第一節 縁導き(8)
洞窟の外、ついさっき静音と壬夜が弁当を食べていた岩に、再び二人は腰掛けている。
九郎は壬夜から刀の間合いで立ち、構えているとまではいかないが、最低限の動作で刀を抜く事が出来るようにしていた。静音の、壬夜をあまり脅すような事をしないで欲しいという要望からだ。九郎は静音に壬夜から離れて話しをするように忠告したが、静音は、大丈夫だからと聞かず、壬夜と並んでいた。
「どういう事か、話してくれる?」
静音が諭すように語りかけると、壬夜はおずおずと頷く。
「あちし、これでもずっとずっと昔は、誰にも負けんくらいの妖力を持ってたんや……」
だが、ある事を切っ掛けにほとんどの妖力を失ってしまった。
しかし、ここに悪さをした妖怪の妖力の結晶、『妖玉』を封じたという話を聞き、里に溶け込み、ずっと手に入れる方法を探していた。そして、封印を解くためには、『巫女』の資質を持つ者の声が必要だと言う事を突き止め、何人かそれらしい人間の女性を過去に連れてきたが、解封には至らなかった。
巫女は古来より、神事に於いて歌や舞の奉納が役目で、資質正しい者による奉納の歌や舞は、様々な神々からの御利益や、時には神通力のような奇跡を起こす事もある。
連れてくる際は色々と嘘を吐いて連れては来たが、その後はちゃんと麓まで送り届けていた事、また、ここを掃き清めているのは妖怪の里の者だという事を付け加える。
「それでな。ここを見慣れない奴が昨日の夜に洞窟入ろうとして、入れんでおってな。そいつが何や力ずくでぶち壊そうとしてた時に、姉ちゃんの歌がここまで木霊して聞こえたんや。したら洞窟がぱーっと光ってそいつが戸惑っていたんや。あちしはこの歌声の主こそ巫女や、とその時確信したんよ。いままでそんな事起きた事無かったやけんな」
「なるほど」
九郎は左手の中で握ったままの妖玉から、並々ならぬ力を感じ取っていた。
もしかしたら半妖である自分にも、何らかの形で利用が可能かもしれない。しかし、その手に伝わる静かに渦巻く力の塊は自分の手には余りそうだと、すぐに思い直した。
もし利用できたところで、九郎には使い道が思い当たらない。
「だからな、山彦に聞いたんや。その時の歌は誰が歌っていたんやって。それで姉ちゃんの事知って朝話しかけたんや」
「ふむ……一応筋は通ってますね」
「ここまで来て嘘言っても仕方ないさかい、信じてや」
「どうしますか?」
九郎は壬夜の処遇をどうするか、静音に委ねる。
「……壬夜ちゃん、妖玉は勝手に持ち出しちゃいけない物なのよね? だったらこれは里の方にお返ししましょう。一緒に謝ってあげるから。ね?」
「う……うん……」
静音の言葉に壬夜はうなずきかけた。だがその時。今まで目を伏せていた壬夜は、突然耳と尾を立てたかと思うと、顔をハッとさせて跳ね上げた。
壬夜の突然のその反応に、咄嗟に九郎は刀の柄を握り、構える。
「あの歌や!?」
壬夜は九郎にも静音にも目をくれず、空を仰ぐと小さな両手をかざし、一瞬のうちに氷の板を壬夜と静音の頭上を覆うように作り出す。
背筋に走る悪寒を感じた九郎は、反射的にその場を飛び退いた。
間髪入れず、上空から二本の炎の矢が飛来し、一本は壬夜達に、もう一本はつい今し方まで九郎が立っていた場所を穿つ。
「きゃああああ!」
壬夜達を襲った炎の矢は、氷の障壁で相殺されて弾け飛び、二人に傷を負わせるには至らなかった。
『次郎丸』を鞘から抜き去り、炎の矢の出所を九郎は確認する。
そこだけ森が切り取られたように開いている空には、銀髪に黒いドレスを着た少女が浮遊していた。
「封印が解かれた気配に来てみれば……矮小な者が小賢しい真似を……」
精神を逆なでする不快な声で、壬夜を睨め付けて少女は呟くと、静音へと視線を移す。
「この気配……ミコか。忌々しい存在よ」
「壬夜が言っていた見慣れない者とはあなたですね。妖玉が目的ですか?」
九郎は右手に刀を提げ、左手で帽子の鍔に手をかけて問いかけた。
その声は穏やかながらも、厳しさを孕んでいる。
「貴様なぞに語る口は持ってはおらぬ」
そう言うと、少女は風と共にかき消えてしまった。
「壬夜ちゃん、大丈夫!?」
壬夜の両肩掴んで心配する静音。壬夜は疲れた表情をしてはいるものの、笑顔で返す。
「この体やと、やっぱ化けるのが精々やな。氷使うんはちょっとしんどいわ。でも平気やけん。姉ちゃんこそ大丈夫やったか?」
「うん、壬夜ちゃんのお陰でこの通り。ありがとう」
静音は壬夜を優しく抱き寄せた。壬夜は驚いた様子で視線をうろうろとさせ、やがて救いを求めるかのように九郎へと向ける。
「僕からも礼を言いましょう。今のは壬夜が守ってくれていなければ、間違いなく、彼女は命を落としていたでしょう。そうしたら僕の責任です」
「じゃあ妖玉ちょうだい!」
「それとこれとは話が別です」
「ケチんぼー」
ふくれ面の壬夜の事は無視して、九郎は辺りにもう気配がない事を確認すると、『次郎丸』を鞘に収めた。
