第一節 縁導き(6)
「撃てぇーーーー!」
艦橋からの指示が伝声管を伝って、各砲座へと届けられる。
大海原を疾走する、戦艦六隻、巡洋艦四隻からなる大和帝国海軍第一艦隊の艦船は、鷹束中将の指揮の下、一斉にネヴィス王国の軍艦に対して砲撃を開始した。
時刻は日没直前。
第一艦隊は、単縦列の隊列を組む敵艦隊の頭を丁の字になるような形で押さえた。
鷹束中将が乗艦している旗艦『三笠』の各砲も、轟音と共に発射する。
主砲四〇口径三〇.五センチ連装砲四門、副砲四〇口径一五.二センチ単装砲右舷側の七門。それぞれの砲口に五芒星を中心とした方陣が赤い光と共に浮かび上がり、それを貫くように砲弾が発射される。通力、西洋で言うところの魔力を砲弾に付与し、その飛距離、及び威力を高めているのだ。
次々と敵先頭、主砲を二基装備している一番艦を狙って発射される砲弾。
そのほとんどが敵艦の傍で水柱と変わるも、発射される度に、砲術長から出される修正射角の指示によって、次第に的を捉え始める。だが、砲弾が敵船体に命中する度、その部分に青い光の盾が現れ、砲弾の威力が減衰される。それは『三笠』にとっても同じ事で、敵砲弾が命中する直前に、赤い光の盾が現れ、敵砲弾の威力を減衰させていた。
艦には推進用の蒸気機関と、砲弾への通力付与、及び盾の展開用に使用する通力供給機関が搭載されていた。これらは近代の艦にはどの国でも標準装備となっている。
しかし、盾はあくまで砲弾に付加された魔力を相殺するのが精々で、本来の質量運動による威力は健在である。それでも盾による相殺のされていない砲弾は、副砲であっても主砲並みの威力になるため、その意義は強く存在する。
蒸気機関と共に、通力供給機関の進歩は、艦の攻撃力と防御力に大きく関わっていた。
砲弾が海を挟んで飛び交い、互いの船に手のひら程の大きさ、主砲弾の場合はそれよりも遙かに大きい弾痕を穿ち合う。そして十分ほど撃ち合った後、敵一番艦から火の手が上がる。おそらくボイラーにでも命中したのだろう。更に、四〇〇キログラムある主砲弾が敵艦艦橋を捉え、これにより一番艦は完全に沈黙した。
目標を二番艦に切り替えると、しばらくの撃ち合いの後、被弾した敵艦は航行能力を消失したのか、弾薬庫に火を付け、自沈の道を選んだ。動力機関への被弾、故障、または逃走経路が確保できない等で戦闘中に身動きの取れなくなった艦は、敵に鹵獲、利用される事を恐れて、これを防ぐために自沈させる事が、国を問わずよくある。
この戦いでネヴィス王国は戦艦八、巡洋艦六から構成されていた艦隊の内、六隻を失った所で撤退した。大和帝国海軍も、この一戦に勝利はしたものの、十一隻中戦艦二、巡洋艦二の計四隻を失うという大きな痛手を負った。
ネヴィス王国との戦争勃発後、これで砲火を交えたのは二度。そしてそのどちらも帝国海軍側の勝利ではあるものの、どちらも限りなく痛み分けに近い勝利だ。
だがこれはまだ前哨戦であり、三笠の性能を遙かに上回ると言われている敵の最新鋭戦艦がまだ姿を見せていない。すでに近くまで来ているとの情報があり、間近に迫る決戦に、この勝利を兵達は素直に喜べないでいた。
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日が暮れて、紺碧の空を無数の瞬く光点が埋め尽くした頃、妖怪の里の中央広場では、ささやかな歓待の宴が催されていた。
「あ、そ~れ、あ、そ~れ、ほいほいほい!」
静音には名前も分からない妖怪が、真ん中に焚いているたき火の周りで軽妙で滑稽な踊りを披露している。その踊りを見た宴に参加している妖怪達から、普通の声、奇声、笑い声かどうか判別の着きにくいものまで十人十色の笑い声を上がる。
