講義と飲み会
口火を切ったのは沢田だった。
私たちは、センターが予約したレストラン兼飲み屋のようなところで、「親睦会」を始めていた。ワインとサワーがおもで、私も沢田も結構飲んでいた。入講予定者の大半が参加していた。センター側からは、開講式で事務的なことを話した声のかすれた男(この男が講師を務めるらしい)、渕上と所長の木崎が出席していた。
沢田が言い出した。
「所長、何人受験者がいたんですか?」
木崎はリラックスした様子で「百人ちょっとかなぁ」と言った。
「それじゃあ、ほとんど合格という事じゃないですか」
「いやぁ、皆の成績が、今回はよかったからねぇ」
「私たちは、才能を認められたから合格したと思ったんですよ」
気色ばんでいる沢田に木崎所長がちょっと居ずまいを正した。
「でも、皆甲乙つけがたくてねぇ……」
「募集要項には、定員50名、入講試験にて選考って書いてありましたよね」と私も言った。「一クラス25名の少数授業って」
「偉そうに言うわけではないけれど、私も自分の才能を信じる気になったんですよ」
沢田が言った。
いつの間にか、入講生の耳が所長とのやりとりへと傾いていた。
「僕もそうだな。百九名合格っていうのには少しがっかりしました」
「筆記試験を受けた人は、百名くらいだったでしょう?」
今まで黙っていた入講生が口を開いた。
「クラスはどうするんですか? 一クラス50名でやるんですか?」
「金儲け主義にとられてもしょうがないな」
沢田が決定したことのように言った。
「いや、それは違うよ、君」
今まで黙っていた講師の渕上が口をはさんだ。「来週からの講義で、皆の作文を読んでもらうけど、どれもあるレベルに達している」
「その中できらりと光る才能を見つけ出すのが選考でしょう? 現に14期までは50名前後でやっていたっていうんだから」
「それは受験者があまりいなかったからで……」
「受験者が二百名いたら二百名採るんですか?」
その場にいた入講生が皆発言し出した。
どうやら皆、我こそは才能があるんだという自負があったらしい。それは私も同じだった。
結局皆不満を持ちながらも、次週からの講義に期待をかけるようになった。
「懇親会」は気まずい別れになった。
私は、沢田とともに帰りの電車に乗った。沢田はあまり口を開かなかった。
「結局受講料が欲しいのかねぇ」と私が言うと、
「本当にシナリオ・ライターを育てる気があるのかよ」
沢田が吐き捨てるように言った。
「来週からの講義期待だな」
それじゃあ、また来週、と言って、先に降りる沢田が別れていった。
私は、軽い酔いに身を任せてふらふらしていた。
「絶対書いてやる」
あらためて、気合いがわき上がって、私はひとりごちた。
帰宅すると、十二時を過ぎていたにもかかわらず、妻は起きて待っていた。
「どうだったの?」
息子の寝顔を見てからリビングに入った私に、妻が訊いた。
「まあまあだな」
「まあまあって?」
私は問われるままに、百九名の入講者がいた話をした。
「お金儲けだと思うは、私も」
「皆もそういう意見だったよ」
「経営は大丈夫なの?」
「まあ、いちおう名も知られたセンターだからね」
来週から火曜日と木曜日が講義だと告げて、私は寝室に入った。
翌週の火曜日に、第一回の講義があった。
結局一クラス三十名余の三クラスで開講した。
午後7時から9時までの2時間、その内1時間は研究生それぞれの自己紹介と、筆記試験の時に書いた物語の朗読に当てられた。朗読された物語のひとつひとつに他の研究生の感想や意見、講師の講評が加えられるので、一日に二、三人程度になりそうだった。
全期の予定としては、朗読、自己紹介が全員終わった時点で、卒業制作になるシナリオを一編完成させるというものらしい。その間何編書いて提出してもいい、個人的に講評する、と渕上講師は言った。
筆記試験の際書いた原稿は、おもにシナリオ的なものと小説的なものに分かれていた。
教室の壇上に立って読み上げる。シナリオを書いた者には、おもしろおかしく声を変えて演じる者もいたが、たいていは読みにくそうだった。
「占」を〈うらなう〉と読んだ者が多かったが、〈しめる〉と読んだ者もいて物語の性質が変わった。〈うらなう〉と読んだ者は、たいてい「駅」と結びつけて、「駅前の占い師」が登場した。
筆者が読み終わって、「何か感想・意見などありますか?」と問われ、出尽くした時に渕上講師による講評があった。
感想・意見は、書き方よりも主人公の心情や気持ちに関するものが多かった。