「さて、これからどうしますか? 妖玉を返しに里に戻るか、通報を優先してこのまま山を下りるか。妖玉を持ち続ければ、またさっきのに襲われるかもしれません。しかし、そうすれば今日の下山は困難となり、通報が遅くなります。その場合、敵兵の工作への対応が遅れて何らかの被害が出るおそれがあります」
どちらを選ぶにしても、何らかの危険性は覚悟しなければならない。壬夜を離して少しの間考え込んでいた静音は、九郎、そして壬夜の顔を力の隠った瞳で順番に見つめた。
「九郎様、壬夜ちゃん。私の我が侭、許して下さい」
「あちしは別に気にせんよ」
不満の欠片もない様子で、にっこりと答える壬夜。九郎は帽子を被り直すと、静音の選択を始めから予想していたように。あっさりと頷いた。
「それでは、急ぎ山を下りましょう」
通報を優先させる事は、九郎や壬夜を危険に晒す事になる。だが静音は、自分達の危険と、町の、ひいては国家の危険を秤にかけて、公を選んだ。倫理的に言えば極々当たり前の選択なのだろうが、自分の命を賭けて十五歳の少女がその決断をするのには、とても勇気がいる事だ。再び壬夜を先頭に歩き出す一行。
九郎は後ろを歩く静音を一目見遣ると、帽子を目深に被った。
†
日が沈みかけの頃、九郎達三人は陸軍第十六師団司令本部に到着し、応接室へと通されていた。入り口で静音が海軍提督の妹である事と、西洋妖怪が、工作兵として侵入している可能性について申し出ると、しばらく待たされた後、ここで待つように指示を受けた。
応接室は十二畳ほどの広さで、西洋からの輸入品と思われる家具類が置かれていた。
静音と壬夜はソファーに腰掛け、九郎はソファーの横、一歩下がった場所に控えている。
部屋の壁に掛けられている柱時計が、規則正しい振り子の音を奏でながら、三十分程時を刻むのを見た頃。軍服に身を包んだ二人の男性が部屋に入ってきた。
一人は齢五十前後で額から頭頂部にかけて髪が禿げ上がっており、残った髪、口髭共に白いものが混じっている。もう一人は齢三十手前で、軍服と軍帽姿。
静音はソファーから立ち上がると、深々と頭を下げ、九郎もそれに合わせて、脱帽してから頭を下げた。
壬夜はお構いなしでそのまま座り続けている。ちなみに今は耳も尾も隠している状態だ。
「おお、静音殿。ご尊父の葬儀以来ですな」
人の良さそうな笑顔を静音に向ける禿頭の男。
「わざわざ嶋中将自らお会い下さるとは、恐れいります」
「いやいや、鷹束中将の妹君が、大変重要な情報を届けに来て下さったという事ですからな。足労も厭いませんよ」
嶋中将と呼ばれた禿頭の男は対面のソファーに腰掛けると、静音に手で座るよう促す。
静音は一礼すると、再び腰を下ろした。
「して、国内で敵兵を見たとか」
「はい。比羅山東側の村付近で私が襲われました。その時助けてくれたのが彼です」
九郎は頷きと会釈が混在したような、小さな礼をする。
「ほほう、若いのに大したものだ。よくぞ静音殿を救ってくれた。私からも礼を言おう」
嶋中将は座したまま、九郎を言葉の間だけ見遣った。
「それで、敵兵はどんな者でしたかな?」
嶋中将の問いに、静音は容姿を見たままに話した。そして、その敵兵が西洋妖怪である事、生き残りが二体の死体を持ち去った事を九郎が補足説明する。
それを聞いた嶋中将は、腕を組んで唸った。
「なるほど。だがそれは本当に西洋妖怪だったのかね? 何かの間違いという可能性は?」
「海を渡って来た事を自白してましたし、国内の妖怪で人狼は聞いた事がありません」
その問いに答えたのは九郎。
「では西洋妖怪というのが間違いなかったとしても、単独行動では無く、統率下に置かれた兵である証拠はあるのかね?」
「西洋妖怪が明らかな目的を持ち、それも彼女だから狙っていたのはその言動から確かです。ただの野良妖怪が遠路遙々わざわざこの国に来て、少数とはいえ組織だった行動をしてまで彼女個人を狙う理由があるなら、是非教えて頂きたく」
嶋中将はあくまで穏やかな口調の九郎の返答に対し、面白くなさそうにふんぞり返った。
少し考えた後、最初のような笑みを浮かべて口を開く。
「……分かりました。では憲兵に周囲の捜索をさせましょう」
「よろしくお願いいたします」
静音は立ち上がると、深く頭を下げた。
「お任せ下さい。それでもう日も暮れてしまいましたが、今夜の宿の当ては?」
「いえ、まだ……」
「では宿をご用意しましょう。おい」
嶋中将が傍に控えていた兵に声をかけると、兵は敬礼してから一人退室した。
それから一時間ほど後基地で時間を潰した後、九郎達は用意された宿に向けて、第十六師団司令部を後にする。
門を出た所で九郎はふと足を止め、基地へと振り返った。
僅か先を歩いていた静音はそれに気がつくと、九郎へと歩みよる。
「九郎様、どうかされましたか?」
「先程の中将の口ぶりが……」
「え?」
「……いえ、何でもありません。ほら、壬夜が先で待ってますよ?」
九郎の視線の先を静音も追う。するとその先には待ちくたびれている壬夜がいた。
「何してんや。はよ行くで!」
「あら本当。行きましょう、九郎様」
小走りに壬夜の元へ戻る静音の後から、帽子を被り直しながらゆっくりとした足取りで追う。一言呟きながら。
「まるで事の成り行きを知っていたかのような……」