料理はウドの炒め物、きゃらぶき、山菜の天ぷらなど、その他質素ながらも数多く用意され、つきたての餅まで振る舞ってくれた。あまり用意する時間はなかったように思えるが、そこは妖怪達の事。人間には出来ない特別な手段でも使ったのであろう。酒も勧められはしたが、静音も九郎もこれは辞退した。
立場上、太郎坊は人間との親密な協力関係を拒みはしたものの、敵対の意志は無い事を示すために、使者である静音に対し、このもてなしなのだ。静音はこの宴の意味をそう理解していた。本当は用件が済んだら、すぐにでもここから帰りたいと思っていたが、その様な意図もあり断ることが出来なかった。面に出さないように努めてはいるが、実のところ、内心は不安で一杯だ。ざっと見たところ、宴には五十近い数の妖怪が参加している。いくら一応友好的とはいえ、そんな数の妖怪に囲まれたら、多少腕に覚えのある男性でも普通は裸足で逃げ出す。そのような場所に、十五歳の少女である静音が居るのには大変な勇気が必要だった。時々挫けそうになって、隣にいる九郎にすがるような視線を向けるが、彼は一向にそんな静音の心情に気がつく様子はない。九郎はいつもの笑みのまま、時々料理を口にするだけで宴が始まってから、自分からは一言も発しなかった。
「あの……」
宴の邪魔にならない程度の声で、静音は九郎に声をかけた。
「なんでしょうか?」
静音は特に用があったわけではないが、九郎と話す事で少し気を紛らわせたかった。
「あ、いえ……楽しまれていますか?」
「そうですね……貴重な経験という意味では。ですが、父はこの地を捨てた身で、僕はその子供ですからね。心情的な居心地は……まあ、察して下さい」
笑みは浮かべつつも、少し困ったように唸った九郎であったが、最後は冗談でも言うような軽い口調であった。
それでも静音にとっては、九郎も自分と同じくこの場に馴染んでいないという事が、多少なりとも不安を和らげてくれる。気を紛らわすためにも、さらに静音は言葉をかける。
「昼間の剣の腕、とてもお見事でしたが、どちらかの道場で修行されたのですか?」
九郎は軽く首を横に振る。
「父に教えてもらったものですから、流派などは特に。もっとも、父が実はどこかの流派の使い手だったというなら話は違いますが、僕には確認の手だてがありませんし、意味もないので」
「そうですか……。あの、昼間に仇がどうとか……」
「…………」
「あ……申し訳ありません。私ったら不躾な真似を……」
「いえ、大丈夫ですよ」
九郎は帽子を少し目深に被り直す。
「両親は……昼間も言った通り、戦いで命を落としました」
「はい……」
「結果的に最後になった住んでいた村を、ある妖怪に襲われましてね。村人をその妖怪から守るために戦って、相打ちとなって両親は共に亡くなりました」
「だから退治屋さんを?」
静音に問われた九郎は、一瞬何を問われた分からないといった風で、静音を見つめ返すが、すぐに気がつくと、小さく首を横に振った。
「いえ、退治屋をやっているのは、僕には今、これしか生きていく手段がないからです。もちろん、機会に恵まれるならば、両親の仇を討つ事もやぶさかではありませんでした。けれど、同じ所に住めない僕には、退治屋は都合のいい仕事なんです」
妖怪との混血である事が知られれば迫害を受けるため、あまり一所には居られないのは、昼間の長と九郎の話から理解できた。
「で、でも、きっといつか落ち着ける場所が見つかります」
根拠は全く無かったが、静音は九郎がきっと歩んできたであろう茨の道を思うと、何か励ましたくなった。
「ありがとうございます」
そう答えた九郎の笑みの中に、僅かにもの悲しげな陰を静音は感じた気がした。
丁度その時、妖怪達の踊りが終わったようで、周囲からやんややんやと声が上がった。
