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妖かしに贈る唄  作者: 樋桧右京
第一節 縁導き
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第一節 縁導き(4)

 時を遡る事半月前。

 大和帝国の遙か南西、ネヴィス王国海軍艦隊の船足だと、帝国まで約半月ほどの場所にあるカムラン港。カムラン港は数多くあるネヴィス王国植民地にある港の一つだ。

 そこでドレッドノートに乗り込んでいたエクソシスト、ハロルド・カーティス少尉は命令により艦を一時降りる事となった。カムラン港からは身分を偽って商船を乗り継ぎ、艦隊に先行する。ネヴィス軍潜入工作部隊と共に大和帝国に潜入する任務を命じられ、作戦上のハロルドの主な任務は、その潜入工作部隊の監視だった。

 このカムラン港に艦隊が入港した時、初めてハロルドに詳細が伝えられたが、潜入工作部隊はそのほとんどが人間ではない。魔法で使役している、所謂モンスターであった。


 歴史上、モンスターを兵として使役しようとした試みは、幾度となくされてきた。魔法使い個人の魔力が及ぶ範囲の、ごく小規模な建造物の守備兵としての運用は例がある。だが、戦争を前提とした大規模な運用を想定した場合、ごく単純な命令しかこなせない、コストに見合わない等の理由から度々検討されては採用を見送られてきた。これは他の西洋諸国も同じだろう。しかし、ネヴィス王国はこの戦争でのモンスター兵の運用を実用化までこぎ着けた。どうやって数々の問題を解決したのかは、ハロルドには分からないし、当然知らされてもいない。そのような事は下級士官には知る由もない。

 ネヴィス王国は、モンスター兵を運ぶ輸送船を数隻、今回の大和帝国戦の艦隊編成に組み入れていた。が、モンスターを兵として実戦投入するのは初めての事であり、どのような不測の事態が起こるかも分からない。

 エクソシストは、魔族の他にも数多くのモンスターとの戦闘経験を持っていた。魔族同様普通の剣や銃などは通じない相手も多く、そのタイプや性質に合わせた戦い方を要求されるため、人間相手に戦う事を想定とした通常の兵、及び装備では手に余る。

 つまりハロルドは、モンスター兵の監視、及び管理、砕いて言えば何かあった場合の後始末役として艦隊に配備されたのだ。


 そしてカムラン港を出発して一週間後。

 ハロルドは夜陰に乗じ、予め調達されていた、大和帝国の漁民が沿岸漁業で使用する舟で帝国のとある海岸の砂浜に乗り付け、降り立った。同じ舟には、形としてはハロルドの部下に当たる、ウェアウルフ達で構成された小隊も同乗していた。

 辺りを警戒し、誰にも見つかった様子はない事を確認すると、ハロルドは舟上のウェアウルフ小隊四名に下船を命じる。

「やれやれ……。何とかここまでは無事に着けたか」

「ようやく窮屈な船とおさらば出来るぜ」

 舟を降りて言葉を発したのは、小隊長のザーダックだ。ハロルドは形式上、その上の部隊長となるが、今はザーダック以下の一小隊しかその指揮下にはいない。隠密性を要求される潜入作戦という性質上、仕方のない事ではあった。

「さて、まずは協力者に接触するんだったな。幻術装置は全員忘れてないな?」

 ハロルドは左手首に身につけている、シンプルなデザインの腕輪を見せ、確認を取る。

「そんなヘマはしねぇよ」

 ザーダックはハロルドと視線を合わせようとしない。

 モンスターの兵卒は、魔法処理によってその自我を封じられる『隷属処理』がされており、小隊長の命令のみ聞く様になっている。ザーダックを除くウェアウルフ達の目や口が縫いつけられており、それはその処理の一環だ。ザーダックには小隊長として臨機応変な判断力が求められるため、隷属処理はされておらず、拘束具を身に着けさせられていた。