「どうしてこの男はこんな行動をとったのか?」「普通はこんなことは言わないのではないか?」「ここでこの台詞はおかしい」……等々。
講師の講評がそうだからだろうが、ふだん心にしまって表に出さない「人間の心」について大まじめに論じるのは、それなりに楽しかった。
いわゆる学校での授業と異なり、論議は活発だった。「書く気がある」という姿勢が皆にほぼ共通しているようだった。
年齢は二十代から三十代が多かった。ひとりどう見ても七十代の老人がいた。自己紹介で、
「わたしはこれから夢を実現させようと思っていますが、歳を訊かれるとその夢がしぼんでしまうような気がします」と言って、多くの拍手を呼んだ。
私も同じです、と思った。四十近くになって、シナリオを書く姿勢は、夢の実現への努力そのものだった。
三回目の講義に、私の番が回ってきた。
「東京都出身。歳は、三十九。若い頃小説を書いていました、習作の域を出ませんが。ただ今でも本を読むことと、映画というよりもテレビ・ドラマに興味があります。ここで勉強してテレビ・ドラマが一本書ければいいなと思っています」
それから答案の朗読に入った。
私の書いたのはこんな話だった。
――生活に疲れた三十代中盤の女性がいつものように駅を降りる。特定の恋人もいず、若い娘と遊び回るには歳を取りすぎている。その日もひとつ失敗をして「もうベテランなのだから」と嫌みを言われて落ち込んでいた。駅を降り、ふだん目につかない占い師に目がゆく。ふと、自分の将来を見てもらおうかと考える。ふらふらと入っていき、掌を見せる。「果物、それも柑橘系の果物をそのまま食べずに部屋の東側に置くといい」。そう言われ、街角の果物屋でレモンをひとつ買って帰る。疲れ切って部屋へ帰り、東側にある書棚の端にレモンを置く。テレビもつけず、音楽も聴かず、本も読まずにレモンをじっと見ている。見ているうちに頬を涙が伝う。ある衝動。彼女は、気が触れたような勢いで、そのレモンを取り、キッチンへ行く。そして、包丁で真っ二つに切る。あふれるレモンの果汁。彼女はまた放心したようにレモンのかけらを見て、それから無造作にゴミ箱に捨てる。――
私は自分で書いたこの物語を少しちゃかしながら読んだ。
教室の中央のうしろに座っている白いカーディガンの小柄な女性と目が合った。歳の頃三十余りかな、と私は考えた。
この話については、自分では自信を持っていた。が、もちろん批判もあった。
「この女性はなぜ落ち込んでいるのかが書かれていない」
私もそこがネックだとは思っていた。ただ十枚足らずの枚数の中では書けないようにも思った。
「なぜって言えず落ち込むことだってあるんじゃないですか」
先ほど目の合った女性が言った。「何となくうつになる。もちろん会社で言われた嫌みのせいもあると思うけれど」
「でも、やはり何か根底にないと共感できないな」
別の女性が言った。「三十を超えて恋人も友だちもいないのだから、落ち込んでいるなんていうのは、いかにも男性から見たありきたりの女性像だと思う」
別の意見も出た。
「ある衝動がわき上がってくるってとこがあるけれど、どんな気持ちなのかな」
まだ若い男性だった。
「そこのところはちょっと説明できない感情だと思うんですが……」
私が言うと、
「作者にはわかってないと」
「そうだね」
「何とも言えない暴力的な衝動って、わかるけれど」
また、さっき目のあった女性の言だった。
「それなら、レモンを投げつけるとかの方がいいような気がする」
「これはね、スケッチなんだよ」と講師の渕上が言った。「物語じゃない」
「つまりね、この物語の主人公には何をどうしたいという目的がなくて、だからそれに対する行動、貫通行動って言うのだけれど、それがないんだ」
「貫通行動」という言葉はこの時初めて聞いた。
「ひとつのシナリオにはなりにくいね」
突き放すようにそう言って、渕上講師は議論を締めた。
週二日、シナリオ・センターへ行く以外、私の生活は変わらなかった。
息子と散歩もしたし、昼寝もした。ただ、ふと気がつくと何か物語にならないかと探している自分がいた。
散歩の時、たまに会う老人夫婦、自転車に乗って大声でしゃべり合ったりしている女子学生、何を急いでいるのか横断歩道を赤信号で走りわたっている男、……何かを見て触発されるストーリーを私は探していた。