静音と九郎も拍手を送る。すると、長の太郎坊が、水を口にしている九郎に声をかける。
「九郎、歌でも踊りでも、何でも良いから一つ披露してくれんか」
それを聞いた瞬間、九郎は思わず含んでいた水を吹きだした。
「う、歌や踊り、ですか……」
程良く盛り上がっていた妖怪達も、期待から手を叩いて騒いでいる。
「困りましたね」
雰囲気的に拒否出来る状況ではない。
「どうかしましたか? やはり緊張しますか?」
どこかからかうような静音の言葉に、九郎は微笑みの中に困惑を混じらせていた。
「いえ、実は歌とか全く知らなくて。今まで披露するような相手も居ませんでしたし……」
それを聞いた、静音は自分の軽率な言葉に少し後悔し、恥じた。妖怪達にとって、九郎はあくまで静音の供である。無下に断れば、静音の立場が悪くなる事を慮って困っているのだ。少し考えた後、静音は意を決すると、その場で立ち上がった。
たき火を囲むようにして居並ぶ妖怪達を一度だけ見渡すと、瞳を閉じ、透き通るような声で歌い出す。
お池の水面にゆらゆらと 兎の月様泳いでる
お庭の枝には鳥眠り スミレは風に歌ってる
遙々山々この子らを
穏やかな朝を 迎えられるように
見守ってる――――
ゆっくりと、優しく語りかけるような声と旋律。
初めは囃し立てるようにざわめいていた妖怪達も、すぐに押し黙り、静音の歌に耳を傾けていた。
朗々と夜空の下に響く歌声。
そして歌い終わると、静音は深く一礼した。
すると、静まりかえっていた妖怪達の間からぱらぱらと拍手が起こり、その内それは喝采へと変わっていった。
「あ、あの……お粗末様でした」
言うと、急ぎしゃがみ込む。最初は、半ば使命感から歌っていたが、いざ歌い終わると急激に襲ってきた羞恥心で、静音は顔も耳も熱くなるのを感じた。九郎の視線を感じが、たき火の明かりで紅潮した顔を誤魔化せていると思いたかった。
「とても素晴らしい歌でした」
九郎も軽い拍手で静音の歌を称える。
「そんな……」
「ホントホント、あんまりキレイだったから弟にも届けたよ!」
そう言って近寄ってきたのは、子供姿の小人、山彦だった。
「あら、山彦さん。……届けたというのは?」
「同じ姿をしているがオラは今日門番していた奴の兄貴だ。弟はまだ門番してて宴に出られなくて可哀想だからな。オラが今の歌を届けてやっただ」
「……という事は、この一帯の山に今の歌が響き渡ったと言う事ですか?」
九郎がその意味を確認した。屈託のない笑顔で山彦は頷いた。予想外の展開に目を丸くする静音。
「え……!? 今の歌が……山中に?」
「んだ」
昼間の響き方からして、相当広範囲に声は響き渡るはずだ。
自分の歌がその様に辺りに聞こえていたのかと思うと、静音は思わず両手で顔を覆った。
「麓の村で新しい妖怪の噂が立つかもしれませんね。姿は見えないが、とても綺麗な歌を歌う妖怪が居ると」
他人事のように楽しそうに言う九郎であったが、静音にとってはそれどころではない。
あまりの恥ずかしさに、穴があったら更に深く掘って埋まってしまいたい位だった。
「ああ……なんて事でしょう」
そんな静音に長が声をかけてくる。
「いや、とても見事な歌じゃった。その歌声からも静音殿のお人柄が良く伺える」
そこで一度、太郎坊は杯を呷る。
「声には、その者の生き方が如実に体現されるものじゃ。普段からよく虚言を弄する者の声はとても軽く、千言を積み重ねても聞く者への心には響かん。じゃが、言を慎み、一つに重きを置く者の言の葉はどんなに短かろうが、乾いた石に落ちた水滴の如く、たちどころに心へ染みていくもの。歌とは己の魂を言葉に、旋律に乗せて、伝えたい相手に伝えるものじゃ。千年の時を生きてきた儂じゃが、稀に見る良き歌じゃった」
長はとても機嫌が良いらしく、次々と酒が進んでいた。