今ひとたびの、青春
いよいよクライマックスです。共作の完成、そして、美佐子との仲は……?
その夜、私たちは饒舌だった。ふたりとも黙ってしまうと、何やら緊張した。おもに美佐子が質問し、私が答えていた。
「どうして、シナリオ・センターに通おうと思ったの?」
「うん。以前から小説っぽいものは書いていたんだ。習作の域を出なかったけどね。でも、創作が好きだったんだなぁ、その力を試してみたかったんだと思うよ」
「シナリオと小説ってちがうでしょう?」
「でもね、根っこのところは同じなんだと思う。ストーリーを考えて、登場人物の性格を設定して、あ、逆かな、とにかく、こんな場合主人公はどう考えるかって」
「小説は描写ができるけれど、シナリオは台詞で書かなきゃならない?」
「そうなんだけど、描写ができない分、いろんな技法が発達したんだと思うよ」
「そうね」
「今はその技法が結構おもしろい」
「いつ頃から創作を始めたの、学生時代?」
「理学部だったんだけどね、途中から数式に嫌気がさした」と言って、私は笑った。「何でも数式で考えるのがちがうような気がして」
「心の問題?」
「それも、そう。人間て、もっとゆらゆらしたもので、なんていうか、こう、ばりっとつかめないものじゃないかって。それがおもしろいんだって思って。心理学か何か勉強した方がよかったのかな」
「それが創作の原点?」
「本、小説にとりつかれてね。はじめは太宰治」
「私も一時凝った」
「『自分のからだに傷をつけて、そこから噴き出した言葉だけで言いたい。下手くそでもいい。自分の血肉を削った言葉だけを、どもりながら言いたい』って言うんだよね。そんな小説もあるのかって思ったよ」
「自分の内面を吐露するような小説よね、太宰」
「これなら自分にも書けるって、さ。太宰まがいのものを書き始めたのがことの始まり」
「そう」
「それからおもに日本の小説をいろいろ読んで、そのたびにまねして、大江健三郎なんかにも傾倒したことあった」
「何だっけ、『芽むしり仔撃ち』」
「そうそう。それからミステリーに凝って、君も言っていたけど、宮部みゆき、東野圭吾」
「シナリオは?」
「初めて読んだのは、倉本聰の『わが青春のとき』かな、そして、『北の国から』、『昨日、悲別で」、それから山田太一」
「私は最初、山田太一さんの『思い出づくり』だった。それから、『北の国から』かな」
「ああいう人の読むとさ、心理描写って言うのか、心の動きがすごく自然なんだよね。ああいう風に書きたいなぁ」
私は、少し酔っていた。美佐子の頬もこころなしかほんのり紅く染まっていた。
「さあ、シチューを食べよう。食べちゃったら、仕事、仕事」
「山田さんのドラマだけ見ようね」
「それは、見よう」
私たちは美佐子のよそったシチューを食べた。掛け値なくおいしかった。短時間に作ったにしては、上出来だった。
「おいしいよ、すっごく」
そう私が言うと、美佐子は照れ笑いを浮かべた。「それならよかった。サラダも食べて」
「もちろん」
私も美佐子も旺盛な食欲を見せた。テーブルの上は、たちまち片づいてしまった。
「お茶にしますか、コーヒーにしますか?」と美佐子が訊いた。
「緑茶がいいな。この料理だとコーヒーなんだろうけど」
ワインのせいで、ふたりきりでいることの緊張は快くほどけていた。
「ディズニーランドの後だけどさ」と私は言った。「恵子はすごく饒舌になるんだと思うんだ」
「饒舌?」
キッチンから美佐子が訊きかえした。
「うん。ものすごくぺらぺらしゃべるんじゃないかな。ディズニーランドで見たこと聞いたことぺらぺらと」
「うん。それで訊くのよね、川口に、楽しかったねって」
「異常に熱心に訊くよね、楽しかったでしょう?」
「川口公平は?」
「川口はむしろぶすっとしてるかなぁ」
美佐子が戻ってきて、テーブルの上をふいた。
「ありがとう。ごちそうさまでした」
「どういたしまして、もっと何か飲む?」
「いや、これ以上酒飲むと寝てしまう」
「それは困るわね」
美佐子はふきんをキッチンに置いて戻ってきた。
「さて、どこからだっけ」
「異常に饒舌な恵子にぶすっとしている川口」と私は言った。
* *
●帰りの電車の中
