹口さんが?」沢田の声だった。私は、ちょうど河田と話していた。
「そう、よね、樹口さん?」と、白石祐子の声。
「どんな人なんですか?」と中井弘幸の甲高い声が聞こえた。
「なに?」と私が訊くと、沢田が、
「樹口さんが婚約しているっていう話」
「そうなんだ」と河田が感心したように言った。
「どんな人なのかなぁ」と私は言いながら、正直な話軽いショックを受けていた。別に樹口美佐子に対して特別な感情を持っていたわけではなかったが、好意は感じていた。同じ感覚を共有しあえる人だと思っていたのだ。
しかし、まだ若く魅力的な人だったから、恋人がいても不思議はなかった。むしろ当然だったろう。
「でも、いいなぁ」と白石が言うと、
「婚約なんて大げさなものじゃないのよ」と美佐子は言った。
「でも恋人はいるんでしょう?」と白石。
「一緒にやっていかないか、みたいな……」
「なんかいいね」
「じゃあ、樹口さんの婚約に乾杯!」
沢田が大きな声でそう言って、グラスを上げた。
「でも結婚するかどうかわからないの」と美佐子は水を差すように言った。「彼、忙しい人だし、私もなんか迷っているって言うか……」
「ストップ!」と私は言った。「いいよ、その辺で、誰もそれ以上のことは訊いていないよ。……とにかく、乾杯しよう」
「ありがとう」美佐子はそう言うと、皆と杯を合わせた。
少しずつ講義に出席する人数が減ってきた。皆、講義の観念的な内容には辟易していた。
特に「飲み会」のメンバーが授業に遅れて来るようになった。沢田などは、終了間際に、まるで「飲み会」目当てに来ているといった風だった。
私はと言えば、他の人の発表があるので講義には出ていたが、ふと気づくと樹口美佐子のことを考えていた。美佐子に恋人がいると知り、意に反して意識するようになってしまっていた。
何かの拍子に美佐子と目が合うと、少しながら気持ちが浮き立った。
そんなとき特別講義があった。「特別講義」というのは活躍中のシナリオ・ライターや監督などを招聘して、彼らの仕事の経験や実際を語らせるイベントだった。
山田洋次が来た。
監督が話をする前にその作品を観る。作品は『寅さん』の最新作だった。
このときばかりは全体に出席率の下がっていた講義にも受講生が集まった。沢田も定刻に来た。
『寅さん』の最新作は、無料パス(シナリオ・センターの生徒に配られる指定映画館の無料パスポート)で観ていて知っていたが、あらためて観ると、シナリオの工夫やストーリーの展開の巧さに気がついた。
試写後、山田洋次が『寅さん』作りの現場の苦労話を訥々とした感じで話した。
知られていることだが、『寅さん』の脚本は、浅間義隆との共同執筆である。山田洋次は、個人脚本の限界と共同制作の可能性について述べていた。
『寅さん』に関する話が一段落した後、山田洋次はこう言った。
「私としては、いつも、その映画を観た人の心の中の熾火に再び火をつけて燃え上がらせるような映画を撮りたいと思っています」
私たちは感動して彼の言葉を聴いた。
三十分ほどの講義はあっという間に終わった。
やはり現場の監督は違う。山田洋次の場合は脚本も兼ねているわけだが、その話の中に真実味があった。ふだんの講義では味わえないものだった。特にシナリオ・ライターの卵たちに向けた言葉はなかったが、興味は尽きなかった。
その日の「飲み会」は、皆、酒のせいばかりではなく上気していた。
私は、元々テレビドラマ・ライター志望で映画を、『寅さん』でさえあまり観てはいなかったが、その晩は映画の話で盛り上がった。
「共同脚本、実際は朝間さんとどんな会話をするんだろうな」と河田が言う。
「それぞれが思いついたシーンを話し交わしたりするんじゃないかな」と佐倉も上気した顔をして言う。
「ストーリーも共同で練るんだろうか」
「現場で台詞変えることもあるらしいよ」
「早く現場も見たいですね」と中井も参加する。
その日の特別講義で、後日、研究生有志で撮影現場の見学の予定があることが明らかになったのだった。
私は樹口美佐子と話していた。ふたりとも気持ちが高揚していた。
「人々の心の中の熾火に火をつけるような映画って、いいね」
「燃え上がる熾火は誰の中にもあるっていう……」と美佐子。
「人を見る目が優しいんだな」
「人の心を動かすのは、ああいうピュアな感性なのね」
「成人してから、あんなことを話す人、他に会ったことないものな」と私は言った。
「子供心を忘れないのよね」
美佐子はそう言って、グラスをほてった頬につけた。
山田洋次の話に比べると、会社での利得に満ちた話題がひどく低俗なものに見えた。
人の心の奥底を見据えることができるような人間になりたい。私は、青年のようにそう考えていた。