第一節 縁導き(5)
九郎と静音は、門をくぐり抜けて妖怪達の隠れ里に足を踏み入れた。
一見普通の村のように、茅葺き屋根の家々が立ち並び、井戸などもある。
人の大きさの丸餅が着物を着ているような姿の白坊主と、のっぺらぼうが夜道でどれだけの人間を脅かしたかで談笑していた。村の中程に生えている木の枝からは、釣瓶火が釣瓶のように上がったり下がったりしながら、ただユラユラと燃えている。垣根を黙々と押して揺らしている子供がいるが、あれは垣根を揺らす妖怪、くねゆすりだろう。見れば多種多様な妖怪が、穏やかに暮らしているようであった。
「はぁ~……」
静音は目を丸くして、感心と驚きが混じり合った声を洩らしながら首を巡らせていた。
「……このように沢山の妖怪を一度に目にしたのは初めてです」
「僕も、元々群れるような妖怪を除いて、数で言えば初めてですね」
ついつい二人が立ちすくんでいると、着物に蓑帽子を被った八歳くらいの男の子が手に豆腐を持って近づいてきた。
「お姉ちゃん、この豆腐とってもおいしいんよ。食べてみん?」
見れば丸盆ザルの上には瑞々しいおいしそうな豆腐が一丁。丁寧に箸も添えてある。
「あら、とってもおいしそう。せっかくだから一口ご馳走になっちゃおうかしら」
「食べて食べて」
目を輝かせる静音に、嬉しそうに無邪気な笑みを湛える男の子。
だが静音が箸に手を伸ばそうとした時である。九郎がそれを手で制した。
「え、あ、あの?」
「それを食べると身体中からカビが生えますよ。ですよね? 豆腐小僧」
あくまで穏やかに言う九郎であったが、その言の内には厳しく問う語気を秘めている。
「ちぇっ。もうちょっとだったのに」
悪戯が露見し、豆腐小僧はつまらなそうにぼやくと、その場を走り去った。
「カ、カビ……ですか」
「ええ。それはもう頭の頂上から、足のつま先まで全身を覆うようにびっしりと。まあ、湯浴みでもすれば簡単に落とせますけどね。ここは妖怪の里です。油断すると大変な目に遭いますよ?」
「……はい、肝に銘じておきます」
見た目は無垢な少年だっただけに、騙された衝撃が大きかったのだろうか。静音は少し落ち込んでしまったようだ。
他の妖怪達は、二人をひと目見遣る程度で、特に気にする様子もない。
村の奥には他よりも一回り大きな茅葺き屋根の家が見て取れる。おそらくそこが長の家だろうと見当を付けた二人は、長に会うため、そこへと歩いていく。
目的の家の前に辿り着くと、静音は木戸を軽く叩いて名乗る。
「大和帝国海軍中将、鷹束宗之助の名代として参りました、妹の静音と申します。長にお目通り願います」
「海軍……中将?」
九郎は表情こそ大きく変わりはしなかったものの、声には少なからず驚きを伴っていた。
静音と会ってからここまで、九郎が静音を驚かせる事は二、三あったが、静音に初めて驚かされた。九郎はその筋に詳しいという訳ではないが、帝国海軍主力艦隊の総司令官に少し前に就いたのが鷹束宗之助だったはずだ。確かに、提督の使いともなれば、その内容が国の命運に関わる一大事というのも頷けるし、一介の退治屋などに詳細を話せないのも納得がいく。
間もなくして引き戸が開くと、鴉天狗が二人を出迎える。鴉天狗とは、鳥のような嘴と翼を持ち、山伏の身なりをしている妖怪だ。腰には脇差しを差している。
「長が奥でお待ちです。どうぞ」
そう言いながら静音の次に九郎へと目を向けると、鴉天狗は見詰めたまま、しばし思案する。
「お主は……」
九郎はそれには何も答えず、いつもの笑みで帽子を脱ぐと会釈した。
「……失礼、ではどうぞ」
鴉天狗は我に返ると、改めて二人を奥へと案内する。
中は薄暗く、思っていたよりも広い。そして襖の閉じられた、とある部屋の前まで案内されると、鴉天狗がその向こうへいると思われる長に声をかける。
「長、お客人をお連れいたしました」