電車の座席に座っている恵子と川口。恵子は陽気だが、川口は不機嫌そう。
恵子「スペース・マウンテンに乗った時、前にいた男の人。サングラスかけてカッコつけていたのに、吹き飛ばされそうになって、フフフ」
川口「……」
恵子「サングラス取るととっても童顔で」
川口「……」
恵子「イッツ・ア・スモールワールドの動く人形もかわいかったよね。音楽に合わせて踊ってたりして」
川口「……」
恵子「あのミッキーのアイスクリームもおいしかったね、少し寒かったけど。あんな大きなアイスクリーム、ひとりじゃ食べきれないよね」
川口「……」
恵子「楽しかったね……」
川口「……」
恵子「楽しかったよね……」
* *
私はワープロで打った部分を表示して見せた。
「うん、そう、そんな感じ」
美佐子は頷いた。「川口は怒っているの?」
「いや、怒っているわけじゃないけど、素直にノレないって言うか」
「相手が違うって思ってる」
今度は私が頷いた。「饒舌だった恵子が黙ると沈黙がふたりを支配する」
「そんな雰囲気のまま恵子さんのアパートに着くのね」
「恵子のアパートまでは遠いからね」
「何かシーン、必要?」
「どうだろう」
「何かあるかなぁ」
私も美佐子も考えこんだ。
「あるとすれば、クリスマスの楽しげなシーンよね」と美佐子が言った。
「恋人たちが睦み合っているシーンとか?」
「睦み合う、意味深な表現」
「今は言わないか」
「渋い」と言って、美佐子は笑った。「枚数の関係もあるから、余ったら何シーンかそういうシーンを拾ったら?」
「そうだね。とりあえず保留」と私は言った。
「いよいよ恵子さんのアパート」
「問題だな。何かイメージある?」
「最寄り駅を降りて、無言でふたりは歩いてくるのよね。それで、アパートに近づくと人影がある……相馬浩一郎」
「うん」
「ここんところ、テレビ見てからやらない? あとで私、ワープロで打ってみるから」
「じゃあ、そうしよう」と私が言い、美佐子はテレビのスイッチを入れた。
「山田太一のドラマは設定がまずすごいよね」
テレビで山田太一の世界を堪能した後、私たちは感想を話した。
「倉本聰さんに比べて、とても理知的に見えるのね、私」と美佐子が言った。
「そうだね。山田太一のドラマっていうのは精緻に組みあげたもので、倉本聰のドラマはもっと感情的だよね」
「山田さんは数学的な頭を持っていると思う」
「倉本聰は文学的?」
「ううん。それだけじゃあシナリオはできないし、構成力もすごくあると思うけど」
「感情の動きを見逃さないと言うより、その動きに沿っているのが倉本聰かな」
「山田さんは理論のシナリオ。今のドラマを見ても、会話が理論的だもの。それなのに、私たちが組みあげたようなドラマの登場人物の言葉より魅力的」
「私も、一応理系出身なんだけどな」
「小山さんが考える台詞も、時々理論的だなあって思うことある」
「そう。私は山田太一系かな」と言って、私は笑った。
私たちはひとしきりドラマへの感想や意見を言い合った。
美佐子は、最後に、
「やっぱり、同じドラマを見てこういう話ができるっていうのはうれしいな」と言った。
彼氏のことを言っているのだと思ったが、私はあえて口出しはしなかった。
「さあ、シナリオ、やろう」と私は言って、今までプリント・アウトした原稿をまとめた。
最後の山場だった。
* *
●小道
――恵子のアパートへの道。
恵子「ごめんね、今日つき合わせちゃって」
川口「いいですよ。俺もけっこう楽しかったし」
恵子「楽しかったよね……」
ふたり、無言で歩を進める。
恵子のアパートが見えてくる。
川口「じゃあ、俺、この辺で(帰る)」
恵子「ちょっと待って。渡したいものがあるの」
と言って早足になる恵子――が立ち止まる。
アパートの前に誰かの影が見える。――相馬浩一郎である。
川口「(も人影に気づいて)あれ、誰かいますね」
恵子「(相馬だということは気づいている)」
早足になる恵子。
ついて行く川口。
●恵子のアパート
相馬が恵子に気づいて、
相馬「今井君!」
恵子が来て、
恵子「課長。どうして?」
相馬「(川口を見て)彼が(デートの相手か)?」
川口「いえ、俺は、別に……」
恵子「(川口の言葉をさえぎって)そうです。ディズニーランドへ行ってきました」