 拘束具といっても、物理的に手足の動きを制限をしているわけではない。

 金属で出来た首輪で、与えられた命令に対して意図的に反する行為を行おうする思考を首輪が感知すると、全身に耐え難い痛みが襲う魔法が仕込まれている。本国でも投獄された重犯罪者や政治犯に取り付けられる事があり、その痛みの凄まじさで囚人がショック死をしてしまう事も、さほど珍しい事でない。

 何も分からぬ状態で支配される方がいいのか、自我を保ったままで命令され、行動を強要される方がいいのか。ハロルドには答えを出せなかったが、どちらの境遇も願い下げである事は確かだ。もっとも、魔族から民を守るためにエクソシストになったのに、戦争の片棒を担ぐ羽目になっているこの状況は、拘束具を着けていないだけで、自分も大して変わらないのかも知れない。そんな思いがハロルドに過ぎる。


 ハロルドがエクソシストを志したのは、幼い頃の出来事が切っ掛けだった。

 遊びに行った帰り道の事。帰宅が遅くなり、暗くなってから通ってはいけないと言われていた近道を通ってしまい、モンスターに襲われ命を落としかけた。

 それを助けてくれたのが、たまたま通りがかったエクソシストであった。

 だが、そのエクソシストの男性はその戦いで、片腕と片脚を失うという深手を負い、奇跡的に一命は取り留めたものの引退を余儀なくされた。

 後日、親と共にそのエクソシストの元を見舞いに訪れた時である。ハロルドはなんと謝ったら良いのか分からず、痛々しい姿の彼を前にしても、ただ泣きじゃくりながら、ごめんなさいとしか言えなかった。そんなハロルドに、彼は恨み言の一つも言う事無く、無事だった方の手で優しく頭を撫で、「無事で良かった」と言葉をかけてくれた。ハロルドが自分の生きる道を定めたのはその時だった。

 あの人のように民を守るため――――

 エクソシストとしての自分の存在意義、誇りはそこにある。

 しかし、この戦いに誇りはあるのだろうか。これは本当に民の為なのだろうか。そんな疑念が湧き起こる度、ハロルドは自分に言い聞かせる。植民地が多くなれば、それだけ本国は豊かになり、民も幸せな生活を送る事が出来るのだと。


 極東の国、大和帝国はここ十数年の内、急激に軍事力を増強し、その勢力を拡大。ネヴィス王国にとって、このままではいずれその版図を奪われかねない状況であった。

 ここ五十年ほどの間に、西洋の各国は富を求め、その先進的な軍事力を頼りに我先にと争って、手つかずの植民地を求め、大陸の東へ東へと勢力を伸ばしていった。

 大和帝国は三十年程前から、立ち後れていた近代技術を西洋から貪欲に取り入れ、急速に近代化の道を歩んだ。そして今では、ネヴィス王国のような西洋でも特に力を持つ、所謂列強国に比肩する軍事力と経済力を手に入れている。しかし、その他の東洋諸国は近代化から取り残され、西洋諸国の圧倒的な軍事力の前に為す術もなく、西洋諸国いずれかの国の植民地として支配され、その富を供出するためだけの地位に甘んじる事になっていた。

 植民地の数は、そのまま本国の富に繋がる。大和帝国はそれを脅かす存在であり、また、東洋で唯一残された手つかずの土地だ。この極東の国にはかなりの黄金が埋蔵されているとも言われている。それを狙い、西洋の国々の間には様々な思惑が渦巻いていた。大和帝国と同盟を組み巧く立ち回ろうとする国、漁夫の利を狙う国、大和帝国を疎ましく思う国。

 ネヴィス王国は疎ましく思う立場の国であった。大和帝国とのテーブル上での外交は完全に決裂し、関係は修復不可能な程まで悪化。もっとも、外交交渉もネヴィス側は、一方的に大和帝国にとって不利な要求を提示したため、話が纏まる見込みなど微塵もなく、最初から纏める気も無かった。ただ戦端を開く口実を作りたかっただけである。