「貫通行動」と渕上講師は言った。昔小説まがいの物を書いている時から、ストーリーを転がし結末へ導くのが苦手だった。しかし、人は必ずしも何かを求めて行動しているわけではないとも思った。映画であれば、一本の筋が通っているものかも知れないが、連続ドラマなどを見ていると、登場人物の感情の枝葉をていねいに描いている気がする。特に一本の筋がなくても、テレビ・ドラマは成立するのではないか、私はそんなことを考えていた。
病院の神経科には、定期的に通っていた。
「会社を休んで、好きなことをやるのは神経にもいいことですよ」
最近の生活を話すと、木下医師は笑って言った。
「ただあと一ヶ月ほどで会社に復帰するのが正直ちょっと怖いです」
「あまり何月までに会社へ出なければと自分を追い込まない方がいい」
木下医師は言った。「今は、シナリオですか、そのことに一生懸命になっていればいい。そのうち、自然に会社へ出たいと思うと思います」
木下医師は、気楽に気楽に、と言ってカルテを閉じた。
一ヶ月ほどたった頃から、講義が終わった後、有志七、八人で近くの居酒屋へ行くようになった。
ちょうどセンターから最寄りの駅までの間にそれはあった。カウンター、テーブルの席もあったが、私たちは、たいてい奥の正方形の真ん中を囲んでいろりのようになった席を占めた。掘りごたつのように下が掘ってある席に座って足を出すと妙に落ち着いた。
毎回少しずつメンバーは替わったが、常連は決まっていてそこに何人かが加わるといったような感じになった。
私と沢田裕二が中核になった。それに、河田雅之――三十半ばの無職の男、佐倉孝一――三十ちょうどくらいで写植屋に勤めている映画通、中井弘幸――就職時期を迎えてまだ迷っている大学生、樹口美佐子――私の発表の日に目が合った三十くらいの小柄な女性、白石祐子――二十代半ばのフリーター、それらの人に、「歳を訊かれると夢がしぼむ」と言った島田老人や、夫が映画のプロデューサーをやっているという主婦などが時として加わった。
私たちは、その「飲み会」(と言っていた)で様々なことを語り合った。
少なからず、私たちは渕上講師の講義に不満を持っていた。
私たちは皆「基礎科」に入講したのであり、佐倉孝一のような映画通をのぞけば、シナリオについてはほとんど無知だった。だから、原稿用紙に向かってどう書き出せばいいのか、物語はどう創っていったらいいのか、人物設定の方法は、そして、シャレードとかモンタージュ、カットバックとはどういうものでどう使うと効果的なのか……等々といったことから講義して欲しかった。
ところが、渕上講師は、左脳でなく右脳を使って考えろ、とか、四六時中物語のことを考えていろ、とかの観念的な話をすることが多かった。いきおい私たちは、自分でシナリオ本を読んだりその制作について書いてある本を買ったり、「飲み会」で知っている人に訊いたりして学ばなければならなかった。
しかし、そんなことを抜きにしても、「飲み会」は楽しかった。
講義の前に発表のあった誰かの作品の話、その時上映されている映画の批評、放映されている連続ドラマの話、最近読んだ本の感想など話題は尽きなかった。
渕上講師が口にする「貫通行動」についてよく話題に上った。
「今のテレビ・ドラマの、たとえば山田太一の連続ドラマでもいいさ、それが貫通行動しているようには必ずしも見えないんだな」
「連続ドラマと映画とは違うんじゃない」
「どう違う?」
「よく言われるけれど、映画は大スクリーンで周囲を暗くして観客を集中させられる。けど、テレビ・ドラマは飯食いながら、時には家族で別の話をしながら横目で見てる。そのかわり、テレビはたとえば細部を見せ、シャレードを効果的に使うことができる」
「でも、物語という意味では同じでしょう、技法は抜きにして」
「主人公が常に貫通行動しているという論理には納得できないなぁ」
「でも『七人の侍』なんかは貫通行動じゃないの?」
「ああ、そう、だから、貫通行動全部を否定しているんじゃないけど、そうじゃないものもあるってこと」
私たちは時には口角泡を飛ばして議論し合った。
「ところでさ、今の発表終わったら、卒業制作なんだろ」と私が誰にともなく言った。「書けるかなぁ」
「今の発表みたいにして、構想なんかを皆に聞いてもらうらしいよ」と沢田。
「共作でもいいって……」と美佐子が言った。
「でも、共作は気持ち合わないとね」と祐子が言うと、
「『寅さん』の山田洋次と朝間さんはどんな風にやっているのかな」と中井がつぶやいた。
まだ発表は半分くらいの人しか終わってなかったが、気持ちは卒業制作の方に向かっていた。
皆、シナリオ(ペラで120枚)を書けるかどうか不安だったのだ。