恵子、相馬の傍らをすり抜け、川口の腕を取って、
恵子「さあ、こっち」
川口「うん……」
階段を上っていく恵子と川口。取り残される相馬――も後を追う。
* *
そこまで打って、美佐子はプリント・アウトした。
「仁科陽子はどうする?」
「来るのかなぁ」と言って、私は伸びをした。「でも、クラブだかキャバレーだか、夜の仕事だろう? クリスマス・イヴったらかき入れだよな。帰れないんじゃない?」
「でも、恵子さんと川口もディナーして、ディズニーランドへ行ったのだから。時間的には遅いわよね。……恵子さんが陽子さんを呼んでいたとしたら?」
「そんなシーンは作らなかったし、陽子の勤め先の電話だって恵子は知らないよ」
「そうかぁ」と言って、美佐子は寝転がった。
私は、腕組みをして考えていた。
その後もいろいろ議論したが、納得する結果は生まれなかった。
「ねぇ、やっぱり恵子さんは陽子さんに電話した時、あなたも来たらどうかって誘っているのよ。そうじゃないと、陽子さんは来ないもの。とりあえず案でもいいから、そんな方向で書き直してみない?」
「そうだね、やってみてダメだったら引き返せばいい」
私たちは、今井恵子が仁科陽子に電話するところから手直しした。
「陽子さんて、心の中に本当は暖かいものを持っているのね。それを突っ張って隠してる」と美佐子は言った。
「職の上下を言うつもりじゃないけれど、陽子はどこかでバーかキャバレーに勤めているのを恥じているんだな」
「そうなった自分を見せたくない」
「つまり、陽子はまだ川口のことが好きなんだよ」
「最後の部分はどうなるのかな」
「ちょっと書いてみるよ」
* *
●恵子のアパート・部屋
恵子、上がってきてドアの鍵を開ける。
恵子「(川口に)さ、入って」
川口、入ってくる。
川口「あの、ドアは……?(と、立っている相馬のことを気にする)」
恵子「閉めて!」
相馬の前で閉じられるドア。
玄関で立っている川口。
恵子は、奥へ行って、手に封筒を持ってくる。
恵子「(封筒を差し出して)はい、これ」
川口「(受け取る)」
恵子「仁科陽子さん、引っ越してて、その後にこの部屋に入ったのが私だったの」
川口「それで、陽子は?」
恵子「ごめんなさい、連絡は取ったんだけど……」
ドアの外で、
声「公ちゃん!」
川口「(には、陽子の声だとわかって)陽子ちゃん(と言って、ドアを開ける)」
立ったままの相馬。
その後ろから、女の子――仁科陽子が飛び込んでくる。
陽子「公ちゃん!」
川口「陽子ちゃん」
抱き合う川口と陽子。
半ば呆然として見ている相馬と恵子。
川口「(恵子に)お互い、相手が違うようですね(と言って、相馬を見る)」
相馬「恵子(と言って、ドアを入ろうとする)」
恵子「(相馬に)来ないで!(と言って、ドアを閉める)」
ドアに鍵をかけ、部屋にひとりになる恵子。
相馬の声「恵子、開けてくれ(と言って、ドアをたたく)」
ドアをたたく音。
両手で耳をふさぐ恵子。
その耳に、『聖夜』の電子音。
傍らに脱ぎ捨てた黄色いマフラーを見る恵子。
相馬がドアをたたく音が大きくなる。
耳をふさぐ恵子。
恵子の耳の内の『聖夜』――が次第に大きくなる。電子音、ドアをたたく音をしのぐほど大きな音になる。
恵子、いきなり立ち上がり、窓を開け放つ。
きれいな星空。
現実音消えて、街に流れるクリスマス・ソングが聞こえてくる。(次のシーンへ)
●クリスマスの街の雑踏
きらびやかな装飾とクリスマス・ソング。
* *
「どうかなぁ」
「いいと思うわ、でも」と美佐子は原稿を束ねながら言った。
「でも?」
「あっ、ううん。……ちょっと淋しいなって」
「恵子?」
「うん。でも、これが恵子のけじめのつけ方なのよね」
「最後のシーンで、何か救いを盛り込もうか?」
「何かある? 自然なもので」
「相馬を相手にするわけにいかないからなぁ」
私は、腕組みをした。
「ちょっと、コーヒー煎れるね」
美佐子はそう言って立ち上がった。
「いいよ、気を使わなくても」
私の言葉が、美佐子の背を追った。
救い――今井恵子に最後の救いを求めるとしたらどんな形になるだろう。新たな登場人物を出すつもりはなかった。とすれば、川口か陽子か?
私が考えているうちに、美佐子がコーヒーを運んできた。
「どうぞ」
「ありがとう」
「まだ寝ちゃうわけにはいかないものね」
美佐子はそう言って笑みを浮かべた。
「こんな終わり方はどうだろう、今考えたんだけど」
私はワープロに戻って、打ち始めた。
* *
●恵子のアパート・全景(翌朝)
朝日に光り輝いている感じである。
恵子の部屋にズーム・アップで迫していくと――
●恵子のアパート・ドアの外
ドアの取っ手に小さな紙袋が下がっている。
内にはクリスマス・カードが一枚。
●街中
元気に歩いている恵子。その耳に――
川口の声「昨日はありがとうございました。お蔭で楽しいクリスマス・イヴをおくらせてもらいました。
今日は、陽子とクリスマスをあらためてやるつもりです。
陽子には内緒ですが、今井さんに、黄色いマフラー、陽子よりも似合ってましたよ。
それでは、またいつ会えるかわかりませんが、お元気で。 川口公平」
恵子の耳に『聖夜』の電子音――振り払うように歩く恵子の笑顔。
* *
「これいい」と美佐子が言った。「これでENDマークよね」
「そのつもりなんだけど」
「いいんじゃない。これで主要なシーンは終わったね」
「うん。あとはつなぎ合わせて、場面変更のところなんかにシーンを入れる」
「今夜中にできそうね」
「できれば、今夜中にそこまでやって、明日あらためて読んでみたいんだ。頭が冷えているから、アラも見つかるだろうし」
「ちょっと休憩。コーヒーもう一杯いる?」
「じゃあ、熱いのを一杯」
「はい、わかりました」と言って美佐子はキッチンへ行った。
「思ったより速いペースだね」
「うん。私も夜中になる前にここまでできるとは思わなかった」
「小山さんのお蔭」
美佐子が二杯目のコーヒーを運んできた。
「そんなことはないけど、やっぱり共作っていいな。互いに意見や感想に触発されてシーンができる」
「そうね。またやりたいね」
「この作品がシナリオ賞取ってデビューしたら」
私たちは、小声で笑った。
私たちは原稿のチェックにかかった。
まず、シーンの順序を整理して、ワープロ上でまとめる。次に、シーンの繋ぎ目に問題がないかチェックし、必要ならば場面転換のシーンを入れる。さらに、登場人物の台詞や設定性格の確認(この性格の人物がこんなことを、または、こんな話し方をするか、等)をし、最後にプリント・アウトに入った。
私たちは、全部プリントできるまで待てずに、一枚ワープロから排出されるたびに争うように読んでいった。
午前一時半を過ぎて、全枚のプリント・アウトが完了した。
「できたね」と私が言った。
「できたぁ!」と美佐子が言った。
「全部で何枚くらい?」
私が電卓で計算してみると九十枚ちょっとだった。
「すこし少ないかな」と私が言うと、美佐子は、
「こんなものでしょう」と言って笑った。
「最後に、声に出して読んでみようよ。不自然な言い回しとかあるかも知れないから」
「うん。私が女性、小山さんが男性やって。ト書きも小山さん」
「わかった」
私たちは、原稿を慈しむようにゆっくり読んでいった。そして、気になった箇所にアカペンで印を付けていった。
三十分くらいかかったろうか。最後のト書きを読むと、なにやら胸が熱くなった。
数カ所チェックが入ったところを検討して直す。
「乾杯しよう」
美佐子が上気した顔で、キッチンへ行った。缶ビールを持ってきた。
「シナリオの完成を祝って。乾杯!」と私たちは声を合わせた。こみ上げてくるものがあった。夜中で、ビールのアルコールのせいかもしれない。
美佐子が、ビールをテーブルに置いて手を出した。私も意図を察し、手を出す。固い握手になった。その手をぐいと引くと、美佐子の身体が倒れ込んできた。
「やったね」と美佐子がこちらへ顔を向ける。
「うん。やった」と言って、私はごく自然にこっちを向いている美佐子と唇を合わせた。