「うむ」
威厳を感じさせる低い声で返事があると、鴉天狗は横に控えつつ、襖を開ける。開かれた奥は畳敷きの部屋があり、床の間には掛け軸が飾られている。
上座には座布団と肘掛けが置かれているが、そこにいるべき長の姿は見あたらない。
「……えっと」
挨拶するべき相手が見あたらず、静音は部屋を見渡しながら戸惑う。
だが次の瞬間。
「よくぞいらしたお客人!」
二人の目の前に、顔が朱く、普通の人間の数倍もある長い鼻が特徴の妖怪が、耳を突くほどの大声と共に、天井から天地が逆になった格好でぶら下がり、現れた。
「きゃあああああああああ!?」
現れるまで、九郎も全くその気配に気がつかず、思わず一歩後退ってしまう。
突然の出来事に、悲鳴を上げる静音。そのあまりの驚き振りに、そのまま失神でもしてしまうのではないかと心配した九郎であったが、それは杞憂に終わる。
静音は悲鳴を上げながら長の顔に目がけ、大きく振りかぶって平手打ちを繰り出した。
「おぶべっ!?」
鈍い音と共に、長は上座へと吹っ飛ばされる。そしてそのまま、激しい音を立てながら肘掛けを弾き飛ばし、座布団へと顔を埋めて倒れた。
「長!? 長! おのれ、やはり人間は!」
案内役の鴉天狗は目に怒りの炎を宿らせ、腰の脇差しに手をかける。
「す、すみません!」
九郎はすかさず、謝っている静音を下がらせ、刀に手をかけつつ間に割って入った。
「いや彦衛、良い、良い。少々悪ふざけが過ぎたようじゃ。若い女子が来たと聞いてついつい血が騒いでしまったわい」
静音達が村に足を踏み入れた時点で、誰かが報告でもしていたのだろう。
さっきは一瞬の事でよく分からなかったが、身体を起こし、肘掛けを元の位置に戻してから座布団へと腰掛ける長の姿を見て、静音にもその正体がすぐに分かった。
天狗である。朱い顔に高い鼻。それが天狗の大きな特徴である。だがよく見ればそれは本物の顔ではなく、九郎の物と同じ、お面のような物を着けていた。一口に天狗といっても、個体数もそれなりに多く、性格も人に仇為す者から、そこまではいかなくても傲慢な態度で人々と接する者、人々に益をもたらして神として崇められる者まで様々だ。
長は落ち着くと二人に入室を促す。
「ささ」
静音は長の正面に正座し、九郎は一歩退いた左斜め後ろで腰の刀を鞘ごと右側に置いて座った。
三者が落ち着くと、静音は三つ指を着いて一度深く頭を下げてから、長へと視線を戻す。
「お初にお目にかかります。大和帝国海軍中将、鷹束宗之助の名代として参りました、妹の静音と申します」
「遠路よう来られた。儂が西の妖怪の長をやっておる太郎坊じゃ」
凜とし、真摯な声音の静音に対して、太郎坊は気さくで、どこか会話を楽しんでいる風にも見える。続いて静音は九郎の事も太郎坊に紹介する。
「こちらは天城九郎様。道中で物の怪に襲われ、迎えの方とはぐれたところを助けていただき、ここまでの護衛と案内をして下さいました」
「迎えが? それは失礼をした。……はて、天城九郎……」
太郎坊は目を丸くして興味深げに九郎をしばし見詰めると、不意に問いかける。
「もしや、そなたの父は次郎坊か?」
九郎はその名前を聞くと、苦笑いを浮かべながら一瞬目を伏せてから軽く頭を下げた。
「はい。初めてお目にかかります、伯父上」
「えええええ!?」
そのやり取りを聞いていた静音は、振り返って丸くした目を九郎に向けた。
「ど、どうして仰って下さらなかったんですか」
「どうしてと言われましても……。気がつかれなければ、あなたの用件が終わり次第、名乗らずに帰ろうかとも考えていましたし、それに……」
「……それに?」
その言葉の後を継いだのは太郎坊だった。
「妖怪との混血児など、気味悪がられ、敬遠、迫害されるのがオチよ」
先程のような軽い口調ではなく、どこか憐憫の籠もったものだ。
「あ……」
静音は声を詰まらせた。そして九郎の天狗の面の謂われも漠然と理解した。
鎖国していた幕府の世が終わり、大和帝国が新体制となってから三十余年、外国との交流も多くなり、少ないながらも外国人と結婚する若い者もいる。
だが、それはほぼ確実に周囲からは反対される。閉鎖的、保守的な考え方がまだまだ常識とされる今の時代では外国人との結婚など、とんでもない事であり、両親や身内からまず祝福される事はない。反対を押してまで婚姻し、子を成しても、その子は多くの奇異、好奇の目に晒されて生きていく事になる。人種が違うとはいえ、同じ人間同士でもその扱いである。それが人外の者との間に出来た子など、化け物扱いされて当然の成り行きといえた。
九郎親子も素性がばれないように、ひっそりと暮らし、もしも知られてしまった時はその度に土地を追われるようにして、親子共々移住を繰り返した。昨日まで仲良く遊んでいた友達が、それを知った途端に九郎へと向ける畏怖の視線。移住を繰り返す度に九郎はそんな事にも慣れていった。
九郎は事実を告げる事で、不必要に警戒される事を懸念し、言わなかった。
そして今、混血児である事を知られて、九郎にとって内心気がかりなのは、護衛の報酬をきちんと支払ってもらえるか、その一点だけである。
わずかの間、物思いに耽る九郎に、太郎坊はどこか懐かしそうな目を向ける。
「だがな、実はお主と会うのは初めてではない。とはいっても、あれはお主がまだ三つ位の時だっただろうか。本当に幼い時だった故、覚えていないのも無理はないが、一度だけ、ここに次郎坊がお主を連れてきた事があったのじゃ」
「そうでしたか……」
もちろん九郎にその記憶はさっぱり無かったが、この地を訪れたときの奇妙な懐かしさはその所為もあったのかもしれない。
「して、お主がこちらのお嬢さんと、ここを訪れたのは偶然かな?」
何かを計るような目を、太郎坊は九郎に向ける。
「偶然といえば偶然です。父と母が亡くなった事を、一応伯父上にお伝えした方が良いかと思い、少々迷いながらも通りがてら、この地を訪れました」
それを聞いた太郎坊は、天井を仰ぎ、静かに目を閉じてしばらく黙した後、大きく息を吐いた。
「そうか……二人とも逝ったか」
「はい。父の亡骸はこれに」
すると九郎は傍らに置いていた刀を手にし、眼前へ置くと言葉を続けた。
「父は亡くなる直前、鍛冶妖怪に頼んで刀とせよと言い遺し、自らの身を鉄へと変化させました」
鞘に収められている刀、『次郎丸』に太郎坊は目を落とす。
「手に取って良いかな?」
「どうぞ」
太郎坊は自ら進み出て刀を手にすると、半分程鞘から抜き、その一片の曇りもない輝きと、欠片程の刃こぼれのない刃を目に焼き付けようとするかのように、瞬きもせずに凝視する。
「死して尚、妖刀となってまで息子を守るか……」
そしてまた鞘に収めると、九郎の前へと返した。
「二十年近く前、我々妖怪はある脅威に対し、人間と協力してこれに立ち向かった。その戦いの最中で、次郎坊とお主の母は出会い、惹かれ合った。そして戦いが決着の後、次郎坊は守るべき山を捨てた。生まれてくる子供は人間の里で育てたいと言ってな」
九郎は太郎坊の話を、言葉を挟む事も無く、ただ静かに聞いている。
「それから数年してからよ。ふらりと次郎坊がお主を連れてこの里を訪れたのは」
「何か言っていましたか?」
「ああ。儂に謝りに来たよ。捨てた山を儂に任せてしまった事にな」
「…………」
「だが、お陰で親子で暮らす事が出来て幸せだ、と」
「そうですか……」
その当時も色々と苦労はあったはずだ。だがそれでも父は何の後悔もなく生き抜いたと言う事だろう。九郎は珍しく少し感傷的になっていた。
「通りがてらといったな。他に何か目的が?」
「……はい。父の面を割った者を探しております。」
「面を? あれから聞いておらなんだか。探して何とする?」
「妖力の大半を失っていたために、父は戦いに於いて命を落とし、そしてまた母も共に逝きました。故に、割った者はある意味、仇でもあるかと」
「ふむ……」
長は眉を潜め、腕を組むと言葉を継ぐ。
「お主の父の面を割った者は、先程申した脅威がそれよ。だがそやつは既に滅び、この世に存在しておらぬ」
それを聞いた九郎は顔から一瞬、いつも絶やさぬ笑みが消えるも、すぐに戻り、小さな溜息を一つ吐いた。
「そうですか。それは仕方ありませんね」
ふと九郎は視線を感じて見てみると、静音が驚きの色を満たした目を向けていた。
その視線に居心地の悪さを感じると、九郎は話題を変える事にする。
「さて、僕の話はこれで終わりにしましょう。申し訳ありません、本来の用件を他所に話し込んでしまって」
謝罪の弁と共に、九郎は静音に頭を下げる。
「あ、いえ……」
我に返ったように、顔をはっとさせた静音は、反射的に軽く頭を下げると長の方へと向き直った。
「うむ、ついつい話し込んでしもうたな。失礼した」
「いえ、久しぶりの再会となれば、積もる話もございましょうから」
「かたじけない。では、本題に戻るとしよう」
静音は懐から、封蝋のされた封筒を取り出すと長に渡す。
「では、こちらを」
それを受け取った長は、懐から小柄を取り出すと封を切り、中の手紙に目を通す。
しばらくの間、沈黙の時が流れる。長は読み終えると、手紙を脇に置いた。
「そちらの望みは理解した。南蛮の国が、南蛮妖怪を従えてこの地に攻め入ろうとしている。だからこちらも人間と我らが手を組むべきだと」
「はい。兄は人と妖怪、手を携えて事に当たるべきだと申しておりました。ネヴィス王国は西洋妖怪を奴隷の如く、力でこれを従え、兵に徴用しているとの情報を得ました。万が一この戦に敗れるような事あれば、大和帝国国民はもとより、妖怪の皆様方にとっても、待っているのは屈辱的な扱いかと思われます」
横でそれを聞いていた九郎は、軽く手を挙げてからその会話に割って入る。
「護衛の立場に関わらず、発言する事をお許し下さい」
「なんじゃな?」
「その西洋妖怪ですが、すでに入り込んでいるようです。僕が護衛をする事になったのも、彼女が西洋妖怪に追われていたのを助けた事が始まりですし」
「そういえばあの時、確かにその様な事を」
静音が九郎に続いてそれを肯定すると、長は腕を組んで唸る。
「ふーむ。我らと鷹束殿が接触を持とうとしている事が、どこからか漏れていたのだろう。それでそれを妨害するために襲ってきたのかもしれぬな。期限までに使者が来なければ交渉は打ち切る事にしておった故」
「危機は既に身近に迫っております」
手を着き、静音は深く頭を下げる。長に『同盟』の決断を迫っているのだ。
しばらく考え込む長の太郎坊。
そしてその口が再び開かれる。しかし静音が期待していた言葉は出てこない。
「じゃがの、南蛮人が南蛮妖怪を従えているのが事実としよう。だが、千従えているも十従えているも、従えているという事実には変わらん」
「それは……」
静音はもとより、九郎にも長の言わんとしている事が理解できた。
敵が妖怪を従えているから、こちらも手を組もうというのが鷹束側、ひいては海軍側の主張である。だが、敵が妖怪を従えているとは言っても、それがごく限られた数であった場合。十は少なすぎるとしても、全体から見れば極限られた数でしかないならば、それは人間と妖怪の混成軍ではなく、あくまで人間同士の戦いなのではないか。そして人間同士の戦いならば、大和の妖怪が協力するというのは筋が違うと、長は言っているのだ。
静音が返答に詰まった事から考えても、具体的な数の把握までは出来ていないのだろう。だがそれも無理はない。今まで人間同士の戦争に於いて、妖怪を徴用した話など前例が無い。なれば敵にとってそれは秘中の秘扱いであってもおかしくないのだ。人間が持ち得ない能力を持った妖怪を兵として用いられるという事は、対する帝国軍も今までの戦術の常識が通用しない戦いを強いられる事になる。対策というものは、対象となるものの規模によって全く変わってきてしまう。対応する側の人員、資金、物資が限られている以上、数が判らないというのは、十分な対応策を講じる事が出来ないという事に繋がるのだ。
これによりネヴィス側にとっては、未知の能力である妖怪兵の数を秘匿する事によって、有利に戦いを進められる。
しかし静音はそれでもなお、食い下がる。
「ですが、敵の妖怪兵の数が多い事が判明してからでは、手遅れになるかもしれません」
「かもしれない、で仲間を危険にさらすわけにはいかんのじゃ。それに二十年程前の人間と共に戦った時も、一時は互いを理解し合ったようにも見えた。しかしそれは幻に過ぎなかった……」
長は軽く視線を上に向けると、当時の事について回顧した。
「所詮、人間と妖怪は異なる存在。その時は妖怪と親しくしていた人間もいたが、近しい者から揶揄、中傷でも受けたのであろう。みな距離を取り、中には解り合ったはずの妖怪に対し、下賤者扱いする者まで現れる始末じゃった。いや、これは人間ばかりの話ではない。元々、我々の間でも人間に手を貸す事を面白く思っていない者も多かったため、妖怪の間でも軋轢が生じてしまったのだ」
静音は長の言葉を、一つ一つ丁寧に聞き、じっと見つめたまま微動だにしない。
「我々と人間、いたずらに距離を近くすれば不和を招き、どちらにとっても不幸が訪れよう。故に、余程の必要に迫られない限り、距離を保っておきたいというのが長としての儂の言い分。だが、儂の目の届く範囲での、人間への手出しは当分やめさせよう。それがこちらが出来る最大限の協力じゃ。もっとも、我らと馴染まず、一匹狼の連中はどうしようもないが、そこは勘弁してもらおう」
これ以上の交渉は無理だと判断した静音は頭を下げる。
「……承知しました。その旨、兄に伝えます」
静音の声から、落胆の色は隠せない。
「今日はもう日が暮れてきておる故、これから下山するのは夜道となり危なかろう。今夜は里に泊まっていくがよい。彦衛よ」
長はそう申し出ると、部屋の外に控えていた腹心の鴉天狗、彦衛を呼び、宴の準備と、部屋を用意するように申しつける。
彦衛は一礼すると、手で促しながら部屋へと案内する。
「はっ。では、どうぞこちらへ」
「え、ですが……」
静音は逡巡し、鴉天狗と九郎の顔を見比べる。明らかに気が進まない様子だ。
しかし、既に日も傾き始めているため、長の言う事ももっともだ。
「これから出立となると、確かに途中で夜になってしまいますね。お言葉に甘えた方がよろしいかと思いますが、どうでしょう?」
護衛兼案内役にそう言われては、静音も諦めて頷くしかない。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
鴉天狗の案内で先を歩く静音に続こうとする九郎であったが、太郎坊が不意に呼び止め、傍に歩み寄ってきた。太郎坊は九郎にだけ聞こえるように耳元へ顔を近づけた。
「一応部屋は二つ用意するが、近くに誰も付けないでおくから……」
「伯父上」
太郎坊がすべて言い終える前に、言わんとする事を悟った九郎は、珍しく強い語調でそれを遮った。
少し先行していた静音がその言葉に驚いて振り返ると、一瞬驚いた表情の後に不安気な瞳で、空いた距離を埋めるように駆け寄ってくる。
「どうかされましたか?」
「いえ、ちょっとつまらない冗談に付き合わされただけです」
帽子を深く被って九郎は目元を隠す。
「はっはっはっ! 若いというのはええのう!」
意味が分からず、静音はただただ、怪訝な表情で二人を見比べるだけであった。