 そして、両国はついに戦争へと突入した。


 国の、ひいては国民の財産を守る事も、エクソシストとはいえ軍人の仕事。自分の理想と異なる戦いに身を投じなければならない事に、ハロルドはそう割り切るしかなかった。

「ぐずぐずとはしていられないな」

 ウェアウルフの足は人間の走る速度よりも速く、このままでは足を引っ張ってしまう。

 ハロルドは目を閉じ、言葉を紡ぎ出す。

「Chains we bind the earth. I broke it, run through with the wind」

 次の瞬間、ハロルドは身体が軽くなるのを感じた。一時的に身体を軽くする魔法で、走る速度が上がり、普通より少ない体力で長距離を走破する事が可能になる。

「準備は出来た。行こうか」

 出発の旨を伝えると、ザーダックは目を合わせないまま頷いた。仕方ない事ではあるが、なんともやり辛い。溜息を一つ吐くと、ハロルドは事前に頭に入れておいた地図に従い、先行して走り出す。ザーダック達もそれに続く。

 星明かりのみで、黒の絵の具で塗り潰したかのような、暗い森の中を駆け抜けていく。

 ハロルドは、地元民や警邏中の警官や兵士と遭遇しない事を神に祈っていた。目撃されてしまった場合、幻術の腕輪等で誤魔化せれば良し。だが、もしも見破られるなどした場合、最悪、殺さなければならない。それだけは可能な限り避けたかった。戦争に身を投じている以上、敵国の民間人を手にかけたくないなどという事は、甘い考えだし、軍人にはあるまじき考えだ。だが、理性では理解していても、未だに感情が納得できない。いざという時、自分に人が斬れるのだろうか。自問自答しながら、ハロルドは闇の中、風を切りながら走り続けていた。

 そんな時、視界に突然、道に立ち尽くすドレス姿の少女が目に飛び込んできた。

「女の子!?」

 深い暗闇のために目前に近づくまで気がつく事が出来なかった。魔法で速度を上げていたために余計だ。

 暗闇で良く見えないため、はっきりと色までの確認は出来ないが、少女の髪は肩で切り揃えられており、服もこの国の特徴的な民族衣装、『キモノ』ではなく、西洋の文化圏のドレスだ。その少女を見たハロルドは、不審に感じずにはいられなかった。十歳程の少女が暗い危険な森の中、明かりも持たずにいる。いや、それは些細な事かも知れない。視線の動きから、少女は我々を認識しているにも拘わらず、全く驚いた様子も無いのだ。しかし、異常さを感じはしても相手は少女。本当に人間なのか、またはこの国の魔物か。警戒はしつつも色々と確認を取らねばならない。

 ハロルドは足を止め、ザーダック達も止まらせると少女に声を掛ける。

「君はこんなところで何をしているんだい?」

 ハロルドはそう少女に質問した。いや、したつもりだった。

 ところが、その声は音として発される事なく、ただ口が動くのみだ。

「!?」

 何が起きているのか解らず、ハロルドは焦りを覚えつつも冷静でいるように努め、頭の中で原因を考えようとした。だがその思考を目の前の少女が、姿に似つかわしくないおぞましい声で遮る。

「声は封じた。後ろの犬共をけしかけられては意味が無いのでな」

 ただならぬ気配を感じ取り、ハロルドは腰の剣に手をかけようとする。

 それよりも一瞬速く少女がその手をハロルドに向けると、激しい衝撃波が襲ってきた。

 次の瞬間、ハロルドの前、宙に浮かぶように五角形の巨大な光の盾が現れると、衝撃波を受け止め、本人へのダメージはほとんど無かった。衝撃波が収まると同時に光の盾は砕け散り、欠片は粒となって大気中に溶けるように消えてゆく。

「小賢しい……」

 疎ましげに呟く少女。

 緊急時用の対魔法障壁のアミュレットが軍服に仕込まれており、それが着用者の危険を察知して自動的に働いたようだ。だが、あくまで緊急避難用のため、一度発動すればアミュレットはその効力を失う。エクソシストは通常これを二回分装備しており、残りは後一回分。だが、頼るわけにはいかない。ハロルドは可能な限りそれは温存し、何とかこの場を凌ぐ手だてを考えなければならなかった。

 だがハロルドが考える暇無く、少女の身の周りに魔力が光の粒子となって漂い始める。

「בחרו השערים עורב סגור(閉ざされし漆黒の門)……」

 ハロルドには理解の出来ない言葉を、少女は旋律に乗せる。

(これは……あの時の歌……か?)

 ドレッドノートへ乗艦した時、耳にした歌。少女の歌はそれに酷似しているようにハロルドには感じられた。この少女は危険だ。それも今までに無い程に。数多く修羅場をくぐり抜けてきたハロルドは、戦士の経験からそう直感した。剣を引き抜くと同時に薙ぎ払う。

 だが刃は少女に届かず、直前で見えない壁に阻まれて弾かれた。

(障壁を纏っているのか!?)

 攻撃など意に介さず、歌い続ける少女。

 ハロルドは更に何度も斬りかかってはみるものの、その事如くが弾かれてしまう。

 この剣も普通の剣ではなく、他魔族用に魔法で生成されたものだ。多少の魔法障壁などは打ち破れるはずだが、その気配が見えない。

 この剣が通用しないのか?

 通用しないのならば、魔法による攻撃を加えるしかないが、詠唱を封じられている以上どちらにしろその手は使えない。もっとも、攻撃魔法は牽制などのための補助程度のものしかハロルドは扱えなかった。次の手を模索しながらも、剣を振り下ろし続けるハロルド。そして繰り返す内に、少女の表情がほんの僅か歪んだのをハロルドは見逃さなかった。

 一撃で大きな効果を得られる訳ではないが、全く効いていないわけではない。確信したハロルドは、柄を握る手に力を込める。そして更に数回打ち付けると、少女を覆っていた障壁は粉々に砕け散った。ハロルドは間髪入れず、少女に対し、上段から剣を打ち下ろす。

 しかし、刃が少女を捉えるより速く。

「調子に乗るなよ」

 少女の目が赤く光ったかと思うとその左腕をかざし、そこから衝撃波が発せられる。

 避ける事も出来ず、対魔法障壁が作動してハロルドを守る。が、それでも尚、その威力を相殺しきれずにハロルドを大気の波が襲った。

「かはっ!?」

 体中の骨が軋み、左肋骨のどこかで鈍い音がすると、その発生源辺りで脈動する痛みがハロルドを襲う。歯を食いしばって痛みを堪えると、ハロルドはその場を駆けだして海がある方向へと向かう。暗闇の中、樹木の根を踏んだり、ぶつからないように幹を避ける度に身体に衝撃が伝わり、肋骨の痛みが増悪する。だが、足を止めるわけに行かず、あの少女から距離を取るため、ひたすら走り続けた。

 どれほど走っただろうか。

 程なくして木々が切れ、視界が開ける。海岸に出る事を想像していたハロルドであったが、そのような光景はどこにもない。あるのは崖と、遙か下に望む荒波の海だ。慌てて周囲を見渡すが、他に道はない。少し引き返して他の道を探そうと考え、踵を返すが、次の一歩は踏み出せなかった。森の出口に、あの少女が立っていたからである。

 敵に弱みは見せまいと、ハロルドは左側胸部の痛みを手で押さえたい衝動を我慢した。

「君は……君は一体何者だ? ドレッドノートにいた魔族なのか?」

 気がつけば再び声は出るようになっていたが、ここからザーダック達へ命令を伝えられるほどの声量を出す事は痛みで不可能だ。

「……我が名はルヴェリウス。地獄でこの名に恐怖を抱き続けるがいい」

 言うと少女は右手をハロルドに向けてかざす。

 対魔法障壁のアミュレットはもう無い。もう一度あの衝撃波を受ければ間違いなく命はない。ならば、限りなくゼロに近くとも、まだ可能性のある方に賭けるしかなかった。

 ハロルドは剣を鞘に収めると、再び踵を返してそのまま紺碧の海へと飛び込んだ。

                †

「……まあ良い」

 少女は掲げていた右手を下ろすと、自分の左腕へと視線を向ける。先程までは存在していたその左腕は、肘から下が空気中に消えていくように失われていた。


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