長いキスになった。
どちらからともなく唇を離したとき、美佐子はにっこり笑って立ち上がった。
「小山さんと聴きたい曲、あるの。この前録音しておいた」
美佐子はそう言って、カセットテープを機械に差し込んだ。
「何?」
「内緒。でも、小山さん知ってるかな」
テープが回り、切ない音が聞こえてきた。
さよならだけ 言えないまま
きみの影の中に いま涙がおちてゆく
つめたくなる 指・髪・声
ふたり暮らしてきた 香りさえが消えていく
もう Friend 心から Friend
みつめても Friend 悲しくなる
思い出には できないから
夢がさめてもまだ 夢みるひと忘れない
もう Friend きれいだよ Friend
このままで Friend やさしく
もう Friend 心から Friend
いつまでも Friend 今日から
Friend
(安全地帯『Friend』)
私たちは黙って聴いていた。私には、「安全地帯」の曲だと途中からわかったが、それも言わなかった。
Friend――私は美佐子の気持ちが痛いほどわかった。
曲が終わって、私は美佐子の部屋の窓を開けた。空気がひやりと澄んでいた。
美佐子が傍らに寄り添った。
「きれいな星空だ」と私が言うと、美佐子は、「うん」と言って、涙をひとつこぼした。
卒業制作の、提出期限が来た。
私と美佐子は、連名のワープロ原稿を事務局へ提出した。結局ペラで96枚になった。客観的な出来の良し悪しはわからなかったが、満足感はあった。
沢田も期限日に提出した。受講生の大半が提出したようだった。
提出日の夜は大宴会になった。いつも「飲み会」に出ていた人はもちろん、河田の口利きで他のクラスの受講生も参加した。
「終わったな」と沢田が言った。
「終わったわね」と白石も言った。
「やったね」と河田が言い、「何とかやったな」と私が言った。
半年間、講義等には何かと不満もあったが、一本のドラマを書き上げたことで、気持ちがハイになっていた。
「専修科、どうするの?」と私が沢田に訊いた。
センターでは、基礎科の上に専修科が設けられていた。卒業制作で書いたシナリオをもとに合評を重ね、即戦力をつけるまでにするというのが謳いだった。
「オレはもういいや」
沢田は言った。
「河田さんは? 専修科」と白石が訊くと、
「専修科には行かない」と言った。
佐倉も中井も、基礎科で辞めるらしい。
私の心は決まっていた。基礎科でセンターを離れる。美佐子もそのはずだった。
私たちのグループの外では、何人か専修科へ行く人もいるようだった。
「私はうれしいですよ」
酔った島田老人が、私たちのところへやってきた。「こんなに若い人の仲間ができて。提出したシナリオの出来は今ひとつだったけど」
「提出しただけで今は良しとしましょうよ」と河田が言った。
「まだまだこれからですよ」と沢田が言うと、島田老人は、
「そう、夢は始まったばかりですな、これから、これから」と言って頷いた。
提出期限から、十日ほどで印刷され製本された最初の作品集三冊ができてきた。提出された作品が作者の五十音順に並んでいた。
私と美佐子の作品は第一巻に載っていた。
こうしてタイプされ印刷されてくると、感慨はひとしおだった。一人前の作家になった気さえしてきた。
「まだ次々にできてきますが、とにかくこれがこのセンターの基礎科の成果ですから、大切に持っていてください」
渕上講師がそう言った。渕上講師によれば、作品集をいろいろな映画、テレビ会社等に送付するほか、その中からこれはというものは、専修科で書き直し、プロへの登竜門といわれる賞に応募させるとのことだった。
その専修科への申し込みには応じなかったが、私や沢田たち「飲み会」のグループには、新たな計画があった。
第15期の基礎科卒業生の有志でプロダクションのようなものを作れないか。
発端は、沢田の言葉だった。
「小山さんと樹口さんのやり方ってけっこういいような気がするんだよね。ふたりでいいところを取り合うような書き方。だから、もっと多くの人数で合評しながら、分業で作品を書いていく。『葉村彰子』方式だよね。そういうグループを作ってみないか」
「葉村彰子」というのは、知る人ぞ知る、「水戸黄門」や「大岡越前」などのテレビ・ドラマを手がける団体名で、団体という意味は、たとえば、ストーリーを考えるのが上手い人、構成が上手い人、台詞が上手い人、それぞれが分業で書き、仕上がった作品の作者は「葉村彰子」ということだった。
私と沢田と河田の三人が発起人となり、グループができた。「ドラマ工房・瞳」というのが、そのグループの名になった。
半年間にわたる東洋シナリオ・センターでの日々が終わった。
最終日にはもちろん大打ち上げ会をやった。
あいさつあり、唄いありの楽しい会になった。
遅れて提出したため、まだ作品が製本されていない人もいたが、とりあえずはほとんどの人が卒業制作をこなしていた。
いろいろなことがあった。入講の時のトラブル(入講者が異常に多かった)に始まり、自己紹介の時の緊張、講義への不満、特別講義での感動、撮影所見学での興奮、そして、卒業制作の苦労、……。
私にとっては、毎講義の後の「飲み会」とその延長線上にある沢田の結婚式、そして、樹口美佐子との共作の日々が思い出深かった。
打ち上げ会のあと、私は沢田といっしょに帰った。
「とりあえず一段落ってとこかな」
沢田がそう言って、上気した顔をさますように手うちわを振った。
「ドラマ工房の方はこれからだものな」
「これがどうなりますことやら」
沢田は大きな息をついた。
「でも、島田さん、あいさつでいいこと言ってくれたよね」
打ち上げ会で、出席者全員がひとりずつ立ち上がって、今の思いを述べた。
たいていの人は、当たり障りなく創作の苦労や諸行事の思い出などを口にしたが、島田老人は酔ってこんなことを言った。
「私には、皆さんと同じ位置でいろいろ言い合って、合評し合って、……そういうひとつひとつが、人生の最後にもう一度やってきた青春のような気がします」
まだこれからだぞ、老け込んじゃダメだぞなどの野次を聞きながら、島田老人は、目に涙を浮かべていた。
「青春だったって思うよ、オレも」と沢田が言った。「二度目のね」
「そうだな」と言いながら、私は美佐子との日々も思い出す。
沢田がそれを見抜いたように、
「樹口さんとはどうなのよ」
「どうってことはないさ、いい友だちだ」
「友だち以上、恋人未満かい?」と言って、沢田は笑った。
「ドラマ工房・瞳」には、美佐子は参加しない。どこかで会うことはあるかも知れないが、卒業制作の時のような濃密な時間を持つことはもうおそらくはないだろう。私は、最後の日にいっしょに聴いた曲「Friend」を思い出す。
そう、Friend――これからもいい友だちでいられるだろう。
沢田が先に降りていった。
「また、ドラマ工房の発足会の日に」
そう言って、私は手を振った。
家へ帰ると、妻が起きて待っていた。息子はとうに寝息をたてている。
「終わったよ」と私は言った。
「そう……」
「すべて終わった」
私は万感をこめて言った。
妻は、私がシナリオにのめり込むのを淋しく見ていたのかも知れない。家庭とは別に、美佐子との時間を持っていたこともうすうす感づいていたのかも知れない。それでも、待っていてくれた。
私は、第二の青春に別れを告げ、妻と幼い子供のために働かなければならない、と思った。
「今週末にでも、会社へ顔を出してこようと思う」
「病気の方は?」
「もう大丈夫だと思う。自分の中でも、ひとつ区切りがついた」
「そう……」
「今度は頑張って働かなきゃな」
私は、活を入れたつもりで、右手を高く振り上げた。
